聖域の防衛ライン:欠陥破壊と、一級建築士の逆密室
万博開催前夜――。
荒野を渡る夜風は、昼間の熱をすっかり奪い去り、金属の肌を舐めるように冷たく吹き抜けていた。
天穹には雲一つなく、無数の星々が零れ落ちそうなほど密集し、まるで世界そのものを見下ろす監視者のように瞬いている。
巨大なメインパビリオン。
昼間は祝祭の象徴として燦然と輝くその建造物も、今は闇に沈み、黒い巨獣の死骸のように静まり返っていた。
鋼と魔導ガラスで構成された外壁は月光を鈍く反射し、無言の圧力を周囲に放っている。
その威容の影――
人目につかぬ死角を縫うように、数体の影が音もなく滑り込んだ。
砂利を踏む音すら殺し、呼吸さえ抑えた動き。
彼らは荒野に紛れるための暗色装束に身を包み、顔の輪郭すら夜に溶け込ませている。
工作員A「……これさえ壊せば、平和会談は台無しだ。」
吐息に近い、低く押し殺した声。
その言葉には迷いも躊躇もなく、長年、破壊だけを仕事としてきた者特有の冷えた確信があった。
工作員B「各国の代表が集まる初日……混乱は最大になる。責任のなすりつけ合いで、戦争の火種は十分だ。」
短く頷きながら、工作員Bは腰の装置に手を伸ばす。
複雑な魔導回路が組み込まれた破壊用ユニット。
それを見つめる彼の瞳には、使命感という名の歪んだ高揚が宿っていた。
工作員C「警備は? 万博だぞ。さすがに厳重だろう。」
工作員A「問題ない。結界も警備動線も、事前に把握済みだ。」
そう言い切る声音には、慢心が混じっていた。
彼らは“見えている脅威”しか想定していない。
魔導兵、結界、巡回――そのすべてをすり抜ける算段は、すでに頭の中で完成していた。
――だが。
彼らは、まだ知らなかった。
巨大パビリオンの構造材そのものに組み込まれ、
地面に埋設された魔導ケーブルの一本一本に至るまで張り巡らされた、
サトウ設計・魔力感知センサーネットワークの存在を。
それは侵入者を“見張る”ものではない。
呼吸の揺らぎ、体温の微細な変化、
そして――悪意を伴う魔力の歪みそのものを、静かに拾い上げる装置だった。
床下、壁の内側、梁の奥――
人の目が決して届かぬ場所に、微かに発光する魔法回路が走っていた。
それは後付けの装置ではない。
石材の継ぎ目に溶け込み、鉄骨の内側に沿い、
まるで血管のように――建築そのものと一体化して脈動している。
空気の揺らぎ。
人が息を吸い、吐く、そのわずかな圧力差。
床を伝う微振動。
体重移動によって生じる、意識されることのない振れ。
魔力の、ほんの僅かな偏差。
本人ですら気づかぬ、感情と殺意に伴う歪み。
それらすべてが、
数値として瞬時に変換され、
“正常”という基準線から外れた瞬間――
即座に異常として浮かび上がる。
屋上。
高所特有の冷たい夜風が、コートの裾を揺らし、
遠くで荒野の砂が鳴く音がかすかに届く。
サトウは白いヘルメットを指先で少し押し上げ、
宙に展開された半透明のモニターへと視線を落とした。
幾何学的に分割された建物断面図。
その内部で、赤い点が規則正しく、しかし確かに明滅している。
侵入経路。
人数。
移動速度。
迷いのない足取り。
サトウ「……はい。不法侵入、検知。」
淡々とした声。
そこに驚きはない。
あるのは、設計通りに機能しているという静かな確信だけだ。
サトウ「建物の健康状態を常時モニタリングしていれば、こういうのは一発ですね。人間だって、異物が入ればすぐ“違和感”を覚えるでしょう?」
建築を、生き物のように語るその言葉。
サトウにとって、構造物とは単なる箱ではない。
環境を守り、使う者を選び、異常を拒む――ひとつの“存在”だった。
その横で、ディアドラは腕を組んだまま、夜空を仰いでいた。
月光を映す金色の瞳は冷え切り、
その横顔には、戦場で数え切れぬ夜を越えてきた者の緊張感が宿っている。
ディアドラ「見えない守りも、建築士の仕事の一部。」
低く、断定的な口調。
そこに感情はない。
ただ、当然の理として語っているだけだった。
ディアドラ「空間を“使わせる”前に、“守る”。……当然の話ね。」
彼女は視線をモニターへ戻し、赤い点の動きを正確に追う。
ディアドラ「侵入者は六。目的は中枢設備。動きに躊躇がない……プロね。」
サトウ「でしょうね。だからこそ――」
指先が、宙に浮かぶ操作パネルを軽く弾く。
サトウ「“人を止める罠”じゃなく、“建物が拒否する構造”にしてある。」
次の瞬間、
建物内部の通路構成が、静かに、しかし確実に変化を始めた。
ボゴォンッ!!
