特訓
朝の空気はまだ冷たく、吐いた息が白くにじんだ。
エデンは家の前の舗装路に立ち、軽く肩を回す。
まだ太陽も昇りきっていない時間。町は静まり返っていた。
「……よし」
小さく呟くと、走り出す。
最初の数分は順調だった。
だが五分を過ぎたあたりから、肺が焼けるように熱くなる。足も重い。
(こんなんで……)
歯を食いしばる。
(受かるわけないだろ)
速度は落ちても、止まらない。
汗が額から顎へと流れ落ちる。
——ECOの試験内容。
体力測定、持久走、筋力試験、反応訓練、模擬戦闘。
どれも今の自分には遠い壁に思えた。
それでも。
(やるって決めたんだ)
家に戻る頃には足が震えていた。
玄関の前で膝に手をつき、荒く息を吐く。
「はぁ……はぁ……」
だが休む時間はない。
腕立て伏せ。
腹筋。
スクワット。
回数を数える声が途中で途切れる。
「……二十七……二十八……っ」
腕が崩れ、地面に倒れ込む。
「くそ……」
悔しさが込み上げる。
そのとき背後から声がした。
「フォームが崩れてる」
振り向くと、父が立っていた。
いつの間にか起きていたらしい。腕を組み、真剣な顔で見ている。
「肘を外に開きすぎだ。肩を痛めるぞ」
父は地面に手をつき、見本を見せる。
無駄のない動きだった。
「体は真っ直ぐ。腹に力を入れろ」
エデンは頷き、もう一度構える。
震える腕。
「……一」
父が数え始める。
「二。三。止めるな」
きつい。
でも、不思議とさっきより動ける。
「十。いいぞ」
父の声は厳しいが、どこか誇らしげだった。
最後の一回を終えた瞬間、エデンはそのまま倒れ込む。
「……無理……死ぬ……」
父が小さく笑う。
「まだ始まったばかりだ」
空を見上げる。
朝日が昇り始めていた。
胸は苦しく、体は痛い。
でも心の奥には——確かな感覚があった。
(少しだけ……近づいてる)
入隊試験まで、あと一か月。
エデンの特訓の日々が、ここから本格的に始まった。
特訓二日目。
昨日の疲労はまったく抜けていなかった。
足は重く、肺は焼けるように熱い。
それでもエデンは走り続ける。
(止まるな……止まったら終わりだ)
住宅街を抜け、坂道へ入る。
父に教えられたトレーニングコース。
勾配がきつく、体力をごまかせない場所だった。
「……はぁ……っ、はぁ……っ」
呼吸が乱れる。
その時——
前方から走ってくる人影が見えた。
最初は気にも留めなかった。
だが距離が縮まるにつれ、違和感に気づく。
速い。
金髪。
無駄のないフォーム。
姿勢もブレない。
そしてすれ違う瞬間——
胸元に小さな紋章が見えた。
ECOのエンブレム。
(……え)
一瞬だけ視線が合う。
年齢は——
(俺と同じくらい……?)
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
相手はそのまま速度を落とすこともなく通り過ぎていく。
風だけが残った。
エデンは振り返らなかった。
ただ心の中で思う。
(同じくらいの年齢で……もう隊員なんだ)
胸の奥が少し熱くなる。
悔しさか、焦りか、憧れか。
自分でも分からない。
でも一つだけははっきりしていた。
(俺も……あそこに行く)
足に力を込める。
疲労は消えない。
苦しさも変わらない。
それでも——
さっきより前に進める気がした。
朝日が坂の上から差し込む。
エデンはその光に向かって走り続けた。




