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人生交換

作者: 雉白書屋

 街を歩いていたとある男。彼はその看板を目にした瞬間、足を止めた。


【人生交換します】


 小さなビルの二階部分に取り付けられた看板にはそう書かれていた。彼はしばらく看板を見上げ、そして、まるで排水溝に流されるようにビルに引き寄せられていった。

 階段を上がりドアを開けて中に入ると、そこは狭く、土産屋のような雰囲気だった。彼は「しまったなぁ」と思った。たまにあるのだ、こういった奇抜な店名を掲げて客を引き寄せようという店が。一見するとアジアンテイストの店に見えるが、自由の女神の置物があったりと、統一感がなく、ごちゃごちゃとしている。そのこだわりのなさが怖い。ぼったくりなのではないか。入ったからには何か買うまで出られないとか。段々、テレビ番組のセットに見えてきた。知らないけど。

 彼はそう思い、すぐに向きを変えて店を出て行こうとした。しかし、その時だった。


「いらっしゃい。よかったら、こちらへどうぞ」


「ああ、あの、はい……」


 と、先ほどのマイナス思考からわかるように、彼は気が小さい。「結構です」の一言が出ず、店員から再度近くに来るように促されると、彼はしぶしぶ、レジカウンターの方へ向かった。


「君はぁ、人生を交換したいんだよね」


「え……?」


「違うの?」


「え、いや、その……」


 彼は下を向き、言葉を詰まらせた。

 恐らく店主なのだろう、その男はゴソゴソと何かを取り出し、レジカウンターの上に置いた。


「えと、これは……写真とプロフィール……ですか?」


「そう。交換したい人をここから選んでね」


「え、でも……」


「人生、交換したくないの?」


 ――したい。

 彼は訊かれたことで、はっきりと心の中でそう思った。そうだ、だからこの店に入ったのではないか。今まで生きてきて楽しいことなどろくになかった。思い出そうとすれば必ず嫌な記憶が付き纏う。記憶の轍は地雷原。

 弱者弱者。蔑まれ、疎まれ、馬鹿にされ、将来結婚どころか、彼女がいたことすらない。大学へ行きたかったがそれも無理だった。バイトも先日クビになった……。


「違うの? じゃあ、これは……」


「あ、ちょ、いや、ん」


 黙り込んでいる彼を見て、店主がそう言って写真などを収めたクリアファイルをしまおうとした。彼はそれを慌てて手で制した。そして、言った。


「人生を……交換できますか……? 僕みたいなやつの人生でも……」

 

「できる。できるよぉ! ははははっ!」


 店主は笑って彼の肩に手を置いた。

 彼は涙を堪えながら、写真に視線を落とした。

 

「この候補者の中から好きなのを選んでくれるだけでいいからさ。あっ、君もこれと同じようにプロフィール書いてね。家の住所とかさ、じゃないと、はははっ、交換された相手が戸惑っちゃうでしょ? あと、交換は一日限定ね」


「ああ、はい……でも、人生交換って、その、魂が入れ替わるとかですか……? 僕なんかと入れ替わりたい人いるのかな……。この人たちも、自分の人生を交換したいって思っているんですか? こんなに充実していそうなのに……」


「まあまあ、やってみればわかるから。さ、ほら、選んで選んで」


「え、あ、どうしよう……」


「おすすめはこの人だね。ほら、どうせなら部長がいいでしょ」


「ぶ、部長?」


「そう、テニスサークルの」


「あ、じゃ、じゃあこの人で……」


 彼が選んだのは同い年の男で、名門大学の学生でテニスサークルの部長だった。たった一枚の写真からわかる裕福さ、自己肯定感に満ち溢れた顔。自分とは真逆の存在に見えた。だからだろう、彼は「畏れ多いですけど……」と付け加えた。


