第85話 VS破軍の魔将アールスナージャ⑤
敷地内を駆けていく彼らの上で、戦いは別の様相を呈してきた。
城壁の上の一点、周囲に見張りがいない中ほどから、魔力の弾が生じて戦場へと向かっていく。
その後、城壁の上空に、何か角ばった物体が浮かび上がった。
かと思えば、その物体に目掛けて衝撃波が三本飛んでいく。
最終的に、空に浮かんだ何かは、四方八方へと誘導弾を放った後、衝撃波を受けて華々しく空に散った。
さすがに、この現象は隠しきれるものではない。砦内で目撃した者は多く、ざわめく声が周囲で増していく。
クリストフが、いつになく切羽詰まった様子で走っているのも、懸念を助長させる要因となろう。
しかし、そこまで構っていられる余裕はない。
集団の秩序を保つ役は他に任せ、彼は、トップとしての判断を求められる役に徹する決意を固めた。
どよめく声を背に受け急き立てられる感じも覚えつつ、彼は《空中歩行》で空を駆け上がり、捕虜たちを連れて再び城壁の上に舞い戻った。
一行が城壁の上に立ったその頃、戦場は激しい魔力の乱舞の只中にあった。
リズと魔神が打ち合う衝撃波の激突、空より迫る《追操撃》の雨、合わせてリズが放った《火球》の列は、魔神の一振りで爆風の帯と化し――
苛烈極まる戦いの様相に、外に出たばかりの捕虜は、解放感を味わう間もなく言葉を失った。
この、一連の攻防の終了が、戦場では小休止の合図になったようだ。何事か言葉が交わされている。
そのタイミングに合わせ、ダミアンはクリストフに尋ねた。
「捕虜か?」
「はい。一緒に戦ってもらいます」
淡々と即答するクリストフに、ダミアンは一瞬だけ目を見開き……苦笑いを見せた。
「もしやとは思ったが……そりゃ、お前さんにしか下せない判断だ。俺は支持するよ」
「ありがとうございます」
そう答え、クリストフは捕虜に向き直った。
戦いの一部始終とはいわずとも、この砦がどういう状況にあるのか、察しのいい工作員であれば十分に伝わっただろう。捕虜は、気圧される様子で立ち尽くしている。
そこでクリストフは、牢に繋がる《遠話》へと語りかけていく。
「どうか、力を貸してほしい。それがお互いのためだと思う」
すぐに返事はない。彼は言葉を重ねた。
「ここで皆殺しになって……それで終わるという保証はないんだ。それに、この革命勢力が、あれほどの魔神を征しえる集団だと判明したら、あなた方の上の者はどう考える? 望み薄として諦めていた目が見えてくるのでは?」
この持ちかけに、ダミアンは目を白黒させた。
捕虜たちと、その背後にあるクレティーユ領としては、この革命について二律背反な考えを持っている。その事は、リズと捕虜の会話で明らかになっており、革命幹部たちにも共有されている。
まず、クレティーユからすれば、この革命の成就自体は望み薄。とても応援しようという考えにはなれない。
一方、革命が成らなかった場合、このハーディング領は先が長くないという認識もある。軍備を急ピッチで整えた代償に民心は離れ、領内の力は衰えていき……
いずれラヴェリアの軍門に下ることだろう、と。
そうなった場合、事はこのハーディングに留まらない可能性が高い。近隣のクレティーユは言うに及ばず、その上のルグラード王国、さらには近隣の小国も、ラヴェリアの手が及びかねない。
というのも、近隣諸国にとって、大列強ラヴェリアの動向は死活問題であり……トーレットの街は、ラヴェリアの東進軍略の肝となる、さらなる侵攻の土台という見立ては、半ば常識なのだ。
結局の所、この革命と無関係でいられない隣人は、より確実性の高い道を選んだわけである。
すなわち、うまくいきそうにない革命を道半ばで終わらせ、ハーディング領が本当に死ぬまでの体力を温存させる、と。
そうして、いずれは自分たちの身にまで迫るであろう破滅に対し、対処するための時間を――
それが叶わなければ、せめて、穏やかに終わるための延命を……というわけだ。
仮に革命が成ったとしても、それで事態がどう変わるかは未知数である。
ただ、新体制が樹立した際、クレティーユの意向をどうにか反映させられるのなら、クレティーユとしては願ってもない取り引きである。
少なくとも、民衆に決起されるほどに軍費を絞り上げてきた領内上層部、並びに軍指導部は、クレティーユにとっても疎ましい存在だ。これを排除できるなら好ましい。
そして、隣が急ごしらえで充実させた軍備を堅持しつつ、官民のバランスを取り戻してくれるのなら、クレティーユ的には歓迎すべき展開である。
そこでクリストフは、この戦いを革命成就の試金石とし、捕虜たちの上の者に判断を促そうというのだ。
この戦いを制したのなら、本当に、ハーディング領中枢を押さえられるかもしれない。
そして……志半ば、役目を果たせず虜囚となった者たちに、かつてとは違う目的を与えようと。
ややあって、牢内から捕虜が応えた。
「わかった。俺たちの命、有意義に使ってくれ。少しでも怪しい動きをしたと見たなら、その場で殺してくれても構わん」
「ありがとう」
話がまとまるや、クリストフは申し訳なさそうな顔になり、ダミアンに声をかけた。
「実際の運用は、そちらの傭兵団に一任します。組織としての責はこちらが負いますから」
「いいだろう、任せてくれ」
さっそく、会議室へと指示が飛ぶ。待機中の傭兵たちは今すぐ地下牢へ向かい、お互いのために捕虜の護送を、と。
また、事態が明るみになりつつある中、革命幹部はその制御に向かう。
こうして対応が定まり、それぞれが動き出してから少しすると、戦場の両者が再び動き出した。
そんな中、クリストフの右腰あたりが、青白く光り出した。光っているのはリズから貸し与えられた魔導書だ。
この現象を目に、彼は少し迷った。
これは間違いなく、リズからのメッセージだ。早く目を通すべきではあるが、魔導書を渡された時、他には知られたくないという意向を伝えられていたということもある。
そこで彼は、この情報を共有すべき相手を絞り込むため、一度場を離れることにした。城壁内の階段へ駆け込み、魔導書を開く。
すると、白紙だったページに光が走り、目にも止まらない速度で何かが刻まれているところだった。
新たに刻まれていく文章。その序文を目にし、クリストフは誰と共有すべき情報か、すぐに察した。一度魔導書を閉じ、ダミアンの元へ。
彼が呼んだのはダミアンと、魔神や契約関係についての有識者である。内緒にしておきたい魔導書とのことだったが、背に腹は代えられないだろう。
三人で屋内へと入り込み、クリストフは再び魔導書を開いた。
リズにより遠隔で刻み込まれているのは、彼女によれば「盗み読んだ」という、あの魔神の契約内容だ。
最初に「不完全な情報」という但し書きがあるが、情報不足で苦しんでいた彼らとしては、またとない判断材料である。
契約内容については、箇条書きで列挙されている。
・魔神との契約者は不明
・戦闘領域はモンブル砦近辺に限定。攻撃対象が間合いにある場合、能動的な移動を禁ずる。
・攻撃対象は、戦闘領域内で一番強い魔力を持つ者。この者の殺害を以って、契約を履行したものとみなす。
・術者に対し、魔神の側から視覚などを供給する。
・上記攻撃対象以外の殺害については、七人まで許容する。
・各条項への違反があった場合、魔神を即座に送還する。
これら条項について読み進め、まずはダミアンが有識者に問いかけた。
「魔力が一番強い奴を狙うってのは、あり得る契約なのか?」
「ああ。対象を絞りたい時に、しばしば使われる決まり文句みたいなもんだな」
「皆殺しにしない理由は……そうすると都合が悪いから、でしょうか」
続くクリストフの問いに、ダミアンは渋面を作って言った。
「この中に関係者がいるのかもしれんな……」
「あるいは、対象を絞ることで、契約履行の時間を縮める意図があるのかもな。顕現にあたっての魔力は、術者の払い出しになることが大半だ。維持しきれなくなる前に、最強の一人さえ殺せれば……ってところか」
事実、リズ一人失うだけでも、革命勢力としては相当な痛手となろう。
詳細不明ながら、あの魔神は見る者を怖じさせるばかりの武を見せつけている。
そして……そんな魔神と、防戦一方ながら斬り結べるリズを、彼らは目の当たりにしてしまっている。
彼女を失った時、それがどれほどのダメージとなることか。
情報を得たことで、かえって悩まされる部分、謎が増す部分もあったが、一つはっきりしたこともある。
敵は、リズを除けば、能動的に七人までしか殺せない。
加勢に向かわせたとして、全員殺されるわけではない。巻き添えにならないような配置をすれば、リズの巻き添えで無為に死ぬことはない。
そこでクリストフは、魔導書を見て気付いた。
殺害許容数の七というのは、革命勢力が捉えた捕虜と、ちょうど同数だ。
しかし、不意に脳裏に浮かび上がったものを、彼は悪い考えだとしてはねつけた。
命を預けてくれるという言質があるからと言って、そのために殺して良いわけではない。
――それでも、決断を要求される局面が、彼の前に来るかもしれない。
今もなお、リズが死闘を繰り広げる間に、彼は目まぐるしく思考を巡らせた。
すると、外から驚きに満ちた声が上がった。
議論はここまでと、魔導書を閉じて外へ向かう三人。
出てきた彼らに、見張りの傭兵は大声で言った。
「もう、動いた奴がいる!」
指揮系統から離れての動きは、慎まれるべきではある。
しかし、報告した彼は、どこか興奮したような面持ちでもあり……彼の言葉に従い、クリストフたちは城壁の外へ目を向けた。
戦場に新手が参戦した様子はない。
ただ、ほんの少し後、彼らの目の前で一本の矢が飛んでいき――それは、魔神に見事に的中した。
これまで、矢の雨を軽々と薙ぎ払い、決して直撃を許さなかったあの魔神に、群れをなすでもない、ただの一矢が当たったのだ。




