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短編集

おばあちゃん思いの孫

作者: 石蕗ユリ

 ガラガラと音を立てて引き戸を開け、行きつけの食堂に入る。空から降り注ぐ直射日光からは逃げられたものの、熱気はまだ襲ってくる。扇風機が回っているだけまだマシだ。

「あっつ……」

 席に着くやいなや、俺のいつものオアシス、冷麺を頼んだ。

「すいません! いつもの冷麺一つ! ……暑さを乗り切るにはこれに限る」

 チリンチリンと風鈴がなるものの、一向に涼しさを感じられない令和の夏。冷麺を食べながら、食堂に備え付けられた新聞を読む。

「『昨日だけで10人、エアコン未使用』ねぇ、随分暑くなったもんだ」

 外の気温は35度超え。外を歩き回るだけで倒れかねない。湿度が高いとかなんとかで、かのインド人でも日本の夏はきついらしい。生きているのが奇跡みたいだ。もしかしたら数年後には、日本はもう滅亡してるのかも知らんね。そしたら国外に避難だな。


 しばらくゆっくり食べていると、いつもは見ない客が入ってきた。少し腰を曲げたおばあちゃんが、狭い店内の席に着く。狭い店内、ずっと黙っているのも気まずくなりそうなので、声を掛けてみる。

「こんにちは、おばあちゃん、この辺に住んでるんですか?」

「あれまぁ、こんにちは、若いの。そうさね、ここの店主は私の友達だからね、たまに来てやってんのさ」

 店長さんの知り合いだったのか。

「兄ちゃん、随分若く見えるけど、20代くらいかい?」

「ええ、まあそれくらいですね」

「私が若い頃はね、夏と言っても今より全然涼しかったものさ。昔と比べて随分暑くなったねぇ」

 これくらいの年齢の人は人と話すのが好きなのだろうか。いや、それより……。

「エアコンはないんですか?」

 この時代、どこのご家庭にでもエアコンはあるだろう。この店を除いて。

「うちのエアコン、壊れちゃったからさ、こうしてお店に来て涼みに来てるんだよ」

「ははっ、おばあちゃん。涼みにって、ここには扇風機しかないっすよ」

 エアコンくらい取り入れればいいのにと思ってはいるが、なかなか導入しないんだよな、ここのお店。

「それとねぇ、うちの孫が『エアコンにばっかり当たってたら風邪引いちゃうよ』なんて言うもんでね」

「へぇ、お孫さんがいらっしゃるんですね」

 それにしたって、あまりにも前時代的な考えの孫じゃないか?

「でも、エアコンがなかったら死んじゃいますよ。ほら、こうやって新聞にも載ってますし」

「そうさねぇ、私もまだお悔やみ欄には載りたくないさねぇ」

 こんなことを言っているが、ぼんやりとしていて、とても修理なんてするようには思えない。休みの日だけど、目の前の年老いた命がなくなってしまうかもしれないと思うと、ちょっと手助けをしたくなる。

「ちょっと見てみましょうか、もしかしたら直せるかもしれません」

「ええんかい? ……堪忍なぁ、たのんます。」


 おばあちゃんの一軒家にたどり着く。室内に入ったからまだマシなものの、じっとりとした暑さは止まらない。よくこんな暑さの中生活できるな……。窓を開けたところで涼しくなるわけでもないのに。

 ますます心配になる。玄関から入り、廊下を渡ってエアコンのある畳の一室に案内された。部屋に入ると、隅に置かれた小さな仏壇が目に入り、おばあちゃんの夫であろう人の写真が立てられていた。

「失礼ですけど、今はもう一人なんですか?」

「ああ、あの人のことね」

 少しむすっとしたその写真の顔を懐かしそうに眺める。

「もう随分前にいなくなったんだけどね、あの人と過ごしたこの家で最期まで生きていたいのよ」

「思い出の家なんですね」

 それを尻目に部屋を見渡すと、天井の高い部分にエアコンが取り付けられていた。

「あれですね、じゃあちょっと見てみます」

 とりあえずリモコンをエアコンに向けて運転ボタンを押すが、うんともすんとも言わない。リモコンは問題なさそうだし、本体内部が壊れていたりするのだろうか。あっ、しまった、今日は脚立なんて持ってきてないぞ。

