054 首
それは突然のことだった。
「んじゃま、仕事すっかね」
夕食の後片付けを終えた頃、緑の蔦の剣士が立ち上がる。
見張りの定位置に向かうのかと誰もが思った。
――が。
「えっ?」
奴は通りすがりにおもむろに赤鰐の女傭兵を斬った。
血が噴き上がる。
続けて、矢の風切音。
「ぐっ……クソ!」
焚き火の向かいにいた赤鰐の傭兵おっさんの上体が後ろに跳ね飛ぶ。
が、すぐに姿勢を戻して剣を引き抜き、飛び出した。
私含め子供達はポカーンとしていた。
えっ? は? どういうこと?
それでも、数秒遅れでも、とにかく体が動いたのは教官との訓練の賜物だったと思う。
私は即座に馬車に走った。遮蔽物がそこしかない。
荷台は上るのに時間がかかる。車輪の陰に滑り込んだ。
子供達は皆、硬直していて動かない。
幸い? 緑の蔦は子供達は無視して、それぞれ赤鰐達と戦い始めた。
私は地に伏せ、様子をうかがう。
「どういうつもりだ!」
「お前らちょっと目障りなんだよ。死体も作れて一石二鳥ってな」
「クソッ」
緑の蔦が思ったより普通に強かったことに吃驚した。
こすっからいザコ冒険者だと思ってた!
傭兵達も手練れ感あったのに、斬り結ぶ様子を見てるとじりじり押されている。
子供達も動ける子は這々の体で馬車の傍へと避難している。すっかり硬直して蹲っている子もいるが、緑の蔦は子供達は巧みに避けていた。
とりあえず子供達を害するつもりはないらしい。
館長達一号車の面々は見当たらない。馬車に立て籠もってるんだろうか。
子供達ほったらかしで?? なんなんだもう。
そうこうしているうちに焦げ臭い風が鼻先を掠めた。
火? どこ?!
パチッと爆ぜる音がして、燃えているのは私が隠れている二号車だと判明した。
うっそでしょ!
私は這い出して街道脇の茂みを目指した。
あそこトイレに使ったな……とか関係ない。むしろ見覚えがある分、暗くても判る。
だが私の行動はそこまでだった。
「かっは……」
背中が! 熱い! 痛い!!
痛い痛い痛い!! イイイイイイ!!
たまらず転げ回った。
転がり回ってわずかでも痛みを逃がしながら、その隙に痛覚を切る。
いっぱい練習したじゃない!
まず首から下の感覚を切る!
痛みが消えたら落ち着いて他の感覚を戻す、原因となる箇所以外の痛覚も戻す、患部は背中だから手足は戻していいはず。
動けるなら安全な場所へ。
それから回復……
そのあたりで私の記憶は途切れた。
◇ ◇ ◇
……焦げ臭い。土の臭い。あとなんか変な臭い。新鮮な生臭さ。
固い……ああ、地面だ。
私また地べたで寝てる……ベッド恋しい。
パチッと目を覚ますと、私はキュウリを見た猫みたいに飛び上がって、視界の端に移った茂みへと飛び込んだ。
身を低くして回復……している?
あれっ、痛くないや。
最優先事項が解決しているなら、状況確認!
私は藪の中から野営地を見た。
静まり返っていた。
焼け焦げた馬車が一台。
荷台の幌は焼け落ちて積み荷も一部無くなっているが、馬車本体は案外焼け残っていた。
馬はいない。
館長達の一号車も無かった。
広場には焚き火の後。散らかった道具類。
――そして、死体。
暗くてここからでは確認できないが、おそらく赤鰐傭兵団だ。
緑の蔦連中より赤鰐のおっさん達の方が一回りは体が大きかったから。
あの大きさはおっさん達だと思う。
緑も二、三人、四人五人全員やられてればいいのに。
私は藪に蹲ってしばらく警戒した。
魔力を薄く広げて周囲を探る。ひとまず見えているもの以外には無さそう。
と、いうことは子供達も一号車と共に消えたの?
嫌な想像しかできない。
私はそろそろと藪から出た。
ふと空を見上げれば満天の星空で。
小さな月が輝いている。
置いてけぼりの夜の野営地で、たった一人。
何? 一度あることは二度あるとでも?
