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てるっ、娘はどこだ?! 奥よ?」


ずれた烏帽子えぼしを気にかける余裕もなく、男は草の生い茂る庭を月を頼りに横切った。勝手知ったる屋敷に転がるように上がり込む。


明りのついていた妻の部屋に飛び込んだ。

「奥っ、娘の一大事じゃ」

が、無人だった。鼻先をなじみのある奥床しい薫物たきものの香がくゆる。先ほどまではこの香の主がいたに違いない。

もしや、先回りされて何かがあったのではないかと、悪い想像に動悸が高まり頭の奥が痛む。


「誰ぞ、誰ぞいないのか」

夜目にも屋敷も庭もさびれて手入れが行き届いていないようなのが分かる。

さらなる明りを見つけて対の屋へ渡り部屋にかけ込むと年寄りの女房と女童が突然のことにひい、とお互いにすがりあって声をあげる。

「おお、生きている者がおったか。妻と娘はどこだ」


几帳きちょうの奥から声がした。

「あら、おなつかしゅう。その声は父上ではありませんか。幼いころは下賎げせんの如く走り回るなと口酸っぱくわたくしに仰っておいでなのに何事ですの、案内あないも乞わずにそのように乱れた有り様で。急な方違かたたがえでもありましたの」


娘の無事を確認して安堵する。

てるか!? 無事でおったか。 鬼じゃ、鬼が出た!」

「鬼?」

「我の牛車に突如つむじ風のように乗り込んできてお前に礼をしたいから取り次ぎしろと、そうすると牛車が勝手にこちらに門付けを。舎人とねりどもはまるで固まって我の声が聞こえぬようじゃ」


「あら、まあ。殿上へあがる身分のお方が自ら娘への鬼の取り次ぎのお役目を?」

面白がっている声がする。


「それは大儀たいぎなこと。久しくお顔を見せたことのない父上が突然何事かと思いました。母上の元へ出入りしている怪しげな法師やら呪い女やらの祈祷きとうおびき寄せられたかと心配してしまいましたわ」


久方ぶりの娘の声はすっかり大人のものになっている。

「知っております? 吉野の狐の化身やら赤蔵ヶあぞがいけの水売りやら都の路地裏で夢を買うという占い婆やら、世間様にはそれはそれはよくわからない名乗りをして商いするものがおりまして、母上がいちいち話を聞くものですから。大層はしたない祈祷などもいたしておるようですし、父上なら呼び寄せられかねないとも。でも今宵もどこぞかの女人を訪ねているいつも通りの父上でしたのね。安心、安心」


「奥はどこにいった」

「お部屋におられませんでしたの? それでは方々に浮き名を流す父上の名を今宵も追いかけて行ってしまわれたのかも」


久方ぶりに会う娘のこすりは、彼の通う女たちが次々()せたり、儚くなっているのを説明するようで気分が悪くなったが今は差し迫った問題がある。


「のんびり皮肉っている場合ではない、話を聞いていたのか。鬼がお前に会いに来たのだぞ!? 人を出して助けを呼ばねば。それともやんごとなき深窓の姫が鬼との関わる心当たりでもあるのか、一体どういうことになっているのだ!」

鬼をすぐ間近にした 恐怖を思い出して蒼白になり、声を大きくして娘にくってかかっているところ、ひゅううっと吹き込んだ風に燭火しょくかが消された。訪れた暗闇とともに一気に温度が下がる。


──みしぃぃ、ぎしぃぃ。


なにか重たい重量のものが床を踏みしめ自分の横を通りすぎていくのを感じる。

鬼だ、牛車に乗り込んだ鬼に違いない。


心も体も霜が降りたように動かないのに、目玉のみがギョロギョロ動き、それでも何も見えずに冷や汗がたらりと顔を滑っていく。

(娘が食われてしまう)

そうは思っても体が一指も動かせない。


唐突に灯りが戻る。

「照ッ」

几帳きちょうをはらいのけ御簾みすを乱暴に取り払うと、少々(とう)のたった年頃とはいえ幼い頃のままの面影を宿した娘が膝に絵物語をひろげたまま、顔をしかめてこちらを見つめ返した。

落ち着き払ったさまである。


「ぶ、無事だったか……?」

「ご自分で取り次ぎ役をしておいて無事もなにもないでしょうに。ああ八春やはる、平気よ、そのままで」


見たところ、かどわかされた者はないようだった。そそくさと主人への視線を遮るのに几帳を置き直そうとする老女房に娘が袖を振る。


「久方ぶりの来訪の上、次などあるか分からない親子の再会ですもの。見納めになるかもしれぬし、几帳の内で構わないわ。扇をくれる?」

「まだ鬼がおるかも知れぬ。誰ぞ家人けにんを走らせて、武者どもを、」

「もうおりませんわ。用も済んだし帰ったのでしょう」

「用?」

「そちらに」

「こ、これは」


自分と娘の間にひどく不吉を発する固くいましめられた黒い黒いひつが置いてあった。



「これが父上に先触れさせた鬼の礼物れいもつですわね。律儀なこと」

「先ほどからなんと呑気な! まるでそなた鬼に礼をされる心覚えがあるようではないか! 一体何が入っているのか不気味なものを」


娘はうるさそうにばさりと扇を広げ、思案するように黒い櫃をとっくりと眺めた。

「心覚えならありますが、わたしの言葉通りのものを用意できたとしたら……、だとしたら、中身は首、ですわね」

「首!? 人の首か!?」

「人の首ですわね、わたしが思っている通りのものなら」


男がおののく。


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