魔法の少女と予言の魔法使い
私が、とある魔術式の研究のために、古本屋に出向いた時の話だ。
そこは人の気の無い場所だった。
結界の守護の範囲ギリギリの場所であるからなんとか、魔物等の危険生物はたむろしていないが、そもそもここは都市リン州の郊外。
故に人がいないのは、人混みが苦手な私にとって助かるのだが、こんな辺鄙な場所にあるのは勘弁してほしい。
駅もバスも無い。店すらぽつりぽつりとしか立っていない。ここで犯罪でも起きてしまえば、もし通報したとして、警察が来るのに何分何十分も掛かってしまうのではないだろうか。
「と……とお……遠いよ………………」
慣れない外出。
私にとって、この春の陽気を詩人みたく風流と取ることなど不可能に近かった。
整備されているこの道に、空きカンだとかゴミ袋まるまるひとつだとかが道にぽつぽつ落ちているのが、この世相の暗さを表しているのではないかと思えて仕方なかった。
久々すぎる外出による緊張で吐きそうだったが、なんとかそれを耐え瀕死になりながら本屋にたどり着く。
赤いふるめかしいドアに、深い緑色の看板が目立つような、かわいらしい大きさの古書店だった。
チリン。
と、ドアのベルが鳴る。
「古本屋の匂いってのは……いいな、やっぱり。」
この独特な古本屋の匂いは他には無い。
私にとって落ち着くというか、そういう匂いなのだ。
入れば、カウンターから声がした。
「お。嬢ちゃんが、アドラーさん?」
「あ、はい。そうです。」
この人は店主らしい。
レジで雑誌を読んでいた彼女は、こちらに話しかける。
「あの……予約してた本、取りにきました。」
「わかってるわかってる。ほら、ここにあるよ。」
そう言い、彼女はレジの後ろの棚から論文誌を取り出した。
「ほら、どうぞ。」
「わあ……有難う御座います……こんな綺麗な状態で残ってるなんて…!」
「よくそんなコアなもの欲しがるねえ。貴女、魔術師?」
「いやいや、そんな大層な者では……」
コインを彼女に手渡し、紙袋に予約しておいた本を入れた。
「魔術研究、好きなのね。他にもそういう本、うちにならあると思うよ?例えばこれとか。」
「あ、これは799年出版の魔術書……これは、置換魔術の応用論文……!買います!直ぐに!」
…この本屋、相当な当たりだ!
こうなれば…財布が空になる覚悟でいかねば!
財布を取り出し中身を確認する、
……いや、いける!
三日ご飯抜けば…あるいは…
「これも…いただきたい!」
追加分のコインをテーブルに置いた。
「ははあ、今日は繁盛だねえ。こんな場所に二人もお客が来るなんてなあ。ほら、向こうの本棚も見てきなさいな。まいど、お嬢ちゃん」
店主はそう言い、今度は新聞を読み始めた。
新聞には、聖杖の魔法少女誕生との記事。
何世紀も前の伝説の物語、その象徴たる聖具が実在しているなんてだけで嘘みたいな話だ。新聞の正確に印刷された文字からはまるで想像がつかない話だ。
まあ、私には、一生関係のないことなのだろうと思いながら、視線を新聞のオモテ面から埃まみれの本棚に移す。
通路を歩くと塵が舞った。
ボロボロになっている本棚からは埃の匂いがしている。
「しかしやっぱり、本当に古い本ばっかりね……」
暗めの通路の両側には、埃を被った古本がギッシリと本棚に詰まっている。
そこは私のような魔術オタクに言わせてもらえば、浪漫の寝床。
魔術書は古ければ古いほど、古代技術式などの貴重な記載があったりするもの。
「……たまには実際に本屋に足を運ぶのも……悪くない……か。」
私は奥の方のスペースに進んだ。
「この魔術書……中々のレア物ね。……欲しいけど……もう財布が空………」
そうやって私が金をもっと貯めておくべきだったと後悔して、少しばかりの悲観していた時、となりのもうひとりの人影に気づいた。
影の主は女性だ。…身長が高く白みがかった金の髪に、魔術師らしいローブを被っている。
彼女は私に話かけて来た。
「……きみ、そんな魔術に興味があるんだ。何に使うの?」
「そうですね……特に使いみちは無いですよ。ただ研究するのが趣味なので……。」
「変わってるねぇ。それに、何の意味があるんだー、だとか思ったりしないの?」
「意味……ですか。ムーう……確かに、無駄でしょうね。」
「ふーん……あ、ごめんごめん!悪口みたいになっちゃったか」
「いや、良いんですよ。研究なんて、無駄なのは本当ですから。」
「……じゃあ、それが楽しいんだ?」
楽しい?
