悪役令嬢のダメ犬調教
生存報告代わりに、投稿いたしました。
「あなたが、エドナ・ヴァリウス──悪役令嬢ね!?」
王侯貴族達の子息令嬢が通う、学園の中庭。
私は、座り込んで花壇の脇で、しなびているタンポポの花に癒やしの力を送っているところだった。急に大声で話しかけられたものだから、気が散りってしまい魔力が霧散してしまった。
「あわわわわ……」
「ちょっと! こっちを向きなさいよ!」
タンポポ、大丈夫かしら?
そっと手を伸ばして触れたタンポポは、十分に元気を取り戻していた
よかった……。
「こっちを向きなさいって言っているのが聞こえないの!?」
聞こえています。しっかり。
でも高圧的な人、ちょっと苦手なのよね……。誰かしら? 無視してもいいかしら?
「無視してんじゃないわよ!」
……ダメですか。そうですか。
私はしぶしぶ振り返った。
そこにいたのは、ふわふわしたツインテールの長い髪の少女が、毛を逆立てんばかりにいきり立っていた。彼女は今日の入学式で、平民でありながら特待生として入学の挨拶をしたアリスさん。私が待ちに待った、乙女ゲーム『誓いのキスは永遠に~恋の数だけ花が咲く』のヒロインちゃんだ。この様子だと、何らかの事情から現代日本で命を落とした誰かが、アリスさんとして転生したのだろう。
で、何故こんなことが分かるかというと、私も転生者だからである。
前世の私は、アラフォーを間近に控えた、ドッグトレーナーだった。愛情の全てを犬に注いできたために、実生活では男性に縁がなく、気付けばその歳まで一人の男性ともお付き合いをしたことがなかった。まあ、よくあることだ。でもそれを見かねた妹が、せめて女性ホルモンをこれ以上低下させないようにと、女性向けの恋愛シュミレーションゲーム、いわゆる乙女ゲーをプレゼントしてくれた。
当時、私はこう思ったものだ。いやいや、男の人とは付き合ったことがないだけで、普通に話すし。むしろ、めっちゃ人気者だし。子供の先生としてだけど……くすん。だから乙女ゲームなんか必要ないって……。
ハマった。
いや~、ものの見事にハマったね。沼ったね。ずぶずぶだね。
妹セレクトのゲームも良かったのだと思う。『誓いのキスは永遠に~恋の数だけ花が咲く』というゲームは、出てくる攻略対象たちが、イケメンワンコ男子なのだ。
それぞれの攻略対象に対応する犬種があって、性格も似ている。公式ページや取説のイラストは、二頭身キャラになっていて、犬耳に尻尾がついたワンコモード。おまけに、語尾には「ワン」がつく。仕事以外で趣味もなく、使い道のなかった貯金の全てをグッズにつぎ込み、お気に入りのキャラで抱き枕を自作しようとまでした。まあ、その過程で、自分の不器用さに絶望したんだけれど。
ゲームの内容は、よくある乙女ゲームのように、明るく純真な平民のヒロインちゃんが、トラウマや失敗を抱えた身分の高い男子と学園生活を送り、ともに勉強をしたり、魔法の訓練をしたりして親密度を高めていくというもの。エンディングは、どの男子を攻略対象にしたか、どれくらい親密度を高めたかで違ってくる。
そして私は、奇しくもアリスさんが冒頭で言ったように、嫉妬や妬みからヒロインちゃんを追い詰める「悪役令嬢」なのだ。
自分がゲームの世界の悪役令嬢に転生していることに気付いた時は……。ふう、あの時のことは、失敗だったわ。本当に……。
「ちょっと! 聞いているの⁉」
私、けっこうヒロインちゃんと会うのを楽しみにしていたんだけれどなあ……。中身が転生者ってことは、ゲームの中のあのヒロインちゃんは、この世界にいないのか……。
思わずため息が漏れ出る。
「な、何よ!」
いえいえ、なんでもありません。あなたはあなたで、この世界をきっと懸命に生きてこられたのでしょうから……。ああ、私のヒロインちゃん。本物のヒロインちゃんはどこへ……? あなたは、私達の代わりに、日本へ転生していたりするのでしょうか?
