深層地下都市の熱中症:マグマ床暖房(強制)を止めろ!
ゴトン――。
鈍く、重たい音が響いた。
凸凹工務店の工房区画。
金属と魔導石の匂いが混じるその通路で、
一通の親書が、ガンツの肩に落ちたのだ。
厚手の封筒。
角ばった封蝋。
見覚えのある刻印。
差出人は――
鉄鋼都市・アイゼン。
ガンツの故郷だった。
ガンツは無言でそれを拾い上げる。
分厚い指で封を切った瞬間――
紙を広げた、その刹那。
ガンツの顔色が、みるみるうちに変わった。
いつもの豪快な笑みは消え、
鍛冶場で何度も修羅場を潜り抜けてきた男の顔が、そこにあった。
ガンツ「……はぁ!?」
声が、裏返る。
ガンツ「冷却炉が……暴走……!?このままじゃ都市ごと蒸し焼きで、ドワーフが干物になるってぇのか……!」
拳が、無意識に震えた。
アイゼンは、地表から遥か地下に築かれた巨大都市だ。
マグマ層の熱を利用した鍛冶と動力で栄えてきたが――
熱は、制御できてこそ力になる。
一歩間違えれば、
それはただの災厄だ。
サトウは、親書を覗き込みながら眉をひそめる。
ガンツは歯を食いしばる。
ガンツ「アイゼンは……暑さに耐えるのが誇りだって、言い張る連中ばかりだ……だが……限度ってもんがある……!」
そのとき。
サトウは、もう迷っていなかった。
サトウ「行きましょう。」
即断だった。
サトウ「これは根性論じゃどうにもならない。断熱、換気、熱源分離――全部、構造の話です。」
サトウは振り返り、魔王城の奥へと歩き出す。
サトウ「転移門、使います。現場が生きてるうちに手を入れないと、手遅れになります。」
ガンツの目に、光が戻る。
ガンツ「……監督ゥ……!」
ディアドラは一歩前に出て、胸に手を当てる。
ディアドラ「私も同行します。高温環境……前線防衛は、任せてください。」
魔王城の転移門が起動する。
魔導陣が床に広がり、赤く脈打つ光が立ち上る。
転移の光が収束した、その直後。
視界いっぱいに広がったのは――
巨大火山の内部をくり抜いて造られた、灼熱の地下都市だった。
天井は遥か高く、赤黒い岩肌がむき出しになっている。
無数の溶岩流が都市の外縁を這い、まるで血管のように脈打っていた。
立っているだけで、防具がじりじりと音を立てて熱を持つ。
息を吸えば、喉と肺が焼けるように痛む。
――熱い。
――暑い、ではない。
体感温度は、軽く六〇度を超えている。
ディアドラ「……っ……!」
鎧の隙間から汗が一気に噴き出し、彼女は思わず膝に手をついた。
ディアドラ「これは……戦場ではありません……生存限界です……!」
すでに、若いドワーフたちが次々と床に崩れ落ちていた。
赤ら顔のまま、呼吸は荒く、目は虚ろだ。
ドワーフA「ぐはっ……!あ、頭が……!熱い……熱すぎる……!」
ドワーフB「水……水を……」
ガンツが駆け寄り、屈強な腕で一人を抱え起こす。
ガンツ「おい!無理すんな、横になれ!」
歯を食いしばり、辺りを睨みつける。
ガンツ「……くそっ、何だこの暑さは……鍛冶場じゃなくて、地獄釜だぞ!」
だが。
その中で、ただ一人。
サトウだけが、一歩も動かずに立ち尽くしていた。
汗は流れている。
だが、視線は冷静だった。
都市全体を、上から下まで、構造物として見ている。
彼の瞳には、【建築聖眼】の警告表示が幾重にも重なっていた。
――《換気効率:致命的低下》
――《熱遮断:未施工》
――《居住区配置:危険》
赤、赤、赤。
サトウ「……原因は、はっきりしてます。」
その声は、灼熱の中でも揺れなかった。
ガンツ「言ってくれ、監督ゥ!」
サトウは、ゆっくりと天井を指差す。
サトウ「まず、排気不足。」
指先の先には、本来なら都市の熱を外へ逃がすはずの巨大換気坑があった。
だがそこは、黒く塞がっている。
サトウ「鍛冶炉の熱を逃がす換気坑が――」
目を細める。
サトウ「……これ、何百年分ですか?ススで完全に詰まってます。」
ガンツ「……ッ……!」
次に、サトウは足元を見下ろす。
サトウ「それから、これ。」
金属製の床を、靴底で軽く叩く。
サトウ「生活区画が、マグマ層に近すぎる。しかも……断熱材、ゼロ。」
言葉が、静かに落ちる。
