地底のタイムパトロール――数万年前の「設計変更」を追え
軌道塔の根元。
世界の冷暖房を一手に引き受ける巨大構造物の、さらに地下深く――。
重力が一段階増したかのような圧迫感の中で、サトウは無言のままヘルメットの顎紐を締め直した。
カチリ、と乾いた音が静寂に響く。
壁も床も、魔導鋼と高密度コンクリートが幾重にも重ねられている。
ここは“安心”を積み上げた末の最下層。
それでもなお、胸の奥に拭えない違和感が残る。
正面にあるのは、明らかに時代錯誤な金属製ハッチだった。
鋼板は分厚く、装飾もない。
だが――錆は一切なく、魔力反応も検知されない。
無機質であるはずの扉が、
文字だけで異様な存在感を放っていた。
――《世界保守管理室》
サトウは短く息を吐き、額の奥に浮かんだ苦笑をそのまま言葉にする。
サトウ「……世界をビル扱いか。名前を付けたヤツの性格が、よく分かる。」
その背後で、ガンツが肩に担いだ斧を持ち直し、豪快に笑った。
ガンツ「要するに、超ド級の現場ってことだな!」
金属が擦れる音が、やけに大きく響く。
それだけ、この空間が“静かすぎる”証拠だった。
ディアドラは一歩だけ後ろに下がり、周囲の魔力流を鋭く睨む。
空気を撫でるように、指先がわずかに動いた。
ディアドラ「油断はできません。ここは……空気が“古い”。」
長い時間、循環も更新もされていない場所特有の重さ。
それは物理ではなく、歴史そのものが沈殿した感触だった。
さらにその後方。
三つの影が、緊張を隠さずに立っている。
カイト。
ミリ。
バルド。
凸凹建築アカデミー一期生だ。
汗ばむ手で安全帯を握りしめるカイト。
周囲の壁を無意識に観察し続けるミリ。
足元の材質を確かめるように、何度も地面を踏み直すバルド。
サトウはゆっくりと振り返り、声のトーンを落とした。
サトウ「いいか。ここは数万年前の現場だ。遺物だろうが、魔法だろうが――」
一拍置き、指で自分の安全帯を、はっきりと叩く。
サトウ「まず優先するのは、自分の命だ。」
ヘルメットの縁に、指先が触れる。
サトウ「不用意に前へ出るな。異常は必ず報告。現場は、ヒーロー気取りをする場所じゃない。」
言葉は淡々としている。
だが、その裏に積み重なった“失われた現場”の数を、三人は感じ取っていた。
三人は反射的に背筋を伸ばす。
カイト「はい!」
ミリ「はい!」
バルド「はいっ!」
三つの声が、重なり合い、地下空間にまっすぐ響いた。
サトウはそれを確認すると、再びハッチへと視線を戻す。
世界の裏側。
文明が忘れ、だが確かに存在し続けてきた“保守点検口”。
サトウ「……さあ。次の現場、開けますか。」
彼がハンドルに手をかけた、その瞬間――
空気が、わずかに軋んだ。
ハッチが開いた瞬間、
サトウの感覚は――裏返った。
足裏に伝わる重さが、一拍遅れて届く。
視界が定まる前に、内臓だけが前に引っ張られるような、不快な浮遊感。
中は、巨大な地下駅のような空間だった。
等間隔に並ぶ柱列。
視線を遮らない、計算され尽くした天井高。
照明もないはずなのに、どこからともなく柔らかな明かりが満ちている。
――完璧すぎる。
サトウは、その「整いすぎた風景」に、即座に違和感を覚えた。
床が、わずかに――
波打っている。
それは沈下でも隆起でもない。
視点を固定すると、床そのものが、呼吸するように揺らいで見える。
サトウは一歩で踏みとどまり、鋭く手を上げた。
サトウ「止まれ。重力が、一定じゃない。」
全員が反射的に動きを止める。
その直後だった。
天井の縁から、砂粒ほどの小石が転がり落ちる。
落下――するはずだったそれは、途中で不自然に軌道を曲げ、
まるで引き寄せられるように、あり得ない角度で床へと吸い込まれた。
ミリが、息を呑む。
ミリ「……落下方向が、途中で変わりました……」
サトウは床を睨み、小さく呟く。
サトウ「……不同沈下か。」
一瞬の思考。
だが、すぐに首を横に振った。
サトウ「いや。地盤じゃない。」
間を置き、低く言い切る。
