天空の城は「欠陥住宅」? 浮遊石の経年劣化を食い止めろ
ゴトッ――。
鈍く、重たい音が、
凸凹工務店の屋上に響いた。
昼下がりの空気を切り裂くように、
一つの影が転がり込んでくる。
それは――
翼を持つ鳥人だった。
羽毛はところどころ剥げ落ち、
白かったであろう翼は煤と血で黒ずんでいる。
必死に広げようとした翼は、もはや揚力を失い、
彼の身体を守ることなく、力なく地面に広がっていた。
息は荒く、喉を鳴らすたびに、
空気が笛のような音を立てて漏れる。
鳥人は、震える手で屋上のコンクリートを掴み、
顔を上げた。
鳥人「お……お願いです……!」
声はかすれ、
それでも必死に、言葉を紡ぐ。
鳥人「天空都市ラピュスが……!このままでは……落ちてしまいます……!」
その言葉に、
現場に流れていた日常の空気が、ぴたりと止まった。
サトウは、
無意識にヘルメットのつばを押さえ、
眉間に深い皺を刻む。
それは驚きよりも、
即座に頭の中で計算が始まった証だった。
サトウ「……天空都市、ですか。」
彼は鳥人から視線を外し、
空を見上げる。
遥か上空――
肉眼では見えないはずの場所を、
まるで図面を見るかのような目で。
サトウ「高度一万メートル。数千年稼働。……それで、魔法の出力が落ちた、と。」
独り言のようでいて、
すでに半分は診断だった。
その横で、
ディアドラが一歩前に出る。
燃えるような赤髪を揺らし、
額に手を当てたまま、
鋭い金色の瞳で空を射抜く。
ディアドラ「……魔法だけが原因とは、思えません。」
低く、落ち着いた声。
かつて突撃隊を率いていた者の、
状況判断の速さがにじむ。
ディアドラ「数千年浮いている構造体です。素材も、接合部も、限界を迎えていてもおかしくない。」
彼女は静かに、結論へ辿り着く。
ディアドラ「……構造体そのものの劣化。物理的な問題ではありませんか?」
鳥人の瞳が、
驚きに見開かれた。
鳥人「そ、その通りです……!」
声が裏返る。
否定される覚悟で来た答えを、
一瞬で言い当てられたのだ。
鳥人「浮遊石の出力が、年々落ちています!高度は少しずつ下がり……もう、祈りではどうにも……!」
彼は歯を食いしばり、
最後の言葉を絞り出す。
鳥人「このままでは……天空都市が、聖王国の王都に……!」
沈黙。
風が、
屋上を吹き抜ける。
サトウは、ゆっくりと息を吐いた。
サトウ「……分かりました。」
その一言には、
迷いも、恐れもなかった。
振り返り、
隣に立つ二人を見る。
ガンツはすでに、
腕を組み、空を睨みつけている。
職人の勘が、
“厄介な現場”の匂いを嗅ぎ取っていた。
ディアドラは、
静かに頷いた。
サトウ「行きましょう。現地を見ないと、話になりません。」
数十分後――。
魔導気球は、
雲を突き抜け、上昇していた。
足元で、
大地がゆっくりと遠ざかる。
ガンツ「……ちっ。空の現場なんて、相変わらずろくな予感がしねえな。」
ディアドラは、
風に髪をなびかせながら、
すでに前方を見据えている。
その視線の先――
雲の向こうに、
白く輝く影が、
ゆっくりと姿を現し始めていた。
それが、
天空都市ラピュスだった。
美しく、
そして――
どこか、危ういほどに。
白亜の都市は、確かに美しかった。
雲海の上に浮かぶその姿は、神話に描かれる理想郷そのものだ。
――だが。
近づくにつれ、その幻想は無残に剥がれ落ちていく。
純白の外壁には、蜘蛛の巣のような巨大なひび割れが走り、
ところどころでは、砕けた石材が空へと粉雪のように舞い散っていた。
足元の石畳が、わずかに――だが確実に、軋んでいる。
ルルは、丸眼鏡の奥で視線を走らせ、
手にした魔法の算盤を、静かに弾く。
ルル「……監督。先に言っておきますが、これは“浪漫的な魔法トラブル”ではありません。」
サトウは都市の外壁に手を当て、眉間に深い皺を刻んだ。
サトウ「……はい。原因、はっきりしました。これは完全に“物理”の問題ですね。」
その言葉を聞いた瞬間、
ルルの算盤が、カチリ、と止まる。
