8話
翌朝起こしにきたエアリーが私の顔色を見て慌てた様に言う
「あまりお眠りになれなかったのでしょうか?お顔の色が優れていない様ですが、どこか具合でも?」
…そうだわ。その手があったわ
「ええ…何だかちょっと具合が悪くて」
2〜3日具合悪くしていれば同行しなくて済むに違いない。
「まぁ!すぐに医師団を呼んで参ります。グレタ後をお願いね」
医師団⁈
そんな大袈裟な…お医者様が1人か2人いらして、暫く静養が必要ですね。と言う言葉が欲しかった私の心とは裏腹にエアリーは部屋を後にした。
グレタにあれこれ世話をされベッドに再び押し込まれているとノックの音がしてエアリーがセルゲイさんを筆頭に白衣を纏った人を8人が入ってきた。
もう⁈朝なのに⁈
8人の医師の中にエアリーの知人がいたようで
「まぁ、サウルはいつ医師団に所属する事になったのですか?まだ、早いのではなくて?」
「僕はかなり優秀だからね。王宮からお呼びがかかっただけの話だよ」
エアリーは胡散臭そうにサウルと言う医師を睨んでいたけれど、そのサウル医師を筆頭に8人の医師に囲まれて診察が始まり口の中や目の中やあれこれ診察を終えた後、別室にいたセルゲイさんがきてから医師が口を開く。
どうか仮病がバレません様に、もしくは仮病をバラされませんように
「お疲れが溜まったのでしょう。魔力酔いではありません。暫くゆっくり休んで栄養のある消化の良い物をお召し上がり下さい」
やったわ。
暫くゆっくり休んでの言葉を頂けたわ。
うん?…魔力酔い?聞き慣れない言葉に首を傾げていると
「あぁ…良かった。本当に良かった。魔力酔いだったらまた破談になる所でした」
心から嬉しそうにセルゲイさんは言った。
「あの、魔力酔いとは…」
「そうだ。ナディア様の為に医師団も同行させましょう。軍の医師は主に怪我人相手ですからな」
ホッホッホと笑いながら陛下に結果を知らせねばと去って行った。
行くの?
私は疲れていても同行するの?
司祭様と医師団まで引き連れて?
もう絶望しかない。
私はその日1日本当に寝込んだ。
私が寝込んでいる間に準備は整い翌日には出発する事になっていた。
もう一度言う。
シャナルで出なかった涙が再び出てきそう。
しかも私の為に寝台付き馬車が用意されていた。
立派な装飾を施され長い馬車は背の高い棺桶の様。
この揺れる馬車の中で横になれと…私はやはり歓迎などされてなく、追い出しにかかっているとしか思えない。
再び顔色を悪くする私にさぁさぁさぁと棺桶馬車に押し込まれた。
寝台(?)でクッションを背もたれに外を眺める。
王宮を出たとたんパレードの様な賑わいで送り出される。
そう言えばシャナルを出る時もこんな風に送り出されたなと思い出した。
僅かひと月の間に2度も送り出されるとは…
棺桶馬車は思ったより乗り心地が良く、たまにエアリーかグレタが一緒乗り込んでお喋りをしてくれる。
1人寝台馬車で横になると本当に棺桶に入っている様で全く心が休まらない。
それでも王都を出る頃には私の心も落ち着いてきて、出発してしまったのはもう仕方がないと言う心境に至った。
殿下にお会いしたら本当にこの結婚で良いのか聞いてみようかしら?
