世界の中心で「不陸」を叫ぶ:伝説の地脈柱・緊急補強工事
ゴゴゴゴ……ズシン!
聖域の中心にそびえ立つ四本の巨大地脈柱が、重低音とともにうめき声を上げた。
偽魔王城の自壊――その余波は想像を遥かに超え、北方に位置する一本へと集中していた。
柱の表面を走るのは、雷のような亀裂。
それは石の傷ではない。
世界の骨格そのものに刻まれた、致命的なひびだった。
空気が悲鳴を上げる。
圧縮され、引き裂かれ、軋む音が聖域一帯を満たし、足元の大地は不規則に波打った。
まるでこの世界そのものが、「もう限界だ」と訴えているかのようだった。
サトウは眉間に深い皺を刻み、背負っていた巨大な筒を乱暴に下ろす。
留め具を外すと、内側から現れたのは、人の背丈を超えるほどの設計図だった。
彼はそれを地面に叩きつけるように広げ、柱を睨みつける。
その視線には、恐怖も躊躇もない。ただ、構造を見抜こうとする冷徹な集中だけが宿っていた。
サトウ「……柱の直径、推定一キロ。高さは雲を突き抜けてますね。
これ、今までの計算尺じゃ足りません。」
その声は静かだったが、内容は絶望的だった。
世界を支える柱のスケールが、常識という枠を完全に踏み越えている。
ディアドラはその言葉を聞いた瞬間、無意識のうちに拳を強く握りしめていた。
震えが指先から腕へ、そして喉へと伝わる。
必死に軍人としての姿勢を保とうとするが、声はどうしても裏返ってしまう。
ディアドラ「イ、イエス・サー……か、監督……これ、本当に……人の手で、直せるんですか……?」
問いかけながら、彼女は柱を見上げる。
あまりにも巨大で、あまりにも遠い。
剣で斬れる敵でも、魔法で焼き払える敵でもない。
“世界そのもの”を相手にしているという現実が、彼女の心を締め付けていた。
サトウは図面から視線を外さない。
顔は無表情――だが、その瞳は完全に現場のそれだった。
崩壊寸前の構造物を前にしたときだけ現れる、職人の目。
サトウ「直せるか、じゃありません。直さないと、世界が倒れます。」
淡々と告げられた言葉は、宣告だった。
同時に、決意でもある。
その直後、低く鈍い揺れが再び大地を走った。
聖域から遥か彼方――遠くの大陸で海流が逆流し、空の色が不自然に歪んでいく。
世界規模で、異変はすでに始まっていた。
サトウの意識は、周囲の喧騒から静かに切り離されていった。
揺れる大地の感触も、軋む空気の悲鳴も、すべてが「情報」として頭の中へ流れ込む。
現場だ。
これはただの異常事態ではない。
構造崩壊の前兆――それも、世界規模の。
彼の脳内で、診断が淡々と、しかし正確無比に組み上がっていく。
経年劣化と魔導風化。
神代に造られた構造物であっても、時間という重力からは逃れられない。
数万年という歳月は、表面を保ったまま内部から確実に強度を奪っていた。
続いて、不同沈下。
地殻プレートのわずかな傾きが、柱全体にねじれを生み、
本来想定されていない方向から、致命的なせん断力を叩きつけている。
――設計時点で、世界がここまで動く想定はされていない。
サトウは小さく息を吐く。
それは嘆息というより、診断を終えた技師の習慣的な動作だった。
サトウ「……神様も、メンテナンス計画までは考えてなかったみたいですね。」
誰に聞かせるでもない、独り言のような声音。
だが続く言葉は、容赦なく現実を突きつける。
サトウ「ここは、世界最大の――事故物件です。」
その瞬間、隣に立つ巨漢が言葉を失った。
ドワーフの棟梁ガンツは、目を見開いたまま柱を見上げ、立派な髭をわずかに震わせる。
ガンツ「おいおい……監督ゥ……こりゃあ下手すりゃ、世界まるごと修理だぞ……」
冗談めかした口調とは裏腹に、声は重かった。
彼もまた理解している。
これは一国の城やダムとは訳が違う。
失敗すれば、世界が終わる。
サトウは図面から視線を上げ、ガンツの方を見る。
表情は相変わらず平坦だが、口角だけが、ほんのわずかに吊り上がった。
それは恐怖を誤魔化す笑みではない。
無理難題を前にしたときにだけ浮かぶ、職人の笑みだった。
サトウ「ええ。ですが――」
一拍、置く。
サトウ「うちは、凸凹工務店です。」
その短い言葉に、奇妙な説得力が宿っていた。
世界最大の事故物件。
世界規模の修理。
――それでも引き受ける。
それが、この現場監督の流儀だった。
――その瞬間。
シュワッ……パチパチッ!
