第92話 群衆集う中で①
《憑依》で飛ばした鳥の視点が映し出すものは、モンブル砦へと大挙して向かう人の群れであった。革命支持派が多い勢力基盤から続々と。
――いや、中には川向こうからやってくる小集団もいる。ハーディング領正規軍と、正統な統治機構の影響力が強いはずの川向こうから、だ。
魔神との戦闘翌日、朝方のことである。
リズたちの奮闘で魔神を退けたという事実は、砦を出た記者たちによって近隣の町村へと伝えられた。
ただ、記者たちはあくまで非戦闘員である。戦闘には参加しておらず、魔神の姿形は知らない。彼らはただ、戦闘中の音や声と、それに続く戦勝の大騒ぎで事を知るのみであった。
そこで、より詳細な情報をと、記者たちに情報提供が行われることとなった。リズが治療中の出来事である。
とりあえずは魔神の見た目について伝え、それともう一つ。「戦闘の詳細については、はぐらかすように」と、革命主導部は記者たちに言い含めた。
つまり、誰の貢献が大きかったかというような情報はひとまず伏せ、革命勢力全体の勝利という印象を与えようというわけだ。
急報として記者を走らせるための事後報告だったが、リズはこれらの決定を快諾した。彼女自身、その場に居合わせても、同様の意見に達しただろう。
諜報員に対する手綱を得たとはいえ、これから押し寄せる追加戦力の中に、何か紛れ込む可能性はゼロではない。
となれば、中核戦力が誰なのか、記者を遣わしてまで外に知らせる必要はないだろう。
それに、リズばかり有名になるのは、決して好ましいことではない。むしろ、害の方が大きいと彼女は考えている。悪目立ちして身動きを取りづらくなるというのもあるだろうし……
他にもあり得るかもしれない未来の予想に、リズはため息をつき、押し寄せる人の波に再び注意を向けた。
魔神との戦いに勝利し、それを聞きつけて大勢がやってきている。それ自体は歓迎すべきことだろう。集まる人の規模それ自体が、相対する正規軍への圧になり得える。
しかし、手放しで喜べるだけの事象というわけでもない。
砦という要地に群がってくるいくつかの集団を空から目にし、一方で砦の敷地内からは、高まる士気をひしひしと感じ、その中でリズは一人思い悩んだ。
この集団が魔神に打ち勝ったという事実が、戦いに参加しなかった人員の戦意までも高揚させている。本当に、この革命がなし得るのではないか、と。自分たちも、その力になれれば、と。
実際、正面衝突は避けられないものという見通しがある。正規軍を前にして遁走されるよりは、士気を保って戦列を維持してほしい。それが革命の前提条件でもある。
しかし……リズが焚き付けたその戦意のせいで、死ぬ者が出るかもしれない。彼女がいなければ、戦いが始まるや逃げ帰り……感情的な苦痛はどうあれ、天寿を全うできていた者がいたかもしれない。
自分の存在が、巡り巡って人の生死に作用している。そういう予感が、彼女の心をかすかにかき乱した。その時――
「なぁ、ちょっといいか?」
急に声を掛けられ、リズは柄にもなく少し驚いた。それでも平常心をすぐに取り戻し、「少し待っててもらえる?」と返した。
相手はダミアンである。彼は「すまんな」と言って静かに待った。
《憑依》を用いた紙の鳥が、リズの手元に舞い戻ると、ダミアンは「たいしたもんだ」と手短に嘆息した。
「傭兵のみなさんの中にも、こういうの使える方がいらっしゃると思うけど」
「そりゃ、何人かいるがね。あいにくと色々忙しいもんでな」
そう言うと、ダミアンは少ししてからバツの悪そうな顔になり、「いや、含みはないぞ」と付け足した。
傭兵たちは今後のためにと、様々な作業に駆り出されている。その中で、リズは少し時間のゆとりを与えられているところだ。
その余暇に、彼女は気晴らしも兼ねた偵察をしていたというわけだが。
傭兵を束ねるダミアンも、決して暇ではないだろう。そんな中、彼がわざわざやってきた。
その時リズは、自分たち二人がいるところから、かなり離れたところに見張りが立っている事に気がついた。
おそらく、人払いしてあるのであろう。重要な用件かもしれないと思い、彼女はさっそく本題を促した。
「何かお話でも?」
「ああ、まあな。あまり身構えないでほしいんだが……」
「そういうの、逆効果だと思うけど」
さっぱりした様子で返すリズに、ダミアンは苦笑いを浮かべ……すぐに真剣な表情になった。
「俺は……貴族の方々と共に戦う栄誉に、何回か恵まれてな。その戦いぶりを、間近で拝見したことがある」
なるほど。身構えないでほしいという言葉の意味を、リズは察した。