この大陸の王侯貴族は司祭様の立ち会いの元、婚約書類に本人又は親族、主に父親がサインし教会へ提出される事で正式な婚約となる。
まだその書類はサインも提出されていないのだから私達はまだ正式な婚約者と見なされない。
今ならば婚約(仮)なので私にもディラン殿下にも婚約破棄、解消の傷は付かない。
殿下は既に傷だらけだけど、これ以上増やすのは避けたいはずだわ。
国が違うだけでこんなに文化、風習が違うとは思わなかった。
戦も魔物も違う世界の話の様に思っていた。
更にそこへ行く事が当然のような流れには全くついていけない。
ただ、惜しむらくは大浴場。
そして温泉巡り。
王宮の大浴場に結局来賓用と外風呂の2箇所しか行けなかった。
婚約も結婚もしませんとなれば私は来賓客として王宮に留まる事ができないわね。
…王宮で求人はないかしら?
侍女、は無理ね。魔法が使えなければ貴人の髪を乾かす事ができない。
女官は、オリビアさんの顔が浮かんだ。私には無理そう。
料理人、は料理をした事が無いわ。
洗濯、掃除もした事がない。
刺繍はよくしているけれど服を繕った事はない。
何て事でしょう。王妃教育何の役にも立たないなんて。
あ、あるわ。庭師!
そうよ。
食べられる薬草を読んだじゃない。あら?その知識があれば料理人ももしかして…いえ、薬草の知識があれば薬師になれるかも。
馬車の旅は私に何か与えてくれるものなのかも知れない。
生きる希望や目的であったり、人生の道標の様な…そう思えばこの旅も楽しい気持ちに変わってきた。ような気がする
、
大隊と共に棺桶馬車も進む。
王都を出て暫くすると野営の準備が始まった。
天幕を張る者、川に水を汲みに行く者、調理の下拵えをする者、皆テキパキと動き一切の無駄がない。
手伝いを申し出ても足を引っ張るか気を遣わせるだけなので大人しく馬車で待機していると
「ナディア様、お時間よろしいでしょうか?」
「大丈夫よ。何かしら?」
扉が開きエアリーが顔を覗かせる
「お客さまがおみえです。この中隊の責任者ラッサ大尉がいらしてます」
「すぐ参ります」
馬車を降りると父上より背の高いダンディなおじ様がいた。
ステキ…カッコいい
はっ!口に出していないはず。
心を落ち着けカーテシーをする
「初めまして。ナディアです。此度はご迷惑をおかけしないようにしますので、よろしくお願いしますね」
「初めまして。やぁお美しいご令嬢だ。殿下も果報者ですね。」
「まぁそんな事…」
何と言うか、軽い?
違うわ。観察されている?
「早速で申し訳ありませんが、明朝からのスケジュールの件ですが…」
話を要約するとこうだ。
明日から全力で前進します。
明日夜か明後日の午前には殿下達と合流できるでしょう。
白目になりかけた。軍の全力前進って耐えられるのかしら?
本当に何故私をここに連れてきたのか問い正したい。
今日も明日も野営だから湯船には入れないし。
シャナルにいた頃は特に毎日は入いらず、タオルで身体を拭くだけの日もあったはずなのにそれが今は辛い。
けれどもそんな私にも良い事があった。
美味しいのだ。
野営食。
以前シャナルの軍の視察に行った時、そこで隊長らしき人に野営食食べてみませんか?と言われ口にした事がある。
パサパサの干した肉と固いパンにチーズを乗せて焼いたもの。そして具がほとんど無い味の薄いスープ。
良くこんな食事で野営なんてと思ったけれど、考えてみればシャナルはどことも戦争をしていないし、内戦もここ数百年ない。
訓練はしていたけれど、遠征もない。
この食事をして我々頑張っているんですと言っていたけれど、今思えば野営食いらないわよね?
