エルフの森の「涙」:樹上住宅はカビの温床でした
「一軒の城を直せるなら、世界そのものだって直せるはずだ」
かつて「呪われた欠陥住宅」と蔑まれた魔王城は、今や大陸で最も住みたい憧れの超高層建築へと変貌を遂げた。一級建築士・サトウがもたらした「現代建築」の衝撃は、種族の壁を越え、歴史の停滞を鮮やかに打ち砕いたのである。
しかし、それは巨大なプロジェクトの序章に過ぎなかった。 魔王城の完工と同時にサトウのもとに舞い込んだのは、単なる建物の修理依頼ではない。
雲海に漂う「墜落寸前の天空都市」、 カビと湿気に沈む「エルフの秘境」、 そして、マグマの熱に喘ぐ「地底の工業都市」。
点から線へ、線から面へ。 サトウの引く図面は、もはや国境さえも塗り替えていく。 魔王ゼノンをオーナーに据え、最強の竜族ディアドラを現場監督に従えた「凸凹ホールディングス」の次なる現場は、この世界のすべて。
「さあ、着工だ。地図にない景色を、俺たちの手で分譲しよう」
一級建築士による前代未聞の「世界リフォーム」が、今ここから加速する。
魔王城のリフォームがひと段落し、サトウは重厚なオーク材のデスクに肘をついた。
手元には新大陸の地図が広がり、未踏の山脈は尖り、深い湖は暗く、霧に覆われた谷は吸い込まれそうな黒い影を落としている。
窓の外、冬の柔らかな陽光が木造の梁を淡く照らし、部屋全体に温もりと静謐を与えていた。
机の上の地図は、まるで彼の指先を通じて新たな世界が息を吹き返すかのように、緻密な線と色彩で生き生きとしている。
その静寂を切り裂くように、従業員が一通の手紙を持って現れた。
透かし模様が浮かぶ羊皮紙は、清涼な森の若葉の香りをほんのり漂わせ、指先に触れた瞬間、ひんやりとした冷気が流れ込む。
だが、封を切り文字を追った瞬間、サトウの胸に突き刺さったのは、優雅な森のイメージとは裏腹な、切実な「悲鳴」のような文章だった。
手紙にはこう綴られていた。
――古より聖なる巨木と共生してきた里が、正体不明の病に蝕まれている。
――住民は咳き込み、肌は荒れ、幼子たちは湿った寝床で夜通し震えている。
――長老たちは精霊の怒りだと祈るばかりだが、事態は悪化の一途。
――朝起きると、壁一面に黒い斑点が広がり、拭っても祈っても増殖するばかり。
サトウは手紙をそっと閉じ、肩越しに深いため息をついた。
サトウ「……呪いか。」
その声を聞きつけたかのように、隣で身支度を整えていたガンツが、重い鉄槌を肩に担ぎ、にやりと笑った。
ガンツ「へっ、今度は森の姉ちゃんたちからのお呼び出しですかい。監督、こいつは『構造上の欠陥』の匂いがプンプンしますぜ!」
サトウはもう一度手紙を見つめた。
目を閉じれば、湿気とカビに覆われた古城の記憶が脳裏に蘇る。
壁はただの装飾ではなく、住まいとしての安全を守る「構造」であること。
ひび割れ、湿気、朽ちた梁……それらすべてが、彼の中で戦場の設計図のように整理され、問題点が輪郭を帯びて浮かび上がる。
サトウ「……行くしかないな。」
ガンツは鉄槌を肩でぐっと押し、にやりと笑う。
ガンツ「覚悟しときな、監督。森の奥はただの自然じゃありませんぜ。生きてますからな!」
こうして一行は、幻想的な霧に包まれた霧幻の森へと足を踏み入れた。
木々の間を漂う湿った空気は、目には見えぬ苔やカビの匂いを含み、踏みしめる落ち葉は軋み、かすかな水音が耳をくすぐる。
空は薄紫色に霞み、遠くからせせらぎが聞こえる。
森の平穏と病の不協和音が、微妙な緊張感として彼らの鼓動に重なる。
霧深い早朝の森。淡い光が樹間をかすめ、朝露に濡れた葉が微かにきらめく。
枝の揺れに合わせて、天空に浮かぶかのような家々がほんのりと揺れた。
幹をくり抜き、枝を組み上げ、自然そのものを住まいに変えた幻想的な光景――まるで森そのものが息をしているかのような美しさ。
しかし、その美の裏には、住民たちの静かな苦悩が確かに存在していた。
