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ハムトラ美味しいご飯を食べる

 興味津々と言った様子で、部屋中をうろついていたハムトラが、ピタリと立ち止まり、救いを求めるような顔つきで俺を見た。

 重要な事でも思い出したのだろうか、その目が動揺に揺れている。


「どうした?」


 緊張感に身構えた。が、ハムカツから出た言葉に深刻さは無かった。


「……後で食べようと思ったのにぃ」


 言ってハムカツは両手で頬を横に引っ張った。柔らかくフニフニにとした唇も一緒に伸びて「うわーん」と鳴き声をあげる。


「うぅ……貯蓄が無い……何もない……」

「ああ!」


 貯蓄の言葉でピンときた。

 ハムトラは、頬袋の中身が人間になって消えたと泣いているのだ。

 ハムスターは餌を、口の中に持つ袋へ溜め込む習性がある。

 餌で頬をパンパンに膨らませた姿は愛らしく、誰もがイメージするハムスターの顔になる。


「ヒマワリ……ない……」


 ハムトラは打ちひしがれた様子で、しぼんだ頬を抑えた。


「夜にあげたヒマ種まだ食べてなかったんだ」

「そう。取っておいたのに! 神様ひどい!」


 ハムトラはヒマワリの種や、かぼちゃの種が大好きだ。

 ただしハムスターの健康を思えば、多くあげない方が良い。人間の食べ物と同じで、美味しいものには油分が多いのだ。

 ハムスターの主食は、ハムスター用の固形フード。いわゆるペレットと呼ばれる類だ。とても美味しそうには見えない。

ハムトラも仕方なしに食べている印象だ。


「ねぇ! この際だから言わせてもらうけど、一日一個じゃ足りないんだからね!」


 人間になってなお食べたいと言うのだから、よほど美味しいのだろう。

 手や歯を器用に使って一生懸命に殻を剥く仕草や、目を輝かせて喜ぶ姿は俺だってもっと見たい。しかし、一日一個あげるのも多すぎるぐらいで、これ以上は増やせない。「俺も我慢してるんだ」と喉まで出かかったが、その言葉は飲み込んだ。


