09 エピローグ
その夜、ライラが暗い顔をしてリーゼロッテの部屋を訪れた。
後ろにはルノーが、叱られた大型犬のようにしょんぼりして控えている。
「リーゼロッテ様、本当に申し訳ありません。コックのルノーが失礼なことを……」
と、ライラは涙ぐみながら謝った。
リーゼロッテは不思議に思った。
なぜ、ライラが謝るのだろう?
「本当に、申し訳ありませんでした」
頬を腫らしたルノーが、深々と頭を下げて謝罪した。
ライラも頭を下げた。
「リーゼロッテ様に黙っていたことがあります。実は、私たちは元々、この屋敷に居た者たちではありません」
「えっ?」
ルノーが口を開いた。
「実は、使用人たちの多くはあなたを誘惑するために雇われた者たちです。俺もそうです。元はショーを見せる酒場のバーテンダーでした」
と告白した。
「あたしは元々メイドなんてしたことなかったんです。踊り子で、ルノーと同じ店で働いてたんです」
と、ライラは告白した。
流行に敏感で、かつ上品な衣装をうっとりと選ぶライラの姿をリーゼロッテは思いだした。
「あたしたちは、ヴァルター様に雇われたんです。たぶん、他の若い使用人も同じです。最初からここにいるのは、ほんの数名です。あたしたちの仕事は……」
言いよどんだライラの代わりに、ルノーが後を引き継いだ。
「貴方を誘惑することでした。ヴァルター様を夫とした貴女が、浮気をするように」
リーゼロッテは驚愕した。
(男も女も関係ないってこと?)
同時にヴァルターへの怒りが、ふつふつとこみ上げてきた。
ライラは言った。
「あたしたちは、もうこんなことやめにしようって話したんです。実はルノーはあたしの……腹違いのお兄ちゃんで」
リーゼロッテは納得した。
なるほど、美男美女の二人がどこか似たように思えたのは、血縁者だったからなのか。
「リーゼロッテ様は、淫蕩の魔女だと聞いていました。忠誠も貞節も無く、欲望と邪念の塊のような悪女だと……でも、そんな噂、間違っていました」
ライラはグスンと洟をすすった。
「あたしは、リーゼロッテ様に褒めて頂けて、全然メイドの仕事なんて下手なのに優しくして頂いて……すごく、すごく嬉しかったんです。あたしの価値なんて、キレイにして男の人たちを喜ばせて、お金を払ってもらうことだけだと思ってたのに……」
ルノーがぽつりぽつりと口を開いた。
「俺はライラの話なんて、最初は嘘だと思ってました。貴族の屋敷の奥様なんて、だいたい同じような物だと……自慢じゃないけど、店では誘われる側で、誘いをかけたことなんて一度も無かった。皆、俺の顔や体に興味があるだけで……でも、リーゼロッテ様は昨日、俺のスープを褒めてくれた……嬉しかったよ」
ライラが決心したように顔をあげた。
涙の筋が頬にできている。
「あたしたち、契約違反です。本当は、雇われた嘘のメイドやコックだって、絶対に言ってはいけなかった。これは貴方が浮気をして、公式に処刑されるまでの秘密だったんです。でも、これ以上、リーゼロッテ様に黙ってはいられません……あたしたちには元々、過ぎた話だったんです。貴族の奥方様に仕える生活が、少しだけでも経験できて楽しかったです」
「申し訳ありませんでした。リーゼロッテ様、無礼を働いて本当にすみません。貴女が一度でも貞節を失えば、ヴァルター様が貴女を処刑するでしょう。どうか気を付けて下さい」
リーゼロッテは怒りを抑えきれず、ヴァルターの部屋に駆け込んだ。
「ヴァルター様!」
と叫びながら、彼の元へと向かった。
ヴァルターは驚いた表情で振り向いた。
「どうした、リーゼロッテ?」
「この屋敷の使用人たちは私を誘惑するために雇われたのですか?一体どういうことですか?」
リーゼロッテは直球で問い詰めた。
ヴァルターは一瞬、言葉を失った。
が、深くため息をついて話し始めた。
「裏切り者が出た、か」
リーゼロッテはその言葉に戸惑いながらも、
「全ての使用人はこの屋敷の私の使用人でもあります。手出しは許しません」
と毅然とした態度で言った。
「誘惑させるようにしたのは本当だ」
ヴァルターは言った。
リーゼロッテのこぶしは怒りでぶるぶると震えた。
「どうしてそんなことを」
「淫蕩の魔女を娶るのだぞ? その意味を考えてはいなかったのか。貞淑を失えばすなわち処刑だ。王族も、騎士団も、それを期待して俺のところに君を嫁がせたのさ。まさか、こんな男のところで、魔女が一生を終えるはずがないだろう」
リーゼロッテは怒りに満ちた目でヴァルターを見据えた。
「ヴァルター様、今聞き捨てならない言葉がありました」
帝国の鬼神は野生的な顔に余裕を浮かべて、鼻で笑った。
「淫蕩の魔女は事実だろう? 国を傾けた罪で処刑対象になっているのだぞ。老若男女関係なく、見境無く手を出した報いを受けることだ」
「いいえ、そこではありません。『こんな男』とは? どういう意味です?」
ヴァルターの目に一瞬だけ、戸惑いが浮かんだ。