「お前さん……と言うべきではないのかもしれんが、あの魔神との戦いぶりは、過去に目にした貴族の方々にも勝るほどのものだった」
「死なないようにするだけで精一杯だったわ」
謙遜と、少しはぐらかそうという意図を持って、リズは答えた。
しかし、言葉をそのまま受け取ったようにも思えず、ダミアンは神妙な顔で口を閉ざしている。
この、一回り以上年上の傭兵は、多くを経験し、それらを生き延びてここにいる。だからこそ、感付くものがあったのだろう。
ややあって、リズは観念し、口を開いた。「ごめんなさい。私の出自については、伏せさせてもらうわ」と、詳細はさておき、そういう生まれだと暗に認める形で。しかし……
「ああ、いや、別に暴き立てたいわけじゃないんだ」
どうも、懸念していたような話ではないようで、リズは安堵とともに若干拍子抜けする感を得た。
そんな彼女に苦笑いを向けた後、ダミアンが真剣な眼差しとともに問いかけた。
「失礼な質問とは思うが……あの時、怖かったか?」
実際、あの時リズが恐怖を覚えたのは確かだが……怖かったのは、自分の死ではなく他人の死であった。しかし……
(正直に言えば、話がこじれるというか……面倒な方に転ぶかも)
そんな疑念を覚えた彼女は、本心を隠す事を申し訳なく思いつつも、単に「怖かったわ」とだけ伝えた。
「そうか……そうだろうな。本当に恥ずかしい話だが、俺はあの時、すぐに加勢に向かえなかった。下手を打てば殺される直感があった。使える部下が目減りすれば、それがさらなる窮地をもたらすとも思ってな。それに……単純に、怖かった」
「いえ……あなた方の慎重さに、私もきっと助けられていたと思います。あなた方が時を待ち、私からの情報を信じてくれたから、勢力としてうまく立ち向かえた……私は、そう信じています」
リズは相手をまっすぐ見据えて言葉を返した。弱みに恥じ入る相手に対し、真面目な本心を改まった口調で口にしたのだが……ダミアンは少し呆気に取られている。
その後、若干の間を開けてから、リズは表情を崩した。
「フフッ、こうやって話すと、いかにも生まれが良さそうに聞こえるでしょう?」
「……敵わんね、まったく」
渋い表情で返すダミアンだが、彼はすぐに真面目な顔に戻り、本題を切り出した。
「出自がどうあれ、お前さんが命がけで戦い、俺たちを守ったのは事実だ。諸々ひっくるめて、俺は個人的にも、お前さんを信じるよ」
「ありがとう」
「ただ……お前さんの本当のところを知りたがる連中がいるかもと思ってな。それが心配だったんだ。あの魔神が、本当はどれだけヤバい奴なのかを伏せておけば、お前さんのことは『ちょっとワケ有りな達人』ぐらいで通せるとは思うが……」
あの戦いに加勢した者は、大半が巻き添え覚悟で立ち向かっていった者だ。革命に与える悪影響を思えば、リズの素性を無理に暴こうとはしないだろう。
ただ、これからやってくる者に対しても、彼女の立ち位置は重要である。その点について、彼女は指摘した。
「今から来る方々にも、私のことは、一介の幹部ぐらいに認識させる感じ?」
「ああ。記者連中にも、そういう徹底はしてある。じゃなきゃ、声が大きい奴に、勢力を分断されかねないからな」
その言葉に、リズは「さすがね」と返した。
革命の主導者はクリストフだが、彼は目につくような華々しい成果を上げてはいない。この革命勢力が、当たり前に一勢力として機能し、大過なくまとまっていることこそ、彼が陰ながら決断と決裁を繰り返してきた成果である。
一方、リズはわかりやすい大戦果を上げている。モンブル砦確保と、続くアールスナージャ襲撃の対応。先立ってはビラの大量作成もそうだし、トーレットの街宣で一番目立っていたのも彼女だ。
思慮深いクリストフは、ややもすると、革命には穏当すぎるリーダーとして映りかねない。彼よりは、自ら血を流してまで矢面に立ったリズの方が……
そんな声を上げて、彼女を担ぎ上げ、仲違いさせようという工作が行われるかもしれない。
ただ、あの戦いの目撃者たちを束ねるダミアンが、同じ懸念に対して警戒してくれている。そのことに、リズは安堵を覚えた。分断工作も、せいぜいボヤの段階で処理されることだろう。
とはいえ、それでも色々と問題は残っているのだが。
「そろそろ、私も出番?」と尋ねるリズに、ダミアンは「そうだな」と返した。
これから、日課のような会議が行われる。少し伸びをするリズは、力なく笑って言った。
「また忙しくなるわね」
「ああ……人が増えるってのも、いいことばかりじゃないな」
しみじみと口にするダミアンだったが、リズからの返しは「いないよりいいわ」と、あっさりした口調のものだ。
これに、彼は軽く笑った後、「違いない」と応じた。




