第96話 進発
勢力が拡大していく中、改めて方向性を定めるための、クリストフの演説。その中で明かされた、一般的な参加者にとっては初耳であろう情報。戦闘は避けられないとしつつも、可能な限り流血少なくという意思表示。
――そして、それを可能にする作戦の提示。
多くにとっては動揺をもたらした演説だったが、結果的には肯定的に受け止められた。
その日の夜、会議室にて。
今日の大任を果たしたクリストフに、皆が労いの拍手を向けた。当の本人はと言うと、だいぶ恐縮した様子だったが。
気疲れした様子が見える彼には、実際に懸念事項があった。演説そのものの出来ばかりでなく、その後の反応もまた、気がかりでならないのだ。
「反応はどうです?」と彼が尋ねると、《遠話》を通じて外の様子が報告された。
『逃げ出そうって動きは、見受けられないですね』
「そうですか……」
疲れ気味に見えるクリストフも、この報告には、誰の目でも明らかなほどに安堵を示した。
誰かが逃げ出せば、それにつられて逃げ出す者も出るだろう。連鎖的な動きが、勢力を大きくしぼませる懸念があった。
そして、その可能性を踏まえた上で、革命勢力としては離脱を押し留めようという動きを放棄していた。督戦的な監視や妨害などだ。
そればかりか、演説の後に、クリストフの口から直々に離脱を許容する言葉も放たれた。「無理強いはしない」と。
リスクを覚悟の上で、身内に対する誠実さを重視した格好だ。
結果として、こうした姿勢が好意的に映ったのだろうか。演説に続く、次の戦闘での勝ち手段の説明と、傭兵団も協力しての“実演”に、説得力を感じてもらえたのかもしれない。
実のところ、今はまだ逃げ出さないだけ、という懸念はある。「寝静まった頃に逃げ出すかもな」と、傭兵の一部から指摘が入った。
ただ、演説それ自体の受け止められ方は、当初の想定よりは望ましいものであった。外からの報告が、それを物語る。『やる前より、なんだか空気が引き締まった感じはありますね』と。
魔神との戦いにおける勝利で、構成員の大半は直接関わっていないながら、沸き立つ祝勝に便乗し、空気が浮ついて高揚していた。
そこへ、現実を伝える演説が、熱気をちょうどいい具合に覚まし、気持ちを引き戻してくれたのかもしれない。
ともあれ、正規軍との会戦を控える今、重要なのは一般構成員の戦力化である。皆の前で提示した勝ち筋を、現実のものとしなければ。
参集する新たな参加者に対しては、今回の演説に準じる説明をしつつ、戦力化のための教練を施していくことに。
こうした訓練と並行する形で、会戦が想定される地域を絞り込み、いくらか戦術案も用意していく。
また、外交的に何かしらの動きがあれば、諜報員を通じて伝達の上、協議を行う。
こうして今後の対応について改めて確認しあい、今夜の会議は解散となった。
☆
5月22日。演説から2日後の朝。
夜間に逃げ出す者がいるものと思われていたが、実際にそういった動きは、ほとんどなかった。
実戦を念頭に入れた訓練が始まり、現実を否応に突きつけられる形となっても、である。
「自分たちから逃亡者が出ないように……」といった、相互監視的な自警組織が自然発生した様子もない。
それぞれが自分の意志で、この革命に参加し続けているようだ。
こうした状況は、好ましいものである。
ただ、革命勢力としてはジレンマがあった。
訓練を重ねることで、実戦を前にして生き延びる自信を与えたくはある。
一方、戦術的にも戦略的にも、正規軍側の方が取り得る手札は多いはず――というより、時間の経過とともに増えていくことだろう。
となれば、いつ動き出すかが問題である。
――あるいは、動き出すまでの間、正規軍をどれだけ煩わせる事ができるか。
戦闘に向け、砦の敷地内外で一般向けの訓練が進む。
そんな中、リズはちょっとした策略のため、砦の一室で全く別の作業に従事していた。
いや、実際には、従事していると言うと語弊があるかもしれないが。
「何やってんだ?」と、やや呆れた様子のクロード。その視線の先にいるのは、剣を片手に、なんとも偉そうなポーズを取るリズの姿。
彼女を囲うように、紙へ筆を走らせる者が数人。何をやっているかは明白ではある。それを、リズが口にする。
「いえ、誰が魔神を倒したのか、触れ回ってやろうと思うのよ」
「……ああ、なるほど。敵に知ってもらえれば、ビビってもらえるってわけか」
合点がいったとばかりに、リズはいい笑みで応え、彼女を囲う画家たちから声が飛ぶ。
「あ、今の顔いいですね」
「そのままで!」
