割烹着の男
ここ一年で、本物の拳銃を見ることは多くなったけど、そういえば銃口なんて向けられるのは初めてだった。
五人の男達は、年齢は年下もいれば年上も居そうで、服装もスーツからTシャツ短パンから統一感はなかった。
まだ何もされていないがリサは、恐怖と悔しさで頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
これから何をされるんだろう?
考えたくもないが、無理矢理にでも思考を動かさないと正気を保てそうになかった。
心臓が内側から殴りつけてくる。呼吸が浅くなる。
頭の奥が冷たくなっていく。
男達はリサを、丸の内線のある地下二階の方南町よりに端っこまで歩かせた。
口はしっかり抑えられており、背中に銃を当てられている。
一年前なら中野坂上のこの時間帯は、人で溢れかえっているのだがもうその時とは時代が違うのだ。
誰もいない。誰かいたとしても、無関心を装い逃げるしかない。
つまり、誰も助けてはくれない。
こんな小さい物一つで、人間は言うことを聞くのだ。それがものすごく不愉快である。
親に「あんたももっときなさい」と言われて渡された時も、大喧嘩をした。
親……
途端に両親の顔を思い出して、もう今日一日で枯れたと思った涙がまた出てきた。
思わず腰を抜かせて座り込みそうになったところに、後の男から膝蹴りをされて、髪の毛を捕まれ、
引き摺られるようにホームの端まで歩かされた。
たかが数メートルのホームが、死刑囚が歩かされる13階段までの道のりのように長く感じる。
息を殺して、声を出さないように泣くのが精一杯だった。本当に今日は、泣いてばっかりだ。
「おい」
ホームの端、雑に床に放り出された。
「顔見せろ。顔」
一人が、私の頭を掴んで前を向かせる。
五人の汚い顔が、全員でこちらを見ていた。
誰も喋らない。ただ私の顔を全員で見ている。不快な視線が顔中に刺さる。
やがて、一番背の低いのが話しかけてきた。
「お前、山岡の女か?」
「……!??!?」
「山岡。山岡秀治。知ってるか」
……知っているどころか、よく、知っている名前だ。
本来なら、今頃幸せな時間を一緒に過ごしているはずの恋人の名前を、こんな男達から聞くとは思わなかった。
あいつ、反社の知り合いがいたなんて……。
騙された。直感でそう思った。
そういえば彼は、「世界中を飛び回る仕事をしてる」 なんてことを言うだけで、
具体的な職種なんて聞いたことがなかった。まさか、
まさか自分の恋人が反社だとは思わなかった。
俯瞰で見たら相当馬鹿な女だ。ようやく、それを自覚するに至った。
観念して、リサは頷いた。
「知ってるんだな!?」
もう一度、頷いた。何度も。何度も。
「……間違いない。連れてくぞ」
そう言って男達が再び、髪を掴んでリサを立たせようとした瞬間である。
「あが……!!?!?」
という声の後、ゴッ……!! と鈍い音が響いたと思ったら、
偉そうに質問してきた背の低い男がリサの視界から消えていた。
その後ろに立っていたのは、丸めがねをかけた、割烹着姿の大男だった。
「んだてめえ!!」
と、隣の男が叫ぶと、丸眼鏡は長くて太い脚で男の胸を蹴り、靴でホームの壁に押さえつけ、
男の ごふ という胸から空気が漏れる声が響いた。
丸眼鏡は三人目の首を肘で締め、その頭に所持していた拳銃の銃口を押し付けた。
残りの二人が丸眼鏡に銃を向けるまでに、彼は三人も制圧した。
締められている男が苦しそうな声をあげる。
丸眼鏡は、男を盾にして、残りの二人と向き合った。
ここまで丸眼鏡は息も上げず、声も出さず、落ち着いている。
そして数秒間の睨み合いの後、
丸眼鏡は締め上げている男の後頭部を銃の持ち手で強打し、男を解放すると背中から蹴倒し、四人目にぶつけた。
地下のホームに、男達の情けない声が上がる。
そして五人目が引き金を引く直前に、丸眼鏡は五人目の腕を蹴り上げた。
蹴られた腕が、飴のようにおかしな方向に曲がる。
丸眼鏡は、男達は銃を脅しの道具としか思っておらず、最初から撃つ気などないことを、この数秒で見切っていたのだ。
五人目の折れた腕を強引に引っ張り、どうするのかと思いきや男を片腕で持ち上げ、そのまま、線路の奥に投げ飛ばした。
ただ直立しているだけの男に対して、自力だけで軽々と持ち上げて、野球ボールみたいに投げ飛ばしたのだ。一体どんな怪力だろうか。
リサは映画でも見たことがない。
男は線路の上に落ち、ホームには非常ベルが鳴った。
最初に後頭部から地面に叩きつけられた背の低い男がようやく立ち上がると、
丸眼鏡は長いリーチを活かした直突きを鼻に二発打ち込む。
ベシャ という骨が潰れる音が響き、男は血を流して倒れ込んだ。
二十以上生きてきて、大人の殴り合いというものを目の前で見たのは、初めてだった気がする。
その人は、五人をたった一人でやっつけて、私の体を、まるで洗濯物でも取り込むかのように肩に担いで、
そのまま夜の暗闇まで走っていった……。
変な眼鏡に、割烹着。
ああ間違いない。さっき、あった人だ。