水圧1,000気圧のSOS:深海王の「水漏れ」パレス
ジャボッ……。
万博会場・最新スイートルーム。
防音・断熱・魔力遮断まで完備された特別浴室で、サトウは熱めの湯に肩まで浸かり、深く息を吐いた。
湯気が天井へと立ち上り、
昨夜までの緊張を、少しずつ溶かしていく。
サトウ「……ふぅ。」
身体の芯に残っていた疲労が、
湯と一緒に抜けていく感覚。
設計値通りの湯温。
循環も完璧。
排水音すら耳に心地いい。
――そのとき。
排水口の奥で、
プク……プク……と、水泡が浮かび始めた。
サトウ「……?」
視線を向けた瞬間、
水面が小さく盛り上がり、
そこから、ひょい、と人影が現れる。
小柄な身体。
光沢のある鱗。
透き通るような水色の髪。
人魚の特使だった。
人魚姫「お願いです!」
両手を合わせ、必死な表情。
人魚姫「深海王の宮殿が、浸水で崩壊寸前なんです……!あなたの――その『絶対に漏れない配管技術』を、どうかお貸しください!」
水滴を散らしながら、深々と頭を下げる。
サトウ「……」
一拍。
サトウ「水深……1万メートルの海底、ですか。」
湯船の縁に腕を置き、冷静に確認する。
サトウ「えーと……一級建築士の免許に、『潜水士』の資格は含まれてないんですけどね。」
困ったように笑いながらも、
拒否の色はない。
数分後。
サトウは風呂から上がり、
簡易ミーティングルームでディアドラ、ガンツ、ルルに状況を説明していた。
立体映像には、
海底宮殿の断面図と、赤く点滅する浸水ポイント。
ディアドラは腕を組み、
サトウの顔をじっと見る。
ディアドラ「……サトウ、」
ため息まじりに。
ディアドラ「行く気ですね?」
サトウは即答だった。
サトウ「ええ。」
穏やかな笑顔。
サトウ「放っておいたら、基礎からやられます。あの水圧での漏水は、“事故”じゃなくて“災害”です。」
ガンツが豪快に笑う。
ガンツ「ははっ!今度は空じゃなくて海の底か!配管材、超高圧仕様にしねえとな!」
ルルは算盤を弾き、
淡々と結論を出す。
ルル「深海対応資材、在庫あり。輸送コストは……許容範囲です。」
サトウはカタログ端末を開き、ページをめくる。
サトウ「任せてください。」
画面に映るのは、
深海用耐圧配管、自己修復バルブ、魔力逆流防止構造。
サトウ「凸凹工務店のカタログは――海の底まで、対応していますから。」
人魚姫の瞳が、ぱっと輝いた。
人魚姫「……ありがとうございます!」
夜は、静かに更けていく。
だが次の現場は、
空でも、陸でもない。
――深海一万メートル。
新たな“漏れてはいけない現場”が、
サトウを待っていた。
ゴポゴポ……。
光は、ほとんど届かない。
海底一万メートル――暗黒の海溝。
そこへ、丸みを帯びた深海作業用潜水球が、ゆっくりと降り立った。
外殻を叩くのは、水流ではない。
海そのものの重さだ。
ミシ……ミシ……と、金属が小さく悲鳴を上げる。
潜水球の中で、サトウ、ディアドラ、ガンツはそれぞれ足を踏ん張り、外の光景を見つめていた。
眼前に広がるのは、
巨大な深海王の宮殿。
真珠と珊瑚で組み上げられた壮麗な建築――
だが、その美しさは、どこか歪んでいた。
サトウは外部センサーと魔導スキャンを同時に走らせ、
