地獄の厨房をシステムキッチンに変えよ
魔王城の地下。
そこは一応、「厨房」と呼ばれてはいるらしい。
――だが、佐藤健の目には、完全に災害現場にしか見えなかった。
階段を降りた瞬間、視界が一気に白く染まる。
煙だ。湯気ではない。明らかに油と何か焦げたものが混じった、不健康極まりない白煙。
鼻腔を突く、重く粘ついた臭い。
獣脂、焦げ、腐敗寸前の肉――換気という概念が存在しない空間特有の、肺に張りつく空気だった。
サトウ「……ここで火、使ってんのか。」
思わず独り言が漏れる。
天井は低く、煤で真っ黒。
本来なら排気用に使われるはずの穴は、用途不明の骨飾りで塞がれている。
サトウ(ダメだろ、それ……完全にダメだろ……。)
視界の奥で、巨大な影が動いた。
筋肉の塊のようなトロールが、腰ほどもある釜の前に立っている。
釜というより、どう見ても鉄の桶だ。取っ手も排出口もない。
トロールはそれを、素手でかき混ぜていた。
ぶくぶくと泡立つ赤黒い液体。
中身は……考えない方がいい。
トロール「オオ……今日のメニューは“肉”だ。」
満足そうな声。
だが、説明になっていない。
ゴブリンA「……昨日も肉だったよな?」
ゴブリンB「一昨日も肉だった気がするぞ……。」
小柄なゴブリンたちが、咳き込みながら皿を運んでいる。
皿といっても、欠けた石板のような代物だ。
油で滑り、持つ手が危なっかしい。
佐藤は、無言で周囲を見回した。
床は滑る。
排水なし。
火元のすぐ横に可燃物の山。
サトウ(……三秒で是正命令出るレベルだ。)
壁際には、生肉が直置きされている。
しかも床から近い。いや、ほぼ床だ。
サトウ「……なあ」
佐藤が声をかけると、ゴブリンたちがびくっと肩を震わせた。
ゴブリンA「ひっ!?に、人間だ!」
サトウ「落ち着け。怒ってない。」
そう言いながらも、佐藤の視線は止まらない。
火、煙、床、天井――チェックが止まらない。
サトウ「聞くけどさ。この煙、どこから外に出てる?」
ゴブリンたちが顔を見合わせる。
ゴブリンB「え?えーっと……出てない?」
サトウ「だよな」
佐藤は、額を押さえた。
サトウ「ここ、酸欠になるぞ。下手したら全員倒れる。」
トロールが首をかしげる。
トロール「オオ?いつも眠くなるが……それが美味さの秘訣では?」
サトウ「違う。それは危険信号だ。」
その一言で、厨房が静まった。
誰も反論しない。
だが誰も理解していない顔だ。
佐藤は、深く息を吸おうとして――やめた。
この空気をこれ以上肺に入れたくない。
サトウ「……まず、火を止める。」
現場監督としての声だった。
サトウ「全員、一旦外出ろ。換気が先。飯はそのあとだ。」
ゴブリンたちが戸惑いながらも、皿を置く。
トロールは名残惜しそうに桶を見つめた。
トロール「オオ……肉が……」
サトウ「死んでから食う肉は、うまくないぞ。」
トロールは、それで納得したらしい。
ゆっくりと火から離れた。
白煙が漂う厨房の中央で、佐藤は一人、立ち尽くす。
サトウ(……魔王城以前に、まず労災ゼロからだな。)
彼の脳内で、
改修リストの第一項目が、静かに確定した。
――《地下厨房:使用禁止。即時是正》。
佐藤は、迷わなかった。
視界が、再び切り替わる。
現実の風景の上に、赤と黄色の線が重なり、数値と警告表示が溢れ出した。
【建築聖眼】
サトウ「……換気、ゼロ。」
天井を見上げる。
排気経路は存在しない。煙は逃げ場を失い、ただ溜まるだけだ。
サトウ「排水、逆流してる。」
床を示す。
汚水が本来とは逆方向に流れ、釜の下へと集まっている。
サトウ「水は井戸水だな。しかも――」
赤い警告が点滅する。
サトウ「スライム混入。常在菌レベルじゃない。」
佐藤は、きっぱりと言い切った。
サトウ「――ここは戦場じゃない。食中毒の温床だ。」
その言葉に、空気がざわつく。
ディアドラ「魔族は頑丈だ!この程度、問題ない!」
胸を張り、誇らしげに言うディアドラ。
確かに彼女の身体には傷一つない。
だが――
佐藤は、一切ひるまなかった。
サトウ「頑丈かどうかの話じゃない。」
即答だった。
サトウ「うまい飯が出ない城に、未来はない。」
厨房が、静まり返る。
トロールも、ゴブリンも、ディアドラですら言葉を失う。
それは、誰も反論できない真理だった。
沈黙を破ったのは、巨大なトロール――料理長バグだった。
彼は困ったように頭を掻き、桶の縁を指で叩く。
バグ「師匠……じゃなかった。サトウ。どうすれば……?」
その呼び方に、佐藤は一瞬だけ眉をひそめ――すぐに切り替えた。
答えは、最初から決まっている。
サトウ「全部、替える。」
一言。
逃げも妥協もない。
佐藤は、空中に手を伸ばす。
光の画面が展開された。
【異世界マテリアル・カタログ】
ページが次々と切り替わる。
サトウ「まず換気。強制排気ダクトと吸気口。」
指が止まらない。
サトウ「床は全部剥がす。防水層からやり直し。排水は一方向。」
ゴブリンたちが、ごくりと喉を鳴らす。
サトウ「水源は分離。飲料用と洗浄用を一緒にするな。」
料理長バグの目が、徐々に輝き始めた。
バグ「……うまい飯が……作れるのか?」
サトウ「ああ。」
佐藤は、即答した。
サトウ「煙で目をやられず、床で滑らず、腹壊さない厨房だ。」