思わず空を仰ぎ見る。
「ちょっと! 何を、空を見ながら涙ぐんでいるのよ! 気持ち悪いわね!」
ああ、いえちょっと。偲んでいただけでございます。
「泣きたいのは、こっちの方なんだってば! 入学イベントが起こらない理由を調べたら、あなたの存在があったのよ! あなたも転生者なんでしょ⁉ いつから記憶があるのか知らないけれど、攻略対象たちをもう攻略しちゃったのね! ひどいわ!」
攻略なんかしていませんよ。ただちょっと調教しただけです。
「がんばってやっとこの学園に入学できたのに、攻略対象たちが攻略済みだなんて、こんなのってないわ! 責任を取りなさいよ!」
ヒロインちゃんは、ぶわっと涙を目に浮かべる。
ああ、すみません。ヒロインちゃんは平民なので、この学園に入学するためには死ぬほど勉強をしないといけないのでしたね。それなのに、期待していたようにならないなら、そりゃあ腹も立つでしょうし、悲しくもあるでしょう。でも……。
「いったい何の責任ですか?」
初めて口を開いた私に、アリスさんは一瞬怯んだような様子を見せるが、すぐにまた歯をむき出しにする。
「私を幸せにできなかった責任よ! 私は、せっかく大好きなゲームの世界に生まれ変わったんだから、逆ハーを狙っていたのに! これじゃ死んだも同然だわ!」
「学園生活も人生も始まったばかりではないですか。楽しい事も嬉しい事も、まだまだこれからですよ?」
うん。ごく、まっとうな事を言っているぞ、私。
「あんたにそんなことを言われる筋合いはないわよ! バカバカバカ! あんたなんか、死んじゃえ!」
はい、通じないですよね。
さすがの私も「死んじゃえ」と言われて、カチンときた。
「アリスさん。学園内では、身分の差はないことになっておりますが、それは建前。あなたは特待生とはいえ平民。私は公爵令嬢。お互いの立場はお分かりですよね?」
「そっ、そんなもの関係ないでしょ! だって、日本には身分なんてなかったんだから! あなただって知っているでしょ!」
人気のない中庭とはいえ、全くいないわけではない。現に足を止めて、私にケンカ腰で物言うアリスさんに目を顰めている。なのにここまで言っても、まだ自分の立場を理解しない、いや、できないのか……。
私は、すっと息を吸って、はああああああっと息を吐いた。
アリスさんは、ビクッとなって一歩退く。
「な、何よ……。やっと白状する気になったの⁉」
転生者です。悪役令嬢です。そんな風に白状させれば、どうにかなるとでも思っているのかしら⁉
「……キャンキャン、キャンキャン。うるさいわね。そのお口を閉じなさい!」
「はっ……はあ⁉」
アリスさんは、一瞬息を飲んだ。そしてその反動で、掴みかからんばかりに距離を縮める。
「うるさいって何よ⁉」
「お黙りなさい!」
。
アリスさんの目には、黒い髪に黒い瞳、きつい顔立ちの私が映っている。ゲームで何回も見た、いかにも悪役令嬢らしいこの姿。私は、右手を大きく振りかぶる
「きゃあっ!」
叩かれるのだと思ったアリスさんは、ぎゅっと目をつぶって、腕で顔を覆った。けれど、そうしても私には意味がない。
「よ──し、いい子、いい子」
振り下ろした手でアリスさんの髪の分け目を、モシャモシャと撫で回す。
いくら中身が違うっていっても、外見はゲームの頃のヒロインちゃんのまんま。小柄な体に、愛くるしい顔立ち、それにふわのツインテール。攻略対象たちは対応する犬種があったけれど、ヒロインちゃんにはなかったのよね。だけど、絶対に制作はヒロインちゃんをトイプードルでイメージしていたはず。だって、このくるくるの毛の手触りったら、完全にトイプーそのものだもん。まあ、中身は違うっていっても、このキャンキャンとわめく感じが小型犬っぽくなくはない。
最初は、ポカンとしていたアリスさんは、ハッと我に戻り、怒りで叫んだ。
「え……!? ちょっと、何すんのよ! 離してよ!」
「ステイ(待て)!」
目を細め、冷静に、かつ声を低めて、毅然と命じる。
そうそう。犬のしつけをするときに必要なのは、大声でも暴力でもない。こちらに主導権があるという毅然とした態度。
「え? な、何⁉」
アリスさんは、ビクッとまた腕で顔を覆った。
うん、最初だし、今はこれでよし。
「よ──し、ステイできたね。いい子、いい子」
今度は、耳の後ろをモシャモシャと撫で回す。
しつけに必要なのは、ごほうび。おやつでもいいけれど、私は、できたことをしっかり褒めてあげるのもごほうびだと思う。だから、褒めて撫でる!