ドレナバルはここ何十年か戦続きだったし、魔物も出るようだから、きっと遠征も沢山あったに違いない。
そうしたからきっと野営食も美味しいのね。
熱々の具が沢山入ったスープにハーブをまぶして焼いた鶏肉。
あろう事かパンまで焼いている。
ここに来るまでの間にパン生地を捏ねて発酵し、後は焼くだけの状態に仕上げて、目的地に着いた途端パン焼きを始める事で夕食に焼き立てパンが提供できるのだとか。
ちなみに釜は馬車一台改造し大量のパンが焼けるらしい。
一体どこに力を入れているの。
美味しい食事はやる気にも繋がる!とはラッサ大尉の弁。
「このような野営食を提供できるのは我が隊だけなのですよ。通称美食隊。ナディア様の為に特別召集されましてな」
ハッハッハって笑っているけれど、私の為⁈
どうゆう事なのかと思いエアリーとグレタを見ると2人共うんうんと笑顔で頷いている。
急に不安が募る。
生贄は太らせてからと聞いた事がある。
途端に食欲がなくなった。
本来なら天幕で休むのだけれど、今回は寝台馬車があると言う事で私は馬車へ向かう
「ナディア様、お加減でも悪いのですか?」
私の様子を見ていたエアリーが尋ねる。
「何だか少し疲れてしまって…大丈夫よ。少し休んだら回復するわ」
ここでも作り笑いは健在だ。
馬車にたどり着きもう寝てしまおうと思っていたら
「ナディア様、ナディア様。入浴されませんか?今兵士に聞いたのですが、少し離れた所に湯が沸いているそうなのです」
グレタが満面の笑みで言う
⁈湯船に入れるの?
…いえ、落ち着いて。
生贄を太らせ、更に身体を清潔にするとしたなら…この棺桶の様な馬車も実は実際棺桶なのかも
更に顔色を悪くした私に
「ナ、ナディア様大丈夫ですか?医師団を呼んで参ります」
とエアリーは駆け出した。
「ナディア様、どの様に具合が悪いのですか?どこかお摩りいたしましょうか⁈」
グレタは心配気に言うけれど、疑心暗鬼に囚われている私には『摩って肉を柔らかくしましょう』にしか聞こえない。
もうダメかもしれない…
公爵家の令嬢ならばここで気絶するはずなのに、気絶が一向に訪れない。
そうこうしている内にエアリーが医師団を引き連れ来てしまった
手近な天幕を空けてもらいその中で診察をうける。
一通り終わった後ラッサ大尉もやってきて様子を伺っている。
「特に異常は見られませんが、お疲れがでたのではないかと存じます」
それはそうだ。恐ろしいだけですもの、と思っているとエアリーは
「本当にキチンとお調べになったのですかぁ?」
と少しきつめの発言をした。
エアリー落ち着いて。
喧嘩は良くないわと言う前に
「そうは仰られてもナディア様は至って健康にございます。今すぐに魔物の餌にと言われても良い位ですよ。ハハハハ」
⁈⁈⁈
「先生!ご冗談はおやめください!ナディア様だって…ナディア様⁈」
「やはり生贄…」
「ナディア様⁈お気を確かに!今のは先生の冗談でございます!ドクタージョークですから、しっかりなさって下さい!」
「そ、そうです。大変失礼いたしました。ほんの細やかなジョークで場を和ませようと思いまして…」
皆んなが一斉に喋り出して収集がつかなくなった頃
「ナディア様は何故その様にお考えに?」
良く通る声でダンディなラッサ大尉が言った
「…生贄は太らせてからと言うではありませんか…だから美食隊の方がいらしたのですよね?」
「いや、いやいやいや!その前の段階で何故生贄などと。美食隊は単純にナディア様と殿下達の一個大隊の為ですよ。それを…フッ、フフッ」
肩を震わせ口元を押さえている。
周りをみても皆同じ様な状態だ。
そこ、笑う所なの?私は真剣に悩んでいるのに!
「ナ、ナディア様…だい、大丈夫ですよ。生贄なんて…」
涙目で口元を歪ませながらグレタが言う。
ひどい。
「とりあえずですね、ナディア様。色々と誤解があるようです。生贄なんてありえないのですから…プッ」
エアリーまで!
「ナディア様、とりあえず入浴されてみませんか?少しは心が落ち着かれるかと」
…行ってみようかしら?
生贄では…ないのよね?