時をかける隠し階段:設計者の「遊び心」を探せ
軌道塔の地下深部。
世界の鼓動そのものが眠る場所――世界保守管理室。
無機質な床は黒曜石のように光を吸い、天井から垂れ下がる魔導結晶が、静かな呼吸のように淡く明滅していた。
空気はひどく澄んでいるのに、どこか重い。
ここが「世界の裏側」であることを、否応なく理解させる圧があった。
サトウの前に浮かぶのは、地下探索でスキャンした古代の設計図。
それは紙ではなく、淡い光を帯びたホログラムとして空中に展開され、無数の線と数式が立体的に絡み合っている。
サトウはゆっくりとヘルメットを外した。
留め具が外れる乾いた音が、やけに大きく響く。
サトウは指先を伸ばし、仮想スクリーンをなぞる。
次の瞬間、彼の持つ【異世界マテリアル・カタログ】と同期した最新式CADが起動し、神代の設計図を現代建築基準で再構築し始めた。
線が、走る。
重なり合い、補正され、再定義されていく。
荷重分散。
応力計算。
魔力循環効率。
どれもが――異常なほど完璧だった。
サトウは思わず息を吐く。
サトウ「……すごいな。」
誤差は、限りなくゼロ。
人間が積み上げてきた経験則や安全率という概念すら、最初から不要だったかのような設計思想。
これは“祈り”や“奇跡”ではない。
純粋な技術の結晶だ。
だが――。
サトウの視線が、主塔の断面図、その中心軸付近で止まった。
ほんの、わずか。
紙一枚にも満たないズレ。
サトウ「……0.5ミリか。」
独り言のように呟き、拡大表示をかける。
数字が跳ね上がり、誤差が可視化される。
素人なら、まず気づかない。
魔導士でも、設計士でも、おそらく見逃す。
だが――。
何千という現場を見てきた男の目は、そこに引っかかった。
サトウ「精度を信仰してる設計で、こんなミスは出ない。」
失敗ではない。
計算ミスでも、経年劣化でもない。
意図して残された違和感。
サトウは顎に手を当て、少しだけ口角を上げた。
サトウ「……点検口だな。」
指先でズレの周囲をなぞると、補助構造のラインが浮かび上がる。
外部からは決して見えない位置。
だが、構造を理解する者なら、必ず辿り着く導線。
サトウ「しかも、後世の職人向けか。」
誰かが、未来を想定していた。
神ではない。
世界の管理者でもない。
同じ現場に立つ“職人”を信じた設計者。
サトウは、思わず小さく笑った。
サトウ「……遊び心のある同業者が、いたらしい。」
ホログラムの光が揺らめく。
それはまるで、何万年も前の誰かが、
「気づいたな」と言っているかのようだった。
現場は、軌道塔の中腹。
雲海を見下ろす展望デッキ。
遥か下では、白い雲がゆっくりと流れ、時折その切れ間から大陸の輪郭が覗く。
風は高所特有の冷たさを帯び、金属と魔力の匂いを含んで吹き抜けていた。
本来なら、歓声とシャッター音に満ちているはずの場所だ。
だがこの日は違う。
立ち入り制限の魔導結界が張られ、観光客の姿はない。
代わりに並んでいるのは、作業着とヘルメットに身を包んだ一団――サトウと、その生徒たちだった。
サトウはデッキ中央に立ち、ケースを開く。
中から取り出したのは、現代技術と魔導工学が融合した点検機材。
サトウは順に、生徒たちへ手渡していく。
サトウ「サーモグラフィ。打診棒。今日は仕上げじゃない。“壁裏”を見る。」
軽い口調とは裏腹に、その声には現場特有の緊張感が宿っていた。
三人の生徒の表情が、自然と引き締まる。
これは訓練ではない。
世界の中枢構造に手を入れる、本番の点検だ。
サトウは壁面に視線を向けたまま、続ける。
サトウ「いいか。仕上げ材は嘘をつく。だが構造は嘘をつかない。」
壁面は美しかった。
均一で、傷一つなく、神代の威厳を感じさせる装飾が施されている。
だが――それは、あくまで“表”だ。
サトウ「信じるのは、音と温度だ。」
その言葉に、ミリが一度小さく息を整え、魔力制御を絞る。
無駄な干渉を抑え、純粋な測定に集中するための所作。
ミリはサーモグラフィを起動した。
淡い光のスクリーンに、壁面の温度分布が映し出される。
ほぼ均一な色調。
だが――。
ミリの眉が、わずかに動いた。
ミリ「……監督。ここ、空気層があります。」
指し示された位置。
そこだけ、周囲よりほんの僅かに冷たい影が滲んでいた。
次の瞬間、カイトが一歩前に出る。
緊張を隠しきれないまま、それでも迷いなく打診棒を構えた。
カイトは、そっと壁に当てる。
コン。
もう一度。
コン。
そして――。
――コン、コン。
音が、違った。
詰まった鈍音ではない。
明らかに、奥行きを含んだ反響。
カイトの喉が、ごくりと鳴る。
カイト「……あります。裏です。」
言い切った声は震えていない。
確信があった。
サトウは、その様子を静かに見届けてから、頷いた。
サトウ「当たり。」
一歩前に出て、壁に手を置く。
冷たい感触の向こうに、確かに“空間”がある。
サトウ「ここが“裏口”だ。」