サトウ「床下から熱が上がってきて、都市全体が――」
一拍。
熱風が吹き抜ける。
サトウ「予熱の終わったオーブンです。」
その瞬間。
近くにいたドワーフたちが、言葉を失った。
ドワーフ長老「……我らは……熱に耐えることこそ、誇りだと……」
サトウは、首を横に振る。
サトウ「耐えるのは、設計ミスの後始末です。」
サトウ「本来、熱は“使うもの”であって、“浴びるもの”じゃない。」
ディアドラが、汗を拭いながら剣の柄を握る。
ディアドラ「……では……まだ……間に合うのですか……?」
サトウは、即答した。
サトウ「間に合います。」
ただし、と付け加える。
サトウ「――今すぐ、止血処置をします。このままだと、都市が先に倒れます。」
ガンツの目が、再び燃え上がった。
ガンツ「……やろうぜ、監督ゥ!」
サトウは、深く息を吸い、灼熱の都市を見据える。
サトウ「まずは――マグマ床暖房(強制)を止めます。」
長老たちは慌てて詠唱を始めた。
氷結魔法の陣が展開され、青白い光が都市の中心部を包み込む。
空気が一瞬、ひやりと冷えた――ように見えた。
だが。
次の瞬間、
バキ……パキ……と、嫌な音が響く。
結界の表面に、無数の水滴が浮かび上がった。
結露。
ただ、それだけ。
地面から噴き上がる灼熱が、氷を溶かす以前に蒸発させている。
長老A「な……なぜだ……!?」
長老B「氷が……効かぬ……!」
ディアドラ「……魔力が、焼かれています……」
その光景を前に、
サトウは腕を組み、ほんの少しだけ口角を上げた。
それは、余裕でも嘲笑でもない。
「答えが分かっている人間」の表情だった。
サトウ「……魔法じゃ、足りませんね。」
ガンツが汗だくのまま、振り返る。
ガンツ「じゃあ――」
一拍。
サトウ「ええ。」
迷いのない声。
サトウ「物理でいきましょう。」
その言葉と同時に、【異世界マテリアル・カタログ】が空中に展開された。
ページが、次々とめくられていく。
転送光が走る。
ドン……!
ドォン……!
灼熱の都市に、異質な機材が次々と現れた。
――業務用チリングユニット。
――排煙用・高圧ファン。
――超耐熱・遮熱シート。
ドワーフたちが、思わず息を呑む。
ドワーフA「な……なんだ、この鉄の箱は……!」
ガンツがニヤリと笑い、親指を立てる。
ガンツ「冷やすための、本気の道具だ。」
サトウが即座に指示を飛ばす。
サトウ「ファンは換気坑に直結!詰まりは破砕しながら強制排気!床下は遮熱シートで熱線カット、空気層を作ります!」
職人たちが動く。
もはや言葉はいらない。
次の瞬間――
シュウウウウウウ……!!
唸りを上げて、高圧ファンが回転を始めた。
都市の空気が、流れ始める。
重く、淀んでいた熱気が、
換気坑を通って一気に吸い出されていく。
同時に、チリングユニットから冷気が吐き出された。
ただ冷たいだけではない。
湿度を制御し、呼吸できる空気へと整えられた冷気だ。
ディアドラ「……っ……!」
彼女は思わず、胸元を押さえた。
ディアドラ「……息が……楽に……」
床に倒れていたドワーフたちが、ゆっくりと目を開く。
ドワーフB「……あ……?……生きて……る……?」
目に見えて、熱が引いていく。
赤く焼けていた岩肌が、徐々に黒を取り戻し、
床を伝っていた熱波が、嘘のように収まっていく。
長老たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
長老A「……魔法より……早い……」
サトウは、静かに答える。
サトウ「魔法は“瞬間”。でも、都市は“持続”で守るものです。」
ガンツが、深く息を吸い、豪快に笑った。
ガンツ「……はは……アイゼンに、風が吹いたぜ……!」
灼熱に支配されていた地下都市に、
初めて――
「循環する空気」と「冷静な温度」が戻った。
だが、これはまだ――
応急処置にすぎない。
サトウは、さらにカタログを開きながら、呟いた。
サトウ「……さて。本番は、ここからですね。」
サトウは、灼熱の都市を見上げながら静かに告げた。
サトウ「溢れる熱は、遮断しません。」
ドワーフたちがざわめく。