木漏れ日が足元の苔を淡く照らす中、サトウが一歩足を踏み入れると、湿った土と腐葉土の匂いが鼻をくすぐった。
同時に、彼の【建築聖眼】が真っ赤な警告を表示する。
目に見えぬカビの微細な胞子が、木材の奥深くまで浸透しているのだ。
エルフの乙女が、震える声で呼びかける。
エルフの乙女「サトウ様……私たちの里は『森の宝玉』と讃えられるほど美しいのに、住民の半分が咳や肌荒れに悩まされています……呪いでしょうか……?」
声はか細い。
だがその奥に、強い真剣さと悲痛が潜んでいた。
森の静寂に混ざるその声は、朝露の雫のように清らかで、しかし耳の奥に深く突き刺さる。
サトウは、彼女の肩の微かな震えを見逃さなかった。
サトウ「……呪いじゃない。黒カビです。それも、かなり手ごわいタイプ。」
その言葉は、幻想的な森の空気を少し冷たくした。
霧に揺れる家々や輝く朝露の美しさと、現実の劣化――見えない黒カビが木々の内部を蝕む残酷な現実とのギャップ。
サトウは眉をひそめ、胸の奥に職人としての使命感を静かに燃やす。
サトウ「住民たちを守るのは、呪いよりも、この森の構造だ。手を抜けば、この美しい里も、あっという間に住めなくなる。」
彼の声は低く、しかし森の空気に自然と溶け込む。
サトウは慎重に家々を巡った。
木造の家々は確かに美しい。
幹や枝をそのまま活かした家々は、まるで森そのものが息づいているかのようで、濃霧に包まれた幻想的な光景は息を飲むほどだ。
しかし、その幻想の裏には、湿気という名の“魔物”が潜んでいた。
木材は水分を吸い込み、内部から腐敗が進んでいる。
夜になると室内は結露の嵐。
布のカーテンだけで防寒しているのが、かえって湿気を呼ぶ悪循環になっていた。
サトウ「木の壁が水分を吸いすぎて腐り始めています。断熱材もないので、夜は室内が結露だらけ……布だけのカーテンじゃ、湿気を止められませんね。」
ガンツは肩を揺らして壁を軽く削ると、中から白い胞子をまき散らすように、キノコ――魔導菌がドバッと噴き出した。
森の静寂が一瞬で悲鳴に変わる。
エルフたち「ぎゃああああ!」
乙女「こ、こんな……!」
その光景に、長老たちが慌てて立ちはだかった。
長老A「聖なる木に穴を開けるなど、自然への冒涜だ!鉄の道具を近づけるな!」
ガンツ「監督ゥ!聖なる木だろうが何だろうが、ここは補強と換気が最優先ですぜ!……え?天然木に穴を開けるのは怖い?いや、魔力吸収型チタンボルトなら大丈夫っす!」
ディアドラは無言で腕を組み、鋭い金色の瞳で現場を睨む。
手には、釘を曲げる魔力を秘めているらしい微かな光が走る。
ディアドラ「……くっ……サトウ、またあの乙女と楽しそうに話して……っ」
サトウは微笑みを浮かべ、静かに答えた。
サトウ「自然を愛することと、病気になることは別です。このままでは、この巨木自体が腐って倒れますよ。」
乙女の瞳がわずかに潤む。
森を守りたい――その願いは純粋で、強く、美しい。
しかし、現実の湿気とカビには、どんな祈りも無力だった。
サトウの言葉は、希望と絶望の間で揺れる心に、冷たくも確かな現実を突きつける。
サトウは深く息を吸い込み、森の冷たい空気と湿気を胸いっぱいに感じた。
湿った土の香り、苔の匂い、霧に絡む木の香り――森そのものが呼吸しているような感覚。
手にはすでに準備された工具と、緊急用の建築魔法の図面。
幻想的な森の美しさと、現実の劣化という二つの顔の狭間で、彼の心は静かに、しかし確かに決意を固めていた。
サトウはカタログをぱっと開く。
指先がページをなぞると――まるで魔法を呼び出す呪文のように、業務用高圧洗浄機と防カビ塗装の道具が光を放ちながら出現した。
金属の光沢と蒸気の匂いが、霧深い森の空気に溶け込む。
サトウは洗浄機のノズルを壁に向けた。
水流が木の壁に触れると、黒カビの層が滑るように剥がれ、壁面を伝い落ちていく。
