B・E
リサが自宅に帰っていく所までを見届けてから、兎的はトラックを走らせた。
真っ直ぐ帰ったりはしない。向かったのは杉並区、京王井の頭線線は高井戸駅と浜田山駅の間にある緑地帯である。
この時間帯に生きた明かりはなく、薄暗く誰もいない住宅街を通り、トラックを停め、神田川沿いにある、管理事務所のようなプレハブ小屋に、IDカードをかざして入っていく。
プレハブ小屋には何もない……が、床の隠し扉を開ければ地下に通じる階段が現れる。兎的がここに来るのは久しぶりのことで、
入るのに少し手間取ってしまった。
地下は……緑色のLEDライトの灯り。そして、コンピューターを冷却するフィンの「ブーーン」と言うハム音が支配する空間だった。
「出汁郎さん……いますか?」
兎的が呼びかけると、天井の白い照明がついてようやく視界が開かれる。面積で言えば広大なのだが、そう感じさせないのは、
所狭しと並んだ棚やら、機械やらで埋め尽くされているからだ。
「出汁郎さん?」
「あー。 お疲れ様ですー」
地下室の奥で、パソコンのモニターと向き合っている出汁郎が、椅子を回転させて兎的と向き合う。
相変わらず主張の激しい八重歯と、度が高いメガネをしている。
「どうでしたーー? リサさんーー」
「もうすっかり元気でしたよ。それより帰り道、尾けられていた気がします。
愛莉さんがなんとかしてくれましたが……」
「はいーー。愛莉さんからー今しがたー、動画が届きましたーー」
出汁郎は、デスクトップを兎的に見せ、動画を再生させた。
動画は無音で、バイクの後部に設置されたカメラが、後方に走る車を写している。
運転席には、中年男性。助手席には黒髪の女性。 二人ともスーツ姿である。
夫婦とは思えない。二人とも言葉を交わさず、目の前のバイクをじっと追っている印象がある。
「『罰天』のメンバーですか……?」
「違うと思いますねー。尾行までして下準備するのはー、カチコミ・路上襲撃・見切り発車が3大原則の罰天のやり方じゃないですー。
もっと陰湿なー……まあ、はっきり言って『お隣様』の方でしょうねー」
お隣様。中国系武力組織『新青龍』の隠語である。
「彼等も、リサさんを……?」
「はいーー。彼女を本店に送って正解でしたーー。一般人に目立つからねえ。本店は」
八重歯を覗かせて出汁郎は笑う。
「……『新青龍』って、解散したんじゃないんですか?」
「それがねえ……」
出汁郎は、デスクの引き出しから数枚の写真を取り出し、兎的に渡した。
「去年末の、成田空港の監視カメラの映像から拝借しましたーー」
写真には、サングラスをかけ、大きい荷物を背負った3名の男女が入国してくるところが写っている。
それぞれ、明らかに筋肉質で体が大きく、素人には見えない恰幅だった。
「これは……?」
「おそらくお隣さんは、大規模な巻き返しを図ってますねー。 それにはこの増援による影響が大のようですよー」
「……中国軍……?」
「いえ、そうですがー違います。彼等は中国系のPMC経由で採用されたー
デルタの隊員ですー」
「中国系のデルタ? そんなのがいるんですか?」
「轍さんに確認しましたー。この中に顔見知りがいるみたいでー。
アフガニスタンとベンガジで一緒だったそうですよー。
デルタフォース『ブラックエコー分隊』、通称『BE部隊』所属の2名ですー」
出汁郎は、モニターに写真のアップ画像を出力した。
男の顔がアップで映る。
「彼は沈 澄光。
新青龍の羅英龍と共に各国を転戦したらしいですー。罰天のゴロツキ達じゃー、まあ相手にならないでしょうねー」
次にモニターは女性を写した。
先ほど、愛理が送ってきた動画で、助手席に座っていた女性だ。
「こっちは馮 美珊ですねー。
デルタに来る前はCIAだったという変わった経歴を持ってます」
「そんなのがなんで日本に……」
「さあー。……たった三人でも『本物』が加わったら、違うんです」
出汁郎は、三人目の画像を出した。
「……? こいつ……!!」
兎的は、モニターに映る少年を思わず睨んだ。
「あー、気がつきましたー? そうなんですよー。偶然でしょうかねー?」
それは、この間の笹塚駅でのイベントで、さんざん注目を掻っ攫っていった謎の少年だった。
彼も、傭兵だと言うのだろうか?
「デルタって少年兵もいるんですか……?」
「流石にいませんよーー。彼はーー、よくわかりません。
莉春もよくわからないって言ってるんですがー……どうも中国人には見えないそうなんですねー。
ともかくー、リサさんの下にはー、罰天もお隣さんも集まってきますねー。
近々品川でも動きがあるかもーしれませんー……」