人ならざる
新宿駅西口。外からの光が遮られた構内は、電源の断たれた売店、崩れかけた改札、吹き溜まりのような空気で満ちていた。
カツン、カツンと、乾いた足音だけが響く。
スノウである。 左右の手はポケットに収めたまま。目深に被ったフードの奥、表情はうかがえない。
その男の前に、新青龍、羅英龍の私兵たちが静かに立ちはだかった。十人。全員が黒の戦闘服に身を包み、
無駄のない動きで隊列を組む。装備はSMG、近接戦用のナイフ、ヘッドセットによる無言の連携。
羅英龍は、その背後、駅の警備室跡で腕を組んでいた。
「一人か……。愚か者め」
その呟きを合図に、私兵の一人が静かに前に出た。
白パーカーは、何も言わず、フードの奥で軽く首を傾けた。
――瞬間。
最前列の兵士が崩れ落ちる。喉を斬られていた。 白パーカーは、いつの間にかポケットから刃物を抜いていた。それも、極端に短い、カスタムされた鉤型のナイフ。
返り血を浴びたスノウが薄笑いを浮かべて羅瑛流に指をさす。
「ようやく見つけた。もう逃げらんねえぞ?」
言葉と同時に次の兵士が突撃。射撃と同時にナイフを投げるも、スノウはそれらを全て紙一重で避け、
反転、敵の脇腹にカウンターを入れる。二人目、沈黙。
残る八人が一斉に動く。
構内が一瞬、銃声と怒声で満たされる。 白パーカーはそれを避けない。正確に“捌いた”。
空調用のダクトに跳び、柱の影に潜り、跳ねるように移動しながら、反撃を繰り返す。 一人、背後から絞め技で押さえ込もうとした兵士の首に肘が入り、頭蓋が軋む音が響く。
四人、五人――倒れた。
残る五人が隊列を再編しようとするも遅かった。スノウはもう彼らのど真ん中にいた。
ナイフが喉を裂き、銃口が顔面に叩きつけられ、地面が血と破片で濡れていく。
最後の一人が、怯えたように構えを崩した瞬間、後に周っていたいたスノウがそっと肩を叩いた。
その直後、私兵は意識を手放すように崩れ落ちた。
静寂。
構内に、白パーカーの呼吸音だけが残る。
そして、その正面。
武装した新青龍の『将軍』羅英龍が立っている。
「素晴らしいな。噂通りだ」
「……ずっと会いたかったぜ? ずっとあんたに会いたかったんだよ『お隣さん』」
「……だろうな」
「長かったよここまで。あんたを殺せば終わりだ。
……でも悪いな。俺の手前、楽に死ねると思うなよ?」
と、ドシュ、ドシュ……
などといういう音が響いた直後だった。
『痺れ』のようなものを感じたと思うと、スノウの右足に穴が開き、血が流れている。
「……ああ?」
羅の持っている拳銃から煙が出ていた。全く、殺気を感じず、撃たれたことすら自覚が湧かなかった。
激痛のあまり、スノウは膝をついた。
「地獄を見てきたのが、自分だけだとでも思っていたか? それとも自分は主人公だとでも思っていたのかな?
残念だったな。ジャパニーズ」
* * * * *
新宿駅、地下。
轍と向き合っているのは、新青龍の孫 嘉善。
轍は肩の負傷を押さえ、背筋を伸ばしたまま、正面から孫を見据えた。 額には汗、呼吸は浅く、左腕はすでに上がっていない。
だが、足は動く。握ったナイフも鈍っていない。 ――動ける限りは、止める。それだけだった。
孫は一礼すらせず、無言で構えた。 その構えは、形のない“意”だけの武術。空気が凍る。
轍が地を蹴った。爆発的な踏み込み――!
鋭く刃を振り下ろし、右のフックで追撃。 孫はそれらを、紙をめくるようにかわす。
次の一撃は、膝蹴り。 だが、孫の腹部に当たったその瞬間――異常に気づく。
手応えが全くない。
確かに当たった。だが、感触がない。 孫は全く揺るがず、微動だにせず、顔も変えない。
鉄の頭は直感で理解した。
こいつは……兎的と一緒だ。理屈が通用しない。
直後――孫の手が、蛇のように伸びる。
左肘を弾き飛ばされ、轍のナイフが宙を舞った。
「ッぐ……っ!」
反射的に体を捻って距離を取るが、すでに遅かった。 孫が一歩踏み出し、その手が鋭く地を割る。
次の瞬間――
ドンッ!!!
孫の掌が伸びてきた。それは衝撃波のような突きで、轍の右足の膝が、逆方向に折れた。
「……があああッ!!」
轟く悲鳴。崩れ落ちそうになる体を、残る左脚で無理やり支える。
だが、孫の動きは止まらない。無慈悲な正拳が腹にめり込む。 内臓を抉るような打撃で、轍の背中が壁に叩きつけられた。
「ぐはッ」
咳き込み、血が混じった唾が床に垂れる。
よろよろと轍が起き上がる。 右足を引きずりながら、再び前へ出た。
「やれやれ。タフじゃのう」
轍は、孫に近づきながらも構え、
左のストレート。
だが――
孫はそれを、その額で受けた。
砕けたのは、孫の左腕だった。
轍の拳が砕けていた。拳骨の皮膚が裂け、骨が浮き出る。
そこへ、孫がカウンターを叩き込む。 脇腹へ掌底。肋骨が幾本も音を立てて折れる。
そのまま後頭部を掴み、壁に叩きつけた。
――バァン!!
ヒビが走った壁から崩れ落ちた轍の身体は、もはや立ち上がることはなかった。
今や轍の腕は折れ、脚は潰れ、拳も失い、牙を剥くことすらできない。
孫は倒れた轍を見下ろす。
「心配すな。どのみち、みんな死ぬんじゃ。
……最期に、ええもん見しちゃるけんね」
そういうと、孫は上着を脱いだ。
轍は、もやがかった視界の先にそれを見た。
孫の胸元に、大きな模様のような、痣がついていた。
「これ、どこかで見覚えあるんちゃうか?」
……もはやはっきり見えなかったが、確かに轍はその図形を知っていた。
確か……高井戸の基地で大火傷を負って横になっていた兎的にも、同じ痣があった……。
「ワシもな、おたくらのボス……露軸の眷属なんよ。
この戦争には最初から、正義も利権も何もない。ただただ、露軸が眷属を増やすためのものだったんじゃ。付き合わして悪いの……」