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第88話 決着の後:ラヴェリアにて

 薄暗い石造りの部屋の中、石造りの床に刻まれた大魔法陣だけが、唯一の光源であった。

 その光も、いつの間にか心細いぼんやりとしたものになっていき……最後の時が訪れた。光が消え果て、部屋に闇が戻っていく。

 それを見届けた第三王女アスタレーナは、自前の《霊光(スピライト)》で周囲を照らし、急いでイスから立ち上がった。


 心配もあらわな彼女が駆け寄っていく先には、イスに座ったまま動けないでいる妹、レリエルがいる。

 魔神契約用の魔法陣が消失したことは、戦闘の終了を意味している。

 それが勝利であれ敗北であれ、アスタレーナにとっては重大事だ。様々な思いが胸に去来し、感情が揺さぶられる。


 だが、彼女は鉄の自制心でそれを抑えつけ、まずは妹を(いたわ)った。「お疲れさま」と声をかけ、目隠しを解いていく。

 その細長い絹の帯は、最初は手触りが良かったが、今は汗で濡れきっている。

 そして……《霊光》に照らされ、闇に浮かぶレリエルの顔は、もともとの色白を通り越して蒼白と言っていいほどに血の気を失っている。

 目隠しを解かれて目を開けるも、その視線はどこか虚ろだ。

 見るからに、力を絞り尽くしたといった様相の彼女は、それでも気丈に口を開いた。


「負けました」


 かすれた小さな声だが、彼女はどうにか言葉を絞り出した。

 声を出すのも苦しそうな妹の姿に、「首でも振らせればよかった……」と思ったアスタレーナだが、彼女はすぐに考えを改めた。

 今の妹に、首を振るほどの力があるかどうか。

 かける言葉に迷いが生じ、彼女は口をつぐんだ。

 レリエルも、自分から話そうという余裕がないのか、ただ荒い息遣いを繰り返すばかり。

 薄暗い儀式の間に他の者はなく、戦いが終わった後の静寂に、少女の叱息だけが物寂しく響く。


 この部屋には、レリエルの側近すら入り込めないでいる。

 そんな中、アスタレーナが立ち会っていたのには、もちろん理由がある。戦闘領域であるモンブル砦へ魔神を顕現させるにあたり、その座標をより精密に制御するためにと、外務省所轄設備の利用を持ち掛けたのだ。

