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山岡秀治の椅子

 午後七時三十分。新宿国際医療センター。

 その最奥、照明の落とされた一室に、出汁郎とリサの足音だけが響く。

 案内した看護師は、黙ってドアを開けて立ち去った。

 室内には、白いカーテンで仕切られたベッドが一つ。 その上に、莉春が静かに横たわっている。 シーツは胸元までかけられ、顔だけが見えるようになっていた。

 

 リサは、

 莉春とはさっき会った、さっき喋ったばかりなのに、同一人物ではないような感じがした。

 顔も体も、元々の莉春とは違って見えた。


 死亡診断書は、すでに他界している莉春の両親に変わり、手続き上、保護者として出汁郎、本名、出川務が名前を書くことになった。

 リサは泣かないように努めた。莉春と出汁郎の前で泣くのは、違うような気がした。



「莉春はねーー、僕が台湾から連れてきたんだー」


 莉春の顔を撫でながら、出汁郎が言った。


「『台北南港市場事件』……向こうでは龍哭と呼ばれてたかーー。

 莉春の友達も、友達の親も殺されてー……

 それでもその事件はなぜか世界には発信されなかったーー……。

 我慢ができなかった莉春は、戦う選択をしたんだー。

 反、銃運動とー、龍哭を世界に告発する運動をねー……

 結果……莉春のお父さんも、お母さんも、反活動家に殺されちゃってー……。

 本人も殺されかけたところを……僕が日本に連れてきたんだー……」


 出汁郎の顔は確認できない。しかし、いつもより声が小さく、微かに震えていた。


「莉春ーー、僕のこと、恨んでいるかいーー……?」


 リサは、ドクターから渡された莉春の持ち物のバックの中に、セブンイレブンで買った五個入りのクリームパンを入れた。

 

 莉春が天国まで行くのにお腹が空かないように―


 ここで、リサは耐えられなくなった。堰を切ったように涙が溢れてきた。


 『二度と会えない別れ』なんて、リサには経験したことが無かった。そして最初の体験が……

 いいことなんてほとんどなかったここ数日で、唯一の光だった莉春になるなんて、思ってもいなかった。

 

 莉春の戦いは終わり、彼女の時間も止まった。

 大勢の心を守ってきた彼女の手は、物言わぬ思い出となった。

   


 * * * * *


 ― 東新宿、台湾食品貿易株式会社 地下 会議室 ―


 会議室の空気は重い。 中華様式と現代建築が混在した地下室に、仄暗い照明が落ちている。 円卓の上には煙の出ない香炉。香は甘く、しかし神経を鈍らせる。

 無愛想な壁には、「落葉歸根」と書かれた掛け軸

 

 新青龍の幹部たちがいつもに増して神妙な顔で押し黙っている。

 山岡は未だ見つからず、角屋の屋台奪取には失敗。

 笹塚決戦では幹部の沈を失い、捕らえたリサまで奪還される。

 

 新宿の、ひいては日本の覇権を取るはずが、それはどんどん遠ざかっていた。



 相変わらず椅子の一つが空いていた。

 それは山岡という、新青龍の幹部になるはずだった男の席だ。

 山岡は、米国製の銃製造会社、所謂死の商人とコネを持ち、新青龍と死の証人のパイプ役になっていた。

 ……しかし罰天にも武器を流していたことが発覚してから、羅英雄の思い描いていた覇権への道が狂い出したのだ。

 この席の『空白』は、いわば羅にとって裏切りと屈辱の象徴だった。


 ……足音が響き、地下の会議室に男が入ってくる。

 誰もがその人物を招いていないはずだった。

 『男』は、何も言わず『空いている席』に座った。


「……やあ、遅れてしまって申し訳ない。どこにあるのかわからなくて迷ってしまいました」

 

 その口調は妙に芝居がかっている日本語である。

 汚い中年男だ。


「いい部屋だねえ。その掛け軸の言葉もいい。ここは、山岡君の席だったのかな?

