過去形で片付く話
台湾食品工場、地下。
機械が煙を探知したために騒がしいサイレン音が響いている。
羅 英龍の元に、足音が近づいてくる。諜報員の王 芯蓮である。
羅の押し殺したような声が響く。
「上面的骚动是怎么回事?(上の騒ぎはなんだ?)」
「可能是有入侵者(おそらく侵入者かと)」
「士兵在做什么?(兵は何をしている?)」
「……孙童下令撤退(孫童が撤退を命じました)」
「什么?……孙童背叛了吗?(何?……孫童の裏切りか?)」
「不清楚」
そこに唐突に日本語が飛び込んできた。
「口を塞げ!!」
羅達の足元に、煙幕が投げ込まれる。
辺りが瞬間的に煙に包まれる。拘束されているリサは必死で歯を食いしばった。
何者かが、リサの背後に回り込み、腕の結束バンドを刃物で解き、足のも切った。
「おい……おい! 走れるな。引っ張ってやるから全力で走れ!」
その声の持ち主は、リサ には覚えがあるように感じた。
すると、別の声も聞こえてきた。
「さっさといき! 羅はワシが抑えちゃるけん」
「……お前は?」
「煙は、ワシには効かん」
* * * * *
階段の前で、リサは目隠しを外された。
そこには見覚えのある顔があった。
「…… ……兎的さん?」
「…… ……」
男は一瞬顔を歪めた。リサは反射的に人違いだったと感じた。
確かに兎的によく似ているが、『どこか』が全く異なっていた。
「喋るな。口をできるだけ塞いでろ。一階まで駆け上がるぞ」
リサは、白いパーカーの男に必死でついていき、黒いバイクのタンデムシートまで辿り着いた。
暑い。1階には火の手が上がっていた。
「乗れ!」
白パーカーはバイクのエンジンをいれる。
……リサは、地獄から生還した。
* * * * *
新宿国際医療センター
莉春が、白いベッドに横たわっている。
動かないが、目は開いている。
天井を一点に見つめ、何かを待っているようだった。
心の中で何かを念じているようにも見える。
そこに、リサの声が響いた。
「莉春!!」
莉春は、視線だけ入り口にやる。
リサはすでに泣いていた。
「無事だったアルな。よかった……」
莉春は、深く息を吐いた。
「莉春!……ごめん。ごめん私……」
「リサが謝ることは何もないアルよ。私も大丈夫だし……」
『大丈夫』という莉春は、確かに落ち着いていて、掛け布団の上から自分の腹を掻いてみせた。
「よくここがわかったアルな」
「出汁郎さんに聞いたの。……ねえ本当に大丈夫なの?」
「本当に大丈夫アルよ。……多分リサよりかは長生きするアルな」
莉春はいつものように笑ってみせた。
その顔を見て、リサは安堵した。そして、すでに出始めている涙の歯止めが効かなくなった。
昨日からずっと、ずっと怖かったのだ。
「泣くな。リサ」
「うん…… うん……」
「大丈夫。…… ……一人にはしないアル」
リサは、両手で、莉春の手を握った。
「ありがとう。 莉春……」
* * * * *
病院は、軽症者、重症者問わず怪我人で溢れかえっており、
うめきごえのようなものさえも響いてくる。
先ほどの笹塚駅で発生した闘争事案の怪我人が溢れかえっていた。
病院の待合室で、白パーカーはリサを待っていた。相当イライラしているらしく、貧乏ゆすりが激しい。
「ビョーインは嫌いだ」
白パーカーは何度もポケットからタバコを取り出しては、数秒見つめてポケットにしまう。という動作を繰り返していた。
「俺らはここで別れたほうがいいな」
「はい……。お世話になりました」
リサは頭を深く下げた。
「……家族の元に居てやれ。どこに避難してるのか聞いたんだろ?」
リサは頷いた。
「でも、いまさら親になんて言えばいいのか……」
「なんだっていいんだよ。『怖かった』でも、『腹へった』でも。
言葉なんてなくたっていい。ただそばに居てやれ。
……会えなくなってからじゃ、何も言えなくなっちまうからよ」
…… ……家族……か」
白パーカーはぶっきらぼうに立ち上がり、「じゃあな」と言って去った。
* * * * *
リサは、白パーカーに言われた通り母親の元に行くことにした。
都内のホテルだ。轍さんがそばに居てくれており、今は出汁郎さんも居てくれてるのだそうだ。
ああようやく、慌しかった今日が終わるんだな。
リサは、なんだか漠然と、生きて家族に会えるということは、とても幸せなことであると感じた。
散々な一日『だった』
家も自分も襲撃『された』
友達も殺され『かけた』
……本当に、自分が一体何をしたんだ? と訴えたくなるような散々な一日『だった』でも、全て過去形だ。
過去形にできることが、今は何よりも嬉しい。
リサがホテルにたどり着くと、青い顔をした出汁郎が待っていた。
なんというか、この世の終わりのような顔だった。
「リサさん…… 莉春……」
「え? はいさっき会ってきました。病院の場所を教えてくれてありがとうございます」
「ええ。莉春……亡くなりました」
「………え?」
「今病院から連絡が……」
リサは、膝の力が抜け、その場に倒れ込んだ。




