魔王城デパ地下計画! 混沌のバザールを「デパ地下」へ
魔王城・地下一階。
かつては侵入者を屠るための巨大な「落とし穴の罠」が張り巡らされた空間は、今やまるで忘れられた倉庫のように広々としていた。床は完全に埋め戻され、平坦になり、光を反射する磨かれた石材が冷たく足裏を刺激する。天井は高く、隅々まで届く巨大な柱が無骨に聳え、まるで過去の戦の記憶を静かに語っているかのようだった。
ディアドラはその光景を前に、声を落とした。
ディアドラ「……だだっ広いですね。」
床を踏むたびに、かつての恐怖が跡形もなく消え去った静寂が、彼女の胸を少しだけ落ち着かせる。だが同時に、この無機質な空間の広さが、心の奥にぽっかりとした空洞を作るようだった。
サトウは腕を組み、慎重に足元を踏みしめながら頷いた。
サトウ「安全第一ですから。穴があったら落ちる。落ちたら死ぬ。死んだら工事止まる。最悪です。」
その言葉には、現場経験者ならではの緊張感と理詰めの説得力が含まれていた。冷たい石の床と高く聳える柱の間で、サトウの存在だけが現実感を生む光景だった。
玉座に座ったままの魔王ゼノンは、腕を組んで眉間に皺を寄せ、低く唸った。
ゼノン「だが、こうしてしまうと……使い道がないな。空きスペースというのは、税金も取れぬ。」
彼の声は重く、床を伝って静かに響く。権力者の思案は、空間の大きさに負けず、むしろ空間を支配しているかのように堂々としていた。
サトウは一歩前に踏み出し、視線を真っ直ぐ魔王に向ける。
サトウ「そこで、です。魔王様。ここに――デパ地下を作りましょう。」
ゼノンは首をかしげ、眉を上げた。
ゼノン「……で、ぱ……?」
ディアドラはその瞬間、サトウの背中にほんの少し驚きを見せた。
サトウは手元の資料を軽く広げ、淡々と説明を続ける。
サトウ「城下町の市場は、雨が降れば泥沼。種族ごとに店が散らばっていて、動線は最悪です。だったら、屋内・全天候型・一括管理――魔界モールです。」
ゼノンは眉をひそめ、玉座の上で腕組みを崩さずに少し考え込む。
ゼノン「地下に店とは……風情がないのではないか?」
その瞬間、サトウの声に力がこもった。
サトウ「――『試食コーナー』を導入します。」
ディアドラの視線が、サトウの顔に驚きを映す。魔王もまた、眉を瞬時に緩め、玉座から静かに体を前に傾けた。
ゼノン「…………許可する。」
ディアドラは小さく息を吐き、後で心の中で呟いた。
ディアドラ「判断が早すぎる……」
しかし、石造りの天井に反響する魔王の声は、すでに未来のデパ地下の始まりを告げているかのようだった。足元の冷たさ、柱の重厚さ、そして広がる空間――すべてが、この異世界の「商業革命」の舞台となることを予感させていた。
問題は山積みだった。
魔族の市場――いや、正確には「雑多なバザール」は、基本ルールが一つだけ存在した。
「声が大きい奴が勝つ」
オークの肉屋が豪快に叫ぶ声の隣で、スライムがぷるぷる震えながらゼリーを並べている。
スライムの透明な体液が光を反射して宝石のように揺れるが、オークの咆哮に完全に埋もれてしまう。
衛生? そんな概念はここでは無意味だ。赤黒く染まったまな板、滴る肉汁、ゼリーの上に飛び散る羽根――それらすべてが「日常」なのだ。
サトウは深く息をつき、【異世界マテリアル・カタログ】を開いた。
サトウ「ここは戦場じゃありません。ゾーニング。動線設計。売り場は戦略です。」
魔界の雑多な市場に立つ魔族たちは、最初、言葉の意味を理解できなかった。だが、サトウの指がカタログのページをめくるたびに、光が走り、目の前の空間が変わる。
現代的なショーケースや棚が、まるで魔法のように空間に出現した。光を反射するガラスケース、整然と並ぶ商品、鮮やかな色彩――非日常と秩序が融合した光景に、魔族たちは目を丸くする。
オーク「うおっ、光ってる!」
スライム「中が見える!?」
ざわめきが瞬く間に広がる。今まで雑然としていた市場は、たちまち「見せる場」に変貌したのだ。
サトウは指を棚に滑らせ、さらに説明を加える。
サトウ「スポットライトで主役を作る。肉は赤く、菓子は宝石のように。」
ディアドラはケーキやゼリーの並ぶ棚を前に、思わず息を呑む。
ディアドラ「……これは……宝石箱の陣形ですな……!」
その声に呼応するように、魔族たちも自然と背筋を伸ばす。普段は我先に奪い合う混沌の住人たちが、初めて秩序の美しさを視覚として体感した瞬間だった。
さらにサトウは声を張る。
サトウ「会計は、集中レジ方式です。」
オークが首を傾げ、疑問を口にする。
オーク「なに?」
サトウ「出口で一括会計です。各店で揉める必要はありません。」
最初は戸惑い、困惑していた魔族たちも、やがて理解する。
目の前に広がる整然とした動線、光に照らされた商品、戦わずに済む秩序――それらすべてが理にかなっていることに、彼らはようやく気づいた。
ざわめきは静かな感嘆へと変わる。
その瞬間、雑然とした魔界市場は、秩序と戦略の力で魅せる場所へと生まれ変わったのだった。
オーク「……楽だな、これ。」