「はいオッケー。じゃあ、今言った通り、この紙に必要事項を記入して、ああ、それで明日の朝、駅前に集合ね。ちょうど合宿があるみたいだからさ」


「え、合宿?」


「そ、テニスサークルのね。わかるでしょ。友達が君を、ああ、彼になった君を駅前で拾う予定だからさ」


「え、え、え、あ、はい……」


 自分が望んだこととはいえ、信じられない話だった。彼は家に帰ると、店にいた時よりもソワソワと落ち着かない気持ちのまま過ごした。布団に入り、電気を消しても胸の高鳴りが収まらない。

 本当に、でもどうやって……呪術や魔術的な……でも思えば、そんな雰囲気があの店にはあったような……いや、なかったかな……どうだろ……。

 と、あれこれ考え、あまり眠れないまま翌朝を迎えた。そして、彼は鏡を見てため息をついた。そこに映っているのはいつも通りの陰気な顔。しかし、彼が「まあ、そうだよな……」と思いつつ、一応言われた通り、駅前に行くと……


「ほらほらぁー! 何してんの! 乗って!」


 現れると同時にクラクションを鳴らしたハイエース。その窓から顔を出した女が彼にそう言い、手招きをした。「はやくはやくぅー!」と、その後ろから別の女が菓子袋をマラカスのように振る。

 彼はおどおどし、連中から催促されるとへらっと笑いながら車に駆け寄った。

 

「あ、あの」


「シュッパーツ!」「フゥゥゥゥゥゥ!」


 車には数名の男女が乗っていた。彼は車に乗る前から若手いたことだが、その全員が自分とは違う人種、住む世界が違う人たち。陽の者。なんなら本当に洋の者で人種が違うのかもしれない。車内パーティの真っ只中に放り込まれた彼は席で縮こまり、肩掛け鞄のショルダーストラップをぎゅっと握る。


「ねー、アキくーん。今夜さあ」


 と、横に座る女が彼の太ももに手を置き、囁いた。そして、その手がするりと太ももと太ももと間にすべりこむと彼は「あ、う!」声を漏らす。

 この人は誰と勘違いしているんだろう。朝から酒に酔っているのか? ……いや、アキくんって、僕のことじゃないか!

 そう気づいた彼はゴクリと唾を飲み、言った。


「ね、ねえ、あ、あ、の、もしかして、本当に人生交換、あ、あの、今夜って、それって」


「ミホー! ねえ、これー」


 今夜……。その言葉の先は、その女が他の女に話を振られたため、彼は聞くことができなかった。だが想像はつき、体がますます汗ばんでいった。

 その後、彼は振られた話に相槌を打ちつつ目的地、湖がすぐそばにある、しゃれたコテージに到着した。当然、テニスコートもある。すでに他にも何人か集まっており、どうやらこの辺りは彼らの貸し切りのようだった。

 

「じゃ、部長様に挨拶をやっていただきましょーかね!」

「いよっ!」「ひゅー!」「我らの!」「カッコイイー!」


 と、全員から一斉に視線を向けられ、ビクッと背筋が伸び上がる彼。え、え、とキョロキョロ辺りを見回すと「ちょっとちょっとー!」「いや、お約束のやつかーい!」「部長どこどこ? じゃないよあんただよ!」などと周囲に笑顔がはじける。


