七話 マイア
※サブタイトルを修正しました
1キュビエ=1.5m くらいです。
次でこの章は完結です。
少佐が身を寄せている郊外の屋敷は、屋敷と呼ぶには少々くたびれていた。
建物の周りは荒れ放題で、窓の幾つかは風通しの良いままだ。一見すると人が住んでいるように見えない。
ここが少佐の古い友人、『神具』の作り手、アルヴィスの工房だ。
「早朝から外が騒がしいですが、何かあったのですか?」
少佐がここに匿ってもらって、三日が過ぎていた。
アルヴィスは突然増えた食い扶持を持って、朝の食事を豪華にすべく食料を買いに行って戻ってきた。
「ふん。たいして興味は無いが、またぞろ大戦になるようじゃな」
「そんなに大規模な?」
「戦船を動かすらしいぞ。海族が大挙してやってきおったそうだ」
興味が無いという割に、詳しい情報を伝えてくる。アルヴィス自身が興味があるのだろう。自慢の立派な顎髭を忙しなく撫でている。
「海族の襲来は久しぶりですね。三百くらい来たのですか?」
過去にもその位の記録が数度あった事を、少佐は知っていた。その際に、アイン・フルメアから戦船が二隻出た事も。
「ばかもんが。その程度では“大挙”とは言わんわ」
実際にどの位の数かは、街中の噂が錯綜していて不明だったが、アルヴィスは少なくても記録に無い数だと予想していた。
「まぁ、お前さんたちにゃ信じがたいことだろうがな。儂は二度経験がある」
「二度? 老師で二度しか無いことか……」
少佐は目の前の老人を老師と呼ぶ。
本人は好きに呼べと気にもしていないが、少佐にとってアルヴィスは、命の恩人であり、師であった。
「そんな事より、飯じゃ。肉を食わんと始まらん」
卓上に次々と乗せられる料理は、右を見ても左を見ても肉料理だった。串焼き、煮込み、焼き肉に、野菜炒め。
少佐用の野菜炒めを除けば、純正肉料理ばかりだ。
「相変わらずですね老師は……」
棚から二つコップを取り出して、茶を注ぐ。南部で一般的に飲まれている、カタビラソウの葉を煮出したものだ。
少佐は既に、風の民の村落に赴いた事、自分は命令違反をして逃亡している身で有る事、謎の装置の事などを話していた。
「ふむ……心当たりは無い事も無いが、あれを再現できたのか」
「再現と言いますと?」
「海の先の大陸の北に、転移門というものがあった。
理屈は似たようなもんじゃろう。本来は、移動に使うものじゃがな」
アルヴィスは元々この大陸の人間では無い。西の海を隔てた大陸の、北部の出身だと語っていた。
転移門は彼らが作ったものでは無く、遺跡として発見されるそうだ。
いつ頃作られた物なのか、誰が作ったのか、どうやって作ったのかは分かっていない。
ただ、作られた目的と利用方法は知られていた。
「理屈はよく分からん。中に入る時に別のものに変化させて、出口で元に戻すんじゃろうな。
差し詰め作ったのは“神”という奴じゃろ」
最後の言葉は彼なりの皮肉を感じた。
「別の何かですか……」
少佐が街道で対峙した時、見た目は他の兵士と変わらないように見えた。
その後風の民の屋敷前で、それから空の上で。
いずれも直接剣を交えたわけでは無く、見た目通りの存在だったのか、本当に実体があったのか分からなかった。
ただ、その場の存在感、確かに目の前にいると感じた事は間違いなかった。
「転移門を使うと、遠方に移動できるのですよね、老師」
「うむ。ある程度時間は掛かるがな」
「実際に使った事があるのですか?」
過去に一度だけ、アルヴィスが転移門を使った時の話をした。
「薄暗い洞窟の中を歩いている感じじゃった。先の方に出口というか、光が見えていてな。
そこに向かって歩いて行くのじゃが、見た目よりずいぶん遠い感じだったな」
周囲の音が消えて自分が歩く音、服や鞄が擦れる音、さらには自身の鼓動まで聞こえてくる気がして、落ち着かない感じが嫌だったと語った。
「実際には四半刻も掛かっておらなんだが、妙に息苦しくてなぁ」
今でも鮮明に思い出せるのか、アルヴィスの表情には苦い物が浮かんでいた。
根拠があるわけでは無いが、少佐には転移門と、ルマルスが見たという大きな黒い箱のような何かが、関係するようには思えなかった。
興味は惹かれるが、詳しく聞く程に異なるものにしか思えない。
「しかし老師、わたしの話と転移門とでは、効果が違うように思います」
「おぉ、済まなんだな、原理が近いと考えたんじゃ」
「原理ですか?」
「中に入ったものを、離れた場所に存在させる、という点じゃな。
