笹塚ホワイト
莉春に会って、リサの心は少しだけ軽くなった。そりゃあ、真っ青な痣ができた顔を見るたびに悲しくなるし、
こんなことをした暴漢たちを許す気にもなれなかった。
でも、負けてられないのでせめていつも通り振る舞ってやろう。などと思えるくらいには前向きになっていた。
家であのまま寝ていたら、もっとひどい顔になったと思う。
「行って来まーす」
昨日莉春に買ってもらった帽子を深く被り、リサは家を出た。
笹塚駅に向かう通学路の途中である。
深く被った帽子のせいで前がよく見えてなかったのかもしれない。
ドン……と、前から歩いてきた男の人にぶつかってしまった。
「!!…… ごめんなさい」
リサが謝ると、真っ白いパーカーを着た男の人は、何も言わず通り過ぎていった。フードを被っていたために、表情はよくわからなかった。
……やたらと背が高い。あんな大きい人が前から歩いてくることに気がつかないなんてことがあるのだろうか?
リサは自分に呆れて、通学路を急いだ。
……去っていくリサの背中を、白いフードの男が無表情に見つめていた……。
* * * * *
大学の友人に、顔の痣を心配されたが、
「派手に転んじゃった。自業自得だよ」と、自分で笑ってみせた。
その『派手に転んだ』と言うのは、恋愛で酷い目にあったという自分なりの隠語だ。
恋人と別れたことも、無理して笑ってみせた。
が、笑おうとも泣こうとも、結局『無理』をしていることに変わりがないことを、その日の夕方には気がついてしまった。
友人たちと話す気力も湧かず、放課後は真っ直ぐ家に帰った。
わかってはいたが、家にいても何も解決しなかった。
誰にも会いたくないのに、一人で居たくなかった。不便なものだと思う。
どこかに行きたいし、消えてしまいたいけれど、新宿には近寄りたくなかった。
リサは結局、また商店街の方に歩いていった。
体を動かしているからだろうか、家でじっとしているよりかは幾分かマシな選択だったとは思う。
商店街を、何も考えずにただ歩いていた。莉春のようにパンを美味しく食べられたら、こんなに悩むこともないのかもしれない。
しかし今のリサは、クリームパンを見ても美味しそうとも思えなかったのだ。
昨日の夕方には感じなかった匂いに気がついたのは、パン屋を通り過ぎた後だった。
「え……」
間違いない、屋台だ。 この辺りで一度も見たことがなかったラーメン屋の屋台が商店街の隅にいる。
しかも見覚えのある屋台だ……。
すがるような思いでリサが屋台に近寄ると、見覚えのある丸眼鏡の店員さんと、八重歯の店員さんが厨房に並んでいた。
確か……轍さんと出汁郎さん。
「いらっしゃいませーーーー」
角屋は、今日はリサを受け入れてくれた。
「おお! きたアルな!!」
屋台の影から、ネギやら白菜やらを抱えて莉春も出てきた。
「ここまできて……くれたんだ……」
「言ったアルよ。『10キロ太らせるまで帰さねえ』って。さあ、大人しくラーメン十杯注文するアル」
「莉春がーー、今日はここで営業したいって言ったんだーー。せっかくだから食べていくといいよーー」
出汁郎さんが言うと、莉春が屋台の前に設置された椅子をひいて、リサを座らせてくれた。
「へいらっしゃーーーい」
出汁郎さんが改めてリサに言ったが、やっぱりこの人たちがラーメン屋だと、リサには思えなかった。
「今日はーー、新作を用意してますのでーー、そちらを出させていただきますーー」
「新作……私、旧作食べてないです……」
「旧作は、ただの醤油ラーメンアル。スープにコーヒーと豚頭が入ってるアルな。」
「……あと……あまりお腹空いてないので、半分で……」
とリサが言うと、後に立ってた莉春が「ンーー!!」と叫んでリサの椅子を蹴飛ばした。
「お前は! 食わなきゃダメある!!」
「あ……うん。じゃあ……一杯ください」
「あいーーーー」
そうして、厨房の出汁郎さんと轍さんが調理を開始した。
非常にいい匂いがする。これは……白出汁の匂いだろうか?
「今日のスープはーー鳥さんですーーー麺もーー細麺なのですぐ茹で上がりますよーー」
隣で、轍さんがお肉を切っている。白い。おそらく鶏胸肉のチャーシューだ。
轍さんのメガネは既に湯気で曇っている。
出汁郎さんは野菜を切り出した。
「今日はーーどちらかと言うとーースープを召し上がってほしいのでーー
どちらかというとアレに近いですー。野菜スープねーー。
麺も春雨にしようかとも思ったんですがーそれだとーラーメンではないのでーーー」
3分もしないうちにそれは、リサの前に出された。
透明なスープに細麺。そして白チャーシュー、白菜、刻み玉ねぎ。そこに白胡麻がまぶしてある。
「命名ーー『笹塚ホワイト』ですーーどうぞーー」
ぐう。と、お腹が鳴ったと思えば、
突然食欲が目を覚ました。暴力的なまでに。
これは……多分、新宿で食べられなかった分の食欲だと思う。
リサは、割り箸を割って、黙々とラーメンを啜り出した。
ああ、これで、ようやく泣ける。リサはそう感じた。
今ならどれだけ泣いても、湯気が隠してくれるだろう。
実際出汁郎さんも、轍さんも、他のお客の対応をしている。
莉春だけ、そっと、変なキャラクターが書いてあるハンカチを差し出してくれた。
* * * * *
夜に差し掛かる頃である。
リサの家の前を、白いパーカーを深く被った男が通り過ぎた。
そして、リサの家をじ……っと睨んで、「フン」と鼻を鳴らし、去っていった。