表示された数値と断面図を一瞥する。
診断は、瞬時だった。
サトウ「……不等沈下」
低く、確信のある声。
サトウ「海底火山の活動で地盤が柔らかくなってます。基礎が均等に支えられていない。」
指先が動き、映像が切り替わる。
傾いた宮殿。
支点を失った部分に、赤い警告色が集中している。
サトウ「クラック。ひび割れです。」
ディアドラが息をのむ。
サトウ「傾きで石材に応力が集中して、魔法障壁が――物理的に裂けている。」
魔法で守られた宮殿。
だが、魔法は“形が保たれている”ことが前提だ。
構造そのものが歪めば、結界も耐えられない。
サトウ「水漏れ以前の問題です。」
静かだが、重い宣告。
サトウ「このままじゃ、宮殿全体が圧壊します。……要するに、ベコベコに潰れる。」
ガンツが、潜水球の内壁に手を当てる。
ミシ……。
また、嫌な音。
ガンツ「潜水球がミシミシ言ってるが……」
少しだけ声を落として。
ガンツ「大丈夫か、監督?」
サトウ「大丈夫です。」
即答。
サトウ「工事現場でも、こういう音は、よく聞きます。」
安心させるような口調。
だが、言っている内容はまったく安心できない。
そのとき。
水流を割り、
巨大な影が近づいてくる。
黄金と真珠で飾られた玉座。
そこに座すは、深海王。
威厳に満ちた声が、魔法通信で潜水球内に響いた。
深海王「伝統ある真珠の柱は、一本たりとも動かすな!」
怒りと焦りが、ない交ぜになっている。
深海王「この宮殿は、千年の誇りだ!柱を失えば、王家の威信が――」
サトウは、少しだけ黙った。
モニターに映る、
傾いた柱。
割れ始めた床。
迫り来る圧壊ライン。
そして、顔を上げる。
サトウ「……」
一拍。
サトウ「柱のために」
言葉を選ぶことなく、
真っ直ぐに。
サトウ「宮殿を潰して、どうするんですか。」
深海王の言葉が、止まる。
サトウ「伝統は、残すものです。でも――建物は、使われてこそ意味がある。」
静かに、しかし揺るがない声。
サトウ「潰れた宮殿に、誇りは残りません。」
深海の闇の中で、
真珠の柱が、かすかに軋んだ。
――そのとき。
暗黒の海溝が、
ゆっくりと、しかし確実にざわめいた。
巨大な影。
宮殿の側面に、ぬらりとした感触が這い上がる。
次の瞬間――
ブチブチッ!
ギシギシッ!
深海大王イカ。
岩場と勘違いしたのか、
その巨体が、幾本もの触腕で宮殿をがっちりと抱え込んだ。
真珠の柱が軋み、
梁が悲鳴を上げる。
建物全体に、致命的な引き裂き荷重がかかる。
深海王「な、何だこれは……!」
ディアドラ「まずい……このままじゃ――」
だが、サトウは叫ばない。
慌てない。
モニターに走る数値を一瞥し、
即座に指示を飛ばす。
サトウ「イカを傷つけずに引き離します。」
淡々と、現場監督の声。
サトウ「同時に、宮殿を浮かせます。」
ディアドラ「……サトウ」
半ば呆れ、半ば感嘆。
ディアドラ「海底でも、突貫工事?」
サトウ「ええ。沈下は待ってくれませんから。」
次の瞬間。
サトウの“リノベーション”が、容赦なく始まった。
まず――
鋼管杭の圧入。
宮殿の基礎下部から、
超高圧魔導ジャッキが展開する。
ギギギギ……ッ!
