#3旅立ち #4オプショナルツアーSレベル
秘密の想い出 ~サエコの場合~ トラキチ3
【2稿】20140322(連載2)
【初稿】20140320(連載2)
~旅立ち~
『おおよそ90分のリラクゼーション睡眠で3ヶ月分の体験ができるツアーをためしてみませんか』
私は、仕事場でも例のチラシのことが気になって仕方がなかった。
いつにもなく、1日の仕事を段取り良くこなし、定刻よりも1時間も前に仕事を切り上げた。
「お先に!」
まわりのスタッフが驚く中、私は、颯爽と仕事場を後にしてチラシのサロンを目指した。
そのサロンは、最近できたばかりの高層ビルにあった。
50階のエレベータの扉が開くと、柑橘系のさわやかな香りが心地よい。そして廊下を進むと、受付がみえてきた。
受付には、顔立ちの整った、まるでモデルのような受付嬢がニッコリ微笑み会釈している。
「いらっしゃいませ、あ、はじめての方ですね?」
「はい、このチラシをみて」
「初回は、色々な申請や適正テストで2時間ほどお時間をいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「そんなに?」
「ツアーで最大限お楽しみいただくために、パーソナルデータの調整が必要となりまして、もちろん、登録は無料となりますので、ご安心ください」
「で、その肝心のツアーは?」
「大変申し訳ないのですが、初回の本日はチュートリアルツアーとなりまして、今後のツアーを充分楽しんでいただくための基本をマスターしていただくことになります」
「そうなの、わかったわ」
受付嬢は、ロビーのソファーに手を差し出した。
「担当のものが参りますので、こちらでおまちくださいませ」
しばらくすると、タブレット端末を抱えた女性がコチラにやって来るのが見えた。
「私は、あなたさまのツアーを担当させていただきますエリカと申します」
エリカは、すらっとした小顔の可愛い女の子だった。ここのユニホームだろうか紺色のかっちりしたスーツが似合っている。
「各種の申請と適正テストは、少し面倒でございますが、大切なことですのでぜひともご協力ください」
そう言うと微笑みながら、私にタブレット端末を差し出した。
「では、こちらに回答をお願いします」
私は、形式どおりの申請書類やら、アンケートにうんざりしながらも段取り良く処理をすすめた。全ての手続きが終わると、それでも30分が経過していた。
「ふぅ、これでいいかしら!」
「はい、お疲れさまでした、それでは、着替えの準備をおねがいします、18番の部屋に入り、下着はそのままで結構ですが、あとは全部脱いで、こちらに着替えてください」
そういうと肌触りの良い白いガウンが渡された。
「え、着替えるの?」
私は、驚いてエリカに確認をすると、エリカは、微笑みながら解説してくれた。
「はい、当社のシステムでは、ヒトの感覚すべてを制御いたしますので、大量に汗をかくこともございますし、リゾート施設でのリラックスタイムを満喫していただくためにご用意しております」
「ああ、そういうことね」
「では、この通路をまっすぐお進みいただいて、18番のお部屋へどうぞ」
「わかったわ」
私は、おおきく扉に18と書かれた部屋に近づいて、扉に軽くタッチするとスッと扉が開いた。
部屋の中は、白を基調としてすこしばかりまばゆい明るさになっている。私は、指示通り衣服を脱ぎ、ガウンに着替えると用意されたソファーに腰かけた。
しばらくすると、名前が呼ばれ、さらに奥の部屋へ入るように指示があった。エアシャワーを通過すると、カプセル状のベットが並んでいる部屋にやってきた。
そこでは、エリカが白衣に着替えて私を待っていた。
「デバイスを準備しますので、ちょっと髪の毛をあげていただけますか?」
「はい」
私は、髪の毛を束ね、エリカにうなじを見せた。
「ちょっと、冷たいですので」
そう言うとエリカは、うなじにアルコール消毒のガーゼを当てた。そして、少しばかりチクリとしたが、デバイスとよばれている装置が首の後ろにとりつけられ、コードが繋がれた。
「それでは適正テストをいたしますので、カプセルの中で横になっていただけますか」
「適正テスト?」
エリカは、笑顔で答えた。
「これから、すばらしい体験をされますよ! では、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚をテストいたします、目を閉じておまちください、それから、もし、ご気分が悪くなりましたら、その赤いボタンでお知らせください」
私はカプセル内に設置された赤いボタンを確認すると眼を閉じた。あたりが静かに暗くなっていく。
突然、風の吹く音や、鳥の鳴き声が聞こえてきた。雨上がりなのだろうか、草の匂いまでもがしてきた。
私は、ゆっくり目をあけてみた。するとどうだろう、目の前に草原が見えてきた。最初はのっぺらな映像だったが、徐々に立体になっていく。そして、周りをみまわすと、まるで草原の中に自分がいるような錯覚におちいった。
やがて、丘の向こうから、紺のスーツにタイトスカートのエリカの姿がみえてきた。
「サエコさま、バーチャルツアーへようこそ! これが最後のテストです」
