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幸せを奪われたつもりになる人達

作者: P4rn0s

世の中には、自分が損しているわけでもないのに、

誰かが少し得をしただけで、まるで自分が奪われたかのように悔しがる人間がいる。


私はそういう人を前にすると、いつも不思議な気分になる。

自分の取り分は何ひとつ減っていない。

生活も、給料も、明日の予定も変わらない。

なのに、他人がちょっと優遇されたり、運良く得をしたりするだけで、

まるで世界のバランスが崩れたかのように怒り始める。


「不公平だよな」

彼らは決まってその言葉を使う。

でも、本当に不公平なのだろうか。

彼らが言っているのは、“自分が損をした世界”ではなく、

“自分以外が得をした世界”が許せないだけだ。


私は思う。

不公平を嫌っているんじゃない。

ただ、自分が中心じゃない状況に耐えられないだけだ。


職場でもそうだった。

同僚の誰かが表彰されたり、少しだけ多く仕事を任されたりすると、

途端にあからさまな不機嫌を見せる者がいる。

自分が褒められたわけでも、怒られたわけでもないのにだ。


私は彼らを横目に思う。

「得した人がいる」

それだけで、自分が損した気になってしまうのは、

心のどこかが常に“比較前提”で動いている証拠だ。


そして、比較だけで生きている人は、

自分の幸福を、自分の尺度で測ることができない。


他人が笑っていれば不安になり、

誰かが褒められれば嫉妬で固まり、

隣の人間が一歩前に出ただけで、なぜか自分が一歩後ろに下がったような錯覚に陥る。


だからヘイトが生まれる。

理由なんていらない。

ただ、自分が中心でいられない現実が気に食わないだけだ。


私は帰り道、街の灯りを見ながら思う。

誰かの“得”に動じない心こそ、

本当の意味で自分の人生を歩ける人間のものだ、と。


羨望も、嫉妬も、怒りも、

それ自体は人間らしい感情だ。

でも、それを他人にぶつけ始めた瞬間、

その感情の主体は自分ではなくなってしまう。


自分の幸せを他人任せにしたくない。

そんな小さな誇りだけを胸に、私は家までの道を歩き続けた。

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