日本が嫌い
莉春さんの買い物につき合うと言うので、リサはてっきり食材の買い出しのことかと思っていた。
二人が向かったのは、安売りのスーパーではなかった。
笹塚にも、大きい業務スーパーがあるがそこでもなかった。
住民が足げく通う、八百屋でも精肉店でもなかった。
だがかといって……年頃の女の子が遊びに行くような、
渋谷でも、下北沢でも、吉祥寺でもなかった。歩いて向かえる、笹塚の商店街だった。
彼女が買ったのは、まずは大きな鍔付きの帽子だった。
購入すると、それをリサに手渡した。
「え? お金払いますよ」
「台湾人が『奢る』と言ったら素直に受け取れアル」
ちょっと、リサの趣味にしてはオバサンが過ぎるセンスのように感じたが、
顔の怪我が隠れて丁度いい。
「似合ってるアル。……嫌な思い出は隠しちゃうのがいいアル」
「あ……ありがとう……」
リサは、文字通り命の恩人が『付き合え』と言うので付いてきたが、
正直この顔で外を出歩くのは抵抗があった。メイクで隠すのにも限界があったし、
そう言った意味ではこの帽子はありがたかった。
「…… ……美味しそうな匂いがするアルよ」
莉春さんは突然立ち止まり、「フン、フン」と鼻をヒクヒクさせながらあたりを見渡す。
可愛いが、顔が真剣そのものだ。
そして……
「パンーーー!!!」
彼女は、商店街のベーカリーを見つけると、餌に群がる鯉か何かのようにパンに引き寄せられた。
リサは戸惑いながらついていく。そういえば、諸々のお礼もしたいところだった。
店内は、心が生き返るようなパンの甘い匂いで漂っていた。
莉春さんは、あんこが挟んであるフランスパン。大きいフランクフルトが一本丸々挟まれたホットドッグ。
繊細に扱わないと崩れてしまいそうな、いかにも罪作りなブラウニー。そしてクリームパンをトングで掴み、カゴに入れていく。
その動きはまるでダンスのようだった。
リサは食欲がなかったので、莉春のカゴを受け取って、お会計を済ませた。
「ありがとうアル。……でも分けてあげないアルよ!! 台湾人は食への執着が半端じゃないアル」
そう言って、パン屋さんの外でいきなり、大きなホットドックを大きな口いっぱいに頬張った。
「んーーー!! 神様ーーー!!」
……他人が、美味しそうに物を食べているのを見るのは、どうしてこうも多幸感溢るる情景に感じるのだろう。
リサが、莉春の食べっぷりを愛おしそうに見ていると視線に気づかれて、
「分けてあげないアルよ!」
と釘を刺された。
「お前、細いアルな」
「え……そうかな……」
「……何照れてるアルか!! 褒めてないアル! ここが台湾だったら、10キロ太るまでは帰さねえアル!!」
「莉春ちゃんは……台湾から来たの?」
莉春は頷いた。
「台湾人の私から言わせると、今の日本人は実に情けないアルな。外圧の影響受けまくりアル。見ていて悲しくなるアルよ」
「……銃の規制緩和とか?」
莉春は何度も頷いた。
「私は日本人嫌いアル。
中国人、日本人、アメリカ人の順に嫌いアル」
そう言ってホットドックを完食すると、フランスあんぱんを一口で半分食べてしまった。
「そして、私喋れる言語は中国語、日本語、英語の三つアル。……嫌いな国の言葉しか喋れない自分を殺したいアル。んー!!」
そしてフランスあんぱんは、ものの数秒でなくなってしまった。
次に莉春は、クリームパンを取り出し……
リサは彼女がクリームパンを何口で食べ切るのか、ある種羨望の眼差しで見ていたが、莉春はそれを、
後生大事に口に運んでいく。まるでリスの咀嚼である。
「クリームパンは、大切に食べるアル。私の哲学ね」
その後で莉春は、広島風お好み焼きを見つけると、「神様ーー!!」と飛んでいった。
食欲がないはずのリサも、あまりにも莉春が美味しそうに物を食べるので、なんだかお腹が空いてきた。
……お腹がすくって、幸せなことなんだなあ……と、妙に達観した気分になる。
二人で並んで、広島風おこのみやきを食べ歩く。
その後は、コーヒーショップでカプチーノを注文した。
たこ焼き屋さんで二人前を頼み、かき氷を食べた。
別のパン屋さんで、くるみあんぱんと、チョコチップパンと、クリームパンを買った。
リサは、クロワッサンと、クリームパンを買った。
こんなに食べたのは久しぶりだし、地元の商店街で爆食するなんて初めてのことだ。
リサは、自分がこんなに食べれる人間であると初めて知った。
お店の前で二人して、ゆっくり、ゆーっくりクリームパンを食べた。
莉春曰く、
「クリームパンを食べれば、そのパン屋の実力がわかる」
などと言う。
試しに、今までで一番美味しかったクリームパンはどこか聞いてみたら、
「セブイレ」
と帰ってきた。
だいぶ歩いてきて、気がつけば代々木公園にいた。
夕方近くなってきているが、カップルや犬の散歩をしている老人がそこそこいた。
「ほらみてみるアル。誰もお前の顔の傷なんか、みてないアルよ」
「…… ……そうかな」
「他人の傷にはとことんまで無頓着になれるのが日本人アル。
多分、想像できないからアルな。他人の痛みを。
そういう日本人が、私ホント、嫌いアル」
そう言いながら、缶コーヒーを飲む莉春の顔はどこか慈愛に満ちているような気がした。
「…… ……余ったからお前にやる、アル」
莉春は最初のパン屋で買ったブラウニーをリサにわたした。
奇跡的に、形が崩れていなかった。




