宇宙のシロアリ:エーテル・イーターの食害
月と地上を結ぶ魔導通信回線に、微細なノイズが混じり始めたのは、
軌道塔が完成し、世界がようやく“平常運転”に戻った――その数週間後のことだった。
最初は誰も深刻に受け取らなかった。
気象制御による魔力の乱流。
あるいは、軌道塔が生み出す膨大なエネルギー循環の副作用。
運用開始直後には、よくある話だ。
管制室の空気も、どこか緩んでいた。
整然と並ぶ魔導端末。
淡く光るホログラムの計測値は、すべて許容範囲内。
巨大な窓の向こうでは、雲海を突き抜ける軌道塔の外壁が、陽光を受けて静かに輝いている。
だが――
その中心に立つサトウだけが、画面から目を離さなかった。
サトウ(……おかしい。)
ノイズは、確かに小さい。
通信品質に致命的な影響はない。
解析班が言う「誤差」という言葉で、切り捨ててもいい程度だ。
それでも。
サトウは、ヘルメットの奥で目を細めた。
――音が、劣化の仕方じゃない。
通信に混じる微かな違和感。
それは「弱くなっている」音ではなかった。
むしろ逆だ。
本来あるはずの時間を、無視して届いてくる――そんな感触。
サトウは、即座に判断を下した。
サトウ「……外壁調査、即時実施。高高度対応の魔導ドローン、一本上げます。」
周囲が一瞬、静まる。
ルルが即座に反応し、指を走らせた。
ルル「了解。外壁調査用ドローン、起動します。監督、ルートは通常の定期点検コースで?」
サトウは首を横に振る。
サトウ「いいえ。通信ケーブル沿い――軌道塔の“神経”をなぞる。」
その声は低く、だが迷いがなかった。
次の瞬間、
管制室中央のスクリーンが切り替わる。
映し出されたのは、軌道塔基部から見上げる空。
魔導ドローンの視点だ。
銀色の機体が、静かに浮上する。
巨大な軌道ケーブルに沿って、まっすぐ、上へ。
雲を突き抜け、
大気が薄れ、
空の青が、濃紺へと変わっていく。
スクリーンに映るのは、
人の手で造られたとは思えないほど、完璧な構造体。
継ぎ目のない外壁。
歪みゼロのケーブル。
――完璧なはずの現場。
サトウは、無言のまま、その映像を見つめ続けていた。
そこで、管制室にいた全員が――
言葉を失った。
スクリーンいっぱいに映し出されたのは、
軌道ケーブルの完璧な曲線……その表面に、無数に張り付く“影”。
半透明。
淡く脈動する体内光。
節の多い脚が、ぴたりと金属に吸い付いている。
多足。
節足。
ゆっくりと、しかし確実に動いている。
それは、まるで――
宇宙空間に放たれた巨大なダニ。
いや。
管制室の空気が、凍りついた。
誰かが、息を呑む音だけが聞こえる。
サトウは、目を細めたまま、低く呟いた。
サトウ「……シロアリだな。」
一瞬、言葉の意味が理解されない。
ディアドラが、思わず聞き返す。
ディアドラ「え?」
サトウは視線をスクリーンから外さず、淡々と続ける。
サトウ「正確には“宇宙の”ですが。建材を食う害虫って意味では、同じです。」
その生物は、
軌道塔の命綱――
ルナ・チタニウム製の軌道ケーブル表面を、舐めるように侵食していた。
超高強度。
耐魔力。
耐放射線。
人類と魔族の技術を結集した、理論上“壊れない”素材。
だが、
その表面が、ほんのわずかに曇っている。
食われている。
魔力を帯びた金属が、
まるで栄養豊富な樹皮であるかのように。
ルルの指が、震えながらキーボードを叩く。
ルル「……侵食速度、遅いです。でも、止まってはいません。」
スクリーンの数値が、冷酷に事実を示す。
サトウは、深く息を吐いた。
サトウ「どんなに頑丈な構造物でも、基礎のボルト一本やられれば、全体が狂。」
静かな声だった。
だが、それは現場を知る者の、確信に満ちた断定だった。
サトウ「これは――宇宙規模の、食害被害です。」
誰も反論できなかった。
軌道塔は、世界の背骨。
通信。物流。気候制御。
すべてが、この一本のケーブルに依存している。
もし、ここが――
内側から、静かに壊されていたとしたら。
ディアドラは、迷わなかった。
剣を抜く音と同時に、転移魔法が発動する。
視界が反転し――次の瞬間、彼女は軌道塔中腹の展望デッキに立っていた。
眼下には、青い惑星。
頭上には、星々が瞬く黒。
大気は限りなく薄く、呼吸は魔力循環に頼るしかない。
だが、そんな環境であろうと、
彼女の動きに迷いはなかった。
ディアドラは踏み込み、剣を振るう。
真空に近い空間を切り裂き、
白銀の剣閃が一直線に走った。
――だが。
手応えが、ない。
確かに捉えたはずの位置を、
刃は虚しくすり抜けただけだった。
ディアドラは着地し、即座に身構える。
ディアドラ「……当たらない!?」
背後で、魔導通信が繋がる。
サトウの声は、驚くほど冷静だった。
サトウ「位相がズレてますね。半分、別の空間に足突っ込んでる。」
ディアドラは、歯を噛みしめる。
ディアドラ「そんな存在……斬れるわけが……!」
サトウ「ええ。だから――斬らせません。」
その瞬間、