転移門はくぐってから出るまで、出口で何が起こっていたのか、儂には分からん。
もしかすると、と思っただけじゃ」
他に思い付くもんは無いのう、そう言って笑い声を上げ、アルヴィスは骨付き肉にかぶり付いた。
少佐に対しても、喋っていないで飯を食えと、目で促していた。
「まぁ実際に見てみれば、少しは分かることもあるじゃろう」
アルヴィスは悪戯っぽい目で、肉をかじりながら少佐を見上げる。
「え? 見てみるって……」
「儂も一緒にいくぞ。そんな面白いもの、放っておけるか。良い機会だしな」
ガハハと再び笑って、三つ目の骨付き肉に手を出すアルヴィスを見て、不安を禁じ得ない少佐だった。
◇
光帝より親書を携えて訪れた特使の前には、一人の女性がいる。年の頃は妙齢と言うには些か過ぎているが、十分に美しい。
緩くウェーブの掛かる、赤茶の腰まで伸びた髪を、首の後ろと腰の辺りの二ヶ所でまとめている。
意志の強さを感じさせる、太く真っ直ぐな眉と厚い唇。レラト女王は威厳を感じさせる美人だった。
特使の差し出した親書を受け取った側仕えが、封を切って女王に手渡す。
ほんの数刻前に、マイア本国でも海族襲来の報は受け取っていたが、光都の対応はあまりに早すぎると思えた。
「遠路大儀であったな。要請には応えよう。すぐに派兵したいところではあるが、時間は必要だ。それまで十分に休んでいかれよ」
女王の前で傅いていた特使は、労いの言葉に丁寧な礼を述べた。
女王の側近の何名かは、早すぎる使者の到着に懸念を感じていたが、引き留める事自体に異論は無かった。
むしろ特使を持て成す事で、バイスの真意を計りたいと考えていた。
特使は親書を届ける以外に、一つの密命を受けていた。夜族の動向についての調査である。
バイスにも南部草原地域で、夜族の姿が目撃されたという情報を得ていた。
また、マイアから更に南に下った大陸西部の半島、グラーベンで夜族が活発な動きを見せているという情報も掴んでいた。
彼らについては謎が多い。特使はそうそうに歓待を辞退して、マイア市内の見学を申し出た。
特使が着いた翌日、派兵の用意が完了した。マイアから大型軍船が三隻、中型高速船が五隻、海龍船十二隻が海族討伐に出発した。
海龍船とはマイア独自の小型戦闘船で、ラガルティヤという大型の海龍が二頭で小型船を牽引する、高速船の三倍の速度が出せるマイアの虎の子だ。
更に今回の要請では、遊撃部隊として大鷲隊が参加している。
マイア国外へは滅多に派兵されない、移動速度を重要視した索敵と遊撃を主体に行う貴重な戦力だ。
バイスが誇る甲龍の重騎兵が攻撃の要なら、大鷲隊は機動力の要と言えるだろう。
「レラト女王陛下、此度の出兵に感謝致します」
「よい。海族は我ら大陸に住む者、共通の敵だ。当然のことをしたまでだ。
それはそうと、今回はずいぶんと大規模だな。やはりあれか?」
「恐らくは、王の誕生で間違いないかと」
やはり精霊族の言っていた通りになったか、レラトは予期されていた事とはいえ、心穏やかでは無かった。
今回の派兵で大鷲隊が参加するのは、部隊を預かる精霊族の意向でもある。
西部大森林地帯を滅多に出たがらない彼らは、何故か今回に限り自ら出撃を上申していた。
理由を尋ねたレラトに部隊長は、海族の王の出現を予見したからと、答えていたのだ。
海龍船を十隻以上用意できたのも、予め必要になる事が分かっていた為だ。そうで無くては大型海龍の用意が間に合っていなかった。
「海の王か……さて、天空の王は、如何されるのか……」
レラトの呟きは、既に場を辞している特使に聞こえる事は無かった。
◇
索敵と情報収集の為に先発した大鷲部隊が、間もなくグラーベンを過ぎて海岸線に届こうかという時、遥か沖合にあり得ないものが見えていた。
「な、なんだあれは……」
始めそれは巨大な黒っぽい魚に見えた。海の浅い所をゆっくりと、海岸に向かって泳いで来る魚に。
だがそれは直ぐに、見間違いであったと気付く。灰色の肌をした集団、見た事の無い程の数の海族が、うねり進んでいる姿だった。
『全員散開しつつ、高度を下げて身方を探せ! 光都の兵か草の兵より情報を得て、援軍が来る事を伝えるのだ!!』
戦闘を飛ぶ隊長、アスプレイが声を張り上げた。それを合図に、四体の大鷲は次々に地上に向かって散開していく。
無駄の無い訓練された動きだ。大鷲は強力な飛翔性を持つ、西部森林特産の大型鳥類だが、気性が荒く飼い慣らす事が難しい。