そして、ついに誕生した。
デリスタット(惣菜コーナー)
ここでは魔族たちが、仕事帰りに温かい食事を手に入れられる。
サトウの指示通り、棚にはずらりとパック詰めの惣菜が並ぶ。光沢のある透明容器の中で、キマイラの唐揚げは香ばしく揚がり、湯気がほのかに立つ。
サトウ「仕事帰りに、温かい飯を持ち帰れる。」
その言葉通り、開店と同時にパックは飛ぶように売れていった。手渡されるたび、魔族たちは満足げに頬を膨らませる。
しかし、プレオープン初日の地下は、文字通り混沌そのものだった。
ドラゴンの胸を張る大声が、地下空間に響き渡る。
ドラゴン「ドラゴンのステーキを! サイクロプスが全部一口で食いやがった!」
サイクロプス「まだ俺の分が――!」
唸り声と怒声が交錯し、殴り合い寸前の空気が漂う。床のタイルが振動するほどの迫力だ。
サトウは腕を組んだまま、一歩前に出る。
サトウ「はいストップ! そこで暴れない。フードコート方式にします。」
瞬時に魔族たちの視線が止まり、耳を澄ます。
サトウの手が指示する通り、机と椅子が並び、各店には小さな「呼び出しベル」が置かれる。
サトウ「ベルが鳴るまで、席で待ってください。」
ベルがぷるぷると震えるたび、魔族たちは目を輝かせる。
オーク「……おお。」
ゴブリン「鳴ったぞ……!」
彼らにとって、待つという行為そのものが新鮮だった。戦場では常に奪い合うばかりの彼らが、整然と席でベルを待つ姿――それは、魔界の混沌に新たな秩序が芽生えた瞬間でもあった。
ディアドラは、整列する魔族たちを前に、言葉を失った。
ディアドラ「行列が……自主的に……」
その瞳には、信じられない光景を目の当たりにした驚きと、ほんの少しの感動が混ざっていた。
石造りの天井に反響するベルの音。
熱気と笑い声が混ざる地下空間。
だが、順風満帆とはいかなかった。
舞台は聖王国――光輝く城壁都市。
その中で、大司教直属の影のエージェント、バルバンドが密かに動く。
バルバンド「魔国への高級食材輸出、差し止めだ。」
聖王国の介入は、一瞬で魔界デパ地下の計画を揺るがす。
パン屋が手を胸に当て、悲痛な声をあげる。
パン屋「聖なる麦が、来ない……!」
厨房では、粉まみれの魔族が茫然と立ち尽くす。
パン屋「終わりだ……」
だが、その混乱の中で、サトウは冷静そのものだった。
サトウ「大丈夫です。麦がないなら――リノベーションすればいい。」
彼が指差す先には、魔界の荒野に自生する、ねじれた蔓と暗紫色の芋があった。
ディアドラ「毒があるし、味も悪い……」
サトウは微笑む。
サトウ「だから、下処理します。」
巨大なスチームコンベクションオーブンが、蒸気を上げながら芋を包み込む。裏ごし器で丹念に裏ごすと、毒は抜かれ、芋は甘く、滑らかなペーストに変わる。
第一口を味見した魔族の目が、瞬間に輝きを増した。
魔族「……うまい。」
ディアドラ「何だこれは……」
芋は、スイートポテトになり、コロッケになり、魔界デパ地下の惣菜棚を彩る。
サトウは、棚に並ぶ商品を見渡しながら、小さく呟いた。
サトウ「聖王国の高級食材より、こっちの方が……」
その言葉に、ディアドラが声を上げる。
ディアドラ「中毒性が高い!」
その瞬間、魔界中に噂は瞬く間に広がった。
「呪いの芋のスイーツが美味すぎる!」
「コロッケを一口食べたら止まらない!」
混沌としていた地下空間は、喜びと興奮に包まれ、熱気が天井まで届く。
毒も、混乱も、恐怖も――すべては、サトウの手によって魔界の食文化革命へと昇華されていた。
地下モール――
アンダー・パンデモニウム。
開店と同時に湧き上がる人の波。
空間を満たす香ばしい揚げ物の匂い。
ガラスケースに並ぶ惣菜やスイーツは光を反射し、魔界の夜を虹色に染める。
連日大盛況で、魔族たちは戦場のように忙しく立ち回る。
あまりの人気に、禁令を破った聖王国の商人が密かに潜り込み、秘かに高値で売買する始末だ。
夜も更け、玉座の間では静寂が支配する。
しかし、玉座の下には秘密の通路――直通エスカレーターが設置されていた。
閉店間際、煌めくフードパックを並べる光景の中、魔王ゼノンがひとつの赤いシールに目を留める。
ゼノン「……半額、だと?」
パックに貼られた鮮やかな赤いシールを指で撫で、静かに頷く。
ゼノン「……これが、民の生活か。」
玉座の重厚な影に沈む背中は、戦場の覇者のそれではなく、民の生活を静かに見守る統治者そのものだった。
その背後で、サトウは少しだけ誇らしげに胸を張る。
サトウ(戦わなくても、世界は変えられる――揚げ物の匂いとともに)
フードパックの湯気が揺れ、地下空間の照明に反射する。
笑い声、香ばしい匂い、列を作る魔族たちの足音――すべてが、静かに、しかし確実に魔界の日常を作り上げていた。
サトウは小さく息を吐き、心の中で呟く。
サトウ(戦いではなく、工夫で世界を動かす……これも、悪くないな。)
玉座に座る魔王の視線と、揚げ物の香りに包まれたモールの熱気。
それは、魔界に生まれた新しい時代の始まりを象徴していた。