「難しいかも……」


 難しいと言うのは無理と言う意味だったのに、ハムトラは「難しくないよ。簡単だよ」と前向きに捉えた。

 「沢山あるのは、知ってるよ」「殻はちゃんとまとめてるし」と交渉しようとするのを慌てて遮る。

 このままでは意見に流されて「分かった」と言ってしまいそうなのだ。


「あー……! そういえば腹減っただろ? 遅い朝飯だけど、ハムトラは何が食べたい?」

「ご飯!?」

「あ、ヒマワリの種以外で」


 念を押す。

 人間の腹はヒマワリの種では満腹に出来ない。とも付け加えた。


「じゃあ私、アレが良いな。緑のもじゃもじゃ」

「もじゃもじゃ?」


 緑と言うからには野菜を連想したが正体が分からない。ハムトラは「もじゃもじゃは美味い」と、うっとりした目で連呼している。


「どれの事だろう」


 俺はハムトラを溺愛している。はっきり言うが親バカだ。ハムスターが食べられると聞けば、色んな種類の野菜を食べさせた。

 さらに言えば、多少値が張ろうとも無農薬の有機栽培にも拘っている。

 だが、もじゃもじゃの野菜? そんな物は与えた覚えが無い。


「もじゃもじゃ、ちょっと温かい」

「あぁ!」


 心当たりに気が付いて、冷蔵庫を開ける。


「わぁ!」


 冷蔵庫の野菜に歓声を上げたのはハムトラだ。一人暮らしの男の冷蔵庫と思えないと言われた事がある。本物の草食男子だと揶揄されたりもする。

 しかし、それも仕方がないのだ。野菜の一番美味しい所はハムトラに差し出して、残りの大半は俺が食べるのだから。


 「これだろ?」


 『緑のもじゃもじゃ』を掴み、背後から覗くハムトラに手渡した。

 喜ぶ顔が見られるかと期待していたが、反応が悪い。


「うーん、違うかも」

「違う?」

「だってこれ、サトシの手より大きいし、もじゃ感が違う」


 そう言って、不思議そうに、もじゃもじゃの『もじゃ』たる部位を鼻を押し付け嗅ぎ「匂いは良い感じ」と深呼吸した。


「これ、ブロッコリーって言うの。で、お前がいつも食べてるのは、この部分だから」


 パキッと、ブロッコリーの花蕾からいをもぎ取った。


「あぁ! これこれ」

「好きだよね」

「うん、大好き!」


 屈託の無い笑顔に、心臓が止まるかと思った。

世界で一番可愛いハムスターはハムトラだと思っていたが、人間になっても、ハムトラは可愛い。


「チビブロッコリー! デカブロッコリー! どっちもブロッコリー!」


 ハムトラは嬉しそうに二つのブロッコリーを見比べている。そして「あ!」と思った時には、ハムトラはもう一株丸ごと齧りついていた。


「何やってんだよ、そんな食べ方したら駄目だよ」

「あれ。なんかいつもと違う」

「そりゃそうだよ。ハムトラがいつも食べてるのは蒸してあるの。だから少し温かかったんだな」


 ハムスターに調理の方法を伝えてもピンとは来ないかもしれない。


「次からはちゃんと冷めているか確認しないと……。万が一ハムトラが火傷でもしたら大変だ」


 でも今は……。


「そうだ。せっかく人間になったんだからハムスターが食べられないもの食べようよ。温かいご飯とか、甘いお菓子とかさ」


 俺の言葉にハムトラは一瞬固まり、手の中のブロッコリーをもう一齧りだけして「良いねぇ!」と笑う。


「何が良いかなぁ」

「わぁー! ドキドキしてきた。人間凄い!」


興奮したハムトラが俺の背中に飛びついてくる。肩にハムトラをぶら下げたまま、野菜ばかりの冷蔵庫に目を向けた。

言ったは良いが、期待に応えられそうな食材が無い。

野菜、ドレッシング、牛乳、納豆……。


どうせなら旨い物食べさせてやりたいよなぁ。


背中のハムトラに声をかける。


「食いに行くか?」


 ハムトラを外に出すのは心配だが、仕方が無い。


「行く?」

「家の外。近くの定食屋が美味いんだよ」

「!?」


 ハムトラが床に転がり落ちた。ゴンと鈍い音が部屋に響く。


「何やってんだよ。大丈夫か?」


 上体を起こすと、ハムトラは脱力したようにペタンと床に座る。目をぎゅっと瞑り、鼻に皺を寄せた。次に目を見開いて俺を見た。


「ど、どうした!?」

「そ、外って言った? 外? 家の外!」

「言ったけど、やめとこうか? 怖いもんな外、ごめ……」

「違うの違うの、嬉しくて!」


 ハムトラは頭を左右にぶんぶんと振り「くぅー!」と、うなり声を上げ両手を突き出した。


「無敵だ!」


喜びの表現のようだ。





 *****





 目当ての定食屋は、家から通りを一つ挟んだ先にある街道沿いにある。

 ゆっくり歩いたとしても、徒歩三分。

 たったそれだけの外出なのに、ハムトラのはしゃぎ方は凄かった。

 天井が高いと空に向ってジャンプしたかと思えば、弾丸のように突然走りだす。

 俺は飛び出すハムトラを追い掛け回し、いつにない緊張感で道を歩いた。


 十分もかけて店へ辿り着いたのは、今からさらに十分前の事だ。

 ハムトラは今、俺の向かいに座り、しょうが焼き定食に微笑みかけている。頬に溜め込むのは癖なのか、口いっぱいに、豚肉とキャベツが詰まっていて静かだ。

 もし口を開いたとしても、食べ始めの時と同じように「美味しい」としか言わないだろう。

 ハムトラは人間になっても食い意地がはっている。


「ねぇ、サトちゃん。可愛い子ね。彼女?」


 定食屋のおばちゃんは、俺の目の前に刺身定食を置くと、にやけた顔で耳打ちしてくる。


「違うよ……ハム……じゃなくて田舎から出てきた妹! ……似てないけど妹」


 しどろもどろな俺の答えに、おばちゃんは俺とハムトラを交互に見て、目尻を下げた。

 完全に誤解をしている。

 厨房から「おい! 母ちゃん。サトちゃんが困ってんだろ」と、おじちゃんがフォローの声を飛ばすが、その声色もどこか嬉しそうだ。


「おばちゃん。あんまり、からかわないでよ」


 苦笑いで答えるとおばちゃんは「だって、おばちゃん嬉しくて」と厨房へと戻って行く。

 客同士の距離が近く狭い店内、テーブルの角を避けながら歩く、おばちゃんの後ろ姿は、デカイ尻を振って歩いているようにも見えた。

 昼飯にはまだ早いこの時間、俺たち以外に客は無いが、あの歩き方が癖になっているのだ。


「ハムトラ、おばちゃんの言う事は気にすんなよ」


 返事はない。食べるのに夢中で何も聞いていないのだ。


「俺も食べよ」


「いただきます」と口の中で言って、箸を割る。

 この定食屋は、一人暮らしを始めた三年前から通っている店で、気兼ねなく過ごせる居心地が良い場所だ。

 ハムトラが来て以来、野菜ばかり食べる俺の健康を支えてくれる、ある意味で実家のような場所でもある。


 ――言いたくないけど私、こういう店、好きじゃないんだよね。古くて雑然としてて。


 ふいにあの子の声が耳に蘇り、それを打ち消すように目の前で黙々とご飯をかき込むハムトラに目を向けた。

 美味しそうに豚肉に噛り付いている。


「ハムトラ、刺身も食べてみる?」

「……」


 必死に食べてんなぁ……。

 女の子の格好をしていても、中身はハムスターか。食事の邪魔をすれば、怒るだろうなぁ。


 かつてハムトラが俊敏な怒りを見せたのは、ヒマワリの種を食べている最中に、俺が触れようと手を出した時だ。

 大切なヒマワリの種を隠すように胸に抱くと、俺に背を向けて警戒していた。 「ジッ!」という鳴き声を聞いたのも、あれが最初で最後だ。


 ふと、スプーンを持つハムトラの手が止まった。


「……サトシ」


 ハムトラが顔を上げ、ぎょっとした。 

 潤んだ瞳が今にも泣きだしそうなのだ。でも、どうして?

