第175話 鎌倉ダンジョンその②
鎌倉ダンジョンに入ってから、どれくらい進んだだろうか。
巨木の森の中を、五角形の足場に手すりが付いたゴーレム――ヘキサボードが滑るように進んでいく。
地面すれすれを低空で移動するそれは、まるで大型の遊具か移動式展望台のようでもあった。
頭上には相変わらず、靄に隠れて先の見えない巨木の枝葉。
足元には、人間の背丈ほどもある落ち葉と、岩というより“断崖”と呼んだ方がしっくりくる転がった岩塊。
ヘキサボードの上から見下ろすからこそ、そのスケールの異常さが一層はっきり分かる。
しかし、それでも。
さっきまで感じていた「異様さ」は、少しずつ「慣れ」に変わりつつあった。
「……でけぇ景色にも、だいぶ麻痺してきたな」
ヘキサボードの手すりに片腕をかけながら、臼杵健司がぼそっと漏らす。
さっきまでなら一つひとつ驚いていたはずの巨大な木の根や、倒木の橋のような地形も、もう「このダンジョンの標準装備」くらいに感じられ始めている。
「でも、広さだけはマジで笑えねえぞ。ボードでここまで滑ってきてんのに、端っこが見えねえってどういうことだよ、ここ」
呆れ半分、感心半分という声色だ。
『現在までの移動距離は、おおよそ五キロメートルです』
ヘキサボードの中央付近に立っていたイチロイドの声が、三人の頭の中に静かに響く。
『開始地点を原点とした簡易座標マップ上では、すでにかなり外側の“リング”に入っていますが……いまだにフィールドの端は確認できていません』
「マジで、どんだけ広いんだよこの一階層……」
臼杵が空を仰いでため息をついた。
見上げれば見上げるほど、上も横も「終わり」が見えない。
普通のダンジョンであれば、壁や天井の有無が、「ああ、ここがこの階層の限界か」と教えてくれるものだ。
しかしここは、森という形をしているくせに、その“囲い”がどこにもない。
「階段のないダンジョンって、こういう意味だったんだね」
岩井剛志は、ヘキサボードの前方に立ちながら呟いた。
以前、組合側から聞かされていたこの鎌倉ダンジョンの説明。
「階段が存在しない」「一枚ものの巨大なフロア」といった言葉は、正直イメージだけではピンと来ていなかった。
実際にこうして滑るように移動してみて、ようやく実感を伴って理解できる。
――ここは、一つの“階層”そのものが、まるごと「一つのダンジョン」と言ってもいいほど、規格外に広い。
ヘキサボードが緩やかに速度を落とす。
その少し前方で、巨木の根が複雑に絡み合い、自然の壁のような地形を形作っていた。
『魔物の分布も、先ほどから少しずつ変化してきています』
イチロイドの報告が続く。
『最初に遭遇したジャイアントゴブリンから現在位置に向かうにつれて、ジャイアントホブゴブリン、そしてジャイアントゴブリンリーダーと、ゴブリンの上位種のジャイアント比率が増えていますね』
「横浜第三なら、“階段を降りた”タイミングで変わるやつが、このダンジョンでは“横に進む距離”で変わっていくって感じか」
剛志が、頭の中に簡易マップを思い描きながらまとめる。
さっき倒したばかりのジャイアントゴブリンリーダーの残骸は、すでに煙となって消え、その場には巨大な魔石だけが残っていた。
ヘキサボードを地面近くまで降ろし、そこに着地する。
バレーボールをさらに一回り大きくしたような、青白い輝きの球体。
中に閉じ込められた魔力が、静かに脈動している。
「……ふふ」
思わず、剛志の口元に笑みが浮かぶ。
「やっぱり、何度見ても絵面がいいね。このサイズ感で“低級魔石”って、本当すごいよね」
そう言いながら、両腕で抱え上げてみる。
ステータス的には、重さそのものはそれほど問題ではないが、視覚情報だけでも十分に「得した気分」にさせてくる。
『魔力密度は通常の低級魔石とほぼ同等ですが、体積が1000倍ほどですからね』
イチロイドが、どこか感心したような調子で補足する。
その数字を反芻するだけで、剛志の頭の中に、魔石変換器とゴーレムコアのイメージがずらりと並び始める。
低級魔石千個。
それが――ここでは、巨人一体につき“一つ”で済む。
「……ここ、本気でやばいね」
口元が勝手に緩む。
危険という意味ではなく、効率という意味で。
「ここ、ヘキサボードで流しながら巨人を狩ってるだけで、魔石事情だけなら当分困らないんじゃないかな。
横浜第三が復旧するまでの間、魔石の補給はこっちで全部賄えるかもしれない」
半分冗談、半分本気。
その言葉に、ヘキサボードの縁に腰掛けていた臼杵が眉をひそめる。
「いや、気持ちはわかるけどよ……」
臼杵は周囲を見渡し、肩をすくめた。
「こうやって楽して滑ってきてんのに、それでも“遠くまで来た感”が尋常じゃねえんだが。
端が見えねえダンジョンって、体力より先に精神力削ってくるタイプだぞ、これ」
