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第97話 アスタレーナの決断

 5月27日。ラヴェリア聖王国にて。

 第三王女アスタレーナの呼びかけによって開かれた継承競争会議。一同が集うテーブルには、ハーディング領中央部の地図が広げられている。

 地図の上には、各勢力の兵を示す駒も。そのうちの一つを手に取り、先に進めてアスタレーナは言った。


「モンブル砦を進発した革命勢力は、あと二日ほどで会戦予定地に到着する見込みよ」


「正規軍が先に動くということは?」


 長兄ルキウスが、地図から目を離して問いかけると、彼女は即答した。


「機動的に動ける部隊は、戦場全体に対して十分な規模ではありません。先に切り札を動かして圧を掛けるよりは、主力同士の戦いに持ち込み、機動力に富む精兵は不測の事態に備える遊軍とするか……」


「あるいは、膠着(こうちゃく)したところで側背を突かせるか、だな。状況を動かしてやることで、煮え切らない新兵たちの尻を叩くって運用もアリだろう」


 軍議さながらに、細い棒でそれぞれの駒を指し、第二王子ベルハルトが口を挟んだ。

 割り込まれる形となったアスタレーナだが、特に悪い気はしない。さすがと言うべきか、軍事に明るい兄の言葉は、先方の軍議に居合わせたかのように正鵠(せいこく)を射るものだ。

 兄に対する、ささやかな感服の念を胸に、彼女はうなずいた。


「ハーディング上層部としては、お互いの新兵がどれだけ動けるかが焦点といったところ。ただ、正規軍は武装面においては圧倒的な優位がある。負けはしないから、いかに勝つか……というのが、主な懸念のようね」


「なるほど」


 ルキウスは短く口にした後、少し腕を組んで考え込み、尋ねた。


「このタイミングで、この会議を招集した理由だが」


 兄の問いに、アスタレーナは場の面々を見回し、一度目を閉じた。心を落ち着かせて雑念を追い出し、目を開けて静かに一言。


「エリザベータへの挑戦権を、ここで行使したいと思います」


 彼女がそう言うなり、最初に反応したのはベルハルトだ。彼は末弟ファルマーズに視線を向けるが、兄が何か言い出す前に、察しのいい弟は拒絶感あらわに首を横に振った。

 彼とアスタレーナ以外は、いずれも挑戦権を一度行使している。こうなると、継承競争の協定上、アスタレーナの挑戦権を阻害することは不可能だ。


 取り決め通りに、彼女は挑戦権を掌握した。

 だが、彼女がこのタイミングでの動き出した事実に、他の兄弟がどういう印象を(いだ)くかは不透明であり、彼女にとっては重大な懸念事項でもある。

 彼女が名乗りを上げたことで、場は不意に静かになった。議長として場に立つ彼女へ、兄弟から視線が向けられる。

 いや、この場には兄弟ばかりでなく、それぞれに控える側近数名も参席している。彼らがアスタレーナに直言する可能性は低いだろうが……彼らへの心証は、どうであろうか。静寂の中で懸念は膨らむ一方だ。


 そんな静けさを断ち切ったのは、ベルハルトであった。彼は、前回の権利行使者に目を向け、気安い感じで声を掛けた。


「レリエル。前回挑戦者として、何かアドバイスは?」


「私の口から、お姉様に助言など……恐れ多いことです」


 妹の、すっかり恐縮した様子を目にしたアスタレーナは、それが本心から言っているように感じた。

 実際、先の戦いにおいて、レリエル自身が戦ったわけではない。魔神使役者としては好機に動いたと思われ、契約も過不足なかったことだろうが……戦い方としては特殊すぎる。彼女の観点で物を言っても、助言とするのは難しいだろう。

 それに、遣わした側であっても、敗者ではある。その自覚も、今の遠慮に(つな)がっているのだろう。


 ベルハルトが持ちかけた話題は、まるで盛り上がることがなかった。

 ただ、アスタレーナとしては、座りの悪い沈黙が破られてちょうどいい。彼女は、少し悄然(しょうぜん)したように見える妹を一瞥(いちべつ)し、兄に言った。


「兄さんが余計なことを言うから……」


「いやぁ、悪い悪い」


 と、兄は悪びれない様子である。彼は気軽な感じで妹に頭を下げた。

 一方、頭を下げられた妹は、生真面目な表情を少し柔らかくして応じ、アスタレーナは内心で一安心した。


(兄さん、少し軽いところがあるけど……やっぱり、いないと困るわ)