ズシンッ!!
暗闇を引き裂く轟音が、夜気を震わせた。
爆裂魔法が解き放たれ、柱の一角へと叩き込まれる。
瞬間、光と衝撃が炸裂し、
衝突点を中心に、衝撃波がリング状に広がった。
床を伝う振動。
骨を叩くような重低音。
空間を満たす、焦げた魔力と粉塵の匂い。
舞い上がった埃が、照明の残光を乱反射させ、
パビリオン内部は一瞬、視界を失う。
建物全体が――
わずかに、だが確かに軋んだ。
梁が唸り、
接合部が悲鳴を上げる。
だが。
屋上に立つサトウは、一切慌てなかった。
身体は微動だにせず、
ただモニターに流れ落ちる数値の列を一瞥する。
振動波形。
応力分布。
共振係数。
想定値――範囲内。
サトウ「異常振動、想定内。」
淡々と、現場監督の声。
サトウ「補強ジャッキ起動……ガンツ、下から支えられますか。」
指先が宙の操作盤をなぞると、
建物深部で低い駆動音が連鎖的に鳴り始める。
床下。
基礎部。
格納されていた魔導補強ジャッキが展開し、
地盤に向かって、力強く“踏ん張る”。
通信越しに、低く太い声が返ってきた。
ガンツ「……監督ゥ!」
少し呆れたようで、
だがどこか楽しそうな響き。
ガンツ「まったく、また力業を想定した設計ですかい!――だが、嫌いじゃねえ!」
直後、別回線が割り込む。
冷静で、感情の揺らぎが一切ない声。
ルル「監督。今の衝撃、保険適用範囲内です。」
モニターの片隅に、即座に試算結果が表示される。
破損率、修繕想定、予算影響。
すべて、緑。
ルル「想定荷重オーバーではありません。――修繕費、予算内で収まります。」
サトウ「了解です。ありがとうございます。」
感謝の言葉すら、業務連絡の延長線上。
そこには恐怖も、焦燥も存在しない。
そのやり取りを横で聞きながら、
ディアドラが小さく息を吐いた。
ディアドラ「……数字まで即答」
金色の瞳が、モニターの赤点と数値を交互に追う。
ディアドラ「本当に、敵に回したくないわね。」
爆裂魔法の余波は、なおもパビリオン内部を震わせている。
天井から、細かな粉塵がはらはらと落ちる。
だが――
致命的な崩壊音は、どこにも響かない。
柱は、砕けない。
床も、割れない。
代わりに、
建物全体が、まるで巨大な生き物のようにしなやかに揺れ、
衝撃を内部へ逃がし、
地面へと受け流していく。
それは、偶然ではない。
奇跡でもない。
――最初から、壊される前提で組まれた設計だった。
サトウはモニターから視線を外すことなく、
ただ静かに告げた。
サトウ「そこは免震ダンパーと、ハニカム構造パネルです。」
指先が動き、
断面図が拡大表示される。
六角形が連なった内部構造。
衝撃伝播ラインが、蜘蛛の巣のように分岐していく。
サトウ「衝撃を一点に集中させず、全体に分散する設計なので。――“壊す力”ほど、きれいに逃げていきます。」
その声は淡々としていて、
まるで天候を説明するかのようだった。
一方、現場。
工作員たちは、呆然と柱を見上げていた。
爆裂魔法が直撃したはずの箇所。
そこには、抉れた痕も、崩れ落ちた瓦礫もない。
あるのは、
わずかに歪み、
ゆっくりと元の形へ戻っていく外装パネルだけ。
工作員B「……え?」
声が、震える。
工作員B「消えた……?いや……吸収……されてる……?」
目を凝らしても、破壊の“結果”が見当たらない。
自分たちが放ったはずの破壊が、どこへ行ったのか――
理解できない。
工作員C「魔法が……」
掠れた声。
工作員C「建物に……いなされてる……!」
それは、防御ではない。
反射でも、無効化でもない。
――受け流し。
柔構造。
壊れないのではない。
壊れ方を、制御している。
力を正面から拒まない。
受け止め、ほどき、
全体へ散らして消す。
その思想を理解できず、
工作員たちの呼吸は乱れ、
足取りが、目に見えて鈍っていく。
破壊すれば崩れる。
それが、彼らの常識だった。
だが今、
その常識は、
静かに、音もなく――
踏み外されていた。
――そのとき。
侵入者たちの中から、
一人の男が、静かに前へ出た。
足取りに焦りはない。
呼吸も乱れていない。
元職人の魔導師。
破壊ではなく、構造を読む側にいた男――敵のリーダー。
彼の瞳に宿っていたのは、恐怖ではなかった。
冷えた、研ぎ澄まされた解析の目。
リーダー「……なるほど」
低く、納得を含んだ声。
リーダー「柔構造。衝撃分散。フェーズドダンパー……確かに、見事だ。」
ゆっくりと視線を走らせ、
梁、壁、床、接合部――
建築の“弱点になり得る箇所”を一つずつなぞっていく。
リーダー「だが――」
口角が、わずかに上がった。
リーダー「構造物に“完璧”はない。」
彼の視線が、
梁と壁の取り合いへと、ぴたりと定まる。
本来、応力が集中する――
いや、“集中するはずだと信じたくなる”一点。
リーダー「ここだ……!」
魔力が、彼の周囲に集束する。
空気が震え、
発動直前の圧が、空間を押し潰す。
リーダー「ここを一気に――」
――その瞬間。
ピタリ、と。
なぜか、彼の動きが止まった。
視界の端。
モニター越しではない。
まるで目の前にいるかのように、脳裏に焼き付く“顔”。
異様なほど、落ち着いた男の表情。
サトウ「そこですね。」
静かな声。
確信に満ちた声。
サトウ「あえて壊れることで、全体を守る――フェイルセーフ部位です。」
理解した瞬間、
リーダーの背筋を、冷たいものが走った。
次の瞬間――
カシャッ!!