ジャッキアップと同時に、
鋼管杭が、柔らかい地盤を貫き、
さらに下――硬い岩盤へと、正確に打ち込まれていく。
サトウ「杭、一本ずつ調整。傾き修正、プラス2ミリ……そこで止めて。」
宮殿が、
ほんのわずかに、だが確実に――起き上がる。
続いて。
宮殿の外周に、
無数の光点が展開した。
特殊水中硬化コンクリート。
しかも――自己修復機能付き。
流動体は、
宮殿を包み込むように広がり、
六角形の面を次々と形成する。
透明な、
耐圧ジオデシック・ドーム。
深海の闇の中で、
それは静かに完成していった。
ガンツ「監督!」
水圧に負けじと叫ぶ。
ガンツ「ドームの継ぎ目に、何を詰めるんだ?」
サトウ「深海魚の鱗加工・魔導シーリング材です。」
即答。
サトウ「圧力差でも、魔力流でも、逃げ場を与えません。水漏れゼロです。」
チュポッ……
ギュッ……。
継ぎ目が埋まり、
内部と外部の圧力が、完全に遮断される。
同時に、
ドーム外周から発生した微弱な魔導振動が、
大王イカの触腕をそっと引き剥がした。
傷つけない。
驚かせない。
ただ、「ここは岩じゃない」と教えるように。
巨大な影は、
名残惜しそうに、深海の闇へと去っていった。
――そして。
ジャバァ……。
最後の浸水が止まり、
宮殿内部に、ゆっくりと空気が戻る。
泡が消え、
音が、変わる。
水音ではない。
空間が呼吸を取り戻した音。
深海王は、呆然と周囲を見渡した。
深海王「……戻った……」
傾きは修正され、
柱は支えられ、
宮殿は――生き延びている。
サトウは、モニターを閉じ、静かに言った。
サトウ「応急じゃありません。これで、千年は持ちます。」
ディアドラは小さく笑った。
ディアドラ「……やっぱり」
ガンツは豪快に頷く。
ガンツ「深海だろうが、現場は現場ってわけだ!」
暗黒の海溝で、
真珠の宮殿は、再び安定した光を放っていた。
ここは戦場ではない。
ここもまた――
現場だ。
深海王は、ゆっくりと玉座から身を起こした。
安定した床を、確かめるように一歩踏みしめる。
軋みはない。
揺れもない。
千年の宮殿は、確かに“立ち直って”いた。
深海王「これで……」
重々しく、しかし晴れやかな声。
深海王「これで、地上人と安心して外交できます。」
深海という過酷な環境に守られた王国。
だが同時に、それは孤立でもあった。
サトウはヘルメットを抱え、軽く頭を下げる。
サトウ「凸凹工務店では」
穏やかな笑み。
サトウ「建物を守ることが、外交の第一歩だと考えています。」
安心して集まれる場所がある。
壊れないと信じられる空間がある。
それだけで、人は――種族は、向き合える。
人魚姫が、サトウの前まで泳ぎ出てきた。
瞳は潤み、尾びれが小さく揺れている。
人魚姫「サトウ……!」
声が震える。
人魚姫「本当に……本当に、ありがとうございました!」
深々と頭を下げるその姿に、
サトウは少し照れたように頬をかいた。
サトウ「いえ。水が漏れたら、直す。傾いたら、支える。」
いつもの調子。
サトウ「それが、現場ですから。」
やがて、潜水艇はゆっくりと宮殿を離れ、
再び深海の闇へと滑り込んでいく。
外では、
補強された宮殿が、透明なドーム越しに静かに輝いていた。
深海の闇を抜けながら、
潜水艇の中で、サトウはふと独り言のように呟く。
サトウ「次は……」
モニターに映る地形データ。
海底と大陸、その間に横たわる、深く長い溝。
サトウ「海底トンネルで、陸と深海を繋ぐ工事ですかね……」
ディアドラが、ゆっくりと振り返る。
ディアドラ「サトウ……」
嫌な予感を隠さずに。
ディアドラ「工期は、何年になるつもりですか?」
サトウは少し考え、
そして――いつもの顔で答えた。
サトウ「想定外がなければ、十年。想定外が来たら……そのとき考えます。」
ガンツが、腹の底から笑う。
ガンツ「ははっ!聞いたか!“そのとき考える”だとよ!」
ルルは算盤を弾き、静かに頷いた。
ルル「……資金計画、今から組み直します。」
その瞬間。
ギュオォォ……。
潜水艇のエンジン音が、
深海の闇を切り裂く。
光の届かぬ世界で、
だが確実に――
凸凹工務店の次なる挑戦が、
静かに、しかし力強く、浮かび上がっていた。