「そ、そうか、え、え、え、あの、その、か、勝つぞー!」


「おー! って何に!?」


 その場は笑いに包まれ、彼もへへへと笑った。

 そうだ。人生を交換したんだ。今は僕が部長。そして、車の中でもそうだったけど、みんな僕に好意的だ。

 ここに来るまでは半信半疑だったが、ついに確信を抱いた彼は少し緊張がほぐれ、笑顔を見せるようになった。荷物を置き、この日を目一杯楽しもうと鼻から息を吐いた。


「はーい! フォーティーラブ! ぶちょー、どうしちゃったの?」

「ははは! そうだよ。今日調子悪いの?」


「いや、はぁはぁ、まあ、うん、いや、強いね君、はぁはぁ……」


「ははは、じゃあ罰ゲーム! ほーら! いっき! いっき!」


「え、と、はははは……じゃあ、いただきま、う、おえ!」


「きゃー!」「きたなーい!」「あはは!」「ちょっと靴にかかったんだけど、いや、マジで」


「あ、あ、ごめん、あ、拭くから誰か、ウエットティッシュか何か持ってない? 誰か、ないの?」


「ははははは!」「さささ、いーからいーから次の試合行ってみよー」


「え、でも、ははは、ごめん、体力が」


「フィフティーン、ラブ! もう、試合は始まっております!」


「え、え、え、えええ!」


「ははははは!」「あはははは!」「ははははははは!」


 常に中心に置かれた彼は部長として、場の空気を壊さないようにと精一杯明るく振る舞った。慣れない環境に心が折れそうになったが、彼は耐えた。その理由は車の中で言われたあの言葉だった。

 そして夜。夕食後のどこかうろんな空気の中、ついに彼が最も楽しみにしていた瞬間が訪れた。

 喘ぎ声にリップ音。クスクスといった笑い声。ゆらめく暖炉の火に部屋の影もまた揺れ動く。絡まる手足。はだけた服。ソファーに腰かける彼は目をカッと見開き、鼻を膨らませ、自然と前傾姿勢になった。収まりが悪いようにズボンを度々掴んでは動かし、擦れる布で快感を味わってはいやいや、こんなところで果てては……! と慌てて手を離し、また身じろぎする。

 肉体と精神は昼間の試合および、彼らのノリについて行くことに必死で疲れ、とうに限界を迎えていたが、そんなのは――


「ねえ……。しよ」


「あ、はい!」


 女の囁きで吹き飛んだ。彼の快活な返事に女は目を丸くし、そしてクスクスと、周りの者たちも押し殺すようにして笑い、彼は顔を赤くして頭を掻いた。


「……ねえ、外でしよ」


「えっ、そ、外?」


「ほら、変に注目集めちゃったしさ。このままここでするの恥ずかしいなぁ。それに、外の方が」


「す、好きなの?」


 女は頷き、ニッコリと笑った。


「気づかれないように、先に行ってて」


「あ、うん」


 彼は頭を掻き、さりげない動きを心掛けつつ、外へ出て行った。

 そして、女に言われた通り、コテージの裏に回った彼は服を脱ぎ捨て、女を待った。

 暑すぎず寒すぎない、ちょうどいい季節だった。ゆえに耐えられはするものの、さすがに全裸は肌寒く、また蚊など虫が寄ってくる。

 彼は手で虫たちを払い、月を見上げて心を落ち着かせる。すぐに果ててしまってはまずい。ああ、それにしてもたった一日とは言え、人生を交換してよかった。戻ったらまた誰かと交換できないだろうか……。


 ――おーっす、ははは!

 ――おー! おつー!

 ――もうホント笑えた!

 ――しーっ! で、アイツは?

 ――外。呼んじゃう?

 ――豚の血かけてやろうぜ。


 コテージの中から声が聞こえ、彼はその内容に違和感を抱いた。

 そして一歩、また一歩と、震える足でゆっくりと彼らがいる部屋の窓の方へと近づく。まだ見てないのに何が起きているのかわかる。第六感ではない。経験からくる直感と言えた。これまでの人生の、つらい経験から……。


