天まで届け、魔導の柱:一級建築士の「垂直」革命
月から持ち帰られた素材――
《ルナ・チタニウム》。
月面の無重力環境で精錬されたそれは、
金属でありながら、
どこか生き物のようなしなやかさを備えていた。
指先で持ち上げると、
拍子抜けするほど軽い。
だが、
軽いだけではない。
わずかに力を加えると、
金属はたわみ、
そして――何事もなかったかのように元へ戻る。
凸凹工務店の仮設工房。
簡易的な設備の中で、
その素材を手に取ったサトウは、
静かに息を吐いた。
サトウ「……数値通りだな。」
計測端末に表示されるデータは、
一つとして嘘をついていない。
重量。
強度。
弾性。
どれもが、
彼の図面が要求する“最低ライン”を、
確実に上回っている。
サトウ「自重で潰れない。」
素材を、わずかに曲げる。
サトウ「折れない。」
さらに力を加えても、
破断の兆候はない。
サトウ「しなって、戻る……」
それは誰に向けた言葉でもない。
現場で素材と向き合うときに、
自然と口をついて出る、職人の独り言だった。
だが、その視線は――
もう工房の中にはなかった。
壁を越え、
天井を越え、
遥か上空へ。
地上の建築物では、
常に制約となってきた“重さ”と“高さ”。
それを、
この素材は無言で否定している。
サトウ「……建てられますね。」
静かに。
だが、確信を伴って。
サトウ「空まで届く塔が。」
それは誇示でも、夢想でもない。
数値が示し、
素材が応え、
現場が成立する。
その条件が、
今この瞬間、揃ってしまっただけだ。
仮設工房の窓の外。
夕焼けに染まる空は、
まだ“遠い”場所としてそこにあった。
だが――
その距離は、
もう、設計の問題でしかなかった。
次に建つものは、
世界のスケールそのものを
書き換えることになる。
サトウの手の中で、
《ルナ・チタニウム》は、
静かに光を返していた。
計画は、
最初から――常識の外にあった。
地上と月を、一本で結ぶ。
全長、数万キロ。
《魔導軌道エレベーター》――
あるいは、《軌道塔》。
それは交通網でも、兵器でもない。
世界の重力圏そのものを、
インフラとして組み替える計画だった。
広げられた図面の上を、
無数の補助線と数式が走っている。
それを前に、
ルルの指が、ほんのわずかに震えた。
計算が追いつかないからではない。
理解できてしまったからだ。
ルル「……監督」
一度、息を吸う。
ルル「この初期投資、
国家予算換算で……三百年分です」
声は冷静。
だが、数字が示す重さは、
国が三つ潰れても足りない規模だった。
サトウは図面から目を離さない。
線を追い、
荷重を読み、
応力の逃げ道を確認しながら、
淡々と答える。
サトウ「月との定期物流が回れば、三十年で黒字化します。」
即答だった。
まるで、
倉庫の増設計画を説明するかのように。
ルル「……三十年?」
算盤を持つ手が、止まる。
一拍。
ルル「短すぎません?」
国家規模の事業に対して、
あまりにも現場寄りの時間感覚。
サトウ「転移門は便利です。」
それは否定ではない。
事実の整理だ。
サトウ「でも、維持費と事故率が高すぎる。」
転移失敗。
座標ズレ。
魔力過負荷。
一件一件は小さくとも、
物流規模になれば、
必ず“損失”になる。
サトウ「物流は“垂直”に落とした方が、管理もコストも安定します。」
魔法ではなく、
重力を使う。
派手さはない。
だが、裏切らない。
それが、
現場で積み上げられてきた結論だった。
ルルはしばらく、無言で計算する。
算盤が、
静かな音を立てて弾かれる。
カチ。
カチカチ。
最後に――
カチリ。
ルル「……分かりました。」
顔を上げる。
その目に、迷いはない。
ルル「ただし、回収計画は私が握ります。」
それは条件であり、
同時に覚悟の宣言だった。
金の流れ。
人の流れ。
国家と企業の境界線。
すべてを、
自分の責任で管理するという意思。
サトウは、ようやく図面から目を上げ、
短く頷いた。
その瞬間――
世界の前提条件が、一つ、書き換えられた。
「地上と月は、遠い」という常識が、
設計上の制約に格下げされたのだ。
あとは、
建てるだけ。
建設は、
当初の想定を――あっさりと裏切ってきた。
高度が上がるにつれ、
風は単なる“気流”ではなくなる。
乱流。
剪断。
そして、地上の自転が生み出す
《コリオリの力》。
見えない横方向の力が、
塔の全長にわたって作用し、
構造体を、じわじわと歪ませていく。
さらに追い打ちをかけるのが、
上空を流れる不安定な魔力流だった。
一定しない位相。
周期の読めない脈動。
それはまるで、
巨大な塔を雑巾のように捻るかのごとく、
絶えず“ねじれ”を与え続けている。
制御室。
振動データが、警告色に染まる。
サトウは画面を睨み、
一瞬で結論を出した。
サトウ「剛構造はダメですね」
即断。
迷いはない。
むしろ、納得したような声音だった。
サトウ「固めれば、必ず折れる」
強くすれば強くするほど、
逃げ場を失った力は、
どこか一点に集中する。
それは、
現場が最も嫌う破壊の仕方だ。
サトウは画面を切り替える。
剛性重視のモデルが消え、
可動域を持たせた新たな構造図が浮かび上がる。
サトウ「必要なのは――」
一拍。
サトウ「“柳に風”です」
力を、受け止めない。
抗わない。
サトウ「柔構造。
しなって、逃がす」
揺れてもいい。
曲がってもいい。
戻れるなら、それでいい。
だが――
設計を切り替えたことで、
一つの致命的な問題が浮かび上がった。
サトウ「……カウンターウェイトが足りません」
宇宙側。
月軌道側。
そこに十分な質量がなければ、
塔は地上の重力に引きずられ、
ゆっくりと、しかし確実に倒れていく。
柔らかくなった分、
なおさらだ。
サトウは即座に通信魔導具を取った。
サトウ「ガンツさん。
月側に“錨”を打てますか」
一瞬の静寂。
だが返ってきた声に、
迷いは一切なかった。
ガンツ『ああ?