……いや。違うだろう。
「いや……違う……と思います。逃げてる、だけなんですよ。辛い現実から、ただ。気を紛らわしてる、っていうんですかね。だから、意味なんて、無いし……誇りにすらならないことです。」
魔術を考えている時だけ辛い現実を忘れられる。
……私が守れなかった現実。
いじめっ子に負けた現実。
現実。
私はそれから、逃げている。
だからこの行動に意味なんてない。
無駄な、こと。
「そう。けど、意味はあるよ。」
「え?」
「意味なんてのはね、突き詰めると、どんなことにもあるといえるし、無いと言えるものだ。例えば君が、車から跳ねられそうで、病気で1ヶ月後に死ぬことが確定している子供を助けたとしよう。その行動に意味があるのか。」
「あるんじゃ、無いですか?だって、人を助けたのには変わらないんですから。」
「そうとは限らない。例えばその子供が、1ヶ月後に車に跳ねられた、としたら、君の行動は無駄と言うこともできる。だが勿論、子供が1ヶ月長く生きられたんだから、無駄じゃなかったと言う意見も出るだろう。君はどう思う?」
「私は……ムーう、……どうでしょう、分かんないです。けど、その行動を無駄っていうのは……つまらないような気もします。」
「そう、つまらないだろ?だから、それでいい。この世の如何なる行動も、ある人間には意味があるかもしれないし、視点を変えてしまえば無駄と取ることができてしまう。無駄か其れとも有用か?そんな議論、それこそ無意味だ。」
彼女は続ける。
「だからきみのその魔術の研究も、自分で誇ってしまえばいい。……偉そうなことを言ってごめんね。けど、これでも魔術師の端くれなもんで。自分の研究も考えようによっちゃ無駄だからさ、それを否定されちゃたまらないからね。」
「あっ……!研究部門の魔術師の方でした……!?」
良く考えるともしそうなら私、地雷を踏んだのでは?と思った。
「いやいや気にしないで?だから、先輩風吹かすお姉さんの戯言とでも思ってくれたらいい。」
「いや……なんというか……。有難う、御座います。」
私はそういう無駄に、絶望してしまった人間だから。
現実と理想の差から、逃げてしまったから。
私は……確かに逃げている。
何かから。
なんとなく自分から逃げている。
戯言。彼女はそう言うけれど。
……どんなコトも無駄じゃ、無い。
そう言ってくれるのがほんの、少しだけ嬉しかった。
「ね、君。最近流行りの学校不登校の引きこもりってやつでしょ。」
「……え?なんで分かるんです?」
彼女はふふん、と言ったような感じで喋る。
「分かるんだよね。職業柄、そういうの見抜けないとマズい仕事なもんでさ。」
「へえ……凄い……」
どんな職業柄だ、とも思ったが口にしない。
魔術師には実際変人だけど天才、なんてタイプが多いし。
「ありがと。じゃあ、あとひとつだけ、予言をしておこうか。」
「予……言?」
「ま、これも私の戯言と思ってもらっていい。……ほとんど勘に過ぎないからさ。確証も無い。」
彼女はまた続ける。
「君は多分近くに大きな岐路に立たされる。予言の魔法。私、そういう眼を持ってるんだ。」
予言の魔術……?少なくとも私は聞いた事が無い。
少なくとも現代の魔術では無いだろう、『予言』なんてトンデモ魔術ならもっと有名になっているだろうし。
だから多分、彼女の家独特の魔術なのだろうか。
どこの家かは知らないが。
「その時君は、多分大きな存在と戦うことになる。……見えるのは、吹雪の中に……竜かな?」
「竜……?」
「うーん……ここまではっきり見えないのも珍しい。けど多分こりゃ滅びの冬案件かな。」
「滅びの冬……ですか?」
「そうそう。ま、いずれ分かるよ……ってなったら予言の意味がないか、あはは。」
「それって……私に関係あるんでしょうか。」
「いや、まあ、あるんだろうな。あるようになる……って感じだ。」
「――――――?」
「兎に角だ。君は途轍もない運命を歩むことになる。それも、漫画の主人公見たいな奇妙な運命に。だから決めておきなさいな。」
「……決める?」
「自分から逃げるのか逃げないのかだよ。…今はそれだけで充分。可愛い可愛い魔法の少女。君の行く末に、祝福があらんことを…。」
そう言い残し、予言の魔術師の彼女は隣から去った。
本屋のドア、チリンという音がして、もう外に彼女が出たんだろうと気づく。
「…変化、かあ。」
ぽそりとつぶやいた。
この奇妙な出会い。
それが私の物語の、始まりの予兆だったことに気づいたのは、彼女に再会してからの話である。
…私は今まで何の意味も価値もない、しかし静かな安寧の人生を送るのかと思っていた。変化もなく、されど永遠の平穏。
自分だけの世界で、ずっと隠れて生きるのだと思っていた。
それは大きな間違いだった。
変化、それはすでに。4年前のあの時。
ーそこから始まっていた。
そして、目的を終えた私は古本屋を後にした。
とりあえず今日は帰ろうと思った。