「まだあるの?」
エリカは申し訳なさそうに、自分のカバンからペットボトルのオレンジジュースを差し出した。
「喉もかわいているでしょうから、コチラをどうぞ召し上がってください」
言われるままに飲んでみると、見た目はオレンジジュースなのに全く味がしない。
「なにこれ、水?」
エリカは、私の反応を確かめ微笑むと手に持ったタブレット端末を操作した。
「もう一口、どうぞ」
するとどうだろう、今度は、きっちりとオレンジジュースの味になっている。
「え!今度は、オレンジジュースになったわ」
私は、なんども味を確かめた。オレンジジュースに間違いない。
「よかったです、では、これで適正テストはすべて終了となりますが、なにか質問はございますか?」
私は、あたりを見回し、もう少しこの空間を確かめたい衝動に駆られた。
「もうちょっと、このあたりを散策してもいいかしら」
エリカは、ニッコリ微笑むと、カバンからブレスレットを取り出し、私の手首に取り付けた。ブレスレットには、赤と青の小さなボタンと液晶画面に数字58が表示されている。
「それでは、このブレスレットの表示がゼロになるまでは、コチラの世界をお楽しみいただけます、現実時間では1分間ですけど、この空間では1日分にあたります」
「え? 1日?」
「おおよそですけど、ツアー内での1日は、リアルで1分程度とおもっていただければよいとおもいます」
「ツアー1日が1分ということは、1ヶ月のツアーが30分ぐらいということ?」
「そうです、それから、そのブレスレットの赤ボタンでシステムからの離脱、青ボタンでシステム時間を早送りすることが可能となります、ただし、巻き戻しはできません」
私は、さっそく、リモコンの青いボタンを押してみた。
すると、あっというまに、夕暮れとなった。
「では、カウンターがゼロになる前に赤ボタンで離脱なさってください」
「あ! もし、離脱できなかったときは、どうなるのかしら?」
「はい、押されなくても自動的に離脱されることになりますが、ただ、ご自身の意思で離脱する行為をなさらないと、後々、気分が悪くなったという症例がありましたので、できるだけお願いいたします」
「わかったわ、じゃ、ちょっと歩いてきます」
「それでは、お気をつけて」
私は、草原を歩いて高台にのぼってみた。草が足に絡みつくのが妙にリアルだ。
高台にのぼると、真っ赤な夕日が静かに地平線に落ちていくのが見えた。そして、夜空に星がぽつりぽつりとみえてきた。ゴロリと草原に横になると、星空を眺めた。心地よい風がサラサラと草をゆらし、どこからとなく虫の鳴き声も聞こえてくる。
とてもゆったりとした気持ちになっていく。こんな気分を味わうのは、幼い頃以来ではないだろうか。
私は、目を閉じて全身で自然を楽しんだ。やがて、意識がなくなり寝てしまったようだ。
突然、ブレスレットがブルブルと震動した。
私は驚いて飛び起きた。あたりを見回すと、すでに朝日が昇りはじめいるではないか。
ブレスレットを見てみると、カウンターが2と表示されている。私は、あわててブレスレットの赤いボタンを押した。
「はい、おつかれさまでした」
エリカのが聞こえる。
プシューと音がして、カプセルが開いた。
「今日は、残念ながら初回なのでここまでです、サエコ様は、とてもシステムとの相性が良いようですから、次回は楽しいツアーになりますよ」
「楽しかったわ、次回のツアーがとても楽しみ」
「よかったです。そのブレスレットは、会員証も兼ねておりますので、よろしければそのままお付けになっていてもかまいませんよ」
私は、ブレスレットをみるとカウンターは「R」と表示がされている。
「ぜひ、またのご来店をお待ちしております、次回は、たっぷりお楽しみいただけますので!」
私は、この不思議な体験に感激し、これなら、短い時間でたっぷりの休養がとれると思うとワクワクした。
~オプショナルツアーSレベル~
この奇妙な体験をしてから、すっかり虜になってしまった。ほぼ毎日、仕事帰りに立ち寄り90分のツアーを楽しんだ。
空港から飛行機に乗り、現地では電車やバス、タクシーに乗るという退屈な移動時間も忠実に再現されているのもリアリティがある。
世界の何処へも行け、最高級のホテルに宿泊し、最高級のワインと料理に舌鼓を打った。
季節も自由に選べ、お祭りなどのイベントも、すばらしい特等席で観覧することができた。
さらに、オプションをつけると、各種のハプニングが再現されるようになっている。例えば、旅の途中で荷物が紛失したり、自分が病気なったり、事故に遭遇したりと言った具合だ。
私は、持ち前の段取り力と対処方法で、そんな自体に迅速に対応した。また、そうして危機から切り抜ける自分が楽しかった。
「サエコ様、今回も素晴らしい問題解決対応でしたね」
カプセルから出ようとすると、エリカが声をかけた。
「まぁ、このくらいなら問題ないわ!」
「かなり厳しいプログラムでしたので、私の方がハラハラいたしました」
エリカがじっとこちらを見つめている。
もう、かれこれ2週間ちかくほぼ毎日通っていたので、エリカとも打ち解け、気軽におしゃべりをする間柄になっている。