アリスさんは、耳の後ろはくすぐったいようで、「やめて、やめて」といいながら、頬を赤らめて体をよじる。
荒い息で、私に問う。
「だから……。あの……」
「ステイ」
「や、やめて……」
「ステイ」
「なんでこんなことを……?」
「ステイ」
「……」
「ステイ」
アリスさんは動かず、じっと静かになった。
さすがは、入学生代表になるくらい優秀。覚えがいいわ。
「よーし。いい子、いい子ね~」
今度は両手でツインテールをモシャモシャに撫で回す。
アリスさんは、すっかり甘えたようにトロンとした目を私に向けて、唇を動かした。
ん? 聞こえない……。
私は、人差し指一つでアリスさんの顎をクイッと持ち上げた。
「なんて言っているの?」
私の耳に、艶やかに半開きになったアリスさんの唇から「お姉様……」とかすれた声が届いた。
え⁉ ちょっと、大丈夫なの、アリスさん⁉
◇◇◇◇◇
正気に返ったアリスさんは、涙目で私を睨みながら走って逃げて行った。でも、あの様子なら自分から尻尾を振って近づいてくるまではもう少し……。
「……エドナ。あれほど言ったのに、また、たぶらかしたのか?」
先程までは誰もいなかったはずの背後から、体の芯から痺れるような低い美声が響いた。私は、美声であることよりも、その声の冷たさにビクッと肩を震わせた。ギギギッ後ろを振り向く。そこにいたのは、執事服を着崩した細身で長身の男性・フェンリだ。半ば呆れたような、半ば怒ったような赤い瞳を向けられて、思わず冷や汗が出る。
ま、まずいところを見られた……。
「や、やだなあ~。見ていたなら、見ていたって言ってくれれば……」
「ほう……。見ていると断りを入れたならば、エドナはあの娘をたぶらかすのを控えたのか?」
「だ、だから……。たぶらかしてなんかいないってば……。フェンリは、なんか誤解をしているんだってば……」
あはははは、と乾いた笑いが出る。
フェンリの視線が、さらに冷たさを増す。人ならざる者の圧力はすざまじい。
「……さっきの娘はなんなのだ? あの娘も『攻略対象』なのか?」
「違うよ! 彼女は『攻略対象』じゃなくて、『ヒロインちゃん』! 『攻略対象』なんかじゃないってば!」
「違うのか?」
「そうだよ! だいたい、『攻略対象』は男性だもん。『ヒロインちゃん』のアリスさんが『攻略対象』なわけないじゃない!」
「そ、そうか……」
ここでやっとフェンリの目は和らいだ。
「エドナの『犬』は、俺一匹だからな」
まるで私に言い聞かせるようにフェンリは言った。
フェンリは、私が七歳の時に領地で助けた巨大な犬の魔物だ。
その頃には自分が、悪役令嬢・エドナ・ヴァイウスに転生していたことに気が付いていたので、来る日に訪れる断罪の後に暮らすはずの田舎の領地で犬に囲まれた生活を……、いや犬の楽園を作ろうともくろみ、候補地を探して領地の隅々まで探し回っていたのだ。
その時に、各地で地主の横暴や、税の横領などを見つけて事を正した結果、父親であるヴァイウス公爵に重用されるようになってしまったのは、ただの余談である。
話を戻して、犬の楽園の候補地だった森の入り口で、具合が悪そうに倒れていた犬の魔物を発見した。銀色のふさふさした毛におおわれた赤い瞳の魔物は、フェンリルという。賢狼ともいわれる彼は、ふらつく体で、近づく私達をけん制するために唸り声を上げた。
従者たちが私を置いて我先にと逃げる中、私は彼の口の中から、タマネギのような香りがしたのに気が付いた。
犬がタマネギを食べたなら、最悪、死んでしまうかもしれない。
獣医師のいないその時、フェンリルを助けるために私ができるのは口に手を突っ込んで、胃の中のタマネギを全部吐かせることだけだ。
あとは必死だった。
私が近づくと、ひどく殺気立つフェンリルに、必死で「あなたを助けたいんだ」と訴えた。そしてとうとう、彼は身を許してくれた。
鋭い牙のあるフェンリルの口の中に、腕ごと突っ込むのは、いくら私でも勇気がいったけれど、無事にタマネギを吐き出したのだ。
そして、助かった。
それから一晩、従者に置いて行かれた公爵令嬢と犬の魔物は寄り添って眠った。寝物語に前世の話や、この世界が乙女ゲームの世界なのを話してしまったのだ。
次の日に目を覚ますと、フェンリルは人間の姿に変化して、私の従者を始めた。
そして、「エドナの『犬』は、俺一匹だ」と言い張って、私の周りに犬を一匹も近寄らせない。
私の犬の楽園計画が……。クスン。
だから、犬属性の『攻略対象』に対しての、ヤキモチもひどくて、おかげでゲームの中で私が没落するフラグを折り続けてくれている。ありがたいことに……?