「こんな男……いや、俺のような……筋肉が服を着ているような……無骨な武人という意味だが」
「貴方以上に素晴らしい男性がいますか?」
「それは、……わざと言っているのか?」
「何がですか。わざとも何もありません。貴方は自分がどれだけ魅力的か理解していますか? そりゃあルノーさんだって他の皆さんだって、見目麗しくって私のような者よりもずっと尊いのは理解しています。でも! ヴァルター様以上の男性がいるわけがないじゃないですか。そんなに私の目をお疑いになっているのです?」
「ちょっと待て、待ってくれ……分からない。演技か? リーゼロッテの好みは、白い肌、細身ですらりとした若い美貌、男でも女でも華奢で目の大きい、可愛らしい者や綺麗な者だと」
リーゼロッテは思いだした。
屋敷の使用人は、確かに今言ったような特徴を備えて居る者が多かった。
なんという見当違いだろう。
「だいいちヴァルター様は無自覚過ぎるのです。屋敷の中とはいえ……いつも薄着でいらっしゃるのはどういうことですか? シャツもボタンを開けていらっしゃるし、すぐに腕まくりをなさるし! 今だってそんなに胸元を強調させて……」
「いや、男が胸も何もないのでは」
「胸の筋肉の話をしております! アリアリです。ヴァルター様はもっとご自分の色気や魅力を意識されて下さい。リーゼロッテは心底怒っております。誘拐でもされたらどうするおつもりですか」
「俺が誘拐されるように見えるのか?」
帝国の鬼神は冗談とも判別がつかない顔で言った。
リーゼロッテは真顔で言う。
「はい!」
「いや……ないだろう」
「そ・れ・が! 分かっていないというのです。いいですか、道行く人々、特に妙齢の女性というものは全員、あなたの胸筋と上腕に飛びつきたい、かじりつくしたいと思っているに違いありません」
「そんなわけないだろう……」
「ヴァルター様!」
リーゼロッテは叱責した。
ヴァルターはなぜ自分が叱責されているのか理解ができないまま、透明な膜がはったようなリーゼロッテの潤んだ瞳を見た。
「どうしたら信じて下さるのですか。私にはヴァルター様しかいないのです」
「く……」
ヴァルターは耐えた。
宝石のような極上の女が、自分に縋るように見つめてくる。
淫蕩の魔女、リーゼロッテならばこれくらいお手の物だろう。
男を手玉にとって生きてきた女だ。
魔女だ。
傾国の悪女だ。
それなのに、彼女は少女のような瞳でこちらを見る。
「よし分かった。それなら、こうしよう。ここに魔道具がある」
ヴァルターは首につけていた鎖を外した。
ネックレスには指輪がつけられていた。
白く透明な輝きの石がはめ込まれている。
「これは特殊な魔石でできている。俺が帝国の武人だということは知っているだろう? 君を任されたとき、これを使う案も出ていた。それで、俺が預かっていたんだ」
「どうやって使うのです?」
「これは血の契約だ。代償を支払う。この石に血を注ぎ、誓うのだ。つまり――俺の、俺だけの、貞淑な妻でいることを。すると魔法が発動し、この石は君を保護し、魔法で危険から守ってくれる。ただし、約束が破られると、その反動が返ってくる。契約を解除するまで、この石が君を攻撃し続ける」
「なるほど」
「ここに短剣がある。ちょっと指先をつくだけでいい。血は一滴でも十分な効果が得られる……さあ、これまでの言葉が詭弁でないのであれば、できるだろう。一生を俺に誓え。……どうした、手が震えているぞ」
リーゼロッテの唇は、はくはくと動いた。
ヴァルターは満足気にそれを眺めた。
詭弁を並べ立てても、実際に契りをするとなると怯むようだ。
甘いな魔女め。
こちらも、騎士団に入ったばかりの少年ではない。
ヴァルターは本性を暴いてやったというつもりで、にやりと笑った。
しかし、胸の端が少しばかり寒々しいのは何故だろう。
淫蕩の魔女リーゼロッテ。
彼女はそんな、感傷にひたるヴァルターの前でようやく口を開いた。
その声音はどこかしら、うっとりとしていた。
「嬉しくて」
「は?」
「ヴァルター様に一生を誓える。こんな僥倖があっていいのでしょうか」
リーゼロッテは何一つ躊躇うことなく、短剣を取り上げた。
「おい!」
ヴァルターが焦ったように叫んだ。
白魚のような指先からブツッと血が盛り上がり、赤い球のように膨れた。
「私は以前からもうずっと、ヴァルター様だけの妻です」
ヴァルターは信じられない思いでリーゼロッテを見た。
喜びの涙のように、赤い血がぽたりと落ちる。
指輪はみるみるうちに輝きを増し、見たことも無いような色になった。
「これからも変わらぬ忠誠を貴方に誓います。一生」
リーゼロッテの微笑みの美しいことといったらなかった。
ヴァルターは熱をもった頬もそのままに、ぼうっと自分の貞淑な妻を見つめ続けていた。
帝国の鬼神が、美しくも純粋な魔女に陥落した瞬間だった。
END