バタンッ!!
乾いた、無機質な機械音。
“弱点”だと思われた壁が、
抵抗することなく――
設計通りに崩落した。
同時に。
天井。
床。
開口部。
あらゆる境界から、
防火シャッター――いや、魔導防壁が高速で降下する。
重く、鋭く、迷いなく。
一瞬で、
空間が切り取られた。
工作員たち「うわあああ!!」
混乱の叫び。
工作員たち「閉じ込められた!?」
逃げ場はない。
壁は厚く、
防壁は完全に独立した魔導回路で制御されている。
破壊するには、
“もう一棟分”の労力が必要だった。
屋上。
モニターを確認しながら、
ルルが淡々と告げる。
ルル「隔離完了。封鎖区画、追加費用ゼロ。」
一拍置いて、
わずかに声音が和らぐ。
ルル「……優秀です、監督。」
その横で、ディアドラは目を細め、
胸の内でそっと呟いた。
ディアドラ(……壊される前提で、守る設計)
赤点が、完全に静止しているのを見つめながら。
ディアドラ(もう完全に……“監督”の発想ね……)
館内放送。
柔らかく整えられた音声が、
隔離区画の天井スピーカーから、等間隔で流れ落ちる。
サトウ「その区画は高強度アラミド繊維で補強済みです。」
声は淡々としており、
そこに勝ち誇る響きは一切ない。
サトウ「ドラゴンの咆哮でも破れません。抵抗は無意味なので――投降を、推奨します。」
直後。
換気ダクトの奥で、
小さな制御音が鳴った。
無色透明の霧が、
ゆっくりと、しかし確実に流れ出す。
強力な睡眠香。
戦闘用ではない。
殺さない。壊さない。
“眠らせる”ためだけに調整された、安全域ぎりぎりの濃度。
工作員たち「……っ……」
抗おうとした者も、
壁を叩こうとした者も、
数秒と持たず――
工作員たち「……Zzz……」
次々と、床に崩れ落ちた。
叫びも、破壊音もない。
ただ、夜の静寂だけが、再び館内を満たす。
――そして、翌朝。
万博会場は、
何事もなかったかのように整っていた。
割れた床もない。
焦げた壁もない。
昨夜の出来事を示す痕跡は、どこにも残っていない。
朝日を浴び、
メインパビリオンは穏やかに輝いている。
魔王はゆっくりと歩き、
深く息を吸い込んだ。
魔王「ほう……」
低く、感心したような声。
魔王「落ち着くな。戦場より、よほど心が澄む」
その隣で、聖王が携えた計測具を確認する。
振動値。
魔力残留。
結界負荷。
すべてが、理想的な数値を示していた。
聖王「振動、魔力、結界値……すべて正常――」
視線を上げ、
はっきりと言い切る。
聖王「見事な施工だ。」
その言葉を受け、
サトウはヘルメットを胸に抱え、静かに一礼した。
サトウ「ありがとうございます。」
謙虚で、実務的な所作。
サトウ「守られていることに気づかれない――それが、いい建築ですから。」
防御を誇示しない。
威圧もしない。
ただ、そこに“安心”だけを置く。
その横で、腕を組んだディアドラが、ぼそりと呟く。
ディアドラ「……次は、植栽で死角を潰す?」
冗談めかした口調だが、
その内容は本気だった。
サトウは少し考え、頷く。
サトウ「ええ。監視されていると感じさせない方が、平和です。」
少し離れた場所。
算盤を弾きながら、
ルルが小さく頷いた。
ルル「その案、維持費も安いですね。」
一拍。
ルル「採用です。」
誰も知らない。
誰も気づかない。
夜も、
戦いも、
すべては、
何もなかったかのように終わった。
ここは、戦場ではない。
現場だ。
そして、この現場を支配しているのは――
剣でも、魔法でも、権力でもない。
一級建築士にして、現場監督。
佐藤健。
――その人だった。




