主砲
轍の足の上で、白パーカーがしゃがみ込み嗤っている。
次の瞬間、轍の眼前が暗転した。白パーカーの両手が耳元を覆い、バランスを崩させる。そして、轍の背中を踏みつけて一気に後方で宙返った。
着地音すらなかった。
轍は姿勢を立て直し、すぐさま白パーカーの動きに対応した。
白パーカーからは殺意めいたものが相変わらずなく、気持ちの悪いくらいの自然体であり、動きが全く読めない。
なので轍はとにかくコーナーに追い詰めることにした。
ジャブを多用して顔面を狙う。それを白パーカーは細い腕と肘で受ける。
轍はパーカーをあっけなく壁際に追い込んだ。
ここでダウンをとろう……。轍は渾身の左フックで白パーカーの顎を捉えた……はずだった。
次の瞬間、闇夜の宙にまったのは、追い詰めたはずの轍の巨体だった。
白パーカーは全て読んでいたのだ。轍のフックを誘って……轍と後の壁の、狭い隙間で繰り出したのは、躰道の『海老蹴り』……
ほぼ垂直に蹴り上げたパーカーの踵が、轍の顎を捉えていた。
しかし轍は冷静に受け身をとってすぐ態勢を立て直し、ジャケットの内側から棒状の金属を取り出した。瞬間、シャキンと音を立てて伸びる伸縮式の警棒である。
白パーカーが笑いながら歩いてくる。
「んだよ。道具使うの? ガッカリだぜ」
などと轍を煽る。
轍は構え直し、間合いを読んだ。
――来る。
白パーカーの姿がフッと霞んだ。次の瞬間、背後に気配。読み通り。轍はそのまま振り向きざまに水平打ちを叩き込む。
バシィッ!
警棒が肩に入った。手応えあった。警棒分のびたリーチに、白パーカーは対応できてはいない。
白パーカーの体が後ろに弾ける――が、地面に落ちない。まるで自重が存在しないかのように地面を蹴って跳ね上がり、電柱に片手で張りついた。
「見た目通りタフだな。お前自衛官じゃねえだろ。さっきのパンチ……出身は海軍か?」
電柱の上から、笑いながら降ってくる。轍はその動線を読んで警棒を縦に構えた。だが次の瞬間、白パーカーの掌から閃光が走った。
――フラッシュライト!
一瞬、視界が白く焼き切れる。轍が怯んだ隙に、白パーカーの膝が鳩尾に突き刺さる。警棒が滑り落ちた。
「先に道具使ってきたのはそっちだぜ? もっかい聞こうか。お前の屋台、ありゃなんだ?」
白パーカーがしゃがみ込み、轍の割烹着を引っ掴んだその時である。
――「うるせぇアルな日本人!!!!」
空気を切り裂く金属音。角を曲がってきたのは、見覚えのある赤と銀色の巨体――
角屋の屋台だった。
ゴゴゴゴ……と摩擦音を立てて滑り込む屋台の先頭から、砲塔のようにせり出す高圧スピーカー。
「戦闘警報発令ー! 屋台緊急展開ー!」
スピーカーの声に合わせ、天板がせり上がり、側面の板がスライドして展開。白い煙と共に、固定機銃が姿を現す。
「主砲展開、『替え玉』よーーい」
今度は、カラカラカラカラ……とギアが巻かれる音とともに、屋台から『砲塔』が顔を覗かせた
「んだそりゃあ!!?」
これには白パーカーも笑ってしまった。こんな深夜に、それも住宅街で、そんなものをぶっ放せるわけがないだろう。
……そう思っていたのかもしれない。
「主砲解除よーし、弾込めよーし、『デリバリ・マルヒト』……うちーかたーはじめ!!!」
ドオン……
住宅街に、戦時中みたいな音が響く。……と、白パーカーの真隣の電信柱が倒れた。
あたりに電線から発せられた火の粉が舞う。
「お前ら……正気か!!……イカれてんのか!!」
「マルフタ装填!!」
カラカラカラ……と砲塔が、今度は白パーカーの方を向いた。
白パーカーが咄嗟に後退。固定砲台に乗っているのは割烹着にヘッドギアを被った出汁郎だった。
「轍さーーーん! 遅れてごめんなさーーーい!!」
轍は起き上がり、屋台の裏へ避難する。
白パーカーは、煙の中で舌打ちした。そして、そしてまるで追撃を見越していたかのように、姿を夜に溶かすようにその場から消えた。
嵐のような訪問だった。
「あれは……やっぱり兎的くんでしたー?」
出汁郎にそう聞かれると、轍は首を横に振った。
「兎的サンの偽物アルか…… 偽物も強いアル……」
遠くからパトカーのサイレンが数代分聞こえてきた。ようやくこの国の秩序執行装置が現場に到着だ。遅すぎる気がするが。
「とにかく散りましょうかーー。うーん……彼はーー『罰天』の構成員といったところですかねーー」
轍は自分の顎を触った。血が出ている。
それを見て思わずため息をついた。




