賞味期限の壁を越えろ! 氷龍の吐息とマイナス20℃の挑戦
地下都市・アイゼンは、確かに変わった。
かつては一歩踏み出すだけで汗が噴き出し、肺の奥まで焼けるようだった灼熱の空間は、今やひんやりとした空気に満たされている。
岩肌に触れれば、ほんのりと冷たさすら感じる。
天井から流れる冷気が、巨大な鍛冶場と居住区を静かに循環し、熱に慣れ切ったドワーフたちの感覚を、少しずつ狂わせていった。
ドワーフAは、信じられないものを見るように両手を広げ、目を輝かせる。
ドワーフA「アイス……生魚……冷たいビール……!」
その言葉は、夢想というより祈りに近かった。
これまで“冷たい”という感覚そのものが贅沢だった彼らにとって、それは異世界の料理だったからだ。
だが、隣にいたドワーフBは、はっと我に返ったように顎に手を当てる。
ドワーフB「でも、地上から運ばれる食材は、火山の熱で届く頃には腐っちゃうんだ……」
期待が一瞬で現実に引き戻される。
冷えた空気と、現実の物流。その間に横たわる“温度差”は、あまりにも大きかった。
その様子を見ていたガンツが、低く唸る。
分厚い眉を寄せ、額にかけていた溶接ゴーグルを、ぐいっと押し上げた。
鋼鉄の職人の目が、次の一手を探して光る。
ガンツ「監督ゥ!」
その声は、鍛冶槌の音すら押しのける勢いだった。
ガンツ「せっかく余った地熱発電の電力を使わねえ手はねぇ!
都市全体を冷やすだけじゃなく、巨大冷蔵庫だ! いや、冷凍庫もだ!
でっけえ冷蔵・冷凍倉庫を作りましょうぜ!」
夢物語ではない。
ガンツの声には、現場を知る者特有の現実感と熱があった。
サトウは静かに頷き、足元から地下都市全体を見渡す。
視界の奥で、建築聖眼が起動し、岩盤の断面、熱源、空気の流れが半透明の図面として重なっていく。
冷やされた区画の向こう側で、岩壁がじわじわと熱を溜め込んでいるのが、はっきりと見えた。
サトウ「発想は、間違っていません」
落ち着いた声で、そう前置きしてから続ける。
サトウ「ただ、魔法で冷やすだけでは膨大な魔力が必要です。
岩壁そのものが熱を蓄える巨大な塊ですから、冷気はすぐに奪われてしまう……」
サトウは指先で空中をなぞる。
冷えた領域が、みるみるうちに赤く染まり返るシミュレーションが浮かび上がった。
サトウ「今のままでは――」
一拍置き、はっきりと言い切る。
サトウ「バケツに穴が空いた状態で、水を注ぎ続けているようなものです。」
ドワーフたちは思わず息を呑んだ。
冷やす前に、まず“逃げ道”を塞がなければならない。
地下都市・アイゼンは、
本当の冷たさに辿り着くための、最初の壁の前に立っていた。
カタログが開かれた瞬間、地下都市の空気が一変した。
淡く青白い光と共に、現代建築の叡智が次々と現界する。
発泡ウレタン断熱材。
真空断熱パネル。
それらは単なる資材ではない。
熱を拒み、冷気を閉じ込めるための“境界線”だった。
シュウウウウ……。
圧縮された断熱材が岩壁に吹き付けられ、膨張しながら隙間を埋めていく。
ガンツは頬を引きつらせながら、巨大な噴射ノズルを肩に担いでいた。
ガンツ「へっ……! 岩だろうが溶岩だろうが関係ねぇ!覆っちまえば、ただの“外気”だ!」
真空断熱パネルが次々と固定され、
地下空洞そのものが、まるで巨大な魔法瓶へと作り替えられていく。
熱は遮られ、冷気は逃げ場を失う。