サトウ「配管で回収します。無秩序な地熱は、ただの災厄。でも、制御できれば――」
天井近くに走る新設パイプラインを指差す。
サトウ「地熱発電です。」
マグマ層から立ち上る熱は、
遮熱材で包まれた回収管に吸い込まれ、
エネルギーとして別系統へと送られていく。
熱は、奪うものではない。
使い切るものだ。
次の瞬間。
都市の天井一面に、薄く広がる板状の設備が次々と設置されていった。
――放射冷房パネル。
内部を巡るのは、冷却された水。
風を起こさず、音もなく、
ただ静かに、都市全体から熱を奪っていく。
天井から、
穏やかな冷気が降り注ぐ。
ドワーフ「……あれ……?」
若い職人が、自分の胸に手を当てる。
ドワーフ「……息が……楽だ……」
別のドワーフが、目を丸くしたまま呟く。
別のドワーフ「寒くもねぇ……ちょうどいい…………天国か、ここは……?」
誰かが、静かに笑った。
誰かが、目頭を押さえた。
涙を拭いながら、
ドワーフの職人たちは、再び金槌を握る。
――まだ、やれる。
――もう、倒れなくていい。
次に始まったのは、
換気ダクトの清掃だった。
都市の中央通路に、
とんでもない代物を肩に担いだ男が現れる。
ガンツである。
巨大な金属筒。
無数の魔導刻印。
明らかに「掃除機」と呼んでいいサイズではない。
ガンツ「何百年分だろうが、詰まりは詰まりだ!」
担いだホースを、換気坑へ突っ込む。
ガンツ「吹き飛ばすぞ、耳塞げぇ!」
次の瞬間――
ゴオオオオオオオオッ!!
地鳴りのような轟音。
黒いススの雲が、
まるで生き物のように吸い込まれていく。
天井の奥から、
忘れ去られていた通路から、
長年、閉じ込められていた汚れが、一気に消えた。
そして。
風が、走った。
都市を、端から端へ。
ドワーフ「うおおお!」
ドワーフ「見ろ!」
ドワーフ「空気が……」
ドワーフ「動いてる!!」
誰もが、顔を上げる。
炎と鉄の都市に、
何百年ぶりかの――
「呼吸する空間」が戻った瞬間だった。
数時間後。
都市全域の温度は、安定して――二十五度。
もはや灼熱はない。
息を吸っても、肺が焼けない。
汗は流れず、頭は冴え渡る。
作業効率は、体感で三倍以上。
鍛冶炉の前に立つ職人たちの動きが、明らかに違っていた。
槌は正確に振り下ろされ、
金属は思い通りの形に応える。
無駄な休憩も、倒れる者も、もういない。
長老たちは、呆然と温度計を見つめていた。
長老「……我らは……暑さを“誇り”と勘違いしておったのか……」
やがて。
感謝の証として、
ドワーフの国から、一つの宝が差し出された。
重厚なケースの中に収められていたのは――
魔導刻印がびっしりと刻まれた、巨大なドリル。
ドワーフ長老「これは……魔導ドリル《アイゼンブレイカー》。」
低い声で、誇らしげに告げる。
ドワーフ長老「どんな岩盤でも貫く。我らが、最高傑作だ。」
サトウは、その重量を確かめるように手に取り、静かに頷いた。
サトウ「……ありがとうございます。大事に、使わせてもらいます。」
夜。
火山都市の一角。
地熱発電の灯りが、赤くも優しい光で街を照らしていた。
溶岩の流れは制御され、
炎はもはや脅威ではなく、景観の一部になっている。
サトウは、【異世界マテリアル・カタログ】から取り出したものを差し出した。
キンキンに冷えた、生ビール。
霜が浮かぶ缶から、冷気が立ち上る。
ガンツは、工具を置かず、煤の付いた手のままそれを受け取った。
ガンツ「監督ゥ……」
一口、喉を鳴らす。
ガンツ「……これだ。これが本当の――職人のための環境ってやつだな!」
サトウは笑い、軽く缶を掲げる。
サトウ「現場が快適じゃないと、いい仕事はできませんから。」
カン――。
二人の缶が、軽く打ち鳴らされた。
周囲では、ドワーフたちがグラスを掲げ、
豪快な笑い声を上げていた。
ドワーフ「生き返ったぜ、アイゼン!」
ドワーフ「風が通って、酒がうまい!」
笑い声が、火山都市に響き渡る。
かつては灼熱と苦痛の象徴だった場所が、
今は――熱狂と清涼が共存する、誇りの都市となっていた。
熱狂と清涼。
その両立こそが――
鉄鋼都市・アイゼンの、新しい日常。