 結局、会議はそれ以上の動きを見せず解散となった。

 しかし、会議の主催者には、まだやることがある。会議が終わるなり、彼女はすぐ上の兄を捕まえ、呼びかけた。


「兄さん」


「何だ?」


 少し怪訝(けげん)そうな顔のベルハルトに、彼女は少しだけ逡巡(しゅんじゅん)した後、尋ねた。


「少し相談が……この後は大丈夫?」


「へぇ、レナから相談ってのは……面白いな。いや失敬、そういう話題でもないか」


 何を指して面白いと感じたのかはともかく、何か察するものがあったのか、ベルハルトは軽はずみな表現を素早く()びた。

 こういう兄を見るたびに、(痛い目見てきたのかしら……)と、ふと思うアスタレーナ。笑みを(こぼ)しそうになる自分を抑え、彼女は表情を和らげるに留めた。


 兄を連れ、彼女は外務省の執務室へと向かった。

 兄、ベルハルトは、外務省からすれば王族の中でも相当の要人である。外征担当の将ということで、外交上でも大きな存在感を放つ人物だからだ。

 とはいえ、彼は外征担当ではあるが、主戦派には属していない。諜報に明るい外務省では、その事実も知れ渡っており、ベルハルトとの仲は良好だ。

――心証を害さないようにと、そういう配慮もあるのだろうが。


 王族二人が揃って歩くだけで、すれ違う高級官僚たちにも緊張が走る。そんな中を無言で歩き、二人は執務室に着いた。

 部屋に入るなり、まずはベルハルトの軽いため息。苦笑いで応じるアスタレーナは、「帰りはどうする?」と尋ねた。


「ん……レナに見送らせたんじゃ、ちょっとマズイか。かといって、私一人で外務省を歩くのもなぁ」


「私は気にしないし、部下もそう気にはしないだろうけど……他の目につくと、ね」


 生まれた先後はあるが、兄弟間の序列は、実際には政治的影響力を持たない。少なくとも、王族の当人たちにとっては、王室内における長幼の序でしかないのだ。

 とはいえ、周囲にとっては認識が違う。早い話、兄姉に礼を尽くす弟妹の姿を見て、その序列をそれぞれが率いる派閥や組織の力関係にまで適用する、早合点を起こす者も少なくないのだ。

 結局、外務省の高官を一人、ベルハルトの見送りに用意することになった。


「面倒なもんだ」と口にする兄の前に、アスタレーナは自分で淹れた茶を置いた。そして……


「本題だけど」


「ん」


「兵を貸してほしいの」


 緊張した真顔で頼み込む妹に、ベルハルトは一服した後、さも堪能したかのように上機嫌でため息をつき……「だろうと思った」と口にした。

 その後、彼は「地図を」と言った。どこの地図か、アスタレーナに迷いはない。

 彼女がサンレーヌ城近辺の地図を手渡すと、ベルハルトは眼光鋭く沈黙した。片手に地図を、もう一方でティーカップを傾け、少ししてから彼は言った。


「腹の中は、なんとなく読める。いや、なかなか面白い事を考えるじゃないか」


「そう?」


「気づかずに手を貸せば共犯、気づかなければ将としての素質を問われる……ってところか」


 軽い調子のある兄だが、こういうところは本物である。視線をチラリと向けてくる兄に、アスタレーナは内心、身震いする思いだった。

 父王の御代になって以降、大規模な戦闘はあまりなかった。ただ、北方のごく一部で、大国からすればささやかな小競り合いが、長年に渡って繰り返されていた。


――小競り合いと言っても、実際に戦う者にとっては熾烈そのものの戦場だ。


 中央を離れて、大きく土地柄が異なる冷涼の荒野の中、軍を率いて戦い抜いているのが、第二王子ベルハルトである。

 この百戦錬磨の将は腕を組み、アスタレーナに問いかけた。


「兵って言うが、実際には将官だろ? ごく数名、あるいは一人か……」


「ええ。現地に送り込むにも、限度があるから。一人だけでも、どうにか借りられたらとは思うけど……」


「私が許可しなかったら、どうなる?」


「別に、どうもしないけど」


 あっさり答えたアスタレーナに、ベルハルトは意表を突かれたのか、少し目を丸くした。

 こういう軍事関係で上手(うわて)を取れたことに、彼女はちょっとした満足感を覚え、兄に微笑を向けた。


 兵を借りることができなかったとしても、特に問題にはならない。当てにしていた部分があるとはいえ、許可が降りなければ、挑戦権を返上するという選択がある。挑戦を宣言した当日の返上であれば、挑戦権の行使とは認められない。

 それに……次なる会戦とその前後において、他の兄弟からの干渉を防ぐため、挑戦権を専有すること自体には大きな意味がある。

 アスタレーナとしては、どう転んでも……といったところである。ただ、作戦の遂行をより確実にするため、力を借りることができれば、というわけだ。


 頼み込む側であり、兄への個人的な信頼もある。

 それでもなお、諜報部門の長としての側面が、手の内を語る選択を妨げた。アスタレーナは、ひとまず考えを伏せた上で、口を開いた。


「協力してくれれば嬉しいけど……」


「あ~、どうしたもんか。いや、レナの考えはなんとなく読めてるし、協力してやろうとも思うが……条件があるな」


「条件?」


 意外にも色よさげな返事する兄に、アスタレーナは聞き返した。

 すると、彼は茶を口に含み、答えた。


「現地に飛ばされる奴には、きちんと考えを明かして説得してやってくれ。そうやって個人的に納得させた上で、作戦中は自分の部下として扱い、責任を持つんだ。それができるなら、こちらとしては文句はないな」


「……わかったわ、ありがとう」


「ま、目星がついてるのが誰かは知らんが、レナの下で動いてみるのも、いい経験になるだろ」


 そう言って、ベルハルトは地図を眺めながら、茶を愉しみ始めた。

 彼自身は、アスタレーナの申し出を受け入れた格好である。あくまで、遣われる側に是非を問うと。

 その言質を得て、アスタレーナは少し無言で考え込み、問いかけた。


「兄さん。兄さんは、私が玉座についても構わないの?」


 すると、兄はそれを鼻で笑った。バカにしたと言うより、少し皮肉っぽい感じで。そして、彼は言った。


「そうだな……何かの拍子に、レナが私の上に立ったとしても、喜んで受け入れようじゃないか」


 表情は柔和だが、目は笑っていない。そんな兄の視線を受け、アスタレーナは心がざわつく感じを覚えた。見透かされた上で、自分自身を問われている……?

 そうした思いに強張(こわば)る彼女に、兄は飄々(ひょうひょう)とした感じで言った。


「割と本心だぞ」と

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