これまで都市を苦しめていた地熱が、初めて“内側へ侵入できない壁”にぶつかった。
ひんやりとした空気が、はっきりと肌にまとわりつく。
ドワーフたち「わああ……!」
ドワーフたち「これで夏バテも怖くない!」
ドワーフたち「地下で涼しいって、反則だろ……!」
歓声が上がる、その瞬間だった。
――ズン。
低く、重たい振動が都市全体を揺らす。
天井の照明がかすかに揺れ、
遠くから、霜が軋むような音が聞こえてきた。
次の瞬間。
白い霧が、通路の奥からゆっくりと流れ込んでくる。
冷たい。
だが、心地いい冷たさではない。
高山の夜明けのような、骨の奥まで染みる冷気。
霧の中から現れたのは、
淡い氷色の鱗を持つ、細身の竜だった。
翼は大きいが力なく垂れ、
長い尾は床にだらりと引きずられている。
吐く息は白く、だが――弱々しい。
それが、氷龍フリジットだった。
彼女は本来、
万年雪に覆われた北方の氷洞で眠る存在。
だが近年、世界各地で起きる地脈の異常により、
彼女の住処はじわじわと温められ、
“溶けないはずの氷”が溶け始めていた。
涼を求め、
魔力の流れを辿り、
ようやく見つけたのが――この地下都市だったのだ。
だが。
フリジット「……はぁ……はぁ……」
火山の残熱は、氷龍にとっても過酷だった。
身体は熱にやられ、鱗の端から水滴が落ちている。
ドワーフたちが、思わず後ずさる。
ドワーフA「ひ、氷龍だ……! なのに……溶けかけてねぇか……?」
ドワーフB「こんな地下じゃ、さすがに無理だろ……」
サトウは一歩前に出た。
恐怖も警戒もなく、ただ“設備を見る目”で彼女を見つめる。
サトウ「……なるほど。君、涼しい場所を探して、ここまで来たんですね。」
フリジットは驚いたように目を瞬かせる。
フリジット「……え?あ、あたしが何でここにいるか……分かるの……?」
サトウ「ええ。この都市、最近まで“地獄のオーブン”でしたから。」
冗談めかして言いながら、サトウは続ける。
サトウ「ひとつ、提案があります」
フリジットが首を傾げる。
フリジット「……なに?」
サトウ「君の吐息を、冷媒として使わせてもらえませんか?」
一瞬の沈黙。
フリジット「……え?あたしのブレスで……冷やすってこと?」
サトウは、いつもの現場の笑みを浮かべた。
サトウ「はい。その代わり――」
カタログを指で弾く。
サトウ「あなたの洞窟も、最新断熱施工で改修します。『一年中、絶対に溶けない快適な寝室』です。」
フリジットの目が、ぱっと見開かれた。
フリジット「……え……?ほんとに……寒いまま……?」
サトウ「保証します。その代わり、この倉庫の冷却ユニットを、魔力で回してください。」
氷龍は少し考え、
そして――ゆっくりと頷いた。
フリジット「……わかった。あたし、暑いの……嫌いだから……」
氷龍フリジットの前に、奇妙な装置が組み上がっていく。
魔導管。
制御用ルーン。
圧力調整弁と冷媒循環ライン。
竜の吐息という“生きた自然災害”を、
人の手で、安全に、安定して使うための――魔導冷却システムだ。
フリジットは装置を見下ろし、ぱちぱちと瞬きをする。
フリジット「……なんか……すごく……本気だね……」
サトウ「ええ。安全第一ですから」
サトウが制御盤に手を置くと、魔法陣が淡く光った。
――起動。
ブオオオオ……。
フリジットの吐息が、直接放たれることなく、
装置に吸い込まれ、圧縮され、整えられていく。
次の瞬間。
シュウウウウウ……!
