隣の殺人鬼
車内の空気を重くしたのは、カーラジオから流れた、物騒なニュースだった。
「・・・本日正午過ぎ、A駅前で起きた無差別殺傷事件についての速報です。駅のトイレのゴミ箱から、犯人が脱ぎ着捨てたと思われる血の付いた上着が見つかりました。現在、犯人は逃走中で、警察が行方を追っています。周辺住民の皆様におかれましては、不要な外出を控えるようにお願いします。犯人の外見上の特徴は、20代後半、身長160~170cm、髪は金髪で長め。白いマスクをして、ブルーのジーンズを履いていたということです。」
今、助手席に座っているTシャツ一枚の男。カーラジオのニュースが伝える無差別殺人の容疑者の特徴がすべて当てはまるようだ。もちろん、私の知り合いではない。本当にたまたまだった。どうしてこんな男を乗せてしまったのだろう。この男との出会いは1時間ほど前までさかのぼる。
私がコンビニで買い物を済ませ、車に乗り込もうとしたところ、男に声をかけられた。
「すみませえーん、H市から来たんっすかぁ?」
「はい」私は答えた。ナンバープレートを見て、男はそう推測したのだろう。
「俺もそこから電車で来たんっすけど、財布を落としちゃってさぁ。もしこれから戻るんなら、乗せてもらえないっすか? いや、もちろん、迷惑だったら、いいんすっよ。ついでにと思っただけなんで。」
車を出してからも、男とはごく普通に世間話をしていた。男の出身地であるH市の話題で盛り上がっていた。冒頭のカーラジオのニュースが流れるまでは・・・
もちろん、この状況で私が恐れる必要なんてないことはわかっている。少なくとも私は車を運転中だ。男が私に危害を加える可能性は低いだろう。そもそも、男は私のことなど何も知らないはずだ。むしろ、ある名案が私の頭を過った。天が与えてくれた機会とも言える。
最初に口を開いたのは男の方だ。
「怖いっすね。俺もA駅近くにいたんすよ。こいつ、サイコパスっすよ。人を傷つけて楽しむとか、もはや人間じゃないっす。でなければ、むしゃくしゃしてやった、とか言うでしょう。こんな奴のために運悪く命を落とすとか、悲しすぎますよ。」
「そうですね。でも、育った環境とか、ここに至った事情もあるのかもしれませんね。」
私は無難に答えた。
「お兄さんもあの近くにいたんっすか?」
「そうですね、あの駅の前のショッピングモールで買い物してました。」
「へぇー。危なかったじゃないっすか。」
私は先ほどから男の首筋に着いた赤いものが気になって仕方がなかった。とうとう聞いてしまった。
「首に何か赤いものが付いてますよ。」
男は自分の首を手で触り、手に着いた赤いものを見つめた。
「これケチャップっすね。昼にチキンナゲットを食ったんすよ。つい触っちゃったのかも。」
「A駅近くで何をしてたんですか?」
「それは言えねぇーな。こればっかりは見ず知らずの人には言えねぇー。理解してもらえねーしな。」
「アリバイはあるんですか?」
「え?、え、ちょっと、ま、まさか、お兄さん・・・勘弁してくれよぉー。」
すでに峠に入り、カーブの多い山道が続いている。私は道の駅でトイレ休憩することを提案した。男がどう出るか気になったが、あっさり承諾した。
男は車内に残ると言った。私は、疲れたから、運転を変わってほしい、と言って、男に車のキーを渡した。自由になった私にはいくつもの選択肢があった。
私がカップのコーヒーを二つ買って戻ってきたとき、男は運転席に座っていた。私は助手席に乗り込み、コーヒーを男に渡した。私たちは車を止めたまま、しばらく話をした。5分もしないうちに、男はぐったりして目を瞑った。
私は、後部座席に置いてあった、男のバックを開けた。大量のアニメグッズが入っていた。
わたしは車のキーを差し込んでACCまで回し、ライトをつけた。カーラジオが鳴り出した。
「・・・無差別殺傷事件の速報です。依然として犯人は逃走中の模様です。事件の犠牲者のうち1人は間もなく死亡が確認されました。残りの4人は命に別状はないとのことです・・・」
私は持参していた紙袋を持って、そのまま車を降り、最寄りの駅までの30分を歩いた。私は公衆電話を使い、匿名で警察に電話した。
「すみません。今、ニュースでやってる無差別殺傷事件なんですが、犯人によく似た、怪しい男がA駅近くのコンビニで車に乗り込むのを見ました。車はH市ナンバーで○○○○です。」
男が目を覚ますころには、車のバッテリーが上がっている頃だろう。それにガソリンについてもエンプティマークが点灯していた。エンジンがかかったところで遠くへはいけないはずだ。警察は、A市とH市の間を重点的に調べる。遅かれ早かれこの道の駅に目をつけるはずだ。そして、男と後部座席のバックに入った凶器、つまり血の付いたナイフを発見する。もちろん、それは先ほど私が中に入れたものだ。そして、この車はH市で私が盗難して、A市まで運転してきたものだ。
私は警察への電話を終えると、駅のホームで20分ほど待って、電車に乗り込み、H市ではない、本当の自分の家に向かった。
当然、警察が入念な捜査をすれば、この男が犯人でないことはいずれわかるはずだ。だが、それまでに十分な時間が稼げる。そのころには、私は、海外のある国に逃亡していることだろう。
10日ほど前、私はある人物を殺害してほしいという依頼を受けていた。しかし、その人物が殺されると、殺人の動機から推測して、依頼主が疑われる可能性が高かった。そこで、無差別殺人に巻き込まれ、偶然殺されたように見せかけたのだ。
私は膝に乗せている紙袋を見つめた。中には犯行時身につけていた金髪のかつらとブルージーンズが入っている。これもさっさと処分しなければ。