森林に住む精霊族の中でも、一つの部族だけがこれを可能にしていた。その為強力な兵器ではあるが、数はごく少数に限られていた。
左に展開した一体から、鏡石を使った光の合図が届く。身方を見付けたらしい。
低空で一直線に目標に向かって行った。アスプレイの先を飛んでいた兵士も何か見付けたらしい。
だが、合図は報告が必要で有る事を告げている。急いで距離を詰めて、何事かと尋ねた。
『隊長! 海岸手前の砂丘陵に、夜族らしき姿が見えます!』
報告してきたビレアは、特に目がいい。彼女の言う事なら間違いないだろう。
『夜族だと? こんな所まで……』
『数は不明です、十は超えないと思いますが』
アスプレイはビレアに、丘陵へ確認に向かうように告げて、自身も海岸への最短距離を取った。
早ければ海龍船が半島を回り込んで来る頃だろう。と、前方遙かに、走駆龍で疾走する騎兵隊を見付けた。
深い黒紫の甲冑に身を包んだ、漆黒の軍団。バイスの駆団兵だ。
速度を上げて後方から近付いて、鏡石で身方の合図を送る。
「マイアの大鷲隊か、驚いたがありがたいなっ! アイン・アルブの戦況は!?」
『浅…から百体…後が上陸……がりながら戦闘……だ!」
風を切るバイスの騎兵の耳には、途切れ途切れの言葉しか届かなかったが、概ねの意味は伝わった。
「伝令感謝する! 先に向かって、攪乱してくれ!!」
一度散った四体が次々と集まりながら、アイン・アルブを目指して海風を切り裂いて飛ぶ。
それぞれが、目的地に向かう友軍に接触できたようだった。
海岸線に近付くにつれて、逃げ出してきた大陸人の姿を見掛けるようになった。 老人や女性が子供の手を引きながら、数名の集団で内陸の丘陵に向かって走っていた。
『ビレア! 夜族はどうした!』
『隊長、丘の上に、既に姿がありません! 安全です!!』
『分かった! お前は避難民を誘導しつつ、丘陵地帯の安全確保、残りはわたしに続け! 海族の先頭を叩くぞ!!』
素早く指示を出して、アスプレイは村民を追って突出して来た、数体の海族に向かった。
腰から外した連射式クロスボウを構えて、先頭の一体を狙う。
カシュッ! という小さな擦過音の後に、槍を振り上げていた海族の呻き声が上がる。
足止め、攪乱が目的である。直ぐさま奥の一体に、二発目、三発目を放つが、三発目は狙いを逸れて、足下の砂を舞い上げただけだった。
立ち止まった海族に上空から急接近して、勢いのまま片手槍を投擲する。
鈍い音をさせて胸を貫いた槍は、直後に爆発して海族の身体を四散させた。
黒色火薬が仕込まれた雷撃槍は、マイアの大鷲部隊を象徴する恐るべき殺傷武器だ。
上空から狙い撃ち出来て、直撃しなくとも効果はある。森林戦こそ最大の効果を発揮するが、海岸という開けた場所でも驚異的だ。
しかし補給が行えない現状では、一度に乗せて飛べる二十本が限度だった。使い所を考える必要がある。
爆発音に反応した海族が、一斉に集まってきた。アスプレイが期待したのは、まさにこの効果だった。
海族は大きな音や、強い光に無条件で反応する。また、仲間の血のにおいにも反応した。
青黒く生臭い血ではあったが、同族の危機に応じる為か優先して向かってくる。
アスプレイは一端上空に上がって距離を取り、クロスボウに矢を番えながら、次の集団に向かって飛び込んでいった。
狙い目の集団に向かって、今度は初手から雷撃槍を投擲する。一撃は中央の一体を爆散させ、辺りに生臭い血のにおいをまき散らせた。
『隊長! 海龍船です!!』
海岸線から戻ってきた、コルムネアが待っていた援軍の到来を報告した。
アスプレイが視線を南西に向けると、二本の白浪が東西に長く線を引くのが見える。これで一安心か……
だが、アスプレイの瞳が捉えたその光景に、たった今抱いた感情が消し飛ばされた。
海が盛り上がっていた。否、何か大きな物が、海から現れようとしていた。
いち早く異変に気付いたのだろう、海龍船が左右に割れるように回頭する。
そして、それは姿を現した。
最初に見えたのは、青黒くぬめった光沢の丸い頭だった。続いて黒く突き出た目と、頭の後ろから伸びた背びれ。
がっしりした両肩から伸びる腕の先には、鉤爪が長く伸びている。その姿は一見、海族の様だったが、所々が違っていた。
何よりも、大きかった。
膝下が海中に浸かっているにもかかわらず、背丈が1.5キュビエ以上ある。恐らく、全身が現れれば2キュビエを超えるだろうと思われた。
『グィィエェェェェ!!!』
くぐもった、しかし空気を振るわせる大声で、それが吠えた。