弾けるような光が空間に満ちた。
無数の粒子が舞い、次第に形を成していく。
現れたのは、淡く輝く光の精霊たちだった。
彼らは言葉を発さない。
だが意志は明確だった。
巨大地脈柱の周囲へと集結し、外敵を遮断する陣形を取る。
侵入者――世界の根幹に手を触れようとする存在を、排除するための防衛反応。
空気が一段、張り詰めた。
サトウは一歩、前に出る。
声を荒げることはない。
しかし、現場全体に確実に届く、芯の通った声で告げた。
サトウ「待ってください。戦う必要はありません。――これが、私の工事です」
その言葉と同時に、彼の手元に光が集まる。
空間が裂け、見慣れたインターフェースが展開された。
【異世界マテリアル・カタログ】。
ページがめくられ、選択項目が確定する。
次の瞬間、サトウの手の中に、見慣れぬ機器が出現した。
《超音波探傷器》。
彼は迷いなく柱へ向け、起動する。
低く、耳には届かない振動が内部へと送り込まれた。
――そして。
柱の内部構造が、光となって浮かび上がる。
見えないはずの内側に、無数の亀裂。
細かなものから、致命的なものまで。
それらが蜘蛛の巣のように広がり、誰の目にも理解できる「限界」を示していた。
サトウは精霊たちの方を見据え、淡々と告げる。
サトウ「見てください。このまま放置すれば、確実に折れます。神ごと、世界ごと、崩壊する。私は破壊に来たんじゃない。補強に来たんです。」
言い切りだった。
説得ではない。
事実の提示だ。
光の精霊たちは、即座に攻撃へ移らなかった。
揺らぎが生じる。
戸惑いと、驚き――そして理解の兆しが、その光に宿る。
彼らは無言のまま、再び柱を見つめた。
今度は守る対象としてではなく、
「壊れかけた構造物」として。
その背後で、乾いた音が小さく響く。
ルルは算盤を弾きながら、状況を冷静に見極めていた。
数字だけが、彼女の視線の先にある。
ルル「……監督。確認ですが、この規模の補強工事――予算、青天井にするつもりではありませんよね?」
サトウの返答は、一切の間を置かず返ってきた。
サトウ「もちろん。段階施工でいきます。無駄は出しません。」
ルルは一瞬だけ目を伏せ、算盤を止める。
そして眼鏡を押し上げ、即座に次の最適解を提示した。
ルル「よろしい。では資材はオリハルコン鋼板を現地加工。輸送費を三割削減できます。」
その言葉に、横で聞いていたガンツが大きく目を見開く。
次の瞬間、豪快な笑みが顔いっぱいに広がった。
ガンツ「おおっ! そりゃいい!監督ゥ、任せな!現地で叩き上げるぞ!」
光の精霊、会計、鍛冶、現場監督。
立場も種族も違う者たちが、
同じ「工事」を前に、同じ方向を向いた瞬間だった。
――工事開始。
ゴォォォ……ギュイーン!
