第79話 次への小休止③
その日の夕方。革命主導部と傭兵団からなる会議の場で、まずは昼の議題が持ち上がった。諜報員らしき連中の中から、交渉相手を選定した結果についてだ。
この件に関し、簡単な書類が順次手渡され、国際派の面々から説明がなされていく。
「武力が低い国と、海外の商業国出身者だ。様子見のために来てそうな連中だな」
「互いの利害も、そう大きく異なるものではないと思う」
説明を耳にしつつ、リズはそのリストに視線を落とした。リストに上がっているのは三人。紛れ込んでいると思われる工作員全体からすれば、ごく一部というところではあるが、取っ掛かりとしては無難な所だろう。
超少数派の勢力であれ、今は少しでも、実際に丸め込んだという実績が欲しい。その事実を以って、さらなる他勢力への交渉材料としたいのだ。
このリストについて、リズは交渉担当者の立場として承諾した。彼女と共に動き、交渉に立ち会う傭兵団も同様だ。
傭兵たちの反応を確認した後、リズは場の面々に向かって口を開いた。
「会議室で交渉するよりは、砦の外で交渉した方が良いように思われます。城壁には見張りを配した上で、ですね」
「なるほど」
彼女の発言に、傭兵の側から合点がいったような声が出た。
この交渉においては、一般の構成員に諜報員の存在を知られては困る。できる限り、秘密裏に済ませたいのだ。
仮に連中が脱出しようとした場合、砦の中よりは外の方が騒ぎにはなりにくいだろう。
それに……会議室での交渉というのは、いかにもである。他勢力の目や耳が気にかかるところだ。
それよりは、見張りが自然と存在する屋外で交渉する方が、妙な動きへの牽制を期待できる。
「外の方が、取り逃がすリスクは高いが……ま、善し悪しだな」
「ええ。可能な限り、相手を刺激しないように、話を運んでいきましょう」
交渉についての話は、ひとまずそこまでとなった。
次いでの報告は、近隣からの増援についてだ。
「今の所、数十人規模の集まりが断続的に到着している感じだな」
「受け入れ準備は?」
「砦の中にスペースを作りつつ、外に野営地の準備も進めてある。全員を中に入れたいのは山々だが……」
やや渋い顔で増援担当の幹部が口にすると、彼の言にうなずいたクリストフが、傭兵団に向いて話しかけていく。
「あまり扱いに差を出したくはないですが、どうしてもそういう違うは出てしまうでしょう……申し訳ありませんが、傭兵団からいくらか、外の防備に人員を回していただけますか?」
「ああ。新入りのことを気に掛けてやらないとな」
「お願いします」
勢力を拡大しつつある矢先、その流れの頭を潰そうという動きはあるかもしれない。監視要員を配することは、新入りに安心感を与えるとともに、次へと続く流れを守る意味合いもある。
と、そこで一つ指摘が入った。
「潜入者相手の交渉だが、外でやるんだよな?」
「はい、そのつもりですが」
淡々と答えるリズに、質問者の顔には少し不安の色が浮かび上がる。
「見られちゃマズいんでは?」
「ああ、いえ。そちら側ではやりませんよ。川に向いた出口付近でやるつもりです」
砦の出口は、大きく分けて二つ。トーレットにつながる南側と、川に面した北側だ。
この内、南側の出口付近は、集まりつつある新たな参加者のための野営地になる。
そうした中で、潜入者と思われる者を呼びつけての交渉は――それはそれで反応が興味深いところではあるが、あまりにリスクが大きい。
一方、川に面した北側は、川向こうにある森の中に、ハーディング領正規軍の伏兵が配されていると思われる。今の所、目立った動きはなく、監視に徹しているものと思われるのだが……
あえて、彼らの監視の前に立って交渉を行おうというのだ。
そんなリズの考えを、傭兵たちは「面白い」と評した。
「森の中の連中に、交渉内容を聞かれるってことはないだろう。一方で潜入者の立場から見れば、逃げ出すってのは難しいだろうな」
「確かに。南側の野営地へ紛れ込もうという動きさえ抑制できれば、ロクな逃げ場はなさそう」
「まさか、森の中へ突っ込むわけにもいかんだろうしな。あの中に敵がいるってのは、潜入者たちも知ってるはずだし」
リズの意図は十分に通じたようだ。傭兵たちがどこか嬉々とした様子で、彼女の意図を口にしていく。
つまり、森の中に潜んで監視している、敵の目を利用してやろうというのだ。砦には革命勢力の本隊、川の向こうには正規軍の伏兵。その板挟みにあった中、潜入者たちの本名と出身地を暴露してやる――