「……ちょっと、それはキツいわ」
ふとした拍子にやるのならともかく、意図的に続けるのであれば、余裕有りげな笑みも引きつってくる。
そんな彼女に、クロードは困ったような笑顔を向けた。
もっとも、絵描きたちは別に本格的な芸術作品を作ろうというのではない。程なくして、リズはモデル役から開放され、近くのイスに腰を落ち着けた。
魔神とやりあった件について、触れ込むチラシは何パターンかある。その中にはリズとアールスナージャが交戦している様を、絵心ある当時の増援が書き起こした物も。
後は、これらに文面を付け足すだけだ。そう凝ったものは不要で、名前と通り名程度で十分だろうが。
「通り名、ね」
「魔神殺しでいいんじゃない?」
ポツリつぶやくクロードに、リズはさほど考えるでもなく応じた。
これは例の魔神が口にした銘だが、かなり大仰な通り名である。実のところ、リズがあの魔神を殺したわけではなく、先方は本来の住処へ退散しただけだ。
それに、退却まで追い込んだのは、積み重なった戦傷によるものであり……一人の戦果として帰せられるものではない。
とはいえ、そういった事情は場の面々も承知している。その上で、彼女の自発的な名乗りに、口が挟まれることはなかった。
「んじゃ、魔神殺しエリザベータな」
「超カッコいい」
リズと同年代の仲間にしてみれば、琴線に触れるものがあったのかもしれない。皆々が陽気な笑みを浮かべた。
こうして好意的に囃し立てられる中、大仰な通り名を頂戴する当人としては――
(一人で倒したわけでもないし……う~ん)
宣伝用の大言とは理解しつつも、微妙に煮え切らない想いであった。
☆
5月24日朝。
革命勢力は、モンブル砦北門から進発した。
さすがに全軍で向かうというわけにもいかず、モンブル砦にはいくらかの兵力を残している。そうして勢力を分割してもなお、眼を見張るような大群だが。
出撃した彼らにとって、最初の懸念事項は、北門を出てすぐの川と森である。この森の中には、かねてより偵察がいるという報告があった。
そこで、今や協力者となった他勢力諜報員を用い、先立って森の掃除を行っていたのだが……
後背にあるモンブル砦も、最初は無人ながら罠があった。森の中も、偵察が引き払ったとはいえ、やはり罠はあったという話だ。「もしかしたら」という、不安の種は尽きない。
今回の進軍で最初に森へ入るのは、諜報員たちと傭兵の混成部隊だ。生き残るのに長けた用心深い彼らが、じりじりと、しかし確実に前進していく。
やがて、何事もなく通り抜けた彼らの指示と警戒の下、今度は本隊が森を通過。今までは敵勢力だったという認識があるせいか、ただ通り抜けるだけでも、大勢が実戦さながらの緊張感を覚えるといった事態である。
結局、無事に全隊が森の通過を果たしたことで、全隊が安堵に包まれた。
そんな中、隊列の前方部にいるクロードは、「この先に罠があると、うまくハマっちまいそうなもんだが……」と口にした。ギョッとする周囲の幹部たち。
彼らをなだめるように口を開いたのは、傭兵のロニーだ。先発して森の探索にあたった一人でもある。
「この先の平野部じゃ、罠の仕掛けようがないと思うけどね。当分は安全だよ。一応、最前列が警戒しながら動くけど」
実際、リズの目から見ても、それらしいものは見当たらない。魔力的な罠の類も、それらしい存在は感じられない。
こうなると、本隊はそのまま決戦地へと到着できそうである。横や後ろへと、正規軍の別働隊が来ないとも限らないが、彼女の心配事は別にある。それは……
「アクセルさんも、無事だといいのですが」とクリストフが口にした。
領主直属の諜報員である彼は、今回の進軍とは別に動いている。数日前、先方からお呼び出しがかかったのだ。
『会戦の前後において、伯爵閣下の近辺が騒がしくなる恐れがある。護衛のために帰参せよ』と。
革命勢力としては、これを押し止めることはできなかった。むしろ、必要な措置でさえあったかもしれない。
なぜなら、現在の権力層において、もっとも話が通じる人物に生き延びてもらうことこそが、革命の行く末を大きく変えるからだ。
とはいえ、アクセルがどれほどの者だろうと、伯爵の安全を確実にするのは難しいかもしれないが……
未だ謎めいた部分が多い彼だが、リズは彼が味方と信じ、その武運を祈った。
その一方で、彼女は思った。自分もまた、向こうから祈られているかもしれない、と。
今はただ、お互いを祈ることしかできない。その上で、自分にできることを尽くすしかない。
矢は放たれたのだ。