そんなもん――
月面ごと固定すりゃいいだろ!』
あまりにも豪快。
あまりにもドワーフ。
サトウは一瞬だけ、目を閉じ、
そして小さく息を吐いた。
サトウ「……お願いします」
返答は、即座だった。
ガンツ『任せとけ、監督ゥ!
抜けたら、月が負けだ!』
通信が切れる。
サトウは再び画面に向き直り、
静かに呟いた。
月を錨にする。
世界の衛星を、
構造物の一部として扱う。
正気の発想ではない。
だが――
現場が成立するなら、問題はない。
こうして、
《魔導軌道エレベーター》は、
ついに月そのものを巻き込みながら、
天へと伸び続けていく。
世界はまた一つ、
取り返しのつかない段階へ踏み込んでいた。
それでも、空は静かに工事を許さなかった。
成層圏。
そこは、古の翼を持つ者たち――
この星の空を支配してきた生態系の領域。
「――始祖鳥の群れ……!」
警告もなく、影が膨れ上がる。
縄張りを侵されたと判断した翼竜たちが、
鋭い旋回軌道を描きながら塔へと迫ってくる。
ディアドラが、反射的に一歩前へ出た。
ディアドラ「排除する。構造体への接触前に――」
サトウ「不要です。」
即答だった。
サトウは視線すら揺らさず、
外装制御データを切り替える。
空間に次々と展開される、【異世界マテリアル・カタログ】。
超撥水コーティング。
翼に不快な乱流を生む表層加工。
そして――不可聴域で振動する、超音波発信機。
サトウ「戦う必要はありません。ここは“居心地が悪い”と、教えてあげればいいだけです。」
ディアドラ「……威圧ではなく、環境誘導、ですか。」
サトウ「はい。鳥害対策です。」
次の瞬間。
翼竜たちは甲高い鳴き声を上げ、
編隊を乱し、進路を変える。
塔を避けるように旋回し――
やがて、青い空の彼方へと消えていった。
運命の瞬間は、赤道直下の海上。
白く輝く雲海を貫き、
地上から伸びる一本の塔。
そして――
宇宙から、静かに降りてくる一本のテザー。
上下、同時。
誤差、ゼロ。
寸分違わず噛み合わせる――
《シンクロナイズド・ビルディング》。
索は、
ルナ・チタニウムを芯に編み込んだ
カーボンナノチューブ・ケーブル。
細さは、髪の毛ほど。
だがその一本は、
巨竜すら宙に留める引張強度を誇る。
塔の最上部。
魔力浮遊式マスダンパーが作動し、
風、振動、潮汐――
すべての揺れを“無かったこと”にしていた。
静寂の中で、
サトウが小さく息を吐く。
サトウ「……接続、完了」
その瞬間。
世界が、
ほんの一拍――
呼吸を忘れた。
開通した。
地上から月まで、わずか数時間。
かつて航海と呼ばれていた距離は、
今日から――通勤圏になる。
物流の概念は、
音もなく、しかし完全に塗り替えられた。
最初に昇降機へ乗り込んだのは、ルルだった。
軽く身だしなみを整え、
扉が閉まる直前、ちらりとサトウを見る。
そして――到着。
月面の白い大地に足を下ろした瞬間、
彼女の表情が、切り替わる。
ルル「では――月面分譲地、販売開始です。」
それは戦場の顔ではない。
交渉の顔でもない。
“売れると確信している者”だけが浮かべる、
完璧な営業用の笑顔だった。
塔の基部。
完成したばかりの構造体の影に、
場違いなほど生活感のあるものが置かれていた。
《世界一高い場所にある自販機》。
無機質な白い外装に、
何事もなかったかのように並ぶ缶とボトル。
その背後では、天へと伸びる軌道塔が、
雲を貫き、空と宇宙を縫い合わせている。
サトウは作業用グローブを外し、
一歩近づいた。
硬貨――いや、共通通貨の魔導チップを投入する。
カタン、という軽い振動。
選ばれた缶が、落ちてくる。
サトウはそれを受け取り、
指先でプルタブを起こした。
プシュ。
小さな音。
だが、それは確かに――
この塔が「使われる構造物」になった証だった。
サトウ「……これで、運搬コストが一気に下がりますね。」
誰に聞かせるでもない言葉。
それでも、彼の声には確かな手応えがあった。
視線を上げる。
赤道の海風に晒されながら、
塔はわずかに、しかし確実に“しなって”いる。
剛ではなく、柔。
折れないための、計算された逃げ。
サトウ「次は……この塔の定期点検計画を組まないと。」
建てたら終わりではない。
完成は、ただのスタートラインだ。
月と地上を結ぶこの柱は、
無数の荷を受け、
無数の人の未来を往復させる。
だからこそ――
毎日、見なければならない。
サトウは缶コーヒーを一口飲み、
わずかに目を細めた。
天へと伸びる柱は、
今日も静かに、
何も主張せず、
ただ――世界を支えていた。
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