雲海の向こうで、風が唸る。
誰にも知られず、誰にも見せるためではなく――
未来の職人のためだけに残された入口。
隠しハッチが開いた瞬間。
世界が、止まった。
風が凍り、雲が固まり、生徒たちの瞬きすら空中で固定される。
――時間凍結。
その中で、サトウだけが歩いた。
サトウ「……やっぱりな。親切すぎる入口には、だいたい罠がある。」
腰のポーチから、小さな懐中時計を取り出す。
定点観測用の魔導クロック。
サトウ「ズレてるなら、直すだけだ。」
サトウの視界では、時間が“面”として歪んでいた。
彼はしゃがみ込み、パテを盛るような動きで術式を引く。
サトウ「床と同じだ。高いとこを削って、低いとこを埋める。」
魔力が流れ、時間の凹凸が均される。
――カチリ。
世界が、再起動した。
ミリ「……い、今のって……?」
サトウ「時間のレベリング。内装屋の基本だろ。」
その先にあったのは、
時空の狭間に佇む、小さな設計事務所だった。
壁も天井も曖昧で、窓の外には星とも魔力ともつかぬ光がゆっくり流れている。
だが室内だけは、妙に“現場臭い”。
木の机。
角が丸くなるまで使い込まれた椅子。
無造作に積まれた図面の束。
芯の短くなった鉛筆、摩耗した定規、刃こぼれしたノミ。
――世界の根幹を設計した場所とは思えないほど、質素だった。
そこに、淡い人影が立っている。
実体はない。
だが、輪郭だけははっきりと“職人”だった。
古代の一級建築士の遺念。
古代の建築家は、サトウを見て、ゆっくりと息を吐く。
古代の建築家「……やはり来たか。後の世の現場監督。」
その声には、敵意も威圧もなかった。
あるのは、長い時間を越えてようやく辿り着いた相手を見つけた、静かな納得。
サトウは、一歩進み、深く頭を下げた。
サトウ「勝手に図面を覗きました。でも……見なかったことには、できなかった。」
言い訳はしない。
ただ、現場に立つ者としての事実だけを述べる。
建築家は、それを聞いて、肩をすくめるように苦笑した。
古代の建築家「神は効率を好む。壊して建て直す方が、早いからな。」
机の上に視線を落とす。
そこには、完璧な世界設計図の束。
古代の建築家「だが、あれは“運用”を知らん。住む者の癖も、積み重なる疲労も、想定外だ。」
そして、机の引き出しを開く。
静かに置かれたのは、二つの遺産。
――世界修正パッチのソースコード。
――増築許可証。
どちらも、神の設計思想から見れば“異物”。
だが、現場を知る者にとっては、何より価値のあるものだった。
古代の建築家「だが、俺たちは違う。住み継ぐ側の人間だ。」
淡い目が、真っ直ぐにサトウを射抜く。
古代の建築家「壊さず、直し続ける。それが仕事だろ?」
問いではない。
確認だ。
サトウは、一瞬も迷わず頷いた。
サトウ「……はい。現場は、最後まで面倒を見るものです。」
その言葉に、建築家は満足そうに目を細めた。
古代の建築家「そうだ。だから、ここに“裏口”を残した。」
微かな笑み。
古代の建築家「後は任せた。一級建築士。」
次の瞬間、その姿は光に溶けるように薄れ――
図面の紙が、ふわりと一枚、机に落ちた。
そこには、小さな走り書き。
『現場判断、最優先』
サトウはそれを拾い上げ、静かに呟く。
サトウ「……了解です。」
事務所は、音もなく消えた。
地上へ戻ったサトウの手には、一本の水平器があった。
古びている。
傷も多い。
だが――狂いは、一切ない。
黄金の水平器。
神代の道具にありがちな威圧感はなく、
ただ“長く使われてきた工具”の静かな重みだけがあった。
サトウは、それを腰に差し、通信魔法を開く。
空間に、簡潔な回線が走る。
サトウ「全生徒、全スタッフへ」
一瞬の沈黙。
現場が、息を潜める。
サトウ「これより、この世界の――」
一拍、置く。
サトウ「所有権変更登記と、永久修繕工事を開始する。」
どよめきは、起きなかった。
誰一人、冗談だとは思わなかったからだ。
風が、吹き抜ける。
草原を揺らし、都市の屋根を撫で、軌道塔の外装を鳴らす。
サトウは、ゆっくりと空を見上げた。
雲のさらに上。
星のさらに奥。
現実の空間とは位相の違う場所に、
さらに高次元の“設計局”が、うっすらと輪郭を現している。
完璧な幾何学。
無駄のない秩序。
感情を排した、美しすぎる構造。
――神の職場。
サトウは、苦笑する。
サトウ「……さて」
腰の水平器に、軽く触れる。
サトウ「次は、設計変更の承認だな。」
恐れはない。
怒りもない。
あるのはただ、
現場を見てしまった者の、当然の次工程。
背後で、生徒たちがヘルメットを被り直す音が重なる。
誰も言葉を発さない。
だが全員が、理解していた。
これは戦いではない。
反逆でもない。
――是正工事だ。
壊さず、直し、住み継ぐための。
その日。
世界は初めて、「完成品」ではなく
「保守対象物件」として扱われた。
そして。
――職人の現場は、まだ終わらない。