 これをレリエルは喜んで受け入れた。継承競争のためとはいえ、みだりに破壊をまき散らすわけにはいかない。的はリズ一人に絞りたかったのだ。


 一方、提案したアスタレーナには、被害拡散防止以外にも目論見があった。

 モンブル砦南側に新規参入者の野営地があることを、彼女は前もって知っていた。となると、できる限り事が露見しないように、顕現は北側にしておきたい。

 また、北側にはハーディング領正規軍の伏兵が、監視役として配されている事が判明している。彼らの目を通じ、ハーディング領の軍上層部に、混乱をもたらしたくもあった。

 そこで、彼女は多少のリスクを受け入れた上で、外務省所轄設備――という建前で個人的な力(・・・・・)を用い、レリエルに協力(・・)したという次第である。


 今回の戦闘において、レリエルが口にした敗北宣言が、アスタレーナにとっては初報である。

 二人きりの空間に続報は届かず、魔神からの知覚共有もない。関係者には違いないだろうが、契約上は部外者だからだ。

 いつになく珍しいほどに、情報から切り離された状態にあるアスタレーナは、短時間に魔力を絞り尽くした妹を前に、複雑な思いを抱いた。


 レリエルの口から敗北の旨を聞いたとき、どこか安堵を思えている自分に気づき、それに彼女は戸惑った。

 妹が王位に就くことについて、彼女としては特に不満はない。外交や軍事は少し不得手だろうが、それは兄弟で支えればどうにかなるだろうと。

 そう思えば、レリエルの勝利は――エリザベータの死は、外務省としても歓迎すべきものだったかもしれない。

 それなのに、そうならなくてホッとしている自分がいる。


 今更ながら、家族内での殺しに嫌悪を覚えているからかもしれない。

 それに、この革命にはラヴェリア外務省として、方々に手を尽くして取り組んできた。現地での情報戦から、より上の外交に至るまで。

 そして、自分たちの営為とは無関係に、継承競争が状況を動かす。無慈悲に、一方的に。

 煮え切らない感情の源泉は、継承競争と職務意識の間にあるジレンマなのかもしれない。


 実際、今回の魔神召喚に際し、諜報員を束ねる彼女は難しい判断を迫られていた。

 継承競争の協定上、妨害行為はできない。「露見しないようにやれ……」という含みがあるルールなのかもしれないが。


 ただ、痛み分けのような形で終われば、外務省としてはかなり不都合がある。

 たとえば、魔神は撃退され、レリエルは継承権を(つか)めず。一方、リズは瀕死か大怪我。革命勢力は完全に意気消沈、怖気づいて空中分解……のような展開だ。これは避けたい。

 しかし、継承競争との板挟みも確実にある。現場に魔神が向かうと知っておきながら、それを現地の部下には知らせず、彼らの判断に託す――

 結局、彼女は自分に、そのような横着を許さなかった。様々なタイムリミットと激務の中、彼女は決断し、命令を下した。


「詳細不明の強敵が向かう可能性がある。各員は自身の生命を優先し、その上で、革命勢力の保持に貢献すべし」と。


 別に、魔神が来るとは言っていない。来れば、「ああ、あれが」とすぐわかるだろうが。

 魔神への攻撃を促すわけでもない。それが必要と思えば、諜報員たちは勇敢にも、そう振舞うだろうが。

 アスタレーナ的にも、この指示は、ブラック寄りのグレーだった。墓まで持っていくような、後ろ暗い秘密である。


 そんな彼女の前で、レリエルは、自ら手を下したわけではないとしても、相応の代価を払ってそこにいる。

 さすがに申し訳なさが募る。


 すると、レリエルは「お姉様」と口を開いた。対するアスタレーナは、どうにか平静を取り繕って「何?」と聞き返した。

 続く言葉は、中々出てこない。それは、疲労によるものよりも、むしろ遠慮による逡巡(しゅんじゅん)を思わせる。

 やや間があって、レリエルは尋ねた。「お仕事が、お忙しいのではと、思いますが……」と、途切れがちで小さな、しかし、しっかりとした声で。


 この言葉に、アスタレーナの脳裏で、様々な解釈が巡る。

 負けたことへの含羞、放っておいてほしいという含み。あるいは、外務・諜報上で迷惑をかけたという謝罪、立場を(おもんぱか)っての気遣い。

 少なくとも、彼女に向けた負の感情は含まれていないと感じた。妹は陰口を叩くような子ではなく、言いたいことがあれば、真正面から指摘する子だと。


 そうした妹への信頼の念が、彼女の胸を一層に締め付ける。魔神を遣わした妹よりもよほど、彼女の方が裏で色々とやっているからだ。

 向けられた言葉に対する感情の波を感じながらも、彼女は妹に声を返した。


「大丈夫。こちらはこちらで、部下がうまく動いてくれるから。あなたもそうでしょ?」


「はい」


 実のところ、問題が積まれていく過程にはある。

 ただ、外務省として動き出すのは、問題が集積されてからだ。現場が落ち着くまで、こちらから変に干渉できないという見立てもある。

 仮に、今情報を得たとしても、それは不安に掻き乱される心を慰撫するものでしかない。


 現場にいる部下たちの様子を知りたい思いは、当然のようにあった。それでも彼女は、今しばらくは妹とともにいることを選んだ。

 依然としてレリエルは苦しそうにしているが、姉が傍にいることを選んだおかげか、表情が少し柔らかなものに。自身の部下にも、普段は見せないような顔だ。

 そんな妹の姿に、またもいたたまれない罪悪感を覚え、アスタレーナはふと思った。


(それでも……敵さんよりは、ずっとマシかしら)

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