第90話 決着の後:革命勢力にて①
予想外の大敵が出現したことで、一時は大きく混乱した革命勢力だが、構成員の奮起とそれに続く勝利は、戸惑いの渦を呑み込んで興奮のるつぼへと変えた。
もっとも、勢力内の全員が戦闘に参加したわけではない。雑用に回された者も相応にいたが、多くは概況を知らされながらも、幹部や傭兵たちからの説得によって、その場に留まっていただけである。
そうした一般的な構成員たちは、事情が良くわからないながらも、勝利に沸き立つ場の興奮に浴した。
ただ、戦いが終わってすぐに沸き起こった勝利を祝う歓喜の中に、リズの姿はなかった。
なぜなら、彼女は今、治療中なのだ。
一戦終えて仲間たちに姿を晒した当初、彼女は汗と血と砂や土に塗れていた。
大怪我こそしていなかったものの、衣服に浮かぶ朱色の線の数々は、見る者に激闘ぶりを思わせるものであった。
取るものとりあえず応急処置をということで、今に至る。
彼女が連れ込まれたのは、砦の医務室だ。マルグリットら数名の、リズと親しい女性陣が彼女の治療に当たっている。
今回の戦闘において、他にも負傷した者はいるが、いずれも軽微なものであった。その場の処置で済ませるか、医務室の別室で処置されている。
肝心のリズについても、大方の心配をよそに、傷はそう深刻なものではなかった。傷つけられているのは四肢で、傷の数は多いが、いずれもかなり浅い。
また、胴体に傷はない。致命傷を避けようと意識してきたその結果に、リズは安堵した。
とはいえ……治療担当者の顔には、安堵以外の感情も入り混じっているようだが。
「無事……っていうほど、軽いものでもなさそうだけど」と、マルグリットはつぶやきながら、処置を施していく。
酒精を染み込ませた綿を、リズの素肌に走らせるが、すぐに朱に染まって使い物にならなくなる。銀の皿には、すでにいくつもの赤い綿で小山ができている。
「生きているだけで十分よ」とリズが笑顔で応じると、マルグリットは呆れたような笑みで、「まったく」と返した。
消毒が済んだ腕や脚には、別の者が包帯を巻きつけていく。
「失礼します」とリズにかける声には、どこか硬い感じがあり、彼女に畏敬のような念を向けているように思われる。
実際、それだけの事をしたわけではあるが……
今回の戦果について、どう喧伝したものか、リズには悩ましいところがあった。
対外的に、あるいは潜伏する関係者向けに、大きく触れ回る意味はある。
ただ……出自を隠し通したいリズとしては、色々と複雑だ。
一戦終えれば別の問題が湧いて出る。つい渋い顔になる彼女に、マルグリットが尋ねた。
「大丈夫? やっぱり、どこか痛い?」
「いえ……ちょっと考え事をね」
「……考え事してない時間ってあるの?」
真顔で問いかけてくる友人に、リズは何か言い返そうかと考えを巡らすも……
彼女の“そういうところ”が、すでに答えであろう。ふとしたことでも、色々と考えてしまう。
そういう自分を自覚し、「何も考えずに日向ぼっこでもしたいわ」と力なく笑って返すと、マルグリットも表情を柔らかくした。
と、そこへ、医務室へ駆けてくる足音が。
外の騒ぎは相変わらずだ。雰囲気に深刻な感じはなく、戦勝後の空気そのものである。
何かが起きたという可能性は低く思われるが、それでもリズは身構えた。
医務室の他の面々も、自然と言葉少なになり、外の気配に注意を傾けているようだ。
そんな中へ飛び込んできたのは、緊張した面持ちの青年だ。彼はリズの近くまで無言で歩み寄り、耳打ちした。
「諜報員候補をかき集め、昼から会議を開く予定です」
「少し時間を開ける考え、というわけですね」
リズが確認の意を込めて問いかけると、伝令は真剣な顔でうなずいた。
激戦の後、熱が冷めやらぬ内にと、主導部も勝負に出るらしい。
早くも決断した彼らを、リズは頼もしく思い、一方で少しばかり寂しくも感じた。一応、参謀(?)という触れ込みでやってきているだけに、何か、こう……というわけだ。
(きっと、お気遣いいただけてるってことだと思うけど……)
そんな事を思い、彼女は目を閉じて、仲間たちの決断に思考を巡らせていく。
少し間を置くのは、主導部の準備のためというよりは、他の参席者のためであろう。お声がかかった諜報員らしき者たちに、現場の一存で決めかねる事項を、タイムリミットを設けた上で事前に相談させようというのだ。
魔神顕現から続いての、この会議の参加要請は、忍び込んでいる者に対して大きなプレッシャーを与えているものと思われる。
それに、あの戦いで助勢に回った他勢力が、もしかしたらあったかもしれない。そうした予想外が連なり、格好の追撃となろう。
当然、会議がどう転ぶかは、リズにもわからない部分は大きい。それでも、賭けとしては、かなり良いタイミングのようにも思われた。
それに、彼女自身、革命主導部が動かしたであろう加勢に助けられた身だ。勢力を束ねる面々への信頼もある。
今更、何の口を挟むことがあろうか。
そんなこんなの考えを巡らし、彼女は伝令を見つめてうなずいた。
こうして会議について了承の意を受け取るも、ややあって彼は、リズから視線を反らした。頬がほのかに赤い。
「やらしいこと考えてんでしょ~?」とマルグリットがからかうと、伝令は首を横に振った。
「そ、そういうわけでは……」
今のリズは、施術のためにと上は肌着だ。下はスカート、腕と脚には包帯。むしろ露出が少なくはあるのだが……妙な色気がないこともない。
何か気の利いたことでも、と考えたリズだが、伝令に悪いかと思ってやめておくことにした。
彼女はただ、微妙な笑みを浮かべ、窓の外を眺めた。
☆
施術と昼の休憩も終わり、リズは会議室へと向かった。上はゆったり目の長袖、下はロングスカートという出で立ちである。
それでも、布地からかすかにのぞく包帯の存在が、見る者に痛ましい念を与えはするが。
廊下で多くとすれ違い、そのたびに熱い視線を向けられたリズ。
彼女が会議室に入ると、当然のように大勢の視線が注がれた。
――本当に大勢である。普段は見られない顔までチラホラと。
中には、見覚えがあって、見慣れたわけではない顔までも。
(確か……アクセル・リスナールさんだったかしら?)
