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「角屋」と兎的

 

 翌朝のことである。

 リサは昨晩の、発砲音と大砲の音とその直後のパトカーのサイレンで、不安で眠れなかった。

 

 この頃は同じ悩みを持つ人も多いようで、資産に余裕のある方の間で米製の地下シェルターを購入するのが流行している、と、

朝のニュースが言っていた。

 

『地下に避難できない人間は、不安な思いをして当然だ』と、ここ数日で何度見たかわからない大統領の、この発言がまた物議を醸している。

 

 しかし、自分の家から数メートルに立っていた電柱が薙ぎ倒されていたら、確かにそうかもしれないと思ってしまうところが弱いところである。


 リサはここのところ、関東圏から外に引っ越そうかと考えている。

 そのことを両親に話したら、本人達は「仕事の関係で東京から離れることができない」などと言い、

 「あなたが怖いならそうすればいい」と、まるで他人事のように言われた。

 家族ってなんなんだろう、と、この頃よく思う。

 この人たちは、自分の庭先に立っている電柱が薙ぎ倒されてもなんとも思わないのか。


 実際に家から出るのも怖くなった。リサは、相変わらず銃を持ってない。

 都心では、交通系カードに並ぶパスポートのようなものだが、それを頑なに持たないことがリサの中で現実に対する最後の抵抗になっていた。

 そして、その生活の水が合わないなら、どうやら自分の方からこの環境を抜け出すしか方法は、ない。


『不安な思いをして当然だ』、役者みたいな顔をして演説する大統領に嫌気が差して、

 それに賛同する日本人のコメンテーターたちに嫌気が差して、

 リサはテレビを勝手に消した。


 

 * * * * *


 最近は、大学からなるべく早く帰り、地元笹塚の商店街を歩くのがリサの中で癒しになっていた。

 その部分だけ大学の友達に知られたら「オバサンかよ」と言われそうだが、

リサの癒しは具体的に、最近商店街で商売しているラーメン屋台『角屋』だった。

 

 ラーメンの美味しさは、正直わからない。しかしここにくれば、

 莉春ちゃんに会うことができた。おおよそ今の自分の心に寄り添ってくれるのは、莉春ちゃんみたいな子ぐらいしかいないような気がした。


 今日も商店街には、『角屋』の、赤と銀色の屋台が湯気を揺らせている。

 ここのところ、ほぼ毎日ラーメンを食べてる気がする。

 体に悪いが、ここにこないと精神に悪いのだ。

 ……薬物依存ってこう言うことか? リサは若干、不謹慎な思考をした。


「いらっしゃい」


 しかし、角屋にいたのは、轍さんでも出汁郎さんでもなく、莉春ちゃんはおらず、

知らない人が厨房に立っていた。こう言うこともあるのだろうか……?


 若い男の人で、自分と同じくらい細い。そして背が高くて清潔そうだった。なんというか、とてもラーメン屋をやってる人には見えなかった。

 どちらかというと美容師さんだ。

 

 考えてみたらラーメン屋は、ラーメンを食べる場所であって、友達に会いに行く場所ではない。

 莉春ちゃんに会えなくてがっかりする、なんて客は非常識寄りな人間である。

 リサはこう言う、露骨な優男は苦手な方だが来てしまったんだからラーメンを啜ることにした。


「……ラーメン、一杯ください」


「はい!」


 ……爽やかな返事だ。


 角屋は、屋台のラーメンなので、扱っているラーメンは1種類しか基本的にはない。

 『笹塚ホワイト』とか、『中之島ダークレッド』とか、『神保町あずきばば茶色スペシャル』とかは、 

出汁郎さんが厨房に立っている時にたまにお目にかかれる裏メニューのはずだ。


 お兄さんがラーメンを茹でている姿は、出汁郎さんや轍さんと比べて少しぎこちなかったが、

統制のとれてる動きともとれた。

 この年齢まで若さとセンスだけで生きてきました。と言わんばかりの動きだ。『角屋』のアルバイトだろうか……?