冗談めかしたトーンだが、言っていること自体は本質的だ。
歩いていないとはいえ、「進んでも進んでも区切りがない」という感覚は、別種の疲労を生む。
普通の階層ダンジョンなら、「階段を見つける」という明確な目標がモチベーションになるが、ここではそれが存在しない。
『敵との遭遇回数自体は、横浜第三より多いくらいですね。
巨体のため視認しやすく、索敵も容易です』
イチロイドの声が続く。
「ほらね」
剛志は、巨大魔石を抱えたまま嬉しそうに笑った。
「敵はでかくて目立つし、動きはそこまで速くない。
推奨レベル100の連中なら相当苦戦するんだろうけど、俺たちにとっては“でかい的”が増えただけだし。
これで深層並みに魔石が集まるなら、通わない理由がないよ」
「お前、魔石の話になるとほんとイキイキしだすよな」
呆れつつも、臼杵の口元にも笑みが浮かぶ。
これだけ広く、これだけ分かりやすく魔物が出てきてくれるダンジョンなら、戦闘そのものよりも、むしろ「どう効率よく回るか」の方が課題になるだろう。効率でいうと、イチロイド発案のモンスタードームに比べるとさすがに劣るが、普通にダンジョンを回っていた頃に比べるとかなり効率が良い。
『このフロア全域が同じ“第一階層”として扱われていると仮定すると、中心からの距離によって“サブ階層”的な難易度区分が存在している可能性があります』
イチロイドが、淡々と分析を述べる。
『すでにジャイアントゴブリン帯、ジャイアントホブゴブリン帯、ジャイアントゴブリンリーダー帯のおおまかな境界は推定可能です。
この調子でデータを蓄積すれば、“安全に魔石を狩れるルート”と“少人数で挑戦可能な危険ルート”をある程度マッピングできそうですね』
「それ、めちゃくちゃありがたいね」
剛志は頷きながら、ヘキサボードの手すりを軽く叩く。
横浜第三の深層は、もう「体感で覚えたホームグラウンド」に近い状態だ。
どの部屋にどの魔物が出やすいか、どこが危険か、どこが美味しいか。
その大部分を、実戦とイチロイドの記録から把握している。
同じことを、今度はこの鎌倉ダンジョンでもやればいい。
規模がでかい分だけ時間はかかるだろうが、その分見返りも桁違いだ。
「ただまあ……」
臼杵が、遠くで地鳴りを上げながら歩いていく新たな巨影を見つめる。
巨木の間を縫うように、巨人のシルエットがゆっくりと近づいてくるのが見えた。
「ほんと、どこまで行っても終わりが見えねえのは、やっぱり慣れねえな。
階段のないダンジョンって話聞いたとき、“別に階段くらいなくてもよくね?”って思ってたけど、今ならちょっと土下座して謝れるわ」
「俺も、ここまでとは思ってなかった」
剛志も苦笑する。
「でもまあ――」
視線を、さきほど倒したジャイアントゴブリンリーダーの巨大魔石へと戻す。
「これだけの魔石を、あの程度の手間で回収できるなら、多少広くても我慢できるかな」
嬉しそうにそう言うその顔は、もはや完全に「生産者」のそれだ。
戦闘のスリルを求めるというより、どうやってこのダンジョンから最大効率で資源を引き出すかを考えている。
『当面は、“現在位置から外周方向に向かって徐々に強くなっていくパターン”が続くと仮定してよさそうですね』
イチロイドが結論めいたことを告げる。
『現時点では、魔物の出現パターン・魔石のドロップ傾向ともに、異常な点は見られません。
フィールドスケール以外は、ほぼ“通常のダンジョン”と同じルールで動いていると見てよいかと』
「つまり、“でかくて広いけど、ルールは素直”ってことか」
臼杵がまとめると、剛志も頷いた。
「うん。
だったら、あとは“いつものやり方”をこのスケールに合わせるだけだね。
イチロイドにマップを作ってもらって、安全圏と危険地帯を分ける。
ヘキサボードで魔石回収ルートを決めて、効率がいいポイントを重点的に潰していくことにしよう」
『理解しました。
こちらは特殊ケースとして、既存のデータとは別のフォルダで保存していきます』
どこか楽しげな響きが、イチロイドの声に混じった気がした。
「さすが、ゴーレム使いの発想だな。
戦うことより、“回すこと”考えてやがる」
臼杵は笑いながらも、その案に異論はない。
目の前の敵を倒すだけなら、彼らの力なら問題ない。
だが、どうせなら、その戦闘を「未来に繋がる投資」に変えたい。
再びヘキサボードが浮かび上がり、巨木の森の中を滑り出す。
その進行方向には、新たなジャイアントホブゴブリンの群れが、地鳴りとともに姿を現しつつあった。
巨大な影と、小さな影。
スケールがおかしいだけのダンジョンは、少しずつ――しかし確実に――剛志たちの「いつものフィールド」の一つへと変わりつつあった。
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