 俺、横取りなんてしようとしてないぞ。


「ど、どうした?」


 声に動揺が出てしまう。ハムトラの頬に涙が、ぽろりと落ちたからだ。


「美味しいねぇ……美味しいねぇ……人間になって本当に良かったよぉ」


 ハムトラはぽろぽろと涙を流しながら、また食べ始めた。


「な、泣くなよ」

「だってぇ……」

「ほら、魚の刺身も食え、美味いぞ。おじちゃんが市場で買ってくるから新鮮なんだ。ハムトラはニボシ好きだろ? きっと刺身は好きだぞ。ハムスターは生物食べられないから、今のうちに食っとけって」

「うっく……、た、食べる」


 ハムトラの皿に、刺身を何切れか取り分けると、ハムトラは一度匂いを嗅いでから口に運び、身震いをして「美味しいよぉ」と、また泣いた。

 ハムトラは泣くが、俺の頬はだんだんと緩んでいく。


「良かったなぁ」


 噛みしめるように言った言葉は、ハムトラに、と言うよりは自分に向けての言葉だったのかもしれない。

 大好きなハムトラが人間になって、俺の大好きな店で一緒に飯を食っているのだ。

 嬉しくないはずが無い。


「まあ! 女の子泣かせちゃってぇ」


 ふらりと、おばちゃんがやって来て、俺の肩へ厚くて重い手を乗せた。

 その手は温かい。


「あら? アンタまで目が真っ赤じゃない」

「マジかよ」


 無意識で貰い泣きしていたのだ。

 慌てて服の袖で顔を拭う。

 ハムトラはおばちゃんに向けて笑顔を見せた。長い睫毛を涙で濡らしているが、最高の笑顔だった。


「ご飯、とっても美味しいよ! 感動してる! こんなに美味しいものがあるなんて私……騙されてたみたい」

「バカ。騙してねぇよ」


 ガチ泣きしながらも食べる手を止めないハムトラに、おばちゃんはも「わけが分からないけど、おばちゃんも泣けてきたよ」と、目尻に涙をにじませる。


「あははは、おばちゃんまで泣かないでよ」

「美味しいと泣いちゃうよねぇ」


「ずいぶん楽しそうだな」


 おじちゃんもやってきて、俺たちのテーブルに揚げ物の乗った皿を置いた。その香りにハムトラが目を輝かせている。


「昨日の残り」


 ぶっきらぼうに言うと、おばちゃんを連れて奥へと引っ込んでいく。その背中に感謝の言葉を投げた。


「ハムトラ、良かったなぁ」

「うん……! うん! 私、大好きなサトシと、こんな素敵なお店で美味しいご飯が食べられて、幸せだよ」


 ハムトラは頬にご飯をいっぱい溜めて、本当に幸せそうな笑顔で言った。

 紛れもなくネズミ算式に増えるハムスターの数は、星の数ほどいるだろう。定食を食べて美味いと言えるハムスターがこの世に何匹いるだろか。

 

 世界で一番幸せなハムスターにしてやるからな。


 ハムトラを家に迎えた日、俺はそう決めた。

 だけど、ハムトラと一緒に生活をするようになって、まず幸せになったのは俺の方だった。だから、これからだ。

 ハムスターには出来ない事をたくさん体験させてやりたい。この笑顔に強くそう思う。


「ねぇ! サトシこれは何?」


 世界で一番幸せにしたいハムスターのハムトラが、おじちゃんの置いていった揚げ物を見て、だらしなく涎を垂らしている。


「……」


 三角に切られたサクサクのフライ。黄金色の衣に挟まれたピンクの断面。


 ハムカツだ。


 妙な誤解をしても困る。


「……肉を塩漬けにした加工食品のフライだよ。食べてごらん」

「へぇ、美味しそうだね」


 ハムトラが口に放り込んだハムカツがサクッと音を立てる。

 ハムトラは口の中をハムカツでいっぱいにすると、「美味ひいねぇ」と、良い笑顔だ。


「ちょっと、サトシ。何で笑ってんの?」

「ごめん。なんかシュールだなって」


 ハムトラは目をパチパチさせ「変なの」「分かんない」と唇を尖らせたが、「俺のも食べていいよ」と伝えると機嫌を直して、勢いよくハムカツにフォークを刺した。


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