 『角屋のアルバイト』……? この人も、戦ったりするのだろうか?


「……リサさん、ですよね?」


 知らない優男に名前で呼ばれて、リサは思わず机を立とうとした。ここのところ、自分の名前を知っている知らない男に碌な人間がいない。


「あ、ごめんなさい! 違うんです! 」


 すると優男はそんなリサの空気を察して無害な笑顔を作った。どうやら、訳知りな雰囲気だ。


「莉春ちゃんから聞いたんですよ。『最近友達ができた』って……」


 友達……莉春が自分のことをそんなふうに思ってくれたのは、リサには嬉しかった。

 リサは、ひとまず警戒を解いた。


「莉春ちゃんは今日は……?」


「あ、はい。今出汁郎さんと買い出しに言ってます。

 轍さんがちょっと、風邪ひいちゃいまして。僕がヘルプで入ってるんです。ははは。この割烹着は慣れないですね」


「普段は美容師さんですか?」


 半分冗談のつもりでリサは聞いてみた。


「え、そう見えますか?

 普段はー…… ……品川でクレープ焼いてます」


「クレープ?」


「はい。なんでクレープ屋とラーメン屋に横の繋がりがあるんだって、思いますよね。

 あ、でも安心してくださいね。ちゃんと出汁郎さんのレシピ通り作るんで……と、言っておいてなんですがー……

 レシピ通りだとあまりにも体に悪いんで。

 僕なりに調味料は調整してます」


 優男は、ポケットから有名な化学調味料を取り出した。


「『鉄の素』原理主義者です。体に悪いとも言われてますけど、

 これ少量で味が決まるんだったら他の大量の調味料入れるよりかは、体の消費コストに実は優しいんです」


 と、優男が言うのを聞いて、ああこの人も少し変わった人なんだなあ、とリサは思った。

 そして、自然と左手の薬指に目がいった。

 若く見えるけれど結婚はしているようだ。……衛生的に調理するときぐらい外して欲しいとリサは思わなくもなかった。


「僕は兎的。たまにここにいるんでよろしく。そうだ、今度莉春ちゃんと一緒に品川のお店にも遊びに来てくださいよ」


「クレープ屋ですか?」


「はい。クレープ屋に」


 それからは、自然とトマト……さんと会話をしていた。

 暴漢に襲撃されて以来、男性が苦手だったが、兎的さんからは良くも悪くも男性味を感じなかった。

 なんと言うか、とても自然体な人だとリサは思った。

 意識高そうなのが、嫌味っぽくなく見える。轍さんや出汁郎さんとは違った不思議な人だ。

 

 まずは自然と昨晩この辺りで起きた事件の話しになった。銃声が響いて、近所の電信柱が折れて停電騒ぎになった話しだ。

 

「え……そんなことがこの辺りで……? 怖いですね……」


 お椀を持つ兎的さんの手が震えていた。


「僕も都内で働いてますから……いつそう言う事件に巻き込まれるか心配なんですよ。

 いやですね。早く……『まともな時代に戻ってほしい』ですね……」


 兎的さんからの素直な言葉は、最近無駄に強がりな海外メディアや、日本のメディアと違ってて共感がもてた。

 



 そして……


 気がつけばリサばかり喋っていて、兎的さんは聞き手になっていた。

「ふーん」とか「へえ!」とかしか言わない人だったけれど、自然とそれが心地よく感じた。

 元カレの事を……話す気にはなれなかったが、大学のこととか、不安なこととか、治安のこととか、そんなことを話したと思う。


 様子がおかしいと感じたのは、いつの間にか兎的さんの顔から笑みが消えていたことだ。

 リサが、何か自分が失礼な事を言ってしまったのかと思っていたら……


「リサさん……? ちょっと、屋台の後に、隠れていた方がいいです……」


 などと突然いう。


「後の数人、さっきからこっちを見てウロウロしてるように見えるんです。すぐ……終わらせますんで……」


 兎的に告げられ、リサは自分がいるのが最低な無法地帯であることを思い出した……。


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