すでに、毎日3ヶ月の休暇を2週間続けていることになるので、この2週間で3年半年分も休暇を楽しんだ計算になる。
~~
「エリカ君、最近、お客様の反応はどうだね」
シフト交代で帰宅しようと更衣室に入ろうとしたエリカは、突然声をかけられて驚いた。
「あ、局長、驚かさないでくださいよ」
「すまないね……」
局長は、ギョロリとエリカを見つめた。
「毎日、通っていただいているお客様もおりまして、好評いただいております」
「毎日? それは、すごいな」
「しかもオプショナルツアーの難易度Sレベルでも難なくこなす方でして……」
「ほほぉ、これは驚いた、ほとんどの人がパニック状態で離脱するSレベルもクリアとは……ぜひ、資料を後で送っておいてくれないか」
「はい」
「Sレベルをクリアできるのなら、新たなシステムのテストモニタにうってつけなのだが……」
「新システム?」
エリカは新システムと聞いてピンときた。たしか、V.L.R.P.(バーチャルライフリバイバルプラン)と呼ばれているシステムだ。エリカの兄が研究所に勤めており、すばらしいシステムを開発していると自慢げに話していた。
このシステムは、バーチャルツアー同様、リアルな空間を提供するのだが、その空間というのが、自分自身の記憶にあるイメージで作られているらしい。
つまり、自分自身の過去がバーチャル空間に再現され、自身の体験を再現することができるというのだ。もともと軍事医療目的で開発をされていたのだそうだが、一般にも応用が許可されたばかりなのだそうだ。
このシステムを利用することで、トラウマとなった幼い頃の体験や、極限状態での任務で精神的ダメージをうけた兵士等、自身が体験した出来事を、別の視点から自身を見直し自分自身の中で気持ちの整理がなされることで、事実をきちんと受け入れられるようにさせることができるらしい。
もちろん、実際には自分を取り巻く外部の環境が変わるわけではないので、単に、自分の行動を裏付ける自身の判断を再確認することがシステム構築の目的だということだ。
ただ、エリカは、気になることがあった。それは、あれほどシステムを自慢していた兄が、システムのテストモニタをはじめたとたん、頭を抱えて考えている姿を何度も見ていたのだ。
「そういえば、新システムのテストモニタは、以前されましたよね?」
「ああ、15分……いやバーチャル世界で15日でギブアップだったな」
「どうしてですか?」
「報告書によると、あまりにリアルすぎて自分を見失いそうになったんだそうだ」
「そんなに、リアルなんですか?」
「実は、私も体験したんだが……」
局長は、目をギュッとつぶった。
「結構つらいものがある、すっかり忘れていたことを思い出させるものでもあるからね」
「そうですか」
「ともかく、そのお客様に、一度新システムについて説明をして興味がありそうか確認してもらえないだろうか」
そういうと、局長はニッコリ微笑みエリカと別れた。
~~
ワタルは、悩んでいた。
新システムを完成させるには、もっと長くシステムにとどまりデータを集めなければならない。人間の記憶というのは、かなりあやふやなもので、都合のよいように記憶を書き換えてしまっていることもある。
それをシステムが正しく補正してしまうことで、被験者の混乱が起きないだろうか。
「はぁ」
深くため息をつくと、冷めたコーヒーをすすり考えた。
と、端末のモニタが点滅し、局長からのビデオチャット通信が入ってきた。
受信ボタンを押すと、局長の言葉に耳を疑った。
「え? テストモニタに最適の人物ですって?」
ワタルは、局長から送れらきたデータをモニタに映し出してみた。
「いいかね、このデータをみたまえ、すばらしい判断力と行動力がある」
ワタルは、そのデータをみてうなずいた。たしかに、すばらしい判断力と行動力で問題対処をしている。バーチャルツアーでのオプショナルツアーSレベルといえば、飛行機がハイジャックされるといったトラブルが発生し、生命の危機を感じるほど厳しい精神ストレスの中で、的確な判断が要求される。
「どうだろう、彼女は、エリカ君が担当してくれているんだが、新システムに興味がないか確認をしてもらっているところなんだ」
「エリカの担当ですか……うーん」
「君は、15分間、いや15日間もあの空間にいた経験がある、ぜひ、君からも魅力と注意点を話してくれないか、その上で彼女の判断を聞きたい」
「うーん」
ワタルは、腕を組んだ。
自分のテストの際には、直近の15日間を設定していたのでさほどストレスは感じなかった。ただ、やはり、思い出したくない忌々しい記憶や、あきらかな判断ミスをした事柄を再現されるのは耐えがたい屈辱だった。
そして、たとえその場で違う行動を取ったとしても、現実の結論はなんら変わらないというむなしさもある。
「まぁ、彼女がエリカから新システムの説明を受けて、それに興味があるのなら、話をしてもいいですが、あまりおすすめはしませんよ、まだまだ改良の余地はありますから……」
「率直な意見を君からしてもらえば、Sレベルの彼女なら的確な判断をするだろう」
局長は、微笑むとビデオチャットが切れた。