146話
「とにかく儂はそんな理由で皇帝陛下をもう辞めたいのだ!」
何がそんな理由なのかさっぱりわからない。
「大きな決断をする際はいつも胃に穴が開き、食欲不振になり腹も下す。可哀想だと思わんか?」
完全にストレスでしょうけど、自分で自分を可哀想って…
その後もリシャールさん並みの愚痴を聞かされた後、3日後の晩この辺りに住む貴族やお偉い方々を招いて小さな晩餐会を催すからの言葉と共にお開きとなった。
今は私にあてがわれた部屋で1人ぼんやりソファで寛いでいる。
「はぁ〜」
心底疲れた。肉体的にもだけれど、どちらかと言えば精神的に。それにしてもあの陛下はあんなに強面なのに実に繊細な方の様で、繊細な方に皇帝陛下は重荷以外何ものでもないかもしれない。
けれど自分ではダメだと思っていても20年以上それを続けられるのだから、本当は向いているのではないかしら?
コンコンコン
「失礼いたします。お客様がお見えです」
とりあえず私に付いてくれた侍女が声をかけてきた。
え〜…今日はもう誰にも会いたくないのだけれど
「どちら様かしら?」
「俺だ」
殿下が侍女の後ろから顔を出した
「ディラン殿下。許可を得てから入って下さい」
相変わらずデリカシーのない人ね。けれど殿下なのでお引き取りをとも言えない。
「すまん。ちょっと見せたい物があったから」
「はぁ、そうですか」
言いながらずかずかと入ってきてしまった。まぁ殿下ですものね。仕方ないわ
侍女がお茶の支度をしていると
「茶はいらない。これから外に出るからナディアの支度を頼む」
ええぇ!?私は身も心も疲れ切っているのにどこに連れ出そうと?
「ディラン殿下、私少々疲れているので外出はちょっと…」
「城の中ですぐだから」
本当に自分勝手な…
侍女は私にファーとリボンたっぷりな外套を羽織らせると殿下が歩きだしたので付いて行く。
殿下の手には小さ目のバスケットが握られていた。
階段まで来たので降りるのかと思いきや、横にある扉を開けると登り階段が見えた。ここは最上階のはずなのに…
「この階段ちょっと急だから」
そう言って差し出された手につかまり階段を登る。たま〜に紳士よね?確かに急な階段で段差も高く、普段あまり使われていないようだわ。
一体どこへ…ハッ!もしや陛下が譲位すると言ったから、もしかして私は用無しになった?だからこの上に連れて行き一思いに…
恐ろしい計画に気付き足を止めてしまうと
「どうした?階段が急で辛いなら抱えるが」
!!まさか抱えてそのまま外にポイっと
「いいえ!大丈夫ですわ」
ナディア!考えるのよ!殺られる前に殺る!
強い決意と共に階段を登ると、殿下は扉を開け鮮やかな夕日が目に入った
「ほら」
促され覗き込むと
「!!」
何という…
「すごいだろ?」
そこから見えたのは城の下に大きな庭園、その先には色とりどりの家と街並み。そしてその更に先にはオレンジ色と藍色の混ざった空のコントラストと鮮やかな…海?港?あまりの美しさに言葉が出ない。
「こっちに座れる場所があるから」
階段を上がり切ると屋根伝いに細い通路になっていてキチンと柵も設けられていた。
先程まで殺られる前に…等と考えていた事はすっかり忘れ殿下に付いて行く。
しばらくすると少し開けた場所があり何と椅子と小さなテーブルまであった。並んで座ると殿下がバスケットからグラスとワインを取り出し注ぐ
「昔ここに来た事があると言っただろ。ぜひこの景色をナディアに見せたくて」
ニカっと笑ってグラスを上げたので、そっとグラスを合わせた
「ありがとうございます。こんな素晴らしい景色は初めてです。感動で言葉も出ませんでした。私達はこの城の裏手から入ったのですね」
「あぁ。この街の裏手からは3階建に、この城は崖に沿って作られているから、正面から見たら7階建になっている。その裾野を利用して街が作られ、地の利を生かした独特の造りになっているんだ」
「本当に綺麗…」
段々と藍色の割合が増えると共に街の家の明かりが灯るのを、しばらく殿下と眺めていると
「先程は父がすまなかった。愚痴り出すと長いんだ」
「ふふふ…少し驚きましたけど大丈夫です」
「それと…譲位の件だが、どう思う?」
どう、とは?
「いや、それが何か?的な顔するのはヤメテくれ。ナディアの意見だってあるだろ?」
何故私の意見が?陛下をお可哀想と思うなら殿下がやれば良いのではないかしら?
「譲位を受け入れたらそのまま自動的に成婚になるんだが」
…そうか、そうなるわね……うん?
「はい!?」
聞いてない!皇太子になるには既婚者か婚約者がいなければならないとは言っていたけど!私はまだ今後の事なんて何も考えていない。
「婚約者のままではダメですか?」
大陸中が混乱している今、超大国の王妃になんてなったらきっと温泉巡りなんてできない。それどころかドレナバル国内でも混乱と対立があって、事実陛下の弟はそれで殺されているではないの!魔力も無い私は真っ先に消されてしまう。
婚約者のままならまだ逃げ道があるのに…あるわよね?
「う〜ん…周りはとっとと結婚させるだろうな。まぁ、今の俺は魔力が戻らない以上継ぐのは難しいと思っている。このままでは戦に出ても足を引っ張るだけだし、遷都したハイドンの復興も整備もできない。頭を使う方も俺には圧倒的に知識も経験もないし、何よりナディアの事も守れない」
そうよそうよ。私だってもっとじっくりこの先の人生を考えたい
「ただ、さっさと結婚すれば、元老院のヤツらは少しの間だけ大人しくしてるだろ?その間卵の事も落ち着いて考えられるし、王妃になったら王妃専用風呂だって作り放題だから、ナディアが一体どんな風呂を作るのか見てみたい気もするんだが」
何ですって?
「あ、でもその前にナディアに一つ頼みたい事があるんだ」
「な、何でしょう?」
今の専用風呂作り放題の話しをもっと詳しく聞きたいのだけど
「後で茶を淹れてくれないか?」
「お茶…ですか?構わないですけど」
まさか今眠気がするから、なんて理由ではないでしょうね?
「それよりディラン殿下、王妃専用風呂作り放題とはどうゆう事ですの?」
「母上も一時温泉にはまった時期があってな。叔父達が暗殺されて王宮内が神経質になった頃、どこの温泉にも行けずヒステリーを起こしたらしい。父上が見かねて温泉が湧いてる離宮に好きなだけ温泉を作って専用にするがいいと言ったとか何とか」
何て素敵なご夫婦!愛が溢れているわ
「それでそれはどこの離宮ですの?」
「どこのって前の王都内にあったな。行った事ないけど、王宮から馬車で5分程と聞いたが」
取られてしまったではないの!
「はぁ〜…それでは行く事ができませんわね。大体何故マルゴロードはドレナバルを攻めて来たのですの!?最初ディラン殿下が戦っていらしたのはフォリッチでしたわよね!?」
怒りを抑える事ができないわ!
「な、何だいきなり…両国共元々大陸統一を謀っていたが、ここにきて卵がドレナバルに現れるなんて神託のせいで両国共矛先をドレナバルに向けたんだろ」
また卵…許せませんわ。
そんな神託のせいで私の…もとい王妃様の温泉離宮が…