龍哭
莉春はその晩、夢を見た。
それは自分がまだ、台湾にいた頃の夢で、夢というよりも記憶の回想である。
いくら忘れようと思っても、記憶は許してくれなくて莉春の心をあの時、あの場所に連れ戻すのだ。
それは、2020年の二月頭。旧正月を終えたばかりの頃の台湾は台北。
巨大な駅の広場に莉春は立っている。
この頃にはすでに、台湾は銃に『食われて』いた。
2018に発生した銃乱射事件。『台北南港市場事件』のことを台湾では『龍哭』と呼んでいる。
この事件の真相を、地元民である莉春たちもよく知らなかった。
犯人は中国人らしいが、軍に殺されたとも、海外に逃げたとも言われていた。
そしてこの事件の直後に、中国国民党主導で銃が規制緩和され、
2020年には銃による犯罪が多発。
『龍哭』を鎮圧したのは中華民国国軍だったが、
以降軍は、台湾内の銃問題に関与しなくなった。警察もマスメディアも、一斉に沈黙した。
増えていくのはアメリカ製の高性能銃ばかりである。
怒った莉春達、当時学生の活動家は、反銃社会運動を積極的に行っていた。
台北駅には、
「別讓子彈決定我們的未來!」(弾丸に私たちの未来を決めさせるな!)
「死亡不是自由的代價!」(死は自由の代償なんかじゃない!」
というスローガンが書かれた旗が掲げられ、学生達百人余りが集まり、活動をしていた。莉春もその一人だった。
毎日毎日、銃を見ない生活に戻るために声のかぎり叫んでいた。そんなある日……
台北駅に銃声が響く。
逃げ惑う人々。倒れる仲間達。莉春も背中に銃弾を受け、病院に運ばれた。
この時の犯人は、やはり中国人だったらしいが公表されなかった……。
自由と革命を謳う人々の声を黙らせたのは、物言わぬ黒い筒だった。
莉春は目を覚ました。寝息を立てるリサを眺めながら、いまだに痛む肩の傷を撫でた。
* * * * *
白パーカーは、懺悔室の小さい窓に手を合わせ、ネックレスに口づけをした。
「今日はどんな一日でした?」
窓の向こうから声が聞こえる。
白パーカーは、穏やかな口調で答えた。
「今日も、会えませんでした」
「…… 確か、奥さんがいるんでしたね」
「元、妻です」
「感染症、そしてテロ以降は、人間のつながりというものも変わりました。人に会うのにはそれなりの準備がいるのだと思うのです。
会えないということは、会う準備が足りてないのです。貴方か、元奥様に」
「……はい」
「しかし、案ずることはありません。その時が来れば、向こうから必ず、貴方に会いに来てくれるはずです」
「……本当でしょうか?」
「なぜ疑うのです?」
「彼女は……もうこの世にはいないのです。くだらないテロに巻き込まれて、私の腕で死にました」
「……そうだったのですね。
……我らの教えでは、生者死者に関わらず、神の前で一つに結ばれております。
魂で繋がっているのであれば、肉体の有無など抹消的なこと。時が来れば貴方は再び、奥様と出会うことでしょう」
「……ありがとう」
「明日はどんな一日を迎えますか?」
「…… ……戦ってきます。……死ねば、妻に会えますでしょうか?」
「いいえ。必ず生きて、お会いになってください。神のご加護を」
「……私に力をお与えください。神のご加護を」
白パーカーは、十字を切り、ネックレスにもう一度、口づけをした。
* * * * *
出高井戸の緑地帯に佇むプレハブ小屋、その地下室にて、
出汁郎は唇を噛んでモニターを眺めていた。
(動きが早いな……)
笹塚には、明らかに軍事訓練を受け、武装をしていることを隠す気もない男達が集まっている。
リサの家の周りでは、監視員と思われる者数名。ドローンまで飛んでいる。
どうやら次のターゲットはリサ、もしくはその家族ということのようだ。
(屋台襲撃のような一斉攻撃を仕掛けられたら、ひとたまりもない。
やっぱり倉庫襲撃はやりすぎだったんだ……)
傍に置いていた出汁郎のスマートフォンが、奇天烈な音階で鳴る。
画面には『姫』の文字。出汁郎は電話に出た。
『楽しんでる? 出汁郎ちゃん!!』
出汁郎の心配を他所に、姫川は楽しそうである。まるでこれから贔屓にしている野球チームの試合を観戦するかのようだ。
「楽しくはーないですーー。どうするんですかー? やっぱりお隣さん、本気になっちゃいましたけどー」
『んなちいせえこと気にすんなよ!!』
「……リサの家族を人質に取られたら、相当厄介なことになりますよー?」
『だから、大丈夫だって』
「……向こうには轍さんしかよこしてませんよー。攻撃を仕掛けられたらひとたまりもないですよー」
『頭を使えよ出汁郎ちゃん! つまり、敵はリサの両親を殺せないってことだぜ』
「……はあ?」
『いくらドローン飛ばそうが、兵隊送り込もうが、リサの両親は生捕りにしねえとなんねえっつってんの。
あいつら数は揃えても、こっちには作戦が筒抜けだわ、作戦に人数は活かせねえわ……っつうわけ。
正直、羅英龍ちゃんの実力はこの程度だったってわけだよ』
「……そうですかねえ……ちょっと……信じられませんけど」
『出汁郎ちゃん戦争は数だって思ってる口?』
「実戦で学んだのはそうですー」
『じゃあ石器時代の戦争しか勝てねえな出汁郎ちゃんはー。戦争は数じゃないよ? 情報と兵站だよ?』
「……どれも不利に思えるのですがー」
『そうでもねえって!! ……ちゃあんと手回ししといたからさ』
「…… ……また何かやったんですかーー?」
『……人足も、情報も、兵站も勝てない。それでも戦わなければならない。そんな時にこちら側ができる有効的な手段はなんだと思う?』
「白旗の用意ですかー?」
『まあまあだな。それも悪くはねえよ。あんまり良くもねえけどな。
俺だったらー……敵の敵を増やすね』
「…… ……罰天? のことですか?」
『お隣さんが笹塚に送った戦力と、装備を罰天の信頼できる筋に送っておいた。明日には大騒ぎだぜーー! 笹塚はよお!!』
「待ってくださいよー、罰天だって目的は『新青龍』と一緒なんですよー?」
『出汁郎ちゃんそれは見失ってるよ。あいつらの本来の目的はなんだ? 新青龍の解体だろ?
そのために山岡だリサだなんだっつって……笹塚に来てたんだろ?
目的は一緒でも罰天と新青龍は敵対してんだぜ? 足を引っ張り合ってもらいましょうよ。 最悪、轍がなんとかしてくれるから。……じゃあ、轍にもよろしくな』
電話が切られる。
出汁郎はスマートフォンを置き、モニターを虚に眺めた。
「轍さん……、無事に帰ってきてくださいね……」