管制室でサトウは、即座に【異世界マテリアル・カタログ】を展開していた。
空中に開かれる、無数の項目。
武器。兵器。封印具。
だが彼が選んだのは、
あまりにも場違いな項目だった。
――《木部注入用ノズル》。
本来は、
木造住宅の床下に潜り込み、
シロアリ対策薬剤を注入するための、極めて地味な工具。
ただし。
今回は、魔導強化仕様。
ノズルの先端が淡く発光し、
エーテル循環用の紋様が走る。
サトウ「殺虫はしません。」
ディアドラの視線が、わずかに揺れる。
サトウ「環境を、変えます。」
引き金が引かれる。
噴き出したのは、
薬剤でも、炎でもない。
魔力を中和する、極微細な粒子。
空間に漂う“前提条件”そのものを、書き換える霧。
次の瞬間。
軌道ケーブルに張り付いていた
エーテル・イーター――宇宙シロアリたちの動きが、
ほんの一瞬だけ、鈍った。
完全停止ではない。
だが、確実な“遅れ”。
サトウは、間髪入れずに号令を飛ばした。
サトウ「今です。表面加工、開始!」
その一言で、現場の空気が切り替わる。
待機していたガンツと、生徒たちが一斉に動いた。
誰一人、確認の言葉を挟まない。
全員が、すでに自分の役割を理解している。
ガンツは軌道ケーブル外周に固定された作業足場へ跳び出し、
巨大な刻印ツールを肩に担ぐ。
ガンツ「よし来た!生徒ども、ズレるなよ!これは“彫刻”じゃねぇ、“調整”だ!」
カイトは即座に測量器を展開し、
塔の曲率と自転による歪みをリアルタイムで補正する。
カイト「回転誤差、プラス0.03!刻印角度、微調整入れてください!」
ミリは魔力を極限まで抑え、
精霊に頼らず、純粋な波長解析で刻印位置を導き出す。
ミリ「……ここ。振動の腹が重なってます。模様、半ピッチずらせば打ち消せます!」
バルドが応じる。
バルド「了解!刻印圧、三割増し!素材、悲鳴上げてねぇ、いける!」
次の瞬間。
軌道塔の外装に、
精密で、意味を持った幾何学模様が刻まれ始めた。
螺旋。
六角形。
微細な同心円。
それは一見すれば、
古代遺跡の装飾や、宗教的な紋様にも見える。
だが――違う。
それは、装飾ではない。
振動を分散し、
特定の波長を反射・干渉させ、
“居心地の悪い環境”を人工的に作り出すための、
れっきとした機能構造。
【魔導振動タイル】
【不快電磁波シールド】
サトウは管制室で、
塔全体の周波数応答グラフを睨み続けていた。
サトウ「……いい。共振、外れた。これなら――」
刻印が一定量に達した、その瞬間。
塔全体が、ふっと息をするように、淡く光った。
紫がかった、柔らかな光。
それは攻撃の輝きではなく、
拒絶の光でもない。
ただひたすらに、
“ここは住みにくい”と主張する色。
張り付いていたエーテル・イーターたちが、
一斉に身をよじる。
動きが乱れ、
位相のズレが安定しなくなる。
次の瞬間――。
エーテル・イーターの群れが、一斉に離脱を始めた。
半透明の影が、軌道ケーブルの表面から剥がれ落ちる。
引き剥がされるのではない。
追い払われるのでもない。
まるで――
そこが、最初から住処ではなかったかのように。
紫色の淡光を帯びた塔の外装を避け、
彼らは無言のまま、宇宙の闇へと散っていく。
誰も追撃しない。
誰も勝利を叫ばない。
ただ、現場に張り詰めていた緊張が、
ゆっくりと、確実にほどけていった。
サトウは、展望デッキでヘルメットを外す。
額を伝っていた汗が、無重力に近い空間で小さな球となり、
ふわりと浮いた。
深く、長く、息を吐く。
サトウ「……よし。」
その声は小さかったが、
現場全体に「完了」の合図として伝わった。
サトウはケーブルを見上げたまま、静かに続ける。
サトウ「戦って殺すのは、効率が悪い。」
一拍。
サトウ「最初から“食べられない家”にする。それが――プロの仕事です。」
その言葉に、
生徒たちはそれぞれ、無言で噛みしめる。
強さでも、派手さでもない。
維持され続けることそのものが、建築の価値。
彼らは、また一つ“監督の背中”を学んでいた。
その背後。
管制室の一角で、ルルが珍しく営業用ではない、
完全に事務屋の顔で計算機を叩いている。
カチ、カチ、カチ――
乾いた音が、妙に現実的だった。
ルル「監督」
顔を上げずに、告げる。
ルル「今回の修繕費ですが。“宇宙生物による建材侵食被害”として、保険請求が通る可能性があります。」
一瞬、指が止まる。
ルル「前例はありません。……ですが、前例を作る価値はあります。」
サトウは振り返り、
ほんの少しだけ、口角を上げた。
サトウ「……頼みます。」
ルル「お任せください。請求書は、泣くほど分厚くします。」
その言葉に、
ガンツがどっと笑い、
生徒たちの肩からも力が抜けた。
こうして。
軌道塔は、
ただ“美しいだけの建築”ではなく、
美しく、
そして、侵す者を静かに拒絶する建築として、
また一段階、進化を遂げた。
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