裁判官殿、最期に貴方様の命を弑させて頂けませんか。
えぇ、そうでございます。最期に貴方様の命を弑させて頂けませんか。そうでもしなければ気が休まりませぬのです。ですからお願い申し上げます、裁判官殿。そうして頂けましたら、私は憲兵の銃口を前にして「皇帝陛下万歳」「統一されし帝国万歳」と叫ぶ事が出来ましょう、そうして死にましょう。ですので重ね重ねお願い申し上げたいのであります。無理なお願いでございますか、やはりそうでございますか。失礼致しました。ですが、どうか、どうか、聞いて頂きたいのです。
その…先ほど…裁判官殿は仰られましたね、地獄の業火が恐ろしくないのかと。どうして地獄が怖いと言うのでしょう?私たち人間が此処を地獄に等しくしてから、私たちは長らく地獄におりますのに。
此処は恐らく農地であったのでしょう、名も知らぬ隊が名も知らぬ隊と接敵してから、私たちは長らく紅の泥濘に満たされた砲弾孔地帯で震えております。豪雨の如く降り注ぐ”砲撃”に、洪水の如く押し寄せる”突撃”に、泥濘の如く身を染める”病魔”に、そして単純な”寒さ”に。裁判官殿も此処にいらっしゃるのですから、あの惨憺たる現況を一目には致しましたでしょう?私の友もそうでありました。震えておりました。私の友の名はアイトゥと申しますですね、同じ氏族の者でして、私が故郷におりました時からの…唯一の友でした。ですが、アイトゥは機関銃のタマをもろに喰らって―――小腸やら大腸やらが見えちまいまして、あれじゃあ何か口に入れても腹から溢れ出しそうな―――まぁ、最期まで何一つ口にしませんでしたが、えっと、話がズレました。アイトゥはその……砲弾孔の中でその、そのですね、寒いようでして、ブルブル震えておりました、裁判官殿―――私は敵を殺した事はありますが、友の死を見るのは初めてでしてね、その、えっと、あいつの目は、どうも、楽にして欲しいとでも言うような、早くその銃剣を突き立てて欲しいとでも言うような、そんな目で見つめられたものですから、その、私は、あ、ああの、あの、痛くないように、痛まないように。一発、一発を。その―――。
―――裁判官殿、私は……私は指令以外で………は…は…初めてでした。はい、以前貴方様の令で仲間を……こ……殺した事がございます、裁判官殿。よくある話です、脱走兵が出たのです、ヤツの目は酷く震えておりました、顔も見たことのないヤツでしたが、これから殺すヤツの顔を、ああもまじまじと見つめたのは初めてです、初めてでした。木製の磔に両手両足を打ち付けられた脱走兵を、分隊員で囲って、歩兵銃で撃ったのです。あんな近くで撃ったのですから、そりゃ命中ですよ!死にたくない死にたくないなど喚いていたヤツが、す、すぐに静かになって!せ、せいせいした気分でした!あの敗北主義者のですね、顔が、顔が、あ、あの、あ、か、顔が、顔がです、顔が、死にたくないな、死にたくないなんて皆おんなじですよ、誰だって死にたくないんです、なのにヤツは一人だけ抜け駆けして―――きっと故郷に帰りたいなどと思ったのでしょう、馬鹿みたいです、馬鹿みたい、帰ったって官憲にとっ捕まって終わりです、そんで吊るされて終わりでございます、私にだって故郷がございます、故郷はございます、こんな異郷に居たくはございません、帰りたいでございます、帰りたい、ですが許されません、そうでありましょう?我が背には国民がおります、国がございます、我ら兵の背には、護るべきものがございます、銃後の人間を護らねばならぬのです、なのにヤツは、抜け駆けして一人逃げたのです、逃げたのであります、で、ですが分からぬのです、分からないのです、何が違うのでありましょうかと、銃後と前線で!どちらも死んだ人間で溢れております!方や操り人形のようになった人間が、方や伽藍洞の愛国心を持った人間で!空っぽです!あ!空っぽであります!戦前はああも叫んでおりましたですね、「拝国滅夷」、祖国を拝し禽獣夷狄を滅せと。きっと東夷の連中も同じでありましょう!奴らも我らに等しく人間であります、きっと奴らも同じ空っぽです!魂を抜かれてしまいました!戦争に!戦争の空気に!戦争を作った人間に!人間が人間の魂を抜いたのです!