ちなみに、『フェンリ』という名前は私がつけた。フェンリルだからフェンリ。……センスがないのは自覚がある。
「ところで、その『ヒロインちゃん』というのは、エドナを陥れて破滅させる女ではなかったのか?」
「いやいや、それ解釈の違いだから。ゲームが普通に進んだら、陥れて破滅させようとするのは私の方で、悪事がバレてしっぺ返しを食らうだけだから。まあ、私もそんな事をするつもりもないし、フェンリがフラグを折りまくってくれたから、『ヒロインちゃん』にしっぺ返しをされるようなことも怒らないんだけれどね」
そう。ゲームの世界では私――エドナ・ヴァイウスは王太子の婚約者だった。でも、フェンリがフラグを折ってくれたおかげで、フリーの身の上だ。……こんなにスペックが高いのに、前世と変わらず喪女だなんて……。クスン。
「しかし、もめていたようだが?」
「実はさ、『ヒロインちゃん』も転生者だったんだよ。私もゲームは『ヒロインちゃん』でプレイしていたからか、中身が違うっていうのは、ちょっと寂しいけれどさ……。でも、やっぱり憎めなくて……。それに、ゲームのジャケで見ていたけれど、ヒロインちゃんって、なんかトイプーに似ているんだよね」
「トイプー?」
「そう。トイプードルって犬種。あのツンテールで、キャンキャンしているところが特に……。そう思ったら、ついスイッチが入っちゃって……。あ!」
フェンリはジトッとした目で、私を睨む。
ヤバい。地雷を踏んだ!
「は……、ははははは……? ど、どうしたのかな~、フェンリ。ちょっと、怖いよ~」
滝のように汗が流れる。
「エドナの『犬』は、俺一匹だけだと言っているだろうが!」
「は、はいっ! ご、ごめんなさい!!」
犬がヤキモチを焼くのはよくある話だ。そういう時は、誰が一番大切なのかを示すに限る!
私は両手で、アリスさんのツインテールを撫でまわしたように、フェンリの髪の毛を撫でまわした。フェンリは、最初はビクッと体をこわばらせたものの、次第に目をトロンとさせて全身の力抜けていく。
「大丈夫よ~。私にとって、フェンリが一番だもん」
「そ、そんな事で……騙されるわけが……」
だが、フェンリルの口から真っ赤な舌がわずかに飛び出て、ハッハと荒い息を吐く。ドッグトレーナーとして、犬が気持ちいいとことは隅々まで知っている。(人型になっていても、それが通じたのは意外だったけれど)。そしてフェンリいわく、私の手には犬を気持ちよくさせる魔力のようなものが出ているらしい。もう、私ったら転生して犬無双! な、はずなのに、ヤキモチ焼きのフェンリのせいで、まともに犬と接していないのが寂しい。クスン。
「ねえ、フェンリ~。また犬の姿に戻らない?」
「も、戻らない!! 絶対に!!」
「なんで~?」
「それは、エドナに犬扱いしてほしくないからで……」
「ん?」
「何でも無い!! 絶対に戻らない!!」
「犬の姿に戻れば、もっとかわいいのになあ……。本当は、頭だけじゃなくて全身を撫でまわして、お腹の毛に顔を突っ込んで、スーハースーハーしたいのになあ~」
「ごくっ。全身を……? お腹の毛でスーハー?」
お? なぜだか分からないけれど、なんか揺れてるぞ!
「ね、フェンリ! お願い……」
「う……、うううううう」
「ね? 少しだけ」
「………………ダメだ」
「ちぇ~~~!!」
フェンリだけは思うように調教できないエドナなのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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