長年染みついた汚れが、水とともに地面へと落ちるたび、森の緑が光を反射して揺れた。
まるで森そのものが、汚れを払い清められていくかのようだ。
乙女「わ……わあ……!」
その声は驚きと感嘆が混ざり、霧の中に柔らかくこだました。
長老たちも、杖を握った手が一瞬止まるほどの衝撃を受けた。
サトウは微笑みを浮かべ、静かに説明した。
サトウ「木を傷めず、呼吸させながら家をリフォームする案です。湿気も黒カビも、これで少しずつ退治できます。」
目の前に広がるのは、まるで魔法のような技術の数々だった。
外壁には幹と居住スペースの間に空気の層が設けられ、湿気は自然に逃げていく仕組みになっている。
窓は複層ガラスで作られ、結露を防ぎながらも、森の景色をまるで絵画のようにクリアに映し出す。
さらに室内の壁には、多孔質のセラミック素材――エコカラットが施され、湿度を一定に保つことで、森の湿気を受けながらも快適な空間を作り出していた。
サトウが指先で壁や窓に軽く触れると、空気が静かに流れ、湿気がすっと抜けていくのが、まるで目に見えるかのようだった。
霧深い森の幻想に、新たな命が吹き込まれる瞬間。
技術と自然が溶け合い、森そのものが息を吹き返すかのようだ。
それはただ美しいだけでなく、確かな安心感を宿していた。
ガンツは胸を張り、魔力吸収型チタンボルトを取り出す。
金属の表面が淡く光を反射し、微かな振動とともに、木の幹にぴたりと吸い付く。
ガンツ「監督ゥ! この補強なら、森のどんな嵐でも倒れませんぜ! 子供たちも安心です!」
サトウは頷き、森の清涼な空気を胸いっぱいに吸い込む。
壁から湿気の匂いが消え、代わりに木と土の香りが戻ってきた。
風が枝の間を吹き抜け、葉がさざめく音が小さく響く。
乙女の瞳がきらりと輝き、長老たちの口元にも驚きと安堵の笑みが浮かぶ。
エルフの乙女「……これが……本当に……」
長老A「まるで……森自身が、再び息を吹き返したかのようだ……!」
森の美しさはそのままに、黒カビの影は消えた。
技術と知恵が、幻想の里に静かな奇跡をもたらした瞬間だった。
サトウは微笑み、そっと手を壁に置く。
木のぬくもりが、湿気のない清らかな空気とともに指先に伝わる。
森も、住人も、再び安心して呼吸できる――その確かな手応えが、彼の胸に小さな誇りを灯した。
咳き込んでいた子供たちは、サトウたちの手によって整えられた家の中で、みるみる元気を取り戻していった。
小さな足が木の床を軽やかに踏みしめるたび、軋む音が霧に包まれた森に跳ね返り、やわらかな響きを生む。
笑い声が枝葉を伝わり、かつて静まり返っていた森に、再び生命の息吹が溢れ出す。
エルフたちは、深い感謝と恩義を胸に、静かに頭を下げた。
柔らかな声で、しかし確かな決意を込めて告げる。
エルフの乙女「サトウ様……私たちの森の木材を、『凸凹工務店』に独占提供いたします。どうか、これからも皆を守ってください。」
サトウは微笑みを浮かべ、目の前の森を見渡した。
木々の間に差し込む朝の光が、濡れた葉をきらきらと輝かせ、森全体を祝福するかのように揺れている。
心地よい土と木の香りが鼻腔に満ち、静かな森の呼吸が手に取るように感じられた。
サトウ「これで魔王城の家具も、最高級の無垢材で作れますね。」
その横でディアドラは無言のまま、釘を曲げる作業を続けていた。
鋭い金色の瞳は、森の美しさと、子供たちの笑顔を見つめる。
しかし、その目の奥には、言葉にできない複雑な思いが揺れている。
守るべき森と、人々の喜び、そしてサトウへの淡い感情――すべてが静かに交錯していた。
森の中には、笑い声と木の香り、湿った土の匂い、そして希望の空気が満ちている。
幻想のような美しさと、確かな現実の安心感が重なり合う場所――ここに、サトウと仲間たちの静かなる功績が刻まれた瞬間だった。
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