そして、最後に付け加える。
サトウ「料理に集中できる環境を作る。それが一番うまい。」
バグは、ゆっくりと拳を握りしめた。
バグ「……やる。」
トロールの太い声に、決意が宿る。
佐藤はカタログを閉じ、全員を見回した。
サトウ「今日からここは工事区画だ。立入禁止。」
現場監督の声。
サトウ「飯は――仮設で作る。」
その瞬間。
魔王城の地下厨房は、戦場から――
再生の現場へと、その役割を変えた。
巨大な業務用レンジフードが天井に据え付けられた瞬間、空気が変わった。
白煙は立ち上ったそばから吸い込まれ、視界を塞いでいた靄は一瞬で消える。
重く淀んでいた油臭さも、まるで最初から存在しなかったかのように消失した。
サトウ「よし。換気、問題なし。」
その下には、一直線に並ぶステンレス製のシステムキッチン。
継ぎ目のない天板が照明を反射し、地下とは思えないほど明るい。
魔族たちは、恐る恐る近づいた。
最後に設置されたのは、炎の見えない調理台。
黒い天板の下で、均一な熱が制御されている。
サトウ「これで火を使わずに加熱できる。」
誰もが首をかしげる中、バグがそっと指を伸ばす。
バグ「……ボタン……押すだけ……?」
サトウ「そう。」
佐藤はうなずいた。
サトウ「強火も弱火も、勝手に安定する。失敗しない。」
トロールの料理長は、信じられないものを見る目で、調理台を見つめていた。
さらに――
佐藤がシンクの前に立ち、蛇口をひねる。
さらさらと、澄んだ水が流れ出した。
音に、ゴブリンたちが一斉に息を呑む。
ゴブリンA「み……水が……。」
ゴブリンB「止まらない……?」
サトウ「飲料用だ。好きなだけ使え。」
その一言で、ゴブリンたちの肩が震えた。
水は、汲みに行くもの。
水は、分け合うもの。
水は、時に奪い合うもの。
それが――出てくる。
次は清掃だった。
床も壁も、天井も。
何百年分かも分からない油汚れが、こびりついている。
佐藤は無言で、白いスポンジを手に取った。
ひと拭き。
黒ずみが、するりと落ちる。
もうひと拭き。
石の色が、元に戻る。
ディアドラ「……浄化魔法……!?」
サトウ「掃除用具だ。」
即答だった。
洗剤と水で、汚れは落ちる。
理屈は簡単だ。
魔族たちは、呆然とその光景を見守った。
やがて――
厨房は完成した。
煙はなく、床は滑らず、空気は軽い。
そこはもはや地下ではなく、働くための場所だった。
バグは、新しい調理台の前に立つ。
フライパンを振り、火力を確かめ、具材を投入する。
均一な熱。
余計な焦げは出ない。
仕上がったのは――黄金色のチャーハンだった。
湯気は立つが、煙は出ない。
米は一粒一粒が立ち、油は軽い。
皿に盛られ、玉座の間へ運ばれる。
魔王ゼノンは、無言でスプーンを取った。
ひと口。
そして――止まった。
咀嚼する動きすら、忘れたように。
ゼノン「……私は……」
声が、震える。
ゼノン「五百年間……何を……食べていたのだ……。」
そのまま、ぽろりと涙が落ちた。
玉座の間に、誰も声を出せなかった。
佐藤は、その様子を少し離れた場所から見て、静かに息を吐く。
サトウ(……環境が変われば、人生も変わる。)
それは現場で、何度も見てきた光景だった。
翌日。
魔王城地下に新設された食堂は、朝から異様な熱気に包まれていた。
いや、正確に言えば――快適すぎる熱気だ。
煙はない。
油の匂いもない。
床は乾いており、空気は軽い。
その中央に、長蛇の列。
トロール、ゴブリン、獣人、角を持つ魔族たちが、誰一人文句を言わず、整然と並んでいる。
それ自体が、すでに異常事態だった。
ディアドラ「並べ!横入りは禁止だ!」
張りのある声が響く。
赤髪の女騎士――ディアドラは、なぜか食堂の入口に立ち、腕を組んでいた。
鎧は外し、動きやすい作業着姿。
視線は鋭く、だが怒気はない。
ディアドラ「一列!二列目は壁沿いだ!通路を塞ぐな!」
その姿は、もはや騎士というより――交通整理係だった。
しかも、やたらと板についている。
ゴブリンA「す、すみません!列、乱れました!」
ディアドラ「気にするな。戻ればいい」
淡々と、しかし公平に裁く。
その光景を少し離れた場所から眺めながら、佐藤健は壁にもたれていた。
白いヘルメットを軽く押さえ、列の流れを確認する。
滞留なし。
衝突なし。
配膳動線も、問題ない。
サトウ「……悪くないな。」
ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟く。
整った環境は、人の動きを変える。
怒号が消え、無言の我慢が減り、自然とルールが生まれる。
それは、彼が現場で何度も見てきた光景だった。
魔族たちは並び、待ち、笑い、飯を受け取っている。
誰も剣を抜かない。
怒鳴らない。
ほんの一日前までは、考えられなかった光景だ。
サトウ「……現場って、こういうものなんだな。」
小さく呟き、少しだけ口元を緩める。
大げさな拍手も、感謝の言葉もない。
だが――ちゃんと回っている。
それでいい。
佐藤健は、静かにうなずいた。
確かな手応えを、胸の奥に感じながら。
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