サトウ「――時間軸だ。」
その言葉に、空気が凍る。
ディアドラが、反射的に剣の柄へ手を伸ばしかけ、思い直して止めた。
ディアドラ「……時間、ですか?」
サトウは答えず、ゆっくりと振り返る。
視線の先にいるのは、カイトだった。
サトウ「カイト。この壁のひび、どう見える?」
照明に照らされた壁面。
蜘蛛の巣状に走る無数の亀裂。
だが、それはただの劣化ではない。
ひびの先端が、互いに干渉し合い、
過去と未来へ引き裂かれるように枝分かれしている。
カイトは喉を鳴らし、慎重に言葉を選ぶ。
カイト「……劣化じゃありません。」
一歩、壁に近づき、目を凝らす。
カイト「ひび割れが……“分岐”してます。」
サトウは、静かに頷いた。
サトウ「正解だ。」
床、柱、天井――
空間全体を見回しながら、淡々と続ける。
サトウ「ここは、魔法の使い過ぎで“時間”って構造材が、疲労してる。」
理解が追いつかない沈黙が落ちる。
ディアドラが、わずかに眉を寄せた。
ディアドラ「時間が……壊れるのですか?」
サトウ「壊れる。使えばな。」
まるで、古い梁の腐食を説明するような口調。
サトウ「便利だからって、補修もせずに使い倒した。瞬間移動、時間停止、過去視、未来予測……」
一拍。
サトウ「そのツケが、ここだ。」
視線を床へ落とす。
サトウ「世界の基礎に使っちゃいけない材料を、平気で構造に組み込んだ結果だ。」
重く、静かな沈黙。
ここはただの地下施設ではない。
世界そのものを支える“基礎”が、軋み始めている場所。
サトウはヘルメットの縁に指をかけ、静かに言った。
サトウ「……さて。これは補修じゃ済まないな。」
その足元で、床の“波”が、また一度――
ゆっくりと、時間をずらすようにうねった。
――無音で、天井が“裂けた”。
轟音も、前兆もない。
ただ、空間そのものが紙を引き裂かれるように、すうっと開く。
次の瞬間、
銀色の影が、重力を無視するかのように滑り落ちてきた。
人型に近い輪郭。
関節は最小限。
表面は磨かれた金属ではなく、長い年月を経た鈍い銀。
古代自動解体ドローン。
かつては、この世界を維持するための清掃機。
だが今は――。
天井に反響する、感情のない声。
古代ドローン「侵入者排除プロトコル、起動」
その瞬間、空気が張り詰める。
ガンツが、獣のように吠えた。
ガンツ「上等だァ!」
踏み込み、斧を全力で振り抜く。
風を裂く一撃――。
だが。
刃は、すり抜けた。
確かな手応えがあるはずの軌道。
だが、斧は何も切らず、空を掻いただけだった。
ガンツ「チッ……!」
ドローンは、無傷のまま静止し、次の攻撃姿勢へ移る。
その異常を、最初に言語化したのはバルドだった。
バルド「位相ズレです!」
歯を食いしばり、叫ぶ。
バルド「物理も魔法も、こっちの“今”と噛み合ってない!当たらない!」
刹那。
空間が、微かに揺らぐ。
その瞬間を見逃さず、
ミリが一歩、前へ出た。
エルフの耳が、緊張でわずかに震えている。
だが、その声は驚くほど冷静だった。
ミリ「監督!」
視線をサトウへ向ける。
ミリ「周囲の空間ごと、固定できますか!?」
迷いはなかった。
逃げでも、防御でもない。
発想の転換だった。
サトウは、一瞬だけ目を細め――
即答する。
サトウ「できる。」
間を置かず、続けた。
サトウ「――いい判断だ。」
次の瞬間、
彼の前に無数の設計情報が展開される。
固有スキル起動。
――《異世界マテリアル・カタログ》
サトウ「速乾性エポキシ樹脂。魔導強化版。」
ミリが、即座に魔法陣を展開する。
精霊の力が、樹脂を微細な霧へと分解し、
空間そのものに行き渡らせていく。
時間が、粘性を帯びたかのように遅くなる。
そして――。
次の瞬間。
ドローンの動きが、止まった。
完全停止。
位相のズレが、強制的に“今”へ引き戻されている。
ミリ「今です!」
ガンツが、即座に応じる。
ガンツ「おう!」
踏み込み、今度は確実に。
全体重と闘気を乗せた一撃。
ガンッ――!
金属を断ち割る、確かな手応え。
銀色の機体は、抵抗することもなく、
真っ二つに砕け散った。
破片が床に転がり、
やがて、完全に沈黙する。
静寂。
サトウは、ゆっくりと息を吐いた。
サトウ「……よく見て、考えて、正しい手を打った。」
視線を、三人の弟子へ向ける。
サトウ「これが、現場判断だ。」
最深部。
そこは、もはや地下というより――心臓部だった。
巨大な円形空間の中央に、
古代金属と水晶で構成されたコンソールが鎮座している。
配線は壁の奥へ、天井の向こうへと伸び、
この部屋そのものが、世界の一部であるかのようだった。
サトウが、慎重に一歩近づく。
ヘルメット越しでも、
空気が張り詰めているのが分かる。
サトウは無言で端末に手を置いた。
――瞬間。
光が、爆ぜる。
空間いっぱいに、無数のホログラムが展開された。
山脈、海流、大陸移動、魔力循環、気象、人口分布。
すべてがレイヤーとして重なり合い、
一つの巨大な図面を形作っていく。
――世界設計図。
息を呑む音が、背後で重なった。
そして、その中央。
どんな数値よりも、どんな構造線よりも、
異様な存在感を放つ文字。
《自動解体タイマー:残り一万二千年》
あまりにも淡々と、
あまりにも冷酷に、
世界の“寿命”が表示されていた。
サトウは、乾いた笑みを浮かべる。
怒りでも、驚愕でもない。
職業人としての、純粋な嫌悪だった。
サトウ「……定期的に更地にする設計か。」
肩をすくめる。
サトウ「保守を放棄した最悪の管理者だな。」
ガンツが、思わず唾を飲み込む。
ガンツ「一万二千年後……世界、壊す気だったってことかよ……」
ディアドラは、剣を持つ手に力を込める。
ディアドラ「神の所業、というより……廃棄計画ですね。」
サトウは、すでに次の動作に移っていた。
タブレットを取り出し、
ホログラムへかざす。
ピピッ、と軽い電子音。
設計情報が、次々と解析されていく。
サトウ「……なるほど。」
独り言のように呟く。
サトウ「解体前提だから、補修履歴が存在しない。」
視線を走らせる。
サトウ「部品交換じゃなく、丸ごと更新。」
小さく、鼻で笑う。
サトウ「――一番、やっちゃいけない管理だ。」
そして、はっきりと宣言する。
サトウ「悪いが、この物件――」
画面をタップする指に、迷いはない。
サトウ「勝手に解体はさせない。」
その言葉に、
背後の空気が変わった。
カイトの拳が、自然と握られる。
カイト「……世界も、建物と同じなんですね。」
ミリは、ホログラムの構造線を食い入るように見つめる。
ミリ「壊す前提じゃなく……直し続ける設計に、変えられる。」
バルドが、歯を見せて笑った。
バルド「へっ。だったら、素材も工法も、いくらでも試せるじゃねえか。」
三人の目が、同じ光を宿す。
恐怖ではない。
責任でもない。
――仕事を見つけた職人の目だ。
サトウは、静かに頷いた。
サトウ「そうだ。」
ホログラムの中心。
世界そのものを示す設計図を見据えながら。
サトウ「ここから先は――史上最大の、改修工事になる。」
地上。
軌道塔の影が、ゆっくりと大地をなぞる。
その根元で、腕を組んだルルが待ち構えていた。
服装はいつも通り整然としているが、
算盤と書類束を抱えたその姿は、
戦場帰りの兵士よりも迫力がある。
サトウたちが昇降機から降り立った瞬間、
間髪入れずに声が飛んだ。
ルル「監督。地下探索、残業扱いです。」
紙束を一枚、パシンと鳴らす。
ルル「生徒分も含めて、請求額――相当です。」
その言葉に、
カイトたちは一瞬だけ顔を引きつらせた。
だが、どこか誇らしげでもある。
――命が残り、経験が残り、
そして“請求書”が残る。
これ以上に現場らしい証拠はない。
サトウは文句を言わなかった。
ただ、深く息を吸い、
ゆっくりと空を見上げる。
遥か上空。
雲を貫き、成層圏を越え、
月へと続く軌道塔。
サトウ「……ですね。」
小さく笑い、肩を回す。
サトウ「次は、所有者――神様と交渉ですか。」
ルルの眉が、わずかに動く。
ルル「“施主”が誰であれ、無断解体は契約違反です。」
即答。
一切の躊躇なし。
ルル「相手が神でも、追加工事と是正費用は、きっちり請求します。」
ガンツが、豪快に笑った。
ガンツ「ははっ!神相手に請求書出す工務店なんざ、聞いたことねえ!」
ディアドラは静かに剣を収める。
ディアドラ「ですが……この人たちなら、本当にやりかねませんね。」
サトウは、ルルから書類を受け取り、
軽く目を通す。
サトウ「……残業代、ちゃんとつけてくれてますね。」
ルル「当然です。命を使った作業は、割増です。」
そのやり取りを、
一期生の三人は黙って見ていた。
世界を直す仕事。
神と交渉する工事。
だがその始まりは、
いつも同じだ。
――安全確認。
――作業報告。
――そして、請求書。
サトウは最後に、
もう一度だけ塔を見上げた。
サトウ「……よし。」
小さく、しかし確かに宣言する。
サトウ「始めましょう。」
こうして。
世界最大規模の是正工事は、
英雄譚でも、神話でもなく。
一つの現場案件として、
静かに、だが確実に――
始動したのだった。