「すいませんおばあちゃん、脚立か台になるようなものってあります?」

「裏の納屋とかにならあったかしら。今はもうこんな老いぼれでさぁ、何年も使ってないよ」

 少し曲がった腰を叩いて、しわくちゃの顔を更にしわくちゃにする。

「案内するから、自由に使いな」

 納屋に案内してもらい、扉を開けると、脚立はすぐに見つかった。

「これがあれば……あれ?」

 脚立はホコリまみれかと思いきや、ホコリが拭われていて使用された形跡がある。

「何年も使ってないんですよね。最近誰か使いませんでした?」

「ああそういえば、この間久しぶりに孫が来てねぇ、色々掃除してくれたんだよ。そのときに使ったのかもねぇ」

 食堂で言っていたお孫さんのことだろうか。意外と気が回る人なのかもしれない。

「優しいお孫さんですね」


 さて、納屋から脚立を持ってきたので、やっと作業に取り掛かれる。脚立を登って初めて気づいた。意外と気づかないものだな。

「あれ、おばあちゃん、これコンセント抜けてますよ」

 エアコンの頭の部分も、お孫さんが掃除したにしてはホコリが溜まっている。

「あれま、いつの間に」

「コンセントを差したらすぐに動くようになります」

 念の為、エアコン本体と室外機も軽くチェックする。うん、問題はないかな。とりあえず、エアコンのコンセントを差して運転してみる。

「これできっと動きますよ」

 ピッとエアコンが付く音がした。しばらく待つと、エアコンからは心地よい風が流れてきた。

 ああ、生き返る……。

「ふぅ、直りましたよ、コンセント差しただけですけど」

「本当に堪忍なぁ、御駄賃はいくらだい?」

「ええっ、御駄賃だなんてそんな……」

 コンセントを差しただけだったが、「あんた家電製品のプロなんだろ!」と言われ、いくらばかりかいただくことにした。プロにはきちんとお金を払うべきだと思っている人なのか。家電製品のプロではないけどな。


「それでは俺は帰りますね。また何かあったらその名刺にでも連絡してください」

 帰ろうとしたとき、玄関の扉が開いた。ぎょっとした顔をして、彼女は俺への不審感を露わにした。

「……あなた、誰ですか?」

 それは俺のセリフだ。だが、そんな文句はしまい込んで、先に自己紹介をする。

「ああ、えっと、電気工事士をしてます。もしかして、おばあちゃんのお孫さんですか?」

「ええ、そうですけど。電気工事士の方なんて呼んだ覚えはないのですけれど?」

 口元はにこやかにしているが、おじいちゃんの遺伝子を受け継いだ鋭い瞳が俺に苛立ちを見せているのを感じる。あまり歓迎されていない客らしい。その冷たい視線に、背筋だけは少し涼しくなった。

 おばあちゃんの家に来た経緯を説明する。

「おばあちゃん、エアコンが壊れて使えなくなっちゃったって言うもんだから、ちょっとだけ修理しに来たんですよ。コンセントが抜けているだけで大事ではなかったんですけどね」

「本当にありがたいわねぇ、命の恩人だよ」

「そうですか、それはわざわざありがとうございます。こんなところまで面倒くさかったでしょうね」

 全くありがたくなさそうな雰囲気で言われても。まるでおばあちゃんの命なんてどうでもいいような素振りで。

 嫌な想像をしてしまった。

 この人は、おばあちゃんを熱中症で死なせようとしている……?そんな考えが、ふと頭によぎる。でも、まさかそんな。だって家族だぜ?証拠だってなにもない。

「最近は暑いですからね、エアコンがないとおばあちゃんじゃなくても亡くなっちゃうんですよ。おばあちゃんなら尚更です」

「私もニュースで見ました。大変ですね。私だって色々あるのに」

 そのどんな一言も他人事のようだ。

「うちの孫がぶっきらぼうですまんねぇ。でも、私のことを大切にしてくれるたった一人の家族だから、堪忍してくれんか」

「あはは、まあ難しい人もいますから」

 おばあちゃんはそう言うが、大事にされている雰囲気は微塵も感じない。いつまでもいるわけにもいかないし、俺もそろそろ退散しますか。

「俺もそろそろ帰らなきゃいけないので」

 その前に、ちょっとだけ口を出させてもらおう。

「そういえば、お孫さん。この間家族の方が掃除しに来られたと聞いたんですけど、あなたのことですか」

「……ええ、そうですけど、それがなにか」

「エアコンの上部のホコリは拭いておいたほうがいいですよ」

「ご忠告、ありがとうございます」

 忠告のつもりはないんだけどな。

「でも、あなたには関係ないことです。これは家族の問題ですから」


 翌日、熱中症で倒れた高齢者の数がまた増えたことをニュースで見た。あのおばあちゃん、無事だといいんだが。

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