ルル「でしょうね。高度一万メートル、稼働年数・数千年。しかも定期補修の記録なし……数字が悲鳴を上げています。」
彼女は壁面の亀裂を一瞥し、即座に結論を叩きつけた。
ルル「第一要因。高層圏の激しい気温差と降雨による――【爆裂現象】。石材内部の魔力伝導体が錆び、膨張。内側から、じわじわと破壊されています。」
算盤が、再び鳴る。
ルル「第二要因。後付けの石造建築が多すぎる。」
視線は、都市の中央に林立する豪奢な尖塔群へ。
ルル「積載重量、完全にオーバーです。浮遊石の出力低下と釣り合っていません。」
淡々と、だが容赦なく。
ルル「要するに――『老朽化した基礎に、無計画な増築を重ねた結果』です。」
ディアドラは、その冷静すぎる分析に、思わず息を呑んだ。
ディアドラ「……この状態で、今まで落ちなかった方が、奇跡ですね……」
ルルは小さく肩をすくめる。
ルル「奇跡は、帳簿に載りません。そして――奇跡に頼った都市は、必ず破綻します。」
丸眼鏡の奥で、鋭い光が宿る。
ルル「監督。修繕案を出す前に、確認します。」
彼女は、算盤を軽く掲げた。
ルル「この都市――“予算”を理解する覚悟は、ありますか?」
白亜の都市は、静かに軋みながら、
その答えを待っていた。
その時、
ゴゴゴゴゴ……。
低く、腹の底に響くような不吉な振動が、都市全体を揺さぶった。
白亜の街路の一角が、耐えきれず――崩れる。
石材が悲鳴を上げ、
尖塔の先端が、ゆっくりと傾き、
そして――
都市は、はっきりと「落ち始めた」。
「きゃああああっ!」
天空の民たちが地面に伏し、翼を抱き、必死に祈りを捧げる。
雲海が、目に見えて近づいてくる。
その混乱の中心で、
サトウは一歩前に出て、腹の底から声を張り上げた。
サトウ「祈るのは後です!今すぐ、重い装飾品を撤去!それからこの主支柱――仮固定してください!!」
その瞬間。
カツン、と乾いた音。
サトウの横で、
ルルの算盤が、迷いなく鳴った。
ルル「――聞きましたね、皆さん。今から捨てるのは“信仰心”ではありません。“重量オーバーの装飾品”です。」
祈っていた天空の民が、思わず顔を上げる。
ルル「金箔の尖塔、彫像三基、祭壇上部の飾り石。撤去すれば――即座に、総重量が一二%落ちます。」
冷静。
あまりにも冷静。
ルル「今落ちるか、三分稼ぐか。選びなさい。」
その一言で、都市が動いた。
サトウは【異世界マテリアル・カタログ】を展開する。
魔導文字が宙に踊り、資材名が高速で流れていく。
高強度カーボンファイバー・テザー
軽量アルミ合金トラス材
その瞬間――
ルルの手が、スッと伸びた。
無言で、カタログのページを押さえる。
ルル「……監督」
眼鏡の奥の視線が、鋭く光る。
ルル「その二つ。今この高度で召喚すると、輸送補正と緊急係数込みで――」
算盤が、弾ける。
ルル「通常価格の一・五倍です。」
ガンツが、引きつった顔で叫ぶ。
ガンツ「……監督ゥ!?これを……この高度で組めってんですか!?」
サトウは、いつもの“現場の顔”で微笑んだ。
サトウ「ええ。高さ一万メートルでも、現場は現場です。」
だが、その言葉を――
ルルが、容赦なく切る。
ルル「訂正します。」
サトウが、ちらりと横を見る。
ルル「カーボンファイバーは却下。代替案――ドワーフ規格・旧型ワイヤーを使用。性能は九割、価格は半分です。」
彼女は一歩前に出る。
ルル「アルミトラスは使用可。ただし本数は最小限。仮固定です、恒久構造にする予算はありません。」
そして、静かに告げた。
ルル「――落ちたら、工事費も回収できませんから。」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、
サトウは大きく笑った。
サトウ「了解。じゃあ、その条件で――。」
彼は拳を握る。
サトウ「凸凹工務店、いつも通りでいきましょう!」
決死の突貫工事が、始まった。
雲海を切り裂く烈風。
高度一万メートルの薄い空気が、肺を刺すように冷たい。
足場の下には――果てしない虚空。
だが、誰一人として足を止めなかった。
アウトフレーム工法。
石造都市の外周に、軽量フレームを次々と組み上げ、
