62話
「ナディア様、それ何?呪いの図柄?」
一階の棚作りをしていたヒューズ君が私のクッションカバーを見ていきなり失礼な事を言い出した
「ヒューズ君、これは山の稜線を描いた…」
「ヒューズ君、そうです。これはナディア様が渾身の力をもって描いた厄除けの図柄です」
エアリー⁈
「えーナディア様そんな凄い図柄の刺繍できるんだ!すげぇな」
「ヒューズも頼むといいよ。ナディアの厄除けカバー」
アイラさんまで酷い。
その後エランさんとヒューズ君が棚作りを終え帰って行くと
「ラッサ大尉の命令なのよ」
「え?どうゆう事ですか?コニーさん」
昨日ラッサ大尉は帰り際に兵士達の間で『私には何の力も無く無能な婚約者』と言う噂が流れていると3人に言ったそうだ。
まぁそうね。
実際私には何の力どころか魔力すらありませんから、あながち間違ってはいないと思ったのだけれど
「それじゃあナディア様が婚約者でいるよりマデリーン様と婚約をし直した方が、元老院とも揉めないし王宮に帰れて良いのではと噂になっているらしいの」
マデリーン様が朗報と言って仲介を申し出た時、あの教会にいた兵士なら皆知っている話ね。
何もおかしくはないけれど皇太子妃としてはよろしくはないかもしれない。
例え殿下が私と一緒だと楽だと言ったとしても、そんな理由は兵士達には通用しない。
「ラッサ大尉曰く殿下隊も下っ端兵士は一枚岩ではないらしいのよ。
まぁラッサ大尉も純粋な殿下隊と言う訳でもないからあまり強くも言えないらしくて。だからナディアちゃんには特殊能力でも持っている風にしようと」
持っている風って…
まさかそれが厄除け刺繍なの?
思わず独り言の様に呟くと
「そうなの。他に何も浮かばなくて。ラッサ大尉は気付け薬茶を入れる事の出来ると言うのはって言っていたけど、それじゃナディアちゃん怒るでしょ?」
どっちもどっちだわ。
気付け薬茶と厄除け刺繍…もっとまともな私がいた筈なのに。
他の侍女達が羨む完璧な淑女や殿下を陰から支える素敵な皇太子の婚約者、他国からやって来たエキゾチックな女性…おかしくは無いわよね?
私が気持ちとは裏腹に小声でそう言ってみる。
「何ブツブツ言ってるのさ、ナディア。今日は砂風呂行くの?」
ただ今の時刻は夕刻前。
昨日あれからエアリーとコニーさんは小袋作りとそれを衣服に縫い付けるという苦行をひたすらこなしていた。
私は刺繍、アイラさんは暖炉の前にソファがもう一つ欲しいとそれぞれ勤しんでいて、先程午後のお茶を頂いた後。
砂風呂!
アイラさん!そんなの
「行きま…す?」
「す?」
待って。
私が砂に埋まっている間ネックレスや指輪はどうするの?
「あ、そうか」
「あらぁ忘れていたわ」
「そう言えば…」
みんなも同じ事に思い至った様で
「ナディア、質問なんだけど風呂に当分入らないって言うのは…」
一日二日なら諦めるけれど、殿下達は予定通り帰ってきたとしても後4〜5日はかかる。
その間タライ風呂?
折角身体の中を綺麗にしてくれる砂風呂が近くにあると言うのに…
「嫌です…けれど我慢します」
そう。
凄く凄く嫌だけれどその間ネックレスも指輪も誰かが預からなければならない。
殿下達が帰って来るまでの我慢だと思おう。
翌日からはエランさんとヒューズ君は別の仕事に行く事になり、この家で何か困った事があった時呼んだら来てくれる事になった。
いよいよ新生活のスタートだ。
棚を取り付ける等の大掛かりな設置は終わってはいるけれど、細かい内装や飾り付けはこれから。
折角可愛らしい家に住む事になったのだから内装だって可愛らしくしたい!
私は再び刺繍に勤しんだ。
お風呂には入れないし、殿下達が帰って来ない事には何も出来る事はない。
チクチクチクチク
悩みが無い訳ではない。
グレタはどうしているかしら?
殿下はご無事かしら?
シャナルで父や母はどうしているかしら?
気になる事は沢山あるけれど、今の私はひたすら手を動かす事であえて心配事を心から追い出した。
「出来た!」
一階のソファの上で私は叫んだ。
丸二日かけて暖炉前にあるソファカバーが完成したわ。
上等な生地は手に入らなかったけれど、刺繍を施す事で少しは華やかになったわね。
「ナディア様、これはソファカバーですか?」
エアリーがカバーをしげしげ見ながら言う
「そうよ。この下の部分にレース編みを取り付けたらもっと素敵になると思わない?」
「ええ!とても素敵です!ただ…」
何?どこか変かしら?
「これでは厄除けにはならないかと」
!!
今回の力作は集中して作ったので、直線は直線に、曲線は曲線に隙間も無く完璧な出来だったのがいけなかったのか、厄除け要素はまるで無い。
まさかそれを責められるとは思わなかった
「エアリー、厄除けから離れてくれないかしら?」
「え?でももうヒューズ君はあちこちで言いふらしていますよ。昨日茶葉を取りに本部へ行った所、何人かの兵士に厄除けを施したハンカチを作ってもらえないかと聞かれましたし」
何ですって⁈
「あ、アタシも似たような事聞かれたから一枚銀貨一枚ねって言っといたけど」
商売なのアイラさん⁈
しかも銀貨一枚⁈
「私の刺繍にそんな価値ないわ」
「あら、ナディアちゃんそれは違うわ。未来の妃殿下が厄除けの刺繍を施してくれるって一般兵士にはあり得ない事なのよ。銀貨一枚でも安いくらいよ」
コニーさんがもっともらしい事を言うけれど
「そうゆう意味ではなくて、私の刺繍に厄除け効果なんてありませんよ。それで商売なんて詐欺じゃないですか」
「でも既にそんな噂で持ちきりよ?今更違いますとも言えないでしょ?」
そんな馬鹿な…
詐欺を働く皇太子妃がいていい訳がない。
「やりません。詐欺はダメです」
キッパリお断りするとアイラさんが
「じゃタダで配ったら?そしたら詐欺にはならないし、兵士のお株はダダ上がりだよ」
「嫌ですよ。厄除け効果なんてないのですから」
「そうか?皇太子妃の刺繍ってだけで、有り難いモノだと思うんだけど。敢えて厄除けには触れずに配ればナディアの評判は上がるんじゃない?」
なるほど…?
それなら詐欺にはならないし、皇太子妃としても後ろ指は刺されない…のかしら?