…
えぇ…えぇ…おかしいでしょう…おかしいでありましょう…はぁ…ぇ…ぇえ、そうです、私は仲間を殺めました、人間を、同じ塹壕の戦友を。私の属する隊は10人おりました、最初はね、最初は同じ氏族の面々でした、徴兵された塊がそのまま隊になったもんですから、で、ですがですが、あの、あの、あ、しょ、初日、初日にですね、殆どぶっ飛んじまいまして、タマが飛んできまして、前を歩いてた分隊ん所で炸裂しまして、色んなものがぶっ飛んできましてですね、です、その、そ、あ、年長者で分隊長のガトゥ兄と、ライキャ兄、アヴェ、サシュが、身体のあちこちをやられて、ガトゥ兄は即死で、他の3人はその時ガスマスクを付けられなくって、その、砲弾に毒でも仕込んであったのでしょう、次の日の朝に死にました。3人全員。あとファトゥ、カトゥン、レシュ、それとあいつが、あ、あい、あいつ、が、その、居ました。えっと、その、まずファトゥは、塹壕に着いてから最初の砲撃のあと行方知れずで、生きてるやもしれないですが、分かりません、その、多分生きてるでしょう、ファトゥは臆病者でして、いつもすばしっこいから生きてますよ!で、でも、その、あとカトゥンとレシュは爆風で沼に落ちまして、あ、あの沼に、底なし沼に、あ、ぁあ、それ、それと、そ、それで、それで、あ、アイトゥ、あいつ、あいつは、わ、私、私が、あ、あの、あ、私が楽にしました、で、でしょう?助けた、助けた、助けたのです!あ、ぁあ、ぇと、あ、は、はい、わ、わかりました、一旦、一旦落ち着きます、すみません、本当に、本当にすみません、落ち着きます、落ち着き、はい、すみません、その、息が、はい、喋るのを、喋るのを一旦止めます、はい、はい、その、えっと、はい、は、あ、あの、えと、ごめんなさい、えと、は、はの、あの、あ、え、そ、それで、分隊は合流やら壊滅やらを繰り返して、最後は全員、それぞれ別の氏族の人間でした。
その、武器もバラバラで、私は歩兵銃でしたが、槍を持ってる者もおりました、槍騎兵です、戦場の華です、馬は何処にもおりませんでしたが、それに、槍野郎は何処からともなく奴さんの銃を鹵獲してきて、東夷の騎兵銃です、どうやっても馬に縁があったみたいで、とにかく槍野郎から夷狄野郎に進化しちまいましてですね、へへ、その、なので撃ちました。夷狄を。敵を。私の意思で。銃声を聞きつけたのか、その、部屋に入ってきた分隊長殿が銃を向けようとしました、ので、ですので、撃ちました。
撃ちました。
……私は操り人形ではございません、人間です、元々は、人間です、一人の人間です、始めはそうでした、イヴェ部族のジャリトゥイ氏の家に生まれました。北方の小邑に過ぎませんが、良い場所です。星が綺麗で、オーロラも見えます。えぇ、卑しい身分でもない、生まれつき耳が悪いですが、それだけです。人間です。その、あの時、初めて理解したんです、分かったんです、気付いたんです!私は操り人形じゃない、道具じゃないって、あの、あ、あいつを、アイトゥを、あ、頭を、その、う、ぅ、撃った時に。私は殺せる、誰かの命令ではない、国を護る為でも、自分を護る為でもない、人を殺せる、人を殺せるって。その、私は殺せるんです、命令されなくても、殺せるんです。ですから、ですから、裁判官殿。最期に貴方様の命を頂戴頂けませんか。最期に貴方様の命を弑させて頂けませんか。命令によって殺される、そんなの耐えられません、ですから―――その苦痛の対価として、どうか私に最期に貴方様の命を弑させて頂きたいのです。……えぇ、そうでございますか。でしたら、どうか自分で死なせて下さい。私に絶たせて下さい、この命を。
どうか私に銃を下さい、すぐに頭を撃ち抜いてみせます。
ただ、傀儡でありたくなかった。
ただ、(命令もなく)人を殺す時、漠然たる”自由”の感情を覚える。
ただ、それだけであった。