「あ! ははははっ! おい、豚だ! 野生の豚がいるぞ!」「ははははははは!」「きゃあああ!」「変態!」「焼いちまおーぜ!」


 覗き込んだ窓の向こう。室内には笑う彼がいた。そう、彼だ。このサークルの部長。今、自分と入れ替わっているはずのあの写真の男が。


「おい、しーっ! しーっ! 豚が何か喋ってるぞぉ……」

「窓開けてやれよ」

「噛まないかな」

「歯、全部へし折ってやろーぜ」

「あ、逃げた」

「いや、ドアに回ったんだ」


 彼はドアを開けた。その陰部は丸めたテッシュほどに縮み上がり、脇と背中は毛を寝かせるほどの汗をかいていた。


「キモッ」「くさーい」「ちっさいし」「いやマジ無理」「車の中も臭かったよね」


 自分を罵倒する声。今まで生きてきた中で何度も浴び、しかし聞き慣れることはない。だが今、彼は気に留めていなかった。彼の中にあったのはただ一つの疑問。


「どう、どうして……」


「ああ、人生交換? ははは! あれ、嘘。って当たり前だけどな! ははは! 頭弱すぎ!」


 店を作り、そして看板に惹かれそこに入って来た中でさらに騙しやすそうな人間を選び……という風に彼らは何も説明してくれなかった。する必要もないと思っているのだろう。裸のまま、立ち尽くす彼の写真を撮り、罵倒を交え、蹴り、殴り、外へと追いやった。

 踏みつけ、唾を吐く。それなりに金と手間をかけ、おそらく何度もやっているのだろう、その理由を教えてはくれない。

 だが、彼は知っていた。弱者が強者に虐げられる理由を。

 彼自身も弱者に対して、したことがある。もっとも、その相手は人ではなく虫だったが。

 

「あ、豚が逃げるぞ!」

「狩るか!」

「いいよもう」

「警察行ったら殺すからなぁ!」

「むしろこっちが行こうよ。露出狂が出ましたーって言ってさ」


 

 遠ざかるコテージの灯りと笑顔。対し、迫って来る暗闇と絶望。息が切れるのは走っているせいだけではない。涙声で彼は呟く。「人生を……交換……したんだ。そういう決まりじゃないか……」

 理不尽には慣れていたつもりだった。自分の人生はこんなもんだと達観していたつもりだった。心の痛みに慣れることなんてあるはずないのに。



「はーあ、今回も最高に楽しめたなぁ」

「おれはもうちょい楽しみたかったがな。お前らは、いーよなぁ」

「ははは、さすがに交換相手のお前が現場にいるわけにはいかないからなぁ。馬鹿でも勘づくだろーし」

「そうそう。でも動画送ってやってたろー」

「今度はおれが部長役になるよ。どうせ肩書で選ぶだろうし」

「いや、ホント最悪。あいつが吹き出したお酒がかかったし」

「まだ言ってんのかよそれ……お?」

「ん? あ」

「は? お、ははは」

「おいおいおい……」


 彼が去ってから、しばらく経った後、くつろいでいた彼らはドアの方を向いた。いつの間にか開いていた。そして、そこには彼が顔を俯かせて立っていた。


「おいおい、どうしたどーした!」

「調教されに戻ってきたんだろ。ほら、してやれよ」

「嫌。ホントキモい」

「てか服着ろや!」

「なくしたんじゃね?」

「なあおい! 豚! てめえマジ殺すぞ!」


 彼は言った。


「ま、ま、まだ、二十四時間経ってないよ……? まだき、君は僕で、僕は君だろう?」


「…………はははははははっ!」

「はははははは!」「あははははは!」「はははははははっ!」


 一瞬の間のあと、彼を除く全員が笑った。


「ああ、はいはい、そーだね。お、ちょうどもうすぐじゃん! よーし! じゃあカウントいきますか!」


「お、マジじゃん」

「え、もうそんな時間?」

「カウント終わったら豚追い祭りな。ころそーぜ」


「はい、五!」

 

「よーん!」


「さん!」


「にー!」


「いちー!」


「はぁぁぁい、もとどぉぉりぃぃ! 豚は豚に戻りましたと、お? どこ行くんだよ! 豚!」


「よーし、追うか?」

「もういいでしょ。飽きたし」

「ほんとキモかった。なんか笑ってたし」

「でも、なんか変じゃなかった……?」

「元々変でしょ。変態だよ」

「ははは、ん、どうした? 部長」


 カウントが終わった瞬間、彼は背を向け、コテージを後にした。

 誰も彼の後を追おうとはしなかった。その視線は、青ざめた顔をした部長に釘付けとなり、そして、部長の手足が徐々に薄れていき…………。

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