ひび割れた建築群を“外から抱き締める”ように支持していく。
ガンツが、風に逆らいながら巨大なトラス材を担ぐ。
ガンツ「うおおおっ……!落ちたら、骨どころか魂までバラけますね、ここ!!」
サトウ「下を見ないでください。現場で一番危険なのは、恐怖心です。」
同時に進行するのは、軽量化リフォーム。
古い石板屋根が次々と剥がされ、
代わりに、銀色に輝くガルバリウム鋼板と、薄く強靭なチタン瓦が設置されていく。
重厚さの象徴だった屋根は、
機能性を最優先した“空用の建築”へと生まれ変わっていった。
ルル「……よし。屋根部分だけで、総重量九・八%削減。これで、浮力が呼吸を取り戻します。」
算盤を弾きながら、淡々と告げる。
そして、都市の心臓部――
浮遊石の制御区画。
過熱した動力源が、赤熱し、魔力が不規則に暴れている。
サトウ「……このままだと、出力が暴走します。」
即座に、配管が接続される。
浮遊石冷却。
液体窒素冷却システムが起動し、白い霧が一気に噴き出した。
シュウウウウ……!
凍りつくような冷気が、動力源を包み込み、
不安定だった魔力の脈動が、次第に整っていく。
――ガシャン!
外周フレームが、最後の固定位置にはまり込む。
金属音が、空に高く響いた。
都市全体の揺れが、
大きく、そして確実に――収束していく。
ディアドラは、思わず息を吐いた。
ディアドラ「……雲の上で、補強工事。こんな“現場”……初めてです……」
眼下には、雲海。
頭上には、どこまでも高い空。
サトウは、都市を見渡しながら静かに答えた。
サトウ「高さだけじゃありません。風圧、気圧、振動数――全部、計算の内です。」
彼は、足元のフレームを一度、強く踏みしめる。
サトウ「建物は、環境に逆らうものじゃない。“適応”させるものですから。」
やがて――
都市は、ゆっくりと、確かに、
失っていた高度を取り戻していく。
雲が、再び足元に遠ざかり、
墜落の恐怖は、ようやく過去のものとなった。
天空都市ラピュスは、
再び――空に、留まることを許されたのだった。
ラピュス長老は、深く、深く頭を下げた。
長い年月を空で生きてきた者が見せる、重みのある礼だった。
ラピュス長老「サトウ殿……!どうか……ぜひ、定期点検のご契約を……!この都市を、未来まで浮かせ続けるために……!」
その声には、恐怖も、安堵も、そして切実な願いも滲んでいた。
サトウは一瞬、白亜の街並みを振り返る。
補強されたフレーム。
軽量化された屋根。
安定した浮遊石の脈動。
――まだ終わりじゃない。
むしろ、ここからが“本番”だ。
サトウは静かに頷き、穏やかな声で応じた。
サトウ「こちらこそ、ありがとうございます。建物の安全は……完成した瞬間から、管理が始まります。点検は、命を守る仕事ですから。」
長老の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
やがて――
夕日が、雲海を突き抜けた。
燃えるような朱が、白亜の都市を包み込み、
石壁も、塔も、翼のある住民たちの影も、
すべてが柔らかな光に溶けていく。
屋上の縁で、
サトウとディアドラは、並んでその光景を眺めていた。
風が、二人の髪と外套を静かに揺らす。
昼間の緊張が嘘のように、空は穏やかだった。
サトウ「……空に住むなら、景色だけじゃなく、風と気圧の“数字”も、大事にしなければ。」
それは忠告であり、
建築士としての、ささやかな祈りでもあった。
ディアドラは、夕焼けに染まる雲を見つめながら、ふっと息を吐く。
ディアドラ「……相変わらず、難しいことを言いますね。」
一拍置いて、静かに続けた。
ディアドラ「でも……この景色――」
彼女は、わずかに微笑む。
ディアドラ「悪くありません。……守る価値は、あります。」
ゴオオオ……。
安定した浮遊音が、都市の奥から響く。
それはもはや、悲鳴でも警告でもない。
“正常に機能している”という、静かな証明。
天空都市ラピュスは、
再び――
安全に、
悠々と、
果てしない空を漂っていた――。