重低音が聖域を震わせる。
柱の周囲を取り囲むように、オリハルコン製の鋼板が次々と展開されていった。
光を帯びた金属は、まるで巨大な包帯のように地脈柱へと巻き付いていく。
同時に、空中に展開された魔導配管から、高強度魔導コンクリートが流し込まれる。
液体は脈打つように内部へ浸透し、亀裂という亀裂を埋め、内部構造と一体化していった。
現場は、もはや戦場ではない。
巨大インフラ工事そのものだった。
サトウは全体を見渡せる高台に立ち、指示用の端末を操作する。
声は張り上げない。
だが、轟音の中でも不思議と、はっきり通った。
サトウ「ここでプレストレッシングです!魔導ワイヤーを通して、あらかじめ圧縮力をかける。これで地震も衝撃も、受け止められる!」
彼の合図と同時に、柱内部へ無数の魔導ワイヤーが走る。
張力が一斉に与えられ、空間がわずかに軋んだ。
世界を支える柱そのものが、力を溜め込むかのように、低く唸る。
ガンツは作業用ゴンドラの上から、思わず空を仰いだ。
視界の先には、雲海。
さらにその上へと、工事用の足場が延々と続いている。
ガンツ「監督ゥ!!この工事、雲の上まで続いてるぞ!!」
叫びには驚きと、そして興奮が混じっていた。
普通なら絶望する高さだ。
だが彼はもう理解している。
これは“無理”な仕事ではない。“やる”仕事だ。
サトウは視線を上げる。
表情は変わらない。
しかし、その目の奥だけが、確かな熱を宿していた。
サトウ「問題ありません。高さは数字じゃない。積み重ねた経験値です。」
その言葉とともに、指示が次々と飛ぶ。
鋼板の締結。
圧縮力の再調整。
コンクリートの養生時間短縮魔法。
雷光のような速度で作業が進んでいく。
さきほどまで柱内部を覆っていた無数の亀裂は、次第に光を失い、消えていった。
そして――
柱は、新たな輝きを取り戻す。
ただの神造りの遺物ではない。
現代と異世界の技術が融合した、
“補強された世界の支柱”として。
空の歪みは収まり、
逆流していた海流は、静かに元の流れへと戻っていった。
世界に、静かな変化が訪れた。
狂っていた季節の巡りが正され、
浮ついていた大気は落ち着きを取り戻す。
重力は再び、確かな重みをもって大地に根を下ろした。
――世界が、正常に呼吸を始めた。
サトウは深く息を吐き、ゆっくりと周囲を見渡す。
崩壊の兆しに満ちていた聖域は、今や安定した構造体として静まり返っていた。
だが、その表情に安堵はない。
サトウ「……1本直しただけじゃ、意味がありません。残りの3本も、同じ病を抱えているはずです。」
それは希望ではなく、診断だった。
一箇所の補修で終わる話ではない。
この世界全体が、同じ設計思想のもとに作られている以上、問題は連鎖している。
ディアドラは一度、肩を落とす。
しかし次の瞬間、背筋を伸ばし、しっかりと前を向いた。
その瞳に宿るのは恐怖ではなく、覚悟だった。
ディアドラ「……イエス・サー、次は……もっと、過酷な現場ですね……」
ルルは間髪入れずに口を挟む。
感情を挟む余地はない。
彼女にとって、危険度は数値であり、対応条件の一つに過ぎなかった。
ルル「過酷でも構いません。ただし――収支計画は、今から立て直します。」
その言葉が終わるより早く、
低く、不吉な音が地の底から響き始める。
ゴゴゴゴ……
地脈のさらに奥深く。
光も届かぬ場所から、何かが“目覚める気配”。
次の瞬間、
柱を内側から蝕み続けていた存在――
古の崩壊神が、その巨体を現した。
姿を見せただけで、大地は震え、
空は急速に色を失い、暗転する。
世界そのものが、本能的に危険を察知していた。
サトウは拳を握りしめ、短く息を吐く。
そして、どこか諦めを含んだ苦笑を浮かべた。
サトウ「……ああ。やっぱり、家じゃなくて、世界そのものの改修工事になりましたか。」
視線の先には、
地平線の果てまで連なって立つ、残り三本の柱。
そして、それらに支えられた、広大な世界。
これはもう、部分補修ではない。
全面改修。
想定外だらけの、史上最大規模の現場。
だが――
誰一人、退こうとはしなかった。
凸凹工務店の次なる現場が、
迫り来る暗黒を押し返すように――
静かに、しかし確実に、動き出した。