魔法に反応しない彼のことを思い出し、リズは合点がいくような感じを覚えた。
《遠覚》に感知されないのなら、彼は優れた諜報員になり得ると踏んでいた。この場にいるということは、つまりはそういうことであろう。リズの考えは正しかったようだ。
それに……自分と魔人が、戦闘中に気づきもしなかった、あの矢の一撃。あれは、もしかすると……
瞬時に思考が巡るリズだったが、すぐにそういった雑念を追い出した。
革命勢力からすれば、非常に大きなものが掛かっている会議だろうが、リズにとっても同様である。革命の行く末はもちろんのこと、彼女の素性が割れるかどうか。
――もし皆に知れることがあるとすれば、それはおそらくこれからだろう。
そういう認識が、会議を前にして、彼女の身を人知れず引き締めた。
ただ、身構える彼女に向けられたのは、惜しみない拍手であった。
次いで駆け寄ってきたクリストフが、彼女の手を取り、感極まった様子で「お疲れさまでした」と口にした。他にも色々と言いたいことはあっただろうが、言葉に詰まっているようにも映る。
リズも、何か言おうと思いはしたものの、中々良い言葉が出て来ない。
結局、彼女は「勝てて良かったです」と、ありきたりではあるが、殊勝な本音を声に出した。
歓待の音がまだ続く中、彼女は自席につき、腰を落ち着けた。
あらためて視線を巡らせてみると、リズが捕らえた捕虜の七人、交渉途中だった三人が会議に参席している。腹を括る気になったらしい。
リズへの拍手が波のように引いていき、会議室の中が静かになったところで、クリストフは口を開いた。
「最初に、こうした会議に初めて加わる方々に、申し伝えることがあります。この革命勢力の中に、他勢力から差し向けられた人員が紛れ込んでいます。その点は、従前から良くご存じのことと思いますが」
皮肉めいた発言だが、意図は良く伝わったことだろう。
潜入者の立場にしてみれば、この会議に名指しで招かれた時点で、様々なものを俎上に晒されているのだ。
ただ、含むところある彼の物言いは、革命勢力が抱える情報のアバウトさを示すものでもある。
諜報員としての嫌疑を駆けられている者は、名前や出生地を偽っていることは判明している。
しかし、それ以上の情報がない。あまり力強く、疑惑を指摘できる立場ではないのだ。
そこでクリストフは、新たなカードを切った。
「この度、我々の勢力に対し、他勢力からの協力の申し出をいただくことができました。まず、同国内クレティーユ領」
彼が口にすると、リズが捕らえた捕虜たちが、その場で立ち上がった。
いや、彼らに加えて、彼女が捕らえてない者までも立ち上がっている。
実のところ、《家系樹》による検査は、容疑者としての漏れが発生し得るものだ。名前と出身地に偽りなく、それでいて国内他勢力の間者というのは、あり得ない話ではない。
つまり、リズが今目にしている初見の人物は、革命勢力からの直接的なアプローチなしに、この塲へとやってきたのだ。
そのメッセージが、事の背景を知らない他の諜報員たちに伝わることはないだろうが……
クレティーユとしては、これが誠意ということだろう。露見しなかった諜報員まで明るみにしたのだから。
その後も、クリストフの口から、協力を表明した諸勢力の紹介が続く。
今朝の交渉相手となった三人も、結局は革命に協力することを決めたらしい。クリストフの発言に合わせ、それぞれが立ち上がる。
そして……
「ハーディング領領主、ジェラール・ド・ハーディング伯爵閣下直属の諜報員も、我々に協力することとなりました」
その言にはリズも驚かされた。不意に溢れていく議場のどよめきの中、その諜報員が立ち上がる。
魔法が効かなかったあの彼、アクセルだ。