「もしも、自分がその立場だと考えると、ゾッとするね」と傭兵の一人が口にすると、他の面々もうなずくばかりである。
最終的に、外で交渉しようというリズの案は、革命幹部からの全面的な合意もあって可決された。
☆
会議後、議題が色々とあったせいか、すでに日が沈んで暗くなっている。
ただ、この革命に参加しようという集団が続々やってきているおかげで、幹部としては中々休む暇がない。
仲間が増えていくというドサクサ、気分が高揚するその隙を狙い、何らかの動きが生じるという懸念もある。
勢力の拡大自体は歓迎できることだが、一方で気が抜けず、慌ただしい状況は続いてもいるのだ。
特に忙しいのは当然のことながら、革命の顔役であるクリストフだ。やってくる面々への最初の挨拶、諸々の最終決裁などなど……
日が沈んでもなお、彼の元には案件が舞い込んでいく。
機を見計らって内密の件を、と考えていたリズだが、彼の様子をうかがっているうちに、なんとも言えない同情の念が湧いてきた。
もっとも、夜通しやってくるような新規参入集団はなく、ある程度すると動きも収まってきた。日が沈んでから2、3時間ほど経ってのことである。
状況がひと段落したのを好機と見、リズはクリストフに声を掛けに向かった。
いつもの会議室には、彼の他にクロードがいた。二人の様子から、仕事終わりの一休み中といったところか。
リズの入室に気づいたクリストフは、さっそく「お疲れさまです」と声をかけてきた。続いてクロードも「お疲れさん」と一言。
今日のこの二人に比べれば、ゆとりのある動きをしていたリズとしては、とりわけ忙しそうであった彼らのこの言葉に、苦笑いしか返せない。
そんな彼女は、本題を切り出す前に、会議室を見回した。
できれば、クリストフだけに伝えておきたい件だが……クロードも一緒というのはいいだろう。
しかし、いつ誰が来るかもわからないこの会議室で話すのは、憚られるものがある。
そこで彼女は、話を切り出した。
「クリストフさん、少しお耳に入れたい話が」
「何でしょうか?」
「他に聞かれるとマズいので、場所を変えていただければ」
彼女の言葉に、「俺は?」とクロード。リズは「あなたになら、聞かれても大丈夫」と答えた。
その後、二人は顔を見合わせた後、リズに向き直ってうなずいた。
席を立ち、三人が向かったのは城壁の上である。見張りに距離を開けてもらえれば、ちょっとした密談ぐらいは問題なくできる。
加えて、視界が開けていることもあり、誰かの接近をすぐに知ることも。廊下で聞き耳を立てられる可能性を思えば、誰かの部屋よりはずっと好ましい。
さっそく、夜勤の見張り番に労いの言葉をかけつつ、「三人で話があるから」と人払いを依頼。
両サイドの見張りの協力を得たところで、リズはクリストフに一冊の魔導書を手渡した。
「これは?」と問いかけてくる彼に、彼女は「お守りですよ」と微笑みかける。
「あなたの身に何かあると困りますし、念のためです」
「では、前にお預かりした魔導書は?」
「2冊もあると変ですし、またの機会にお返しいただければ」
リズが返事を終えると、クリストフの顔が見る見るうちに神妙なものになっていく。助けられた時のことを思い返しているのだろうか。
彼の心境を察しているようで、クロードも何だか思わしげな顔に。
ややいたたまれない空気になった中、リズは少し明るい口調で「中は気になりませんか?」と尋ねた。
「そうですね、さっそく……」
リズに応じ、本を開けるクリストフ。
しかし、魔法陣らしきものが刻まれているのは、最初の1ページのみ。後はいくら捲っても白紙が続くばかりだ。
そこで彼は、いったん本を閉じて、裏表紙から捲り出した。
果たして、最終ページにも同様の魔法陣があり、順繰りに捲っていった時と同様、最終ページ以前も白紙が続く。
クリストフとクロードは、決して魔法に明るい人材というわけではないが、この魔導書の異様さには気付いたようだ。
一方、彼らはこの本を、リズのジョークと捉えた様子もない。不思議そうにしながらも、クロードが口を開いた。
「魔法陣が2つあったが、何か特別な奴なのか?」
「ええ。クリストフさん、最初の白紙に戻っていただけますか?」
「わかりました」
彼が言われた通り、最初の白紙ページを落ち着いた所作で開けると、リズはその場で二人に背を向けた。
「何してんだ?」と、問いかけてくるクロードに、「いいから、本でも見てて」と返すリズ。
本を見ろと言われても、そこには白いページしかないのだが……彼女に寄せる信頼等の念がそうさせるのか、不満に思う様子もなく、クロードは素直に応じた。クリストフは言わずもがな、である。
すると――白紙のページがうっすらと青白く光り出し、そこに魔法陣が刻まれていく。
驚いた二人はリズに目を向けるが、彼女は背を向けたまま、身動き一つしないでいる。
それから、白紙だったページに、新たな魔法陣が刻み込まれた。そこに注がれる魔力が、描かれたばかりの魔法陣を機能させ……青白い人魂が出現し、あたりを淡い光で照らし出す。
「これは?」と尋ねるクリストフに対し、リズは向き直って口を開いた。
「これは、《霊光》という初等魔法ですね。すぐに用意できる、便利な明かりです」
「いや、ソッチじゃねえよ」
苦笑いでツッコんでくるクロードに、リズは微笑みを返し、改まって口を開いた。
「支配下にある魔導書に対し、手を触れずに新たなページを書き込むという……私のオリジナル魔法です」
「オリジナル、ですか」
どことなく、クリストフが尊敬の眼差しを向けてくる。
そんな彼に対し、リズは頬をかきながら「他にも、こういうことができる方が、世の中にはいらっしゃるかもしれませんが」と、謙遜しながら返した。
「これってつまり……他の誰かがその時必要とする魔法を、使わせてやるための魔法ってとこか?」
「そんなところね」
要点を素早く押さえたクロードに、リズがうなずいた。続いて、クリストフからの問い。
「オリジナルと言う事ですが、この魔法の名前は?」
「……《別館》です」
「《別館》?」
魔導書をリモートで仕上げるにしては、妙なネーミングである。訝る二人に、リズは言った。
「本館は自分と言いますか……自分の知識を図書館に見立てた、みたいな?」
「ふーん」
合点がいったような、そうでもないような微妙な顔で、クロードが答えた。
実のところ、《本館》はリズの中の、《叡智の間》を指す。あえて言及することもないと考え、彼女はそのことについて口にしないでいるが。
このとっておきの魔法について、彼女は「他に似たような使い手がいるかも」と、謙虚なところを見せたものの……魔法陣や魔導書に慣れ親しみ、読んだり書いたりという点において飛び抜けた才覚と経験を持つ、彼女ならではの魔法だ。
具体的には、魔法陣を書き込み・展開する系統の魔法に、《憑依》のような魔法で対象物に意識を乗せる要素を組み合わせている。
ある意味ではリズの分身とも言えるお守りを手に、クリストフは表情を引き締めた。
「何から何まで……ありがとうございます」
「いえ、何かあっては大変ですし。使わずに済めばそれに越したことはないですが、念のためです」
「……俺の分は?」
尋ねてくるクロードは、あまり期待していない様子ではある。彼に軽く頭を下げ、リズは苦笑いで言った。
「ごめんなさいね、用意できるのは1冊だけなの」
「ま、しゃーねーか……ところで、前からその《別館》の魔導書を渡せばよかったんじゃ?」
特に含むところはなく、単に気づいたことを指摘したといった感じのクロード。
彼の言葉に、リズは含み笑いを漏らしてから答えた。
「前って、この砦を確保する前のことでしょ?」
「そうなるな……あ~」
何か気づいた様子のクロードに、リズはニッコリ笑って言葉を続けていく。
「あのタイミングだと、あなたに疑われる可能性が高くてね。説明もなしに、こういうものを渡すわけにもいかないし……渡せる魔導書となると、本当に普通のぐらいだったのよ。私の普段使い用みたいな」
「そういや、そうだったな……いや~、そういうこともあったな、はは」
まったく、初対面の頃から比べると、随分と信頼されつようになったものである。
少し乾いた笑いをする彼に、リズはやや呆れたような、それでいて親しげな笑みを向けた。
その後、リズは改まり、二人にお願いした。
「敵対勢力に、私がこういうことができると知れると面倒です。あくまで、普通の魔導書として扱って下さい」
「わかりました。とりあえずは《遠話》用の魔導書ぐらいに見せておきましょう」
「そうですね」
クリストフは魔法使いではないが、魔法に限らず多方面に飲み込みが良いところがある。
そんな彼に、リズは安心感を覚えた。
何かあっても、彼ならうまく使ってくれることだろう。