澄み切った冷気が、倉庫の天井から放射状に広がった。
白い霧が床を這い、空気が一段、二段と冷え込んでいく。
壁面の温度計が、刻々と数字を下げる。
――0℃。
――マイナス10℃。
――そして。
マイナス20℃。
静まり返る倉庫。
ドワーフたちの髭に、うっすらと霜が降りる。
ドワーフA「……寒い……でも……気持ちいい……」
ドワーフB「鍛冶場で凍える日が来るとは……生きてりゃ何でもあるな……」
サトウは満足そうに頷き、カタログを一枚めくった。
次の瞬間、
銀色に輝く業務用アイスクリーマーが、重厚な音を立てて現界する。
ディアドラが目を輝かせ、身を乗り出した。
ディアドラ「冷気を使った実験……!未知の戦場……いえ、研究領域……! わくわくします!」
彼女はすでに完全に“楽しい側”だった。
用意されたのは、
エルフの里から届いた、朝露を含んだ果実。
魔国の牧場で搾られた、濃厚なミルク。
サトウが手早く配合し、スイッチを入れる。
ごお……
キィン……。
低い駆動音の中、冷気が一気に素材を包み込む。
数分後。
スプーンを入れた瞬間、
パリッ……シャリッ……
心地よい音が倉庫に響いた。
一口。
沈黙。
次の瞬間――
ドワーフたち「うおおおおおお!!」
ドワーフたち「うますぎる!!」
ドワーフたち「冷たいのに……甘い……! なんだこれ!!」
歓声が爆発する。
口の中で溶ける感触。
歯に染みない優しい冷たさ。
果実の香りとミルクのコク。
誰もが、人生で初めて味わう“贅沢”だった。
サトウは静かに頷く。
――施工は、完璧。
急速冷凍室。
食材の細胞を壊さず、鮮度を保ったまま長期保存。
保冷魔導コンテナ。
地上への輸送すら可能にする、移動式冷却技術。
こうして地下都市では、
生魚も、アイスも、当たり前のように並ぶようになった。
結果。
一大グルメ革命。
噂を聞きつけた聖王国の商人たちが、
金貨袋を鳴らしながら押し寄せる。
商人「独占契約を!」
商人「権利を買わせてくれ!」
だが。
サトウは、にこりと笑って首を横に振った。
サトウ「これは、凸凹工務店の規格に同意した国だけの――専売特許です。」
静かな一言。
それは、
技術が力となり、
冷気が文化を変え、
世界の流通を塗り替える――その始まりだった。
夜――。
地下都市・アイゼンの天井には、昼間の作業灯とは違う、
柔らかな魔導灯の光がともっていた。
冷却システムは低出力で安定運転に入り、
空気はひんやりと澄み、
鍛冶場だったはずの空間は、今や静かな憩いの場になっている。
その片隅。
簡易寝台の上で、魔王ゼノンが情けない声を漏らしていた。
ゼノン「……ぐぅ……腹が……冷たい……」
その隣で、ディアドラが腕を組み、深いため息をつく。
ディアドラ「……また、懲りないんだから……。あれほど“一気に食べるな”と申し上げたのに……」
言葉は呆れ気味だが、
手つきは慣れたもので、
腹部を温める魔法と毛布を静かに重ねていく。
ゼノンは苦しそうに眉をひそめながらも、
どこか満足げに笑った。
ゼノン「でも……あの味は……許す……。冷たくて……甘くて……背徳的だ……」
ディアドラ「……本当に、子供のようなお方です……」
そう言いながらも、
ディアドラの口元は、ほんのわずかに緩んでいた。
少し離れた場所では、
氷龍フリジットが冷気の流れの中で身体を丸め、
満足そうに尾を揺らしている。
フリジット「……ここ、ちょうどいい……。寒すぎないし……溶けないし……」
翼をたたみ、
安心しきった表情で目を細めるその姿は、
かつて万年雪の洞窟に閉じこもっていた頃よりも、
ずっと穏やかに見えた。
周囲では、
ドワーフたちが樽代わりの箱に腰掛け、
アイスを頬張りながら声を上げている。
ドワーフA「ははっ! 魔王様、腹やったのか!」
ドワーフB「冷たいもんは、鍛冶の後に効くが……食いすぎは禁物だな!」
笑い声が弾み、
冷たい空気の中に、温かな気配が広がっていく。
ここにあるのは、
森の木漏れ日とも、
王都の夜風とも違う――
地下ならではの涼風と、笑い声。
技術がもたらした冷気は、
やがて暮らしを変え、
習慣を生み、
文化になっていく。