じゃあ、天使も通り掛かってよ。
私は立ち上がり、死体を検めるために踏み出した。
……蘇生を試みないと。
頭の上の、髪の中に押し込んだ羽根にそっと触れる。
『その羽根は私につながっている。その羽根の前は私の視界と同じだ。誰を残したいか決めたら、私に願え』
シェルリの言葉を思い出す。
でも。でもね。
心の中で無理だろうなって思ってしまう。
だって、「見て」ないもの。死ぬところを。
何でもかんでもいつでもどこでも蘇生出来るわけじゃない。
「魂」と「肉体」が揃ってないとダメなんだって。
肉体の活動が停止すると魂が抜けやすくなる。肉体から抜けた魂はとても儚くて、そよ風にでも簡単に流されてしまう。
だから即、肉体を回復して魂と繋ぎ直す――蘇生するのがベスト。
シェルリ達の言う「視界に入れる」っていうのは、多分、マーキングしてるんだと思う。
神官の視界で魂はマーキングされて、どっか飛んでいっても引き戻せる、ということだと思ってる。
私は「見て」なかった。
だからおっさん達の魂が運良く肉体にしがみついていれば蘇生の可能性があるし、どっかに飛んでたらもう判らない。
じんわりと視界が歪んだ。足が止まる。
馬鹿だ。私は大馬鹿だ。
あの、最後の攻撃を受けた時。
私がやるべきことは転がり回ることじゃなくて、「見て」おくことだった。
逃げられるなら逃げる。
逃げられないなら。
なんとしても最後まで生き残って「見て」おかなきゃならなかった。
ただそれだけのことなのに。
私がぼたぼたと無駄な水分を流していると、遠くから馬蹄の音が聞こえてきた。
私はハッとして顔を拭い、焼け残った馬車の陰に隠れる。
馬蹄の音はどんどん近付き、星明かりの下に騎影が浮かぶ。
一人だ。一頭の馬に乗った、一人。
新たに現れた人物は馬を下り、野営地に入ってきた。
ボウッと柔らかい光が広がる。
松明……ではない。杖の先に電球みたいな丸い光が灯っている。
光の下に現れた人物は、白いローブ? コート? 姿だった。
ケープがついた、インバネスコートみたいな形。
袖のカフス部分のフチや身ごろ正面に青い帯状の飾りがある。
よく見慣れた意匠。
創造神の神官服だった。
「……遅かったみたいだね。ごめんね」
その神官は言った。
明らかに私の方を見て。
◇ ◇ ◇
その神官は私の隠れている所までまっすぐ歩いてきて、腰を折って私を覗き込んだ。
二十代ぐらいの若い男だった。いい声をしていた。印象に残る声だ。
ベルレ達もいい声だけど、系統が違う。
私は神官を見てへたり込んだ。
安心したんだと思う。
「し、……神官?」
「え? ああ、そうだよ、神官だ。どこか怪我でも?」
「な、ない」
「そっか、良かった。……他に生き残りは……」
神官は腰を伸ばして野営地を見回した。深く息を吐く音が聞こえる。
私の探索結果と同じだったのだろう。
馬車に縋ってよろよろと立ち上がる。一度気が抜けたせいで力が入らない。
でもここでへたり込んでいてもしょうがない。
「そ、蘇生を……」
「ああ……そうだね」
神官は振り向いて困ったような顔をした。
蘇生の可能性がほぼ無いことが判っているからだろう。
それでもゼロじゃないなら。やれることはやらなきゃ。
「僕が検めるから、待っていて」
「ううん……大丈夫、じゃないけど、一緒にいく」
腹に力を入れた。頑張れ、頑張れ私。
何がなんだか判らないけれど、それはやることやった後で考えよう。
せめて、せめてあの女傭兵。
あの初撃で死んだのなら。
彼女だけは蘇生出来るはずなんだ。
「見て」たから。
連れ立って一番近い死体へと向かう。
神官の杖の光が夜の暗がりを押し退けて、死体が浮かび上がる。
……怖い。
「……ああ、そうか。『慣れた』奴らだ」
不意に目の前に神官の腕が伸びて、止められた。
「……どうしたの?」
「うん……。君は僕達神官の蘇生がどういうものか知ってる?」
「大体は」
「蘇生出来ないケースは?」
「魂と肉体が揃ってない」
「他には?」
えっと……肉体がひどく腐敗してたり、もう白骨化してる場合。
「やってやれないことはない」とシェルリは言ってたけど、肉体がそこまでダメになってると魂も消えてるか、残ってても変質してもう「人」じゃなくなってる。
あとは、頭と胴体……心臓が揃ってない場合。
生首だけでは蘇生出来ないんだって。
おそらく脳と心臓が揃ってることが条件なんだと思う。
この辺はしょせん魔法なので理屈じゃない。
「えっ……?」
私は答えかけて、口を開いたまま止まった。
神官を見上げる。
彼は忌々しそうな、それでいて悲しそうな顔をしていた。
まさか。
「ただの野盗崩れじゃないね。念入り過ぎる」
私は神官の腕越しに、地に倒れ伏す死体を見た。
背中しか見えなくて、角度のせいだと思ってたんだけど。
そんな、まさか。
「見る限り、全て首を刈ってあるね」
私は胸からせり上がってくる波に耐えられず、数歩走って、吐いた。
◇ ◇ ◇
でも! それでも!
