ラーメンの味
光から現れた青年が、孫を天へと引っ張っていった……
新宿駅で人質となっていた数千の人間が、その光景を目撃してから五分とたたないうちである。
東京湾に停泊している気象船舶が、高度三千米のあたりで爆発を確認。
一番近い場所にいた船は爆発を視認したために避難したという記録がある。
その音はリサのいるホテルにまで響き、リサと母親は、南東方向の空を、眺めた。
その日に起きたことは、何もかもが人知を越えた出来事であり、後に語られるエピソードは、
どこからどこまでが本当で、虚構なのか、実際に見た人間以外は全員判断しかねている、が、残った事実として、
人質は全員無事に救助された。
リサの父親もそうだ。彼は『奇跡』を見て以来、心を入れ替えた。
後のリサとの接し方も、改めたようである。
同じく救助された人間で、「ヤマオカ・フウカ」と呼ばれた少女がいたが、当然これは本名ではなかった……が……、
彼女の本名は「山岡紗希」で、宮城県の施設で生活していた少女であったことが確認された。
これは単なる偶然なのか、それとも本当に山岡秀治と関係のある少女なのか、現在警察が調査を進めている。
・反社会団体と思われていた組織の健闘。
・謎の緊急爆撃中断令。
・光から現れた青年と、東京湾上空の爆発音……
どれをとっても、それまでの人類の踏んできた定石とは大きく異なるもので、
結局この日何が起きたのか、直近のミステリーとして多くの人間が調査している。
同時に、銃のボイコット運動も始まった。元々、日本人は銃さえ持てば気が大きくなるような人種ではないのかもしれない。
このような精神を海の向こうの大統領は「平和に毒された情けない民族だ」とまた物議を産む発言で評したが、
元を辿ればその精神の原因を作ったのもまた、海の向こうの国である。
……リサは、あれからずっと轍や出汁郎といった人間を探しているが、
救助された人間の中にはそのような人間はおらず、かといって死体も確認できなかった。
しかし……彼らが『残したもの』なら存在する……。
それは、あの日人質となっていたリサの父親の、上着ポケットにどのタイミングで紛れたのかは分からないが、
謎のレシピが入っていたのである。
そのレシピは、それぞれこう、銘打たれていた。
『新宿ブラック』
『笹塚ホワイト』
* * * * *
第二次新宿薔薇戦争が未遂に終わってから、十年の月日が経った。
世界的な価値観は大きな変貌をしていない。故に世界中で戦火が収まることは無かった。
変わったことといえば……、
世界中の紛争地帯に、とあるラーメン屋台が現れるようになったのだ。
それは本当に世界中に現れた。中東、西アジア。島々、国境。
その屋台と、『彼女』は現れた。
PMCという肩書きではあるが、戦いには参加せず、戦場に現れては腹を空かせている避難民、戦闘員、全ての人間に、
出来立てのラーメンを配って歩いていた。
彼女の作る『ラーメン』は、夜よりも黒く、コーヒーよりも黒く、塩味が強すぎる傾向にあったが、
世界的に彼女と、彼女のラーメンは受け入れられたという。
とある記者が一度、彼女に取材を申し出た。本名は伏せるという条件で、彼女は取材に応じた。
彼女は日本人で、旅行代理店の経営者である兄からの援助を受けラーメン屋を開業し、世界中に現れるようになったのだという。
「ミセス・スミヤ」と名乗る彼女は、自信が危険な目に遭ってまで作るラーメンについて、こう語ったという……。
「(怖くないのか? という質問に対して)
いつも怖いです。すごく。今日が最後だって思う日だって少なくありません。
それでも、同じ思いをしている人たちに私にできることがあるなら、私はどこにだって行くことにしました。
……
ラーメンが美味しいのは、人の涙の味に近いからだと思うんです。
やりきれない辛さと、深い悲しみと、ほんのちょっとの喜びとが混ざって、ラーメンの味になるんだと思います。
流した涙の数だけ、ラーメンは美味しくなりますから」
たたかうラーメン屋 了