凸凹建築アカデミー開校:ヘルメットを被った生徒たち
世界が、忙しすぎた。
雨漏り一件。
道路陥没三件。
都市再編計画一式。
月面分譲地の追加工事。
軌道塔の定期点検――。
凸凹工務店に舞い込む依頼は、もはや「現場」という言葉では収まりきらない規模に膨れ上がっていた。
都市も、砂漠も、月面も、軌道も――すべてが現場だった。
その中心で、サトウは図面に埋もれ、ペンを握った手が微かに震えていた。
無数のメモ、計算、立体模型のデータ――
それらすべてが彼の前に、整然と積み上がっている。
ルルの声が、いつになく切迫して響いた。
ルル「……監督」
机の端で、ルルが手元のタブレットを叩きながら報告する。
画面に映るのは、過労の数値――
直近七日間の平均睡眠時間、十四分三十秒。
ルル「このままでは、“過労死”という新概念を文明史に追加することになります。」
言葉の端に、軽い皮肉と深刻さが混ざる。
だがその眼差しには、心底の懸念があった。
サトウはペンを置き、ゆっくりと天井を見上げる。
白く浮かぶ蛍光灯の光が、図面の影を長く引く。
サトウ「……ですね。数値で突きつけられると、さすがに否定できません。」
小さな沈黙。
だがその沈黙には、次の決意が秘められていた。
サトウ「正直に言います。」
軌道エレベーターの地上拠点。
巨大な塔の影が、地面に長く伸びる。
その影の下で、サトウは図面も計算機も置き、静かに告げた。
サトウ「俺一人で、全部の現場を見るのは――もう無理です。」
言葉の一つ一つに、現場を支え続けてきた重みが宿る。
淡々としているが、その瞳は真剣そのものだった。
サトウ「だから、育てます。俺の代わりにヘルメットを被って、現場に立てる人材を。」
その宣言に、ルルもディアドラも、思わず息を呑む。
数千件規模の現場を見てきた男が、初めて「頼る」ことを口にした瞬間だった。
数日後――
その言葉は、形となった。
地上に広がる訓練施設。
砂埃を巻き上げる練習場。
建材が積まれ、図面が壁一面に貼られた教室。
現場と同じ匂い、同じ緊張感がそこにはあった。
――《凸凹建築アカデミー》。
開校の鐘が鳴ると、風に乗って紙の匂いや石材の香りが漂う。
新人たちは、ヘルメットを握りしめ、目を輝かせて教室に入ってきた。
入学試験は、思った以上に――地味だった。
サトウは受験者たちの前に立ち、淡々と告げる。
声に力はあるが、威圧はない。
サトウ「魔力は測りません。剣も振らせません。」
受験者たちは互いに目を見合わせる。
剣や魔法――それを期待していた者たちには、拍子抜けに映った。
サトウは積み木の小さな山を指さす。
サトウ「これを、崩さずに。できるだけ高く積んでください。」
木の感触、重さ、バランス――
目の前の単純な作業に、思わず眉をひそめる受験者たち。
続けて、別の机を示す。
サトウ「こちらは雨漏りしている模型です。原因を特定して、対策案を出してください。」
模型の屋根に、微かに水が滴る。
滴の軌道、屋根の傾き、材質の吸水性……
受験者たちは静かに考え、メモを取り、議論を始める。
教室には、微かな鉛筆の音と、吐息、そして紙をめくる音だけが響いた。
剣も魔法も使わず――
ただ「考える」ことに集中させられる空間。
数時間後、結果が告げられる。
合格者は、わずか三名のみ。
サトウは積み木の山を見つめ、模型に手を置き、静かに頷いた。
サトウ「……よし。十分です。」
その目には、未来の現場を任せられる確かな感触が宿っていた。
受験者たちは知らず知らずのうちに、サトウの現場哲学を体感していたのだ。
合格者――三名。
彼らは、単なる生徒ではない。
凸凹建築アカデミー第1期生として、これからサトウの現場哲学を体現する存在だ。
カイト(Kaito)
種族:人間
専門:構造・施工管理(現場監督見習い)
辺境の村で、頻繁に地震や土砂崩れに見舞われながら育った少年。
魔法の才能は平凡だが、幼い頃から「壊れない家」「倒れない橋」を夢見ていた。
【水平の眼】
積み木の微かな傾き、壁のわずかなズレも、魔法なしで察知する「職人の目」を持つ。
手には魔法の墨出し器と特製コンベックス。
見る者は、彼の前で現場が生きているかのように感じるだろう。
ミリ(Mili)
種族:エルフ
専門:非破壊検査・建築意匠(設計士見習い)
森の美しさを守るため建築を学ぶも、伝統的な木組み建築では限界を感じていた。
精霊と対話する魔法を、建物の「健康診断」に応用する天才少女。
【精霊の透視】
壁の中に精霊を通し、空洞やヒビ、シロアリ被害を3Dマップ化する。
目には見えない欠陥も、彼女の前では全て浮かび上がる。
【感性と理性のハイブリッド】
魔法の美しさと、サトウから学んだ「断熱・気密」の理論を融合し、機能美あふれる設計図を引く。
精霊石のサーモグラフィと魔導ペンを手に、
ミリの描く線は、建物を守る盾であり、命の道標でもある。
バルド(Baldo)
種族:ドワーフ
専門:重機操作・建材開発(土木職人見習い)
頑固な鍛冶職人の家系に生まれ、手作業至上主義の父と衝突。
巨大な重機で山を動かすサトウのダイナミックな工法に衝撃を受け、弟子入りを決意した。
【重機の友】
サトウがカタログから召喚した複雑な重機を、一晩で乗りこなす天才的な操作技術。
【新素材の錬成】
サトウの現代知識に、ドワーフ独自の錬金術を融合。
軽量かつ超高強度な「魔導コンクリート」を開発する。
手には万能操縦レバーと特製タガネ。
その手が触れるものすべてが、建物の未来に変わる――。
三人はまだ若い。
だが、彼らの目には――揺るぎない「現場を守る覚悟」が宿っていた。
軌道塔の影、月面の砂、都市の喧騒……
これから向かう現場は、規模も難度も、常識の遥か先にある。
サトウ「いいですか。今日から、あなたたちの杖はスコップです。」
図面を掲げる。
サトウ「呪文の代わりに、これを読みなさい。線一本一本に、理由があります。」
最初の実習――古い街道橋の架け替え。
朝の光が差し込む現場。鳥の声も、川のせせらぎも、どこか緊張を含んで聞こえる。
橋の上には、初めての訓練に挑む三人の姿。
ミリが魔法を広げ、石材を強引に固定する。
光の残滓が壁や橋桁にちらつき、まるで小さな星が散るようだ。
ミリ「で、できました!」
喜びと誇らしさが混ざった声。
その目は輝き、達成感に満ちていた。
だが、サトウは何も言わず、手早くカタログを開く。
金属の匂い、機械油の匂い――現場の空気に混ざる、冷静な緊張感。
――十トントラック、召喚。
橋の上を、ゆっくりと渡らせる。
三人の心臓が、一拍ごとに跳ねる。
ミシリ――
嫌な音が響いた瞬間、空気が一瞬、凍る。
橋は、静かに、しかし確実に壊れ始めた。
石の間から微かな亀裂が走り、梁が軋む。
生徒たちの目は大きく見開かれ、声にならない悲鳴をあげた。
焦燥と悔しさが交錯し、橋の上は、静寂と動揺が入り混じった空間になった。
サトウは一歩前に出る。
感情は介さない。声も冷静だ。
サトウ「魔法は、接着剤にはなります。」
その言葉に、一瞬だけ、静寂が戻る。
サトウ「ですが、“構造”にはならない。力の流れを見ていなかった。それが原因です。」
橋の崩れ方を指さしながら、サトウの視線は鋭く光る。
現場に必要なのは、魔法の力ではなく、力がどう流れ、支えられるかを理解する目。
そして、それを実践に落とし込む技術――それこそが、この実習の本質だった。
ミリは顔を上げ、静かに頷く。
カイトは手を組み、橋桁の傾きを目で追う。
バルドはタガネを握りしめ、無言で次の計画を頭の中で組み立て始めていた。
サトウは静かにコテを手に取った。
現場に漂う緊張感が、彼の手元に引き寄せられるかのように、空気が張り詰める。
サトウ「……見ていてください。」
手首を柔らかく返し、コテ先で三角形を描く。
その線はただの形ではない。
荷重の流れ、力の逃げ道――すべてを可視化した小さなトラスの設計図だ。
サトウ「トラスです。荷重は、こう流れます。逃がします。」
生徒たちは息を呑む。
魔法で固めた石よりも、彼の手が描く線に、現実の力が宿っていることを、肌で感じたのだ。
サトウは立ち上がり、無言で安全帯とヘルメットを配る。
その手つきは、無駄がなく、しかし確かな温かみを持っていた。
サトウ「安全第一。命は、どんな資材よりも高価です。」
生徒たちは、自らの命がただの数字ではなく、現場の最重要項目であることを理解する。
背筋が、少し伸びた。
最後に、手元のコンクリートを確認する。
サトウは指先で混合比を示しながら、ゆっくりと口を開く。
サトウ「配合を守れば、魔法がなくても、強度は出ます。建築は、奇跡じゃない。」
その言葉は、風に乗って現場全体に響いた。
重機の音、川のせせらぎ、鳥の声――すべてが彼の言葉を祝福するかのように、静かに溶け込んでいく。
三人の目が輝いた。
数日後。
再建された街道橋は、朝日の光を受けて静かに輝いていた。
風が渡り、川面に反射する光が揺れる。
橋は微動だにせず、すべての荷重を正確に受け止めていた。
周囲の草木も、川の流れも、まるで完成を祝福するかのように、穏やかに揺れる。
カイトが、まだ少し不安そうに小さな声で問いかける。
カイト「……監督。僕たち、いつか月も……直せますか?」
その言葉に、サトウは一瞬目を細め、少年のヘルメットを軽く叩いた。
金属の感触が、確かな現実を伝える。
サトウ「月、ですか。」
肩の力を抜き、微かに笑う。
その笑顔は、橋の安定感と同じくらい、静かで確かなものだった。
サトウ「たぶん、もっと先です。でも――あなたたちは」
視線を橋に移す。
微かな亀裂もなく、荷重はすべて三角形のトラスを通して逃げている。
川面に映る橋の影が、未来の可能性を象徴しているかのようだ。
サトウ「俺が知らない“未来の建物”を、建てる人間になります。」
風が吹き、カイトの髪を撫でる。
ミリは橋の構造を指でなぞるように見つめ、バルドは腕を組んで黙って頷いた。
三人の目には、まだ見ぬ世界を自らの手で形作る決意が、光の粒のように揺れていた。
橋の下を流れる川が、さざめきながら未来の設計図を祝福するかのように、静かに歌っていた。
お読みいただきありがとうございました! もしよろしければ、下にある評価ボタン(星マーク)をぽちっと押して応援してもらえると嬉しいです。 今後とも本作をよろしくお願いいたします。