あの女傭兵だけはなんとか!
私はもういっそ吐けるだけ吐いた。吐くと疲れるので一時的になんかどうでもいい心地になる。
体の反応が収まったら手から水を出して口を濯ぐ。ついでに顔も洗う。
気を持ち直して、ついでにゲロに水をぶっかけて薄める。……薄まらないか。
振り返ると神官は街道の方でしゃがみ込み、なにやら路面を見ていた。
変に構わないで放置してくれててよかった。
単に嫌だったからかもしれないけど。
私は焚き火跡から枝を拾うと、その先に小さく光を点した。
「小さき明かりよ、我が杖に灯れ」
はっきり見るのは苦しいのでぼんやりした明かりでいい。
位置関係を思い出して、女傭兵の死体と思しき黒いかたまりへ向かう。
仰向けに倒れた体の正面に大きな斬り跡があって、頭部は……無かった。
夜闇の中でも首の断面が生々しくて、目をぎゅっと瞑る。
生臭さを鼻が感じ取って口の中が酸っぱくなった。
耐えろ。そういうのは後で。今は感覚を鈍くして。
女傭兵の傍らに座り込み、なるべく直視しないよう視線を逸らして肩にそっと触れた。
冷たくて固い。ただの物体の感触。
シェルリ、シェルリ。この人は残したいの。
他のおっさん達も残したいけど、「見て」なかったの。
首がないんだけど、何とかならないかな。ダメかな。
頭の上に魔力が集まってる感じがする。
羽根が立ち上がったような感触も。アンテナか。アンテナだよね……。
頭の上から肩、腕、手を通して魔力が細く流れていく。
シェルリの魔力だ。
そのうち、周囲に膨大な魔力が膨れあがった。
「ひえっ」
突然、この場に嵐みたいな魔力が吹き荒れた。
いきなり暴風雨の中に放り出されたみたいに姿勢が保てない。それでも女傭兵の肩から手は離さなかった。肩当てみたいな革の防具に指を掛けて手を固定し、触れた状態を維持する。
大時化の時の船みたいに揺れてる。私は思わず目を閉じて耐えた。
終わりも突然だった。
スン、と何事もなく何もかもが元に戻る。
固い地面の感触、静かな夜の闇。遠くに聞こえる神官の足音。
長い時間だったように思えたけど、多分ほんの一瞬だった。
私は恐る恐る目を開いた。結果を知るのが怖かった。
地面に落とした視線をそろそろと上げる。
触れた肩が……柔らかい。
衣服の下の皮膚に弾力を感じる。
そして首が――あった。
青ざめて眠る顔は確かにあの女傭兵で。
私はずるずるとへたり込み、女傭兵の隣にひっくり返った。
ただ魔力の通り道になっただけだと思うんだけど、すごい、しんどい。めっちゃ疲れてる。
いやシェルリの方が疲れてるかも。首って錬成出来るんだ??! じゃあ、あの神官もやってよ……って無理なのかな。もしかしてシェルリって普通に凄いんじゃなくて、めちゃくちゃ凄いのでは?? ダメだ起きてられない。
私は薄れゆく意識の中で何とか頭のアホ毛羽根を髪に混ぜ込み、気絶した。