 申し訳ない空いてるので座らせていただきますよ。

 さ、どうぞ会議を続けて」



 新青龍の幹部、 陳如生は露骨に嫌悪感を示した。


「……誰の許可で入った?」


「“戦場”に許可は必要ないでしょう? 僕のことなら気にせずにどうぞ。

 あなた方の『ファン』だと思ってください」


「癪に触るやつだ……」


「陳同士。良いのだ。このものは私が呼んだ。……ここまでジャパニーズが時間にルーズだとは思ってなかったがな」


 羅英龍が、呆れながら答えた。


「斬新な日本人でしょう? ……チャイニーズに怪訝な目で見られるのは感触が悪いので、自己紹介からしましょう。

 僕は姫川。フランクに『姫』とでも呼んでください。

 出どころは、『露軸の証人』……いつもはマーマクレープとかラーメン屋の財政管理なんかやらせてもらってます」


 幹部たちの空気が固まる。


「いいリアクションですね。そう僕はあんたらの敵ですよ。……昨日まではね。

 今はファンの一員です。今日は商談の話をしにきましたよ。

 あんんたがた、アメリカの犬になり損なった悲しき落ち目の傭兵たちにね」


「不愉快だ!! 貴様はそこから立ち去れ!」

「将軍! いくら将軍の意見とはいえこれは許容しかねる!!」


 幹部の 陳如生と馬宏が口を揃える。


「落ち着けよ! ……息が臭えなおたくらは。

 俺はね、悲しいんだよ。あんたたちの弱さに絶望してるんだ。

 あんたたちが何になりたがってるか知ってるつもりだ。そして、それがうまくいってないのも知ってる。

 俺だって邪魔したし、まさかただのゴロツキだと思ってた罰天に、あんな強い奴がいるなんて思ってもなかったもんなあ」


「目的はなんだジャパニーズ!」


 巨漢の陳如生が今にも殴りかかりそうだ。

 しかし、相手が熱くなればなるほど、姫川は楽しそうになる。


「俺にだって夢があるんだよ。そのためには新青龍さんには頑張ってもらわなければならないんだよ。

 頑張って『おったたせろ』よインポども(中指を立てる)」


「貴様!!」


 銃を抜こうとする陳如生を、羅が制する。陳はため息をついて、会議室から退席した。


「君の狙いは、やはり『山岡』なのか?」

 

 幹部の馬宏が口を開いた。


「それもあるよ。彼より仕事はできるつもりだけどね。それに……意外に俺は義理深いんだよ。

 商談中の相手は絶対に裏切らない。プロだからな」


「あなたが何者かは承知していますが、これは非公開会合です。退席を」

 

 紅一点の王芯蓮が口を挟んだ。

 姫は口笛を吹いた。


「では退席する前に、これだけ」

(封筒を円卓に置く。誰も手を伸ばさない)

「そこには、“このまま『平和』を続けた場合の被害予測”が入っている。 一方で、“衝突を起こした場合の価値”も、きちんと算出しておきました」


(静寂)


「平和? なんのことだ」


「新青龍には、新宿における『必要悪』であってほしいと僕は思ってる。

 お互いのビジネスのためにね。

 薔薇戦争までは結構期待してたんだけど、そこから先は残念なもんだ。 

 だから、本来敵のはずの僕ちゃんが尻を叩いてやろうってんだよ。

 ……あなた方はまだ、十分に悪として認知されていない。だから秩序も混沌も、今は“薄い”のです」


「随分勝手なことを言う」


「怒んなって。……僕はあなたがたに機会を与えます。――“第二次薔薇戦争”、これを僕が演出することで、 あなた方の悪を刻みつけると同時に、我々は秩序の旗を掲げられる。……つまりはウィンウィンの関係ってことですよ」


 そこまで聞くと羅英龍が静かに答えた。


「我々を悪と決めつけるなら、貴様は何だ」


「僕ちゃんは“善”ですよ。“善の商人”です。

 資源のない日本という国の産業、その根本にあるものは他人の不安と不満と不幸。

 この三点だけ抑えればいくらでも儲けられる。

 その条件を持ってるのは、オタクら新青龍なの。

 逆を言えば、どんな不幸も、価値へと変えられる……。 僕ちゃんの絵図通りに動いてくれた暁には、新宿の新たな法と秩序にでも勝手になればいい。

 我々は批判し続ける。そうすることで、お互いに金が入ってくる。いかがです?」


 一同、押し黙る。


「……